475. 任務完了
僕、ライルが僕が住む世界とは別の世界に来て約3時間ほど経っただろうか、どうにか徠紗の居場所に無事到達し、誘拐犯を探り、石田刑事に頼んで徠紗の生還と犯人の拘束を終えた。
石田刑事が徠紗を保護し、警察の車で家まで無事に送り届けてくれるだろう。
僕は、現場を後にして先に朝霧邸に戻ってきた。
ホールに転移すると、何やら上の階で騒がしい声が聞こえる。
「瑠璃、いい加減に出て来なさい。」
徠夢がドアを叩いて、少し苛立ったようにドア越しに声をかけている。
僕に気づいた留美が階段を下りて来た。
「ライル君、どうだったの?何かわかった?」
「あ、はい。徠紗を無事保護しました。今、警察の車で石田刑事がこっちに向かっています。」
「ほ、本当に…ありがとう…。」
僕に縋るように僕の腕を掴み、頭を下げる留美を見て、何だか不思議な気分になった。
「あの、聞いてもいいですか?」
「はい、私が答えられることなら、なんでも…。」
僕は、留美に徠夢と結婚した経緯を聞いた。
留美は少し恥ずかしそうに言った。
「私、中学の時からずっと徠夢さんに憧れてて、二度ほど告白して振られたんです。
ですが、大学生の時にたまたま合コンで再会して、私は未成年だったので、お酒は飲んでいなかったのですが、なぜか具合が悪くなって…。」
留美が恥ずかしそうに、頭をポリポリと掻く。
「お酒を飲んでいないのに具合が悪くなったのですか?」
「はい。それで、家が近所だったので、帰り道に徠夢さんが介抱してくれて…。
それが、途中で徠夢さんも具合が悪くなって…、気がついたらお泊りしちゃってて…。」
「…。できちゃった結婚ですよね?」
留美が顔を真っ赤にして頷いた。だが、待てよ。僕の世界の留美はオーストリアで出産して、僕をわざわざ日本に、父様のところに押し付けに来ていたはずだ。
「留美さんは、海外の音楽大学へ留学の予定はなかったんですか?」
「え?そんなことまで知っているの?」
少し驚いたような顔をしながら留美は話を続けた。
「そうなんです。日本の大学でも音大で、途中許可が下りたら海外の大学に行くことになっていたんだけれど…。実はね、手をたまたま怪我してしまって、留学を断念したの。でもね、怪我は本当は大したことなくて…徠夢さんとお付き合いできることになって、日本から離れたくなかったんだけどね。」
クスッと笑った留美は、僕の知る僕の世界の留美とはやはり別人だ。
瑠璃は愛し合う父と母の間に生まれた子供だった。
「ライル君、どうしてそんなこと聞くの?」
「あ、いえ。僕の家とは違うんだなって。ここの家族が仲のいい理由がわかりました。」
僕は、たまたまその目の前にあるグランドピアノに手をのせて、そこから出てくる記憶を読み取った。もう、ずっとずっと弾かれていないピアノだ。
徠人が小さい時におばあさまと少し弾いたくらいだ。
僕は留美がもう一つの世界と同じであれば、ピアノ奏者を目指していたのだと考えていた。
「あの、少し時間あるのでピアノ弾いていいですか?」
「あ、いいですけど、調律してないから…」
「じゃ、僕が音もみますね。」
閉じていた屋根の部分を上げて棒で支え、鍵盤を一音ずつ弾いて、音が狂っているものは物質を扱うときと同じ要領でチューニングピンを回す。
勝手にピンが回って音があって行く様に留美は目を白黒させている。
音が合ったところで、椅子に座りいつものようにクラシックの曲を弾いた。
僕が『テンペスト』を弾き始めると、サロンにいた未徠と亜希子が二人揃って近づいてきた。そして、階段の上、二階の瑠璃の部屋の前にいた徠夢とブラザーアンジェラも階段を下りて来た。
そう言えば、今日は何も食べていない…。エネルギー補充のためにもピアノを弾くのは都合がいい。そう思うと、尚更のことながら気持ちがこもり、空気中から金色の光の粒子がうっすらと発生し、そのうちグランドピアノの上辺りを音の強弱に合わせるように渦巻き始めた。まるで嵐のようだ。
弾き終わると同時にその光の渦は僕の体にまとわりつき、最後は消えてしまう。
留美が僕に話しかけてきた。
「ライル君、ピアノを習っているの?とても上手だわ。今まで聞いた中で一番よ。どんなプロよりすごい。」
「僕、ピアノは習っていないんです。突然弾けるようになって、その時から弾くと僕のエネルギーになる事がわかって…。」
そんなやり取りの中、パタンとドアが閉まる音が聞こえた。
その音の先には、瑠璃が階段の上で呆然と立っていた。
「瑠璃、ようやく出て来たか…。」
徠夢がそう言って近づいたが、瑠璃は無視して階段から勢いよく駆け下りグランドピアノのところまで来た。
「ライル?」
「あぁ、久しぶり。瑠璃。部屋に閉じこもっていても何も解決しないんじゃないか?」
「なんだか、雰囲気がすごく変わった。」
全然話は聞いてくれないようだ。
「そうかな…。」
「ねぇねぇ、今のピアノ、ライルが弾いたの?」
「あぁ、そうだよ。」
「すごい、すごい。憧れちゃう。もっと聞きたい。」
ブラザーアンジェラが心配そうに見守っている。
とりあえず、引きこもっていたはずなのだが、妙にピアノに食いついている瑠璃のリクエストに応えて、他にも二曲弾いた。
曲が終わって、食いつき気味にどんどん近づいてくる瑠璃を見て、僕が声をかけた。
「瑠璃、引きこもって家族に心配かけてる場合じゃないだろ。あと数分で徠紗が帰ってくるから、シャワーでも浴びてきれいな格好しなよ。」
頭もボサボサで、毛玉だらけのジャージ姿の瑠璃は、多分家族にはそんな指摘をされたことないのか、一瞬キョドりながらも、カクカクと首肯し、ぴゅーっと自分の部屋に戻って行った。
「あ、ありがとう、ライル君。私たちはどうも脳腫瘍の手術の時に瑠璃が死にかけてしまってから、あの子に甘くしすぎている様だ。」
徠夢が恥ずかしそうにそう言った。
「いいんじゃないですか、甘やかすのは…。ただ、僕と同じ年なのに、ずいぶん子供っぽいですよね。うちの4歳児の方がもっとしっかりしていますよ。」
その後、10分も経たないうちにドアベルが鳴り、来客を知らせた。
石田刑事が徠紗を連れて戻ったのだ。
留美と徠夢は徠紗を抱きしめ号泣している。
徠紗はまだ眠ったままだ。やはり薬を盛られているのかもしれない。
石田刑事が徠夢達に言った。
「あのですね、犯人は別部隊で確保していて、長引きそうだったので先に赤ちゃんを連れて来たんですが、目を覚まさんのですよ。それで、病院に連れて行った方がいいかなと思うんですが…。同行してもらえますかね。」
僕は石田刑事の側に行き、声をかけた。
「おじいさまはここで医院をやっている医師ですので、まずおじいさまに診察してもらいましょう。」
石田刑事も同意し、未徠が診察をする。
未徠は外傷などはないが、かなり衰弱しているように感じると言う。
僕は未徠に睡眠薬の効果を消せばいいのかを聞いた。
「ライル君、それはここでは無理だろう。大きな病院の小児の病棟があるところで、点滴を打ちながら薬が消化され体内からなくなるのを待つしかない。それに違う原因があるのかもしれない。検査をせねば何もわからない。」
「そうですね。その方がいいのかもしれません。」
「どういう意味だい?」
「きちんと病院にかかって、原因を突き止めて、犯人の罪を明らかにする。という事です。例え、徠紗が目覚めるのに何日かかっても。それが普通のやり方なのであれば。」
同席していた石田刑事が口を割って入った。
「ら、ライル君はこの状況をどうにかできるのかい?」
「薬や毒を無効にすることは出来ます。」
「じゃあ、先生、血液検査に回す血液だけ採取して、病院に持って行くのはどうだ?
確かに、あんな小さい赤ちゃんを何日も点滴に繋いでただ黙って待つより、すぐに治してもらった方がいいんじゃないか?」
「石田刑事さん、そんなこと…本当に可能だと思いますか?」
未徠はさすがにそんな能力などないと思ったのか、否定的な態度を取った。
「僕は別にどっちでもいいんです。では、僕の役目はおしまいですね。
もう、帰ります。」
そう言って、僕は席を立った。しかし、僕の腕を石田刑事が掴んだ。
「ライル君、私はね、オカルトとか超能力とか絶対信じない人間なんだよ。
でも、今回のことで考え方が変わった。警察が無能なこともよくわかった。
君のすごい能力を見ていないから、先生はこんなこと言うんだと思う。
私は、なるべく早くこの子を手当てしないといけない気がするんだよ。」
すごい熱意のこもった声で僕を引き留めようとする石田刑事を見て、徠夢が会話に入ってきた。
「父さん、血液を取ってくれ、私が病院に行って調べて貰うから。
手足をもぎ取ったり、頭をかち割るわけじゃないだろ?試してもらったらどうだ?
忘れたのか?彼が、瑠璃の脳腫瘍後の致命傷を治してくれたじゃないか。」
「え、なんだと…。あの金色の光の天使が、ライル君なのか?」
石田刑事は何のことかわからず首を傾げている。
一転、未徠はライルに向かって、言葉を選びながら言った。
「すまない、感情的になってしまい…。その、君が、あの天使だと知らなくて…。
頼む、徠紗を助けてくれ。」
僕は首肯し、検査用に血液を採るよう促した。
皆が見守る中、僕は徠紗の頭に手を当て、マリアンジェラの能力である毒物無効を実行した。手のひらから真っ白い目を開けていられないほどの眩い光が溢れ、徠紗の全身を覆った。
その直後、ピクッと動いた徠紗がじわっと目を開け、「ふぇぇ~ん」と泣いた。
留美が慌てて抱き上げる。
「お腹が空いているみたいです。」
僕はそう言ってその場から離れた。
半信半疑だった未徠も安堵で顔をほころばせていた。
シャワーを浴びて身支度をした瑠璃も部屋から出てきて一緒に喜んでいた。
僕はブラザーアンジェラに近づき、声をかけた。
「ブラザー、僕はまだ解決したとは思っていないけど、すぐに脅迫状は手に入りそうもないから、誰が送ってきたか今調べることができない。」
「そうだな。」
「石田刑事に頼んで脅迫状を返してもらうか、触れるようにしてくれないか?
あ、できれば、今徠夢にメッセージを送ってくれ。」
「わかった。」
送信したことを確認した後、僕はブラザーアンジェラに聞いた。
「このままイタリアに一緒に戻るかい?戻って、誰が泥棒に入ったか確認した方がいいんじゃないかな?」
「そうだ、忘れていたよ。セキュリティのシステムを壊されていたんだ。」
「じゃあ、そうだな…単独で動く動体感知で録画できるカメラを二つ買って、玄関とアトリエに設置しよう。メールで画像を送るようにしておけばいい。」
「え?でも、今から設置しても…。」
「クレジットカード持ってる?」
「あぁ。持ってる。」
僕はブラザーアンジェラの肩に手を置き近くのホームセンターに行った。
「ここはあっちの世界と同じようにあるんだな。」
そこでヨーロッパでも使用可能なカメラを二個買い、彼を一度朝霧邸に戻した。
「12月何日に泥棒が入ったの?」
「セキュリティシステムのログでは12月14日の早朝だと思われるのだが。」
「わかった。」
僕はそう言うとイタリアの家に転移した。
そのまま、過去に転移する。12月13日の夜だ。
アトリエの絵画が飾ってある壁を一望する場所の床にカメラを置きコンセントに繋いだ。メール送信の設定はホームセンターでやってもらったので、大丈夫だと思う。
カメラが目立たないように壁際にマガジンラックを寄せて、入り口から入って来ても見えない様にした。
念のため僕が前を通って手を振ってみる。
次に玄関の中だ。コンセントが微妙な位置にある。ちょうど、玄関の横は空き部屋で、そこにはコンセントが丁度よい位置にあった。
飾り棚の上にカメラを載せて、玄関の方に向けるこのままだとぐらぐらするので、能力を使い壁の中にカメラをめり込ませる。そして壁の裏の部屋にコンセントのケーブルを押し込んだ。ちょっと強引なやり方だが…そこは勘弁してもらおう。
コンセントを電源に差し込んで、カメラの前で手を振った。
そして、元の時間に戻り、朝霧邸に転移した。
ブラザーアンジェラがスマホを手に慌てている。
「ああっ…。」
「どうしたの?」
「動体感知で撮影された動画がどんどん送られてきた。」
僕も覗き込んだ。僕が手を振っている最初の動画…そして、次に二人組の男がえを盗み出している様子がはっきりと写っていた。
「これは、家のセキュリティシステムを工事した会社の作業員たちだ。」
「クローゼットの倉庫への入り口開けられなくて良かったね。」
「あぁ、あれは指紋認証だし、別の会社がつけたものだからな。倉庫そのものが鉄のコンテナみたいなものでできているから外から壊すことも出来ないはずだし。」
「なるほど…。これで証拠が掴めたから、警察にそれ出せばいいよ。」
「あぁ、ありがとう。これで瑠璃の絵を取り返せる。」
ブラザーアンジェラが瑠璃にイタリアに戻ると告げ、他の者も感謝の言葉をかけた。
「アンジェラさん、ライル君を連れて来てくれてありがとう。」
留美はそう言ってブラザーアンジェラと僕に握手をした。
そこへ病院に検査を依頼しに行っていた徠夢と石田刑事が戻ってきた。
石田刑事が真っ直ぐ僕の側に来た。
「ライル君、約束、忘れていないだろね。」
「忘れてませんよ。」
「じゃあ、連絡先交換して欲しんだが…」
石田刑事がスマホを出したが、僕のスマホにはこの世界からは連絡は届かない。
「あぁ、石田刑事さん、すみません。僕にはお手紙でしか連絡出来ないんです。
ブラザーアンジェラにメッセージを送って、彼に手紙を書いてもらって下さい。
電波が届かない場所に住んでいるんです。」
石田刑事はブラザーアンジェラと連絡先を交換した。
「じゃ、僕達もう行きます。」
僕がそう言うと瑠璃が何か言いたげな顔をした。
「あ、瑠璃、僕CD出したんだ。今度送るよ。」
「マジ?うそ…聴きたい。」
瑠璃は何か言いたげだったことを忘れてその話にくいついてきた。
僕とブラザーアンジェラは三階の空き部屋の中からイタリアの家に転移した。
イタリアの家で倉庫へ入り、もう帰ろうと言うとき、ブラザーアンジェラが後ろからこえをかけて来た。
「ライル君、本当にありがとう。何から何まで…。」
「大丈夫だよ。僕にできることで良かったよ。」
そう言った時、ブラザーアンジェラがガシッと僕にハグしてきた。
僕は少しおかしな気分になった。なんだかこの人って僕の世界のアンジェラとはずいぶん性格が違うなぁ、と思ったら楽しくなってきたのかもしれない。
「じゃあ、ブラザー、僕は行くよ。石田刑事さんから連絡あったら手紙書いてくれ。」
「あぁ、約束する。」
僕は、あの子供達を描いた絵をほんの少し持ち上げた。
グニャリと目の前がゆがんだ。ようやく任務完了だ。




