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454. 慌ただしい土曜日の夕方

 その日の夕方、僕はなんとなくだが胸騒ぎがして、アンジェラに一言言ってからアメリカの『ジェイミー』の様子を見に行った。

 はっきりと何が起きるかと予知したわけではない。ただ、今朝アンジェラにどうするつもりか聞かれたせいもある。

 動画の撮影が終わって、肩の荷が下りたせいかもしれないが、ちょっと見に行くだけならそんなに影響はないだろう。


 僕は自室のクローゼットからあの大きくて古そうな家の裏手に転移した。

 地下の部屋に意識を集中すると足元が透明になり、体が沈んでいく。アメリカのこの地域ではまだ土曜日の午前10時、家主の男とその妹は多分、家の中にいるだろう。

 地下室の高さまで体が沈み込んだ時、段々と目の前の視界が開けてきた。

 見ようとしている方向の物質が透明に近い状態で透けて見えるのだ。

 家主の妹の息子ベンは、いつもの通り、ベッドの上で、クッションを支えにし、上体をおこした状態だった。

『マーガレット』と呼ばれている『ジェイミー』は姿が見えない。

 僕がわりと大きなその部屋の中をくまなく見ていると、トイレと浴室のある場所から『マーガレット』が出てきた。顔が真っ青だ。

 ベンが『マーガレット』に話しかけた。

「マーガレット、顔色がすごく悪いよ。どこか痛いんじゃないのかい?」

「ベン、私は大丈夫よ。痛いところはないのだけれど…なんだか息が苦しいの。」

 顔にはみるみる脂汗が浮き出てきて、やはり様子が変だ。

 ベンが慌ててベッドの脇の壁に取り付けられているボタンを押した。

 母親か伯父がいる時にはそのボタンで呼び出すことが出来るのだ。

 階段を下りる音、そして鍵を開ける音がした。

 ドアが開き、ベンの伯父である男が部屋に入ってきた。

「どうした、ベン。」

「マーガレットが苦しそうなんだ。急に顔色が悪くなって。」

 男は『マーガレット』の様子を確認し、その様子を見て動揺した。

 明らかにマズイ状況だ。このまま放置しては死んでしまうかもしれない。

 自分達の勝手で連れて来てしまった女の子が、苦しそうにしている。

「どこか痛いのか?」

 男が聞いても『マーガレット』は首を横に振るだけだ。

 その時、ベンが男に言った。

「おじさん、マーガレットを病院に連れて行ってあげて。」

「ベン…しかし…。」

 ベンは伯父と母が『マーガレット』をどこかから誘拐してきたことを薄々感じていた。いつか、『マーガレット』を家に帰してあげないといけないという事もわかっていた。

「おじさん、このままじゃ、彼女が死んじゃうよ。それはイヤだ。」

「…。」

 男はひどく悩み、一度『マーガレット』をベッドに寝かせて、地下室から出て行った。僕は上の階の使っていない部屋に転移した。そこでも見たいところに目を向けると壁が透けて、音もはっきり聞くことが出来た。

 男は受話器を握って電話をかけるかどうかで自分自身と葛藤していた。

 しかし、ここに救急車を呼べば、間違いなく自分たちは誘拐犯として逮捕され、ベンを面倒見てくれる人はいなくなる。それは出来ない。

 男は悩んだ末、もう一度地下室に行った。妹を伴い地下室に行き、『マーガレット』に、彼女がここに来た時に着ていた服を着せた。

 ベンには『病院へ連れて行く』と言ったが、病院へ連れて行ったところで、救急車を呼ぶのと変わらない結末が待っているだろう。

 男は、妹とベンを家に残し、妹には地下室の内側から鍵をかけるように言った。

 男に何かあったときに出られなかったら困るからだ。


 男は『マーガレット』を車の後部座席に寝かせ、ブランケットを頭まで被るように言った。『マーガレット』は従った。

 男は、家から1時間半ほど車を走らせた。さびれた町の今では営業をしていないガソリンスタンドで車を停めると、誰もいないことを確認し、『マーガレット』を車から降ろした。

 そして現金をいくらか渡し、公衆電話から緊急電話番号に電話をかけるように言った。

「長い間閉じ込めてすまなかった。許されるとは思っていないが、俺たちが捕まるとベンが生きていくことが出来ないんだ。」

 そう言って男は何度も振り返りながら車に乗って去って行った。


 僕は少し離れたところから転移を繰り返し追跡していた。

 いざとなれば、彼女の命が危険にさらされることになると思ったからだ。

『ジェイミー』に戻った彼女は、悲しそうな顔をしていた。

『このまま死んだ方がいいのかも』と思っていたのかもしれない。

 一時間ほど電話をかけずに潰れたガソリンスタンドのベンチで丸まっていた。

 でも、何かを悟ったのか、ゆっくりと立ち上がり緊急電話番号に電話をかけた。


『ジェイミー』は電話でこう言った。

「お腹が痛くて動けない。助けて。」

 名前と住所を聞かれた時はこう言った。

「私は誰だかわからない。どこに住んでいるかもわからない。」

 数分後、その場所に警察と救急車がやってきた。

 救急車が彼女を病院に連れて行った。警察の調べですぐに身元が判明されるだろう。とりあえず病院で手当を受けて回復できることを願って、僕はその場を去ったのだ。今、僕にできることは何もないだろう。


 僕は自宅に戻った。

 ちょうど夕飯の準備ができたようで、マリアンジェラが探しに来た。

「ライル~、ごはん食べよ。今日のごはんも美味しそうだよ~。」

 僕とマリアンジェラは手を洗ってダイニングに行った。

 朝見た時よりも目の下のクマが薄くなっているアンジェラが、食器をテーブルに並べていた。ミケーレもフォークとスプーンとナイフをテーブルの上に置いてお手伝い中だ。

「ただいま。」

「おかえり、ライル。」

 夕食のメニューはドイツ料理の様だ。フェットチーネにグーラッシュというシチューをかけて食べる様だ。カチコチのパンとジャーマンポテト、ザワークラウトもある。

 僕はこのカチコチのパンが苦手だ。口の中の水分が完全に奪われる。その上、顎が疲れる。味は平気なんだけどな…なんでこんなにカチコチにするんだろう?

 最初は融合せずにマリアンジェラが満足するまで、ピクルスをつまみながら皆の様子を観察する。

 今日は、他にもスライスした何種類ものチーズやハムも置かれていた。

 アンジェラがマリアンジェラのプレートに食べ物を取り分けているが、ザワークラウトを掴んだところでマリアンジェラが皿を持って逃げた。

「え?」

 アンジェラがため息をついて呟く…。

「マリーはどうしてもザワークラウトが苦手なようだ。」

 ほとぼりが冷めた頃、様子を見ながらマリアンジェラが戻ってきた。

「マリー、何してるの?」

「え?あ、うん。あの酸っぱい激マズのキャベツを盛られないように逃げたの。

 パパには嫌だって言ってあるんだけど、無視して食べさせようとするから…。」

 確かにあの酸っぱいのは好き嫌いが分かれそうだ。


 マリアンジェラが食事を終え僕と融合してくれると言うので、一度自室の方へ戻りそこで融合した。やはり他の人の目の前で融合するのはちょっと恥ずかしい。

 ダイニングに戻り、夕食を食べ始めるとアンジェラが席に着いて一緒に食べ始めた。

「ライル、どうだった?あの女の子は…。」

「あ、そうそう。それがさ、意外な展開で…。」

 僕はジェイミーが病気か何かで状態が悪くなり、ベンが彼女を病院に連れて行って欲しいと伯父に頼み、結局、人目の少ない廃ガソリンスタンドで車から降ろして自分で救急車を呼んでくれと言い、ジェイミーは警察や救急車が来ても『記憶喪失』を装い、病院まで行くつもりのようだったと話した。

「そうか…。いずれ、遅かれ早かれこのような事態が起きる事はあったであろうな。」

「まぁ、そうだね。今起こり得る最悪の結末には今のところなっていないしね。」

 アンジェラも少しホッとしたようだ。

「ところで、アンジェラ。朝より目の下のクマが改善されているようだけど…。」

「あぁ、リリィの様子を見に行ったらな、首筋を掴まれて、強制的に寝かされたんだ。5時間ほど寝ただろうか…おかげで回復したよ。」

「ははっ、そっか。で、リリィはどうなの?」

「そうだな…少し太ったかな。」

「そうなんだ…。」

「リリアナに頼んで買ってきてもらっているのかもしれないが、フライドチキンばかり食べているからな…。」

「はぁ。」

 話を聞く限り単なるつわりで大丈夫そうだ。自分の事で余裕がなかったから、リリィの事まで手が回らなかったことを少し反省しつつ、妊娠は病気ではないから結局何も出来ないのか、と歯がゆくも思った。


 そんな時、アンジェラのスマホに着信があった。アメリカの本社からだった。

 会議で動画アップの日時をアメリカ時間の本日の深夜0時に決定したとのこと。

 サーバーがダウンしないように、あえて深夜に設定し、IT部門の人間を本日は勤務させて不具合が発生しないように対応するとのことだ。

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