444. ライルと迷子のプードル
12月8日、水曜日。
特筆することもない毎日を過ごしていた。
しいていうなら、今日は学校が終わった後にアニマルシェルターのボランティアに行った時に、犬の散歩を担当したのだが、ちょっとした騒ぎがあった。
僕、ライルは、ここしばらく毎週水曜日に学校から公共の交通機関を使って移動できる場所で動物愛護団体のボランティアをしている。
大学受験のために校外活動として書くために始めたという不純な動機ながら、毎週一時間ほどの活動でも、結構新しい発見はあるものだ。
犬を散歩に連れて行くのは基本だが、猫にブラシをかけてあげたり、トイレの掃除やエサやり、赤ちゃんネコにミルクをあげたり、猫じゃらしで遊んであげたりと一時間はあっという間だ。
今日は、そこに先週末保護されたばかりの野犬に関する話だ。
その野犬は割と小さく、茶色くて痩せてて、目がギラギラしていて、とにかく人間には一切心を許していない様だった。
エサを与える時も、手慣れた職員がモップで威嚇してケージの入り口からその犬を遠ざけている始末だ。こんな状態ではこの犬はどこにも貰われることは出来ないだろう。
毛は汚れて塊のような状態になっており、まるで太いドレッドヘアがいくつもぶら下がっている様だ。
人を見ると鼻先にシワを寄せて唸る。すぐにガブッと行きそうだ。
そんな犬にほとほと手を焼いた職員が、ぽつりとこぼした。
「こういう犬は保護されない方が幸せだったのかもしれないな…。」
まぁ、言いたいことはわからなくもない。じゃあ、本人に聞いてみよう。
僕はそんな軽い気持ちで、その犬のケージの前に座った。
「なぁ、茶色い犬。お前、名前あるのか?」
犬はドレッドヘアの隙間からギラギラとした目を吊り上げてこっちを睨む。
「お前、目つき悪いな。」
犬は『ウウウゥ…』とうなった。僕は動物と話せる能力を使って犬に話しかけたのである。
「そっか、お前の名前は『ウウウ』だな。」
僕がクスッと笑って犬を見ると、犬は少し拍子抜けした様な顔になっていた。
「じゃ、『ウウウ』今日からよろしくな。僕は毎週水曜日にしか来ないけど、何か言いたいことがあったら僕に言いなよ。僕がお前の代わりにスタッフに言ってやるから。」
犬は、威嚇を止め、こっちに向かって鳴いた。それは普通の犬の鳴き声だったが、僕にはこう聞こえた。
『あなたはボクを天国に連れて行ってくれる天使さま?』
僕はこう答えた。
「僕は、君を天国じゃなくて、楽しい家庭に引き取られるようにサポートは出来るよ。」
犬は、それまで出したことのないような悲しい声で鳴いた。
『ボクの言う事がわかるんですね。』
「そうだね。だから、悪い顔したり吠えるのはやめなよ。」
『ごめんなさい。叩かれると思って。』
「もう、誰も叩かないよ。」
僕がそう言うと、犬は僕に近づいてきた。
スタッフは、僕が独り言を言っているように思っていたが、犬が近づいてきたのを見てかなり驚いている。僕がケージの隙間から手を入れて犬の頭を撫でているのを見て、更に驚いた。
「あ、ライル君、大丈夫かい?その犬は…。」
「えぇ、大丈夫ですよ。この犬、洗った方がいいですよね?僕、やりましょうか?」
そんな感じで、犬をケージから出し、洗い場へ連れて行き、シャンプーをして汚れを落とし、毛の絡んだところは少しカットをした。
何度も何度も洗った。一度では汚れが落ちなかったのだ。
「『ウウウ』、名前呼びにくいから『ウー』でいいか?」
『お好きなように呼んでください。』
「じゃあ、『ウー』お前、プードルだな?」
『それは、なんですか?』
「お前、どうして野良犬やってたんだ?」
『のらいぬってなんですか?』
「お前の記憶を見ていいか?」
『きおく?』
僕は犬の頭に触れて記憶を取り出した。それは少し悲しい記憶だった。
多分、本人は思い出すことも出来ない小さい時の記憶だ。
同じような色の3匹の仔犬と共に母親の乳を飲んでいる。そこは、普通の幸せそうな家庭だ。その犬は首に赤いリボンをつけられ、多分以前から約束されていた家にもらわれて行ったのだろう。
とてもかわいがられて過ごしていた日々の記憶から、この犬の名前がわかった。
『サム』その犬はもらわれた先の家族からそう呼ばれていた。
楽しい日々、その家には小学校に入ったばかりくらいの小さな女の子がいた。
女の子の名前はジェイミー、彼女はサムをかわいがっていた。しかし、悲劇は起こった。
家の周りをジェイミーと散歩している時に、ジェイミーとサムは知らない大人の男性に誘拐されたのだ。サムは途中で車を停めた時に道端に首輪を外され捨てられた。そして、ジェイミーだけがそのまま連れ去られたのだ。
サムはその後、草むらで虫を食べながら、どうにか生きながらえてきた。
いつか、ジェイミーが絵本で読んでくれた『天使様』が、サムを迎えに来てくれると信じて。
「ジェイミー…」
僕がつい口にだして少女の名前を言った時、サムは悲しい声をあげて鳴いた。
『そう、そうだ…ジェイミー…ボクの大切なお友達…。』
「辛かったな…。」
そう言って、毛を乾かしながら撫でてあげるしかなかった。
あっという間にボランティアの時間を大幅に超えて帰宅する時間となった。
あくまでも僕は未成年のボランティアだ。サムをケージに戻し、また来週来ることを約束して寮に戻った。
寮の部屋でシャワーを浴びて汚れを落とした。着替えて洗濯物を持って、家の自室のクローゼットに転移した。
今日はいつもより遅い、もう午前0時を過ぎている。
洗濯物を洗濯室のカゴに入れ、そのままダイニングへ行った。
なんとなく『サム』の記憶を見たことは、後味の悪い体験となってしまった。
ダイニングで残り物のサンドウィッチを食べた。
やはり自分一人では味がしない。しかし、何も食べないのもエネルギー不足になってしまうので避けなければ…。
スープを少し飲み、サンドウィッチを流し込む。
そこにアンジェラが来た。四日ぶりに彼を見た。
「アンジェラ、しばらく見なかったね。」
「あぁ、ライル。ちょっと動画の編集で壁にぶち当たっていてな。」
「アンジェラがそう言うことで悩むって珍しいな。」
「そうなんだ…なんだか神秘的な感じを前面に出したいんだが…うまく行かないんだ。ただのきれいな映像になってしまうと言うか…。」
「なるほどね…。」
「何かいいアイデアないか?」
「うーん、僕にはそういう才能ないからな…。うーん…飛んでる途中で白い小鳥に変化して飛んでっちゃうとか?あと…上位覚醒の姿は大人じゃないか…あれをブランコに乗って、漕いでる途中で子供に変化するとか…。逆のパターンもありかな?あとは…アンジェラの子供の時のイメージでミケーレに出演してもらうとか…。
マリーとミケーレにお花畑で遊んでもらって、そのまま使ったらかわいいんじゃないか?」
アンジェラは僕の方を表情を変えずに真っ直ぐ見ていた。
「アンジェラ…どうした?僕、何か変なこと言っちゃった?」
アンジェラは、ふと、目を瞑ってまた目を開けると僕に言った。
「ライル、お前にはボーナスを出そう。」
「は?」
アンジェラはものすごい勢いで書斎に戻って行った。そして、20分ほど経ったのちに、絵コンテを書いた紙を数枚持って戻ってきた。
「明日の天気予報は晴れだ。明日の午前中、撮影に付き合ってくれ。」
「あ、あぁ…いいよ。うん。」
どうやら僕のアイデアがいくつか採用されたようだ。
「ライルも私にできることがあれば遠慮なく言ってくれ。」
「え?悩みとか?相談ってこと?」
「あぁ、なんだかお前は今日表情が暗いぞ。」
げげ、『サム』のことで少し後味悪いなと思っていたからかな…顔に出ていたか…。僕はこういう話になったのもいい機会だと思い、『サム』の記憶から見たことをアンジェラに話した。
「ライル、私は、過去に戻ってその子を助けるとか言うのはやらない方がいいと思う。」
「わかってるよ。それはしない。」
「なぁ、その子のファミリーネームはわかんないんだろ?」
「わかんないね。家の場所も、捨てられた場所も、その男の素性もわからない。」
「じゃあ、どうだ。まず、犯罪が実際に起こって警察が動いたかどうかを調べてみるのはどうだ?」
「どうやって?」
「犯罪データベースで調べてみたらどうだ?」
「僕にも調べることができるの?」
アンジェラは仕事で使っているタブレットを書斎に取りに行きある画面を開いて僕に渡した。
「会社で取引や雇用の際に犯罪歴がないかを調べるためのサイトだ。これを使うといい。」
僕はアンジェラに教えてもらい、キーワードに『サム』が捕獲された州名や、『ジェイミー』という名前、誘拐、拉致被害などを入れ、検索を行った。
一件の事件の記録が登録されていた。
『家の近くで犬の散歩中に行方不明の女児7歳、名前はジェイミー・S・マグナム-未解決』
「アンジェラ、あったよ。犬の散歩中ってまさしく『サム』の件に一致する。
そして、未解決だ。発生したのは約一年前。去年の11月28日だ。」
その記録には行方不明になったストリートの名前や時刻などが載っていた。
「その子が今どうなっているのか、気になるんだろ。」
「そうだけど…。もう少しよく考えてからにするよ。とにかく、ありがと。」
僕はそう言って、その日はその話を終えた。




