430. ミケーレとピッコリーノ
11月21日、日曜日。
僕、ライルは、久しぶりのゆっくりした休日を過ごしていた。
少し寒くなってきたので、さすがに海に入ることは無くなっていたが、この時期は敷地内の森の方でブドウや梨が採れる。
自分の家で果物狩りができるのってかなり最高である。
ただし、マリアンジェラにかかるとカゴに入るのよりも、胃袋に入る方が多くなってしまうのが注意すべき点だ。
「マリー、そんなにたくさん食べたらみんなが食べる分が無くなっちゃうよ。」
「しょんなことないもん。ちゃんと数えてるよぉ。」
そう言いながら、手と口は止まらない。
ミケーレはあきれてマリアンジェラを見つめるばかりだ。
今日の散策は僕とマリアンジェラとミケーレだけだ。なぜかと言うと、リリィの産婦人科への定期健診をアンジェラの依頼で、病院が通常なら休みである日曜日に入れてもらったからだ。今頃二人で受診している頃だ。
リリアナの時はリリィがついて行ってたけど、今回はリリアナも子育てで忙しいため、アンジェラがついて行っている。
他の患者さんと同じところで待つとまたSNSにアップされたりで大騒ぎになるので、病院長が許可してくれてとても助かっている。
早ければ昼食の前に帰って来るだろう。
三人でゆっくりと散策をしながら色々な発見をしているところだ。
ミケーレは放し飼いの鶏の卵を拾いながらカゴに入れている。
「ねぇ、ライル。この卵大丈夫?」
殻を透かして見ると、中身が半分ヒヨコになりかけている。
「これは、このまま親鳥に返してあげよう。割ったらホラーになる。」
「うへぇ~。聞いてよかった。」
時々草むらや、陰の方で温めているのか、ヒヨコが生まれていることもあるのだ。
「ねぇ、これは?」
「ミケーレ、これはもうあと1日もしないうちに生まれそうだ。」
「え?そうなの?ねぇ、生まれたらペットにできる?」
「どうかなぁ…家の中は無理だろうな。アンジェラは動物を家の中に入れるのを嫌がるから…。」
確か、子猫を拾った時も、アントニオさんに里親を見つけてもらっていたな…。
アンジェラは動物が嫌いなわけではないが、今までのとても長い人生の中で、自分よりも極端に短い生涯をあっという間に終える存在であるペットを近くに置くことを嫌っていた。
確かに、死んだときのショックは子供であれば尚更辛い。
アンジェラの場合は、従兄妹や叔母、その子孫たちの生涯を見守ってきたこともそのことに大きく関わっていた。動物の中では長寿である人間でさえアンジェラにとっては一瞬で生涯を終える動物なのだ。
そんなことを思いつつ、ミケーレに釘を刺す。
「ミケーレ、多分アンジェラはペットはダメだって言うよ。」
「そうかな…。」
「すぐ死んじゃうから、側に置くと悲しいんだよ。」
「むぅ。」
ミケーレはあきらめて卵を元あった場所に置いた。
マリアンジェラの爆食いもそろそろおさまり、僕たちは従者が手入れしてくれている畑で野菜を少し収穫してから家に戻った。
外の畑はそろそろ収穫も終わりの時期を迎えているが、いつの間にか大きな温室も建てられていて、これからの時期はこちらで野菜を作るらしい。
パプリカや、レタス、ミニトマトなどを収穫して昼食と夕食の時に使ってもらうことにした。
家に戻るともうお昼頃だった。
お手伝いさんが、昼食の準備をしていたので、食材を渡し、僕は子供達と手を洗い、しばらくはまったりとアトリエで読書をしたりして過ごした。
ミケーレとマリアンジェラは子供部屋で遊んでいる様だ。
昼食が出来たと、お手伝いさんに言われ、リリアナとアンドレ達、そしてマリアンジェラとミケーレを呼びに行った。
なにやら、ミケーレがコソコソとやっている。
キャビネットの中になにやら隠している様だ。
以前、そのキャビネットに涙の石を隠し持っていたことがあり大変なことになった。まぁ、もう涙の石はアンジェラが回収してミケーレは取り出したりしないだろうが…。ちょっと気になる。
昼食が始まると、その日の昼食のメニューをめぐってリリアナとアンドレのところの双子がすごいことになっていた。
チーズたっぷりのキッシュとブルーベリーマフィンとサラダが置かれていたのだが…、マフィンの皿の前、テーブルの上に飛んで行った双子が座り込み、両手でマフィンを掴み、むさぼり食っていた。
マリアンジェラの目が点になっている。
「ま、マリーの分のマフィンは?」
翼が生えてようが、飛ぼうが、もううちの状況に慣れっこになっているお手伝いさんが、別のお皿に山盛りのマフィンをマリアンジェラの前に置いてくれた。
「ありがと。」
「しかし、すごいな。いったい何個食べてるんだ?」
僕がそう言うとリリアナがしかめっ面で言った。
「多分、10個以上食べてると思う。止めると泣きわめくから、もうあきらめたのよ。」
それを横目で見ながら、ミケーレはお皿にキッシュ一切れとマフィンを1個取り、静かに食べ始めた。サラダもアンドレに取ってもらっている。
マリアンジェラは、さっき梨を少なくても5個くらい食べてたと思うのだが、普通に食べてる。さすがだ。
そこに、アンジェラとリリィが帰ってきた。
「ただいま~。」
「ママ、パパおかえりなさい。」
マリアンジェラが食べながら言った。ミケーレは椅子から下りて、リリィの足に抱きついて『おかえりなさい』と言った。
アンジェラは、一度着替えに寝室の方に行き戻ってきた。
二人もダイニングテーブルの自分の席に着き、昼食をとりはじめた。
「どうだった?」
僕が聞くと、リリィが答えた。
「予定日は、来年の5月中旬ころで、やっぱり双子だって。まだ男の子か女の子かはわかんないって。いまのところ順調だって。」
「よかった…。」
僕は融合した時に男の体になってしまった時のことを思い出しながらそう思ったのだ。リリィがニヤニヤ笑っている。
アンジェラがリリィの肩にそっと手をのせて言った。
「絶対に無理はしないようにな。」
「うん。」
仲がよろしいことで…。
食事が終わりそうな頃合いに、ミケーレがアンジェラに聞いた。
「パパ、赤ちゃんってかわいいよね?」
「そうだな。かわいいよな。」
「僕も赤ちゃん欲しいな…。」
「ミケーレ、それは大人にならないと難しいな…。」
「僕の赤ちゃんじゃなくて、ニワトリの赤ちゃんが欲しいの。」
「どういうことだ?」
「もうすぐヒヨコになりそうな卵があって…僕、それが生まれたら飼いたい。」
「…。」
「ねぇ、パパ…ダメ?」
「ミケーレ、ここでのニワトリは食べるためか卵を産むために放し飼いにしているんだ。オスが生まれたら、そのうち鶏肉として食べられ、メスが生まれたら卵を産むために置いておく。一羽だけ特別扱いはできない。」
「パパ、ひどい。意地悪だ。」
ミケーレは泣きながら、子供部屋に行ってしまった。
リリィがアンジェラに言った。
「アンジェラ、アンジェラの言ってることもわかるけど、動物をかわいがる気持ちを大切にしてあげることも必要だと思うなぁ。ミケーレは普段クールだけど、とてもやさしい子だから、動物とか小さい子とかに優しくできて、それはとてもいいことだと思うんだけどなぁ…。」
「しかし、リリィ、動物が死んだ後に傷つくのはミケーレだぞ。」
「傷つくことも勉強だと思うんだけど。一回だけ飼わせてあげたらいいじゃない。」
「…。」
アンジェラは首を縦に振らなかった。
夕方になり、皆、それぞれ好きなことをして過ごしていたが、マリアンジェラがリリィに耳打ちをしている。
リリィが慌てて書斎にいるアンジェラのところへ行った。
ミケーレがいなくなったのだ。
リリィが慌てたのは、ミケーレのいる場所に転移しようとしてもできなかったからである。ミケーレが生きてさえいれば、地球のどこにいたって瞬時に行けるはずなのに…。
アンジェラも慌てた様子で、セキュリティカメラの動画をチェックし始めた。
リリィとアンジェラが二人で別の部屋のカメラの映像をチェックする。
「あ、あった。」
リリィが子供部屋のキャビネットから虫カゴを取り出し、お昼に食べたマフィンをビニール袋に入れ、リュックにつめ背負って部屋から出るミケーレの映像を見つけた。同じ時間の廊下の映像をチェックすると、アンジェラとリリィの寝室に入って行っている。どうやら、ミケーレはクローゼットを抜け、倉庫へ入って行ったようだ。
「まさか、あいつ…あっちの世界に行ったのか?」
アンジェラの慌て具合が目に見えて加速する。
倉庫の映像をチェックすると、予想通り、ミケーレはあの白い布をよけ、一枚の絵画に触れ、そのまま消えてしまっていた。
「行ってくる。」
そう言ったリリィをアンジェラが止めた。
「ダメだ。リリィ。体を封印の間に置いてきてくれ。そのままでは行かせない。」
「あ、そ…そうだね。置いてくる。」
そうだ。今はリリィも妊娠初期の大切な時だ。何かあってからでは遅い。
リリィは封印の間に向け転移した。三分ほどしてリリィが戻ってきた。
しかし、泣きじゃくっている。
「どうしたリリィ…。」
「体から、出られない…。」
なぜか、いつものように体だけを置いて出てこようとしてもできなかったのだと言う。僕は、見かねて二人に言った。
「僕が行くよ。アンジェラも来て。」
アンジェラは、泣き続けるリリィをなだめ、すぐにミケーレを探して戻ってくると約束した。
僕とアンジェラは、クローゼットから倉庫を通って、ミケーレが行ってしまったもう一つの世界への入り口となる絵画に一緒に触れた。
目の前がグニャリと歪み、あっという間に尻もちをついた。
倉庫の中はリリィの少女時代の絵であふれ、うちの倉庫とは置かれている物の位置が少し違う。アンジェラは起き上がり、駆けだした。
倉庫からクローゼットを抜け寝室へ。廊下に出て子供部屋へ…と走ろうとしてアンジェラは愕然とした。
ここには子供部屋は無い。そして、アンドレやリリィも、いないのだ。
ここに住んでいるのはもう一つのアンジェラ一人。
寝室の雰囲気も違い、サンルームも白いグランドピアノもない。
そして、こっちの世界のアンジェラも家にはいなかった。
「アンジェラ、焦らなくていいよ。そのために僕が一緒に来たんだから。」
僕はアンジェラの肩に手をかけ、わざとミケーレがいる場所から数百メートル離れた場所に転移した。
そこは、敷地内の掃除道具を入れている小屋だった。
しかし、こちらの世界では、畑も作られておらず、果物も植えられていなかった。
ニワトリも飼われていないようだ。
ちょうど、小屋のドアを開けて入ろうとするミケーレが見えた。
ドアを少し明かりが入るように開けたままミケーレが何かをしている。
ミケーレから見えない方向から近づき、様子を伺うことにした。どうやら、リュックから虫かごを出している様だ。
かすかに『ピィピィ』と鳴く声が聞こえる。
もう、ヒヨコが孵ってしまっているのだ。ミケーレの声が聞こえた。
「ピッコリーノ、ごめんね。ここ寒いよね。」
「ピィピィ」
「でもね、おうちでは飼っちゃダメって。パパが…。グスッ」
「ピィピィ」
「それに、もしピッコリーノが男の子だったら、食べちゃうって言うんだ。」
「ピィピィ」
「だから、僕とここで隠れて暮らそうね。こっちはニワトリを飼ってなさそうだから、食べられないと思うんだ。」
飼えないことより、雄だったら食べられちゃうことを心配したのか…。
思わずアンジェラの顔を見ると、バツの悪い顔をしている。
ミケーレはリュックからマフィンを取り出して、自分も食べながらヒヨコにあげているようだ。
「いっぱい食べるんだよ、ピッコリーノ。」
「ピィピィ」
「あはは、くすぐったい。」
「ピィピィ」
アンジェラはその様子を確認しながら、自分が少しかたくなに否定しすぎたのだと反省した。ミケーレは優しい子だ。誰にでも優しく、間違ったことはしない。
動物を飼い、それが死んだときにそれを受け入れることも必要な過程であると言うのはわかっているが、アンジェラは自分の中でそれを処理しきれずにいるのだろう。
楽しそうな笑い声と『ピィピィ』と鳴く声。
アンジェラが折れて、ミケーレを連れて帰ろう、ヒヨコを飼うのを許そうと思った時だった。
それは突然に起こった。少し開いたままだった扉から、野良猫が入り込み、突然ヒヨコを襲ったのだ。
『シャーッ』
『ピィー』
「わぁーッ」
僕達が扉を開けて中を見た時にはヒヨコはすでにこの世のものではなかった。
ミケーレは目を見開いたまま、ヒヨコの残骸と言うべき、血の付いた羽を手にしてその場に固まっていた。
「ミケーレ…。」
アンジェラがミケーレを抱きしめた。
ミケーレは息をしているのかもわからない状態で、目玉だけ僕達の方を見た。
僕達は、固まったままのミケーレを連れ、自分たちの世界へ、倉庫のあの絵を触り戻ってきた。あまりにも辛い出来事だったのか、ミケーレは口を閉ざし、何を問いかけても反応しなくなっていた。
「ライル、頼みがある。」
アンジェラは僕に、今までにないお願いをしてきた。
今日の昼食後に転移し、ミケーレにヒヨコを飼ってもいいと許可したいと言うのだ。アンジェラにこの一連の記憶を残したまま、それをやって欲しいというのだ。
僕は迷った。この一連の出来事はミケーレに必要な出来事であると思ったからだ。
「アンジェラ、君の思う通りには出来ない。ただ、ミケーレにはこの現実に起きたことを夢として見させて、そういうこともあると認識させるなら、君の望みを叶えないでもないよ。」
「ライル、わかった。お願いだ。ミケーレがかわいそうだ。私が許可しなかったがために、こんなことが起こったのだ。」
僕は、アンジェラに安心するように言い、ミケーレを子供部屋のベッドに寝かせると、能力を使い、深い眠りにつかせた。
僕はアンジェラが自宅に戻ったときに戻り、着替えに寝室にきたアンジェラに、先ほど見てきた現実を記憶の譲渡で見せた。
アンジェラは悲しい顔をしたが、僕に言った。
「そうか、そんなことが…。わかった。ヒヨコを飼うことを許可するよ。」
そのまま、隠れて様子を伺った。
ミケーレはヒヨコを飼っていいかアンジェラに問い、アンジェラは条件付きで許可をした。
「ミケーレ、ヒヨコは人間なんかよりずっとずっと非力で、簡単なことで死んでしまう動物だ。きちんと、最後まで面倒をみて、死んでも誰かを恨んだり、後悔したりしないと約束するなら飼うことを許す。」
ミケーレはうれしさのあまり飛び跳ねるように子供部屋に戻り、そこで待ち構えている僕に会った。
「ミケーレ、ちょっといい?」
「なあに?」
僕はミケーレの首筋に手を当て、ミケーレを眠らせた。そして、さっきの現実を夢で見せたのだ。
眠っているミケーレから大粒の涙がポタポタを流れ出た。
僕は、その場を去り、現実の時間軸に戻った。
ミケーレは、ヒヨコを飼うことを許可してもらったが、結局は卵を元あった場所に戻したのだ。
そして、アンジェラにこう言った。
「ヒヨコちゃん、ここで生まれて、お母さんニワトリと一緒に暮らした方が幸せになれるね。」
「えらいぞ、ミケーレ。そうだ。無理に引き離すことなどしない方がいい場合もあるのだ。」
「うん。でも名前を付けて、時々見に来るのはいいでしょ?」
「もちろんだ。」
「僕、ヒヨコの名前決めてるんだ。ピッコリーノって言うんだ。」
「いい名前だな。」
アンジェラがミケーレの決断を尊重し、頭を撫で褒めてあげた。
その数時間後、ヒヨコは羽化し、親鳥の後をついて回り、ミケーレはしばらくの間『ピッコリーノ』を見に行くのを楽しみにしていた。
何がいいとか、悪いとか、物事には最初から決まった結末があるとは限らないが、この経験を元にミケーレがより優しくて強い男になって行くのは確定した気がする。ちょっとしょっぱくて甘い、父と息子のエピソードだ。




