407. 初心忘れるべからず
9月16日、木曜日。
何事もなく、平穏な日々が過ぎた…。
いや、何もなかったわけではない。実際、僕、ライルのベッドにはなぜか一緒にアンドレが眠っていた。
三日前のことだ、ジュリアーノとライアンの世話をしているアンドレに、リリアナが機嫌の悪そうな声で怒鳴っているのが聞こえた。
「アンドレ、これ、嫌だわ。どうして忘れちゃうのよ。」
「す、すまない。うっかりしていた。」
リリアナが怒鳴った原因はすごくつまらないことだ。双子の服は色違いで、一応ルールがあるらしい。赤・黄系のものはジュリアーノ、青・黒系のものはライアンらしい。
ところが、黒いソックスに赤の文字が入ったものをジュリアーノに履かせてしまい、アンドレが怒られているのである。
「ねぇ、アンジェラ…あれ、アンドレが可哀そうじゃない?」
「まぁな…。だが、口を挟んだらこっちに被害が来るぞ…。」
正論である。ちなみに、ジュリアーノの靴下は赤いソックスに黒の文字らしい。
そんなことがあった後、似たような間違いをしてしまった時にリリアナが黒いオーラを出して雷を伴い、ブチギレてしまったのだ。
アンジェラの元に逃げ込んだアンドレだったが、リリアナは許すどころか、自室への立ち入り禁止を言い渡したのだ。
「アンドレが本当に反省するまで、ここには入って来ないで、と伝えてちょうだい。」
たまたまリリアナ達の部屋の前を通りかかったリリィに、ものすごい怖い顔ですごみながらリリアナが言い放った。
「へ?はい。伝えます。」
アンジェラの書斎で予備の椅子に座ってうなだれるアンドレに、一応言われたことを伝えた。当然のごとく、アンドレはものすごく落ち込んでいた。
「リリアナ、どうしちゃったのかな?」
リリィが言うと、アンジェラが言った。
「あくまでも私の憶測だが、あれは、育児ノイローゼだ。」
「「育児ノイローゼ?」」
「あぁ、リリアナはまだ若いが実に完璧に何でもやってのけるだろ?だが、今までにない位子育てにはてこずっているのではないか?」
「さぁ…、私にはとても良くやっていると思うのですが…。」
嫁に対する敬意を忘れないアンドレに、アンジェラは問う。
「アンドレ、お前は何でもいう事を聞きすぎる。そして、リリアナは要求が多すぎる。
そう思わないか?」
「はぁ…。そうでしょうか…。」
「リリィのように、子供が泣いたら、一緒に泣いて、お腹がすいたら、一緒に食事ができるのを待つくらいのおおらかさがリリアナには無い!」
「アンジェラ…そ、それ…私の事ディスってるだけで、全然褒めてないよ…。」
「そんなことはない。そのおおらかさが子育てには必要だと言っているのだ。」
「なるほど…確かに、常に一生懸命で息継ぎをする暇もないほどです。」
「だろ?アンドレ、しばらく距離を置きなさい。ライルの部屋に滞在するように。
私からライルには言っておくから。」
「はい。わかりました。」
そんなわけで、ライルにも連絡は行った。
『今日からアンドレが添い寝するね』 by リリィ
ライルにとっては何じゃこれ?であったが、家に帰ったらすぐにわかった。
アンドレが落ち込んでダイニングで待っていた。
「あれ、アンドレ珍しいね。こんな時間に…。」
「ライル、すまない。今日から世話になる。」
「あ、うん。添い寝の件?」
「添い寝???」
「え?僕の部屋で寝るって話だろ?」
「そ、そうだ…。」
なんか、リリィに騙されてる気がする…。後でアンドレの記憶を見よう。
よほど疲れていたのかアンドレはその後30分ほどでダイニングのテーブルに突っ伏して寝てしまった。
なんだかかわいいな。大きくなったミケーレみたいだ。
そっと抱き上げ、ライルの自室のベッドの上にアンドレをのせ、ブランケットをかけた。
では、『添い寝』させていただきますかね…。
ライルが横たわるアンドレの後方に寝た状態で首筋に手を添える。
ジワッと紫の光の粒子がてのひらからあふれ、ライルもアンドレの夢の中へ入って行った。
ライルは手を添えた時に今日あった出来事を見た。
リリアナの癇癪、育児ノイローゼか…まぁ、アンジェラが言うことは正しいな。
今日の夢は傍観オンリーという事にしておこう。
ライルが見たのは、まるでおとぎ話の世界の中にいるようなお花畑だった。
色々な色の淡い花々の中に、ちょこんと座って小さい手で花の冠を作る女の子がいた。
目が据わっていて迫力があるが、これは紛れもなく小さい時のリリアナだ。
アンドレがリリアナに話しかける。
「リリアナ…何してるの?」
「アンドレに王様の冠を作ってるのよ。」
「僕の?」
「そうよ、アンドレが王様になるの。」
そう言って、アンドレに花の冠をかぶせてあげるリリアナがいた。
「ありがとう。」
そう言ってリリアナの頬にキスをしている。ませてるな…5歳と3歳くらいだろこれ?
二人は手を繋いで城の中へ帰って行った。
次に、アンドレが城の中で王太子としての教育をされているところだ。
リリアナも一緒に授業を受けている。ある程度色々な知識を持った僕、ライルから生まれたリリアナは知識も広く、普通の子供とはわけが違う。
アンドレが答えられない質問にも難なく答える。しかし、教師がアンドレに厳しい言い方をしたりすると、リリアナは言葉で教師への攻撃を開始するようだ。
最後は必ずリリアナの論破となり、教師はタジタジになって退散する。
そして、アンドレに対してリリアナは必ず言うのだ。
「こんなこと覚えなくたって、アンドレは世界一の王様になれるから大丈夫よ。」
そしてアンドレは安堵し、リリアナへの愛と信頼を深いものにしていく。
食事のマナーの時には、アンドレが落としたフォークを空間転移で床に落ちる前にテーブルの上に置き、公式行事の練習の時には転びそうになったアンドレをスッと自然に支え、どんな時もリリアナはアンドレの味方だった。
ふーん。意外にリリアナもいいとこあんじゃん。
そして場面は、変わっていく…。
アンドレが19歳、リリアナが17歳の時、最初から妃候補として一緒に過ごしてきたが、アンドレは実年齢になり、過去への転移ではなく、自分の時間を過ごすようになった時に、リリアナにプロポーズをした。
「僕が一生を共に歩むのは、君しかいないよ、リリアナ。僕の妃になってくれ。
僕も君のことを一生支えていくよ。」
アンドレは、本当にいいやつだ。素直で、寡黙で、我慢強くて、そしてリリアナを愛している。リリアナもそのプロポーズに応えた。
「私もあなたが望む伴侶になるように努力するわ。だって私はあなただけしか愛さないもの。」
まぁ、よくもそんなクサイこと言えるよな…。
ただの夢かもしれないけど、多分本当にあったことを、夢の中で反芻しているのだろう。
このままではアンドレはかわいそうだな…。
ライルは少しのいたずら心と、ちょっぴりの親心を込めて、行動を起こすことにした。
ライルは一人目を覚ました。
瞬きも終わらないうちにリリアナの部屋に転移する。
気づかれないように、そっとリリアナの首筋に触った。
そう…リリアナにアンドレが見ていた夢をそっくりそのまま見せたのである。
夢の中ではプロポーズの後、二人は幸せの絶頂にいた。
しかし、ここからがライルのいたずらだ。
幸福のさなか、実際にあった出来事の結末を変えて、夢に見せるのだ。
隣国を公式に招待され訪問した際、睡眠薬を盛られ、十字架に貼り付けにされたあの事件だ。実際にはリリアナは最初から最後まで眠っており、記憶にはないと言っていた。
だが、僕の記憶にはあるのだ。まだリリィと分離する前、僕なのか、リリィなのか自我が混在している時、ミケーレとマリアンジェラを出産した後だっただろうか、封印の間に落ちていた血痕と羽から、たどり着いた先にいた二人の姿を今でも忘れない。
僕は、睡眠薬を盛られたあたりのアンドレの記憶、そして生きたまま十字架に杭で打ち付けられた痛み、睡眠の浅かったアンドレはその痛みに耐えながらリリアナを心配し、彼女の無事を願った。だが、僕が助け出す前にアンドレが力尽きてしまうように情報を操作した。
すでに冷たくなったアンドレの体と、回復し、意識を取り戻し対面するリリアナ。
僕はそこでキーワードとなる言葉を吐く。
『こんなに君のことだけを愛し、尽くした男はいない。それを忘れないで、リリアナ…。』
夢の中でリリアナの感情が爆発した。いや、リリアナが爆発した。
僕は慌てて眠っているリリアナから手を離し、自室に転移で戻った。
あれは一体なんだったんだ?
もしかしたら、本当にアンドレに何かあったら、リリアナは爆発して消滅してしまうんじゃないだろうか…。キラキラでできている僕の体は本来なら心臓なんてのはもうあってない様なものなのだが、このときばかりはドキドキした。
数秒後、家の廊下をものすごい勢いで走る音が響き渡った。
ノックもなしに僕の部屋のドアが『バーン』と開いた。
リリアナだった。うわっ。やべっ。一瞬体中がすくんだ。
しかし、意外にもリリアナはアンドレのところへ走り寄り、アンドレを揺すって起こすと、涙を流して言ったのだ。
「アンドレ、ごめんね。私、イライラしてて、なんかおかしくなってた。今までごめんなさい。どこにも行かないで…。」
アンドレは超絶意味不明の展開にキョドっていたが、泣くリリアナを優しく宥めて、部屋に二人で帰って行った。
今日はぐっすり眠るというわけにはいかなかったが…ちょっといいことをした気分だ。




