387. ミケーレの涙
しばらく進んでいくと、ミケーレが疲れてしまったのか少しぐずり始めた。
「パァパ、少し休んでもいい?」
「どうした、ミケーレ、疲れたのか?」
「ううん、疲れてないけど、ずっとつるつる滑るし、何も見えないから…。」
「おいで。」
そう言ってアンジェラはミケーレが手に持っていた涙の石をミケーレのポケットに入れ、ミケーレを抱きかかえ、先に進んだ。
ミケーレはそれまで気を張っていたのだろう、石を手から離したことで涙が止まり、いつの間にかアンジェラの腕の中で安堵して眠ってしまった。
アンジェラは自分の腕の中で眠るミケーレを見て、愛おしく、かけがえのない我が子に何にも代えがたい気持ちを持つのであった。
『ミケーレ、早く三人を見つけてみんなで家に帰ろうな…』
口には出さず、我が子の眠る姿にそう思いつつ先を急いだ。
更に20分ほど歩いただろうか、例の白く明るい石の部屋に着いた。
アンジェラが室内を見渡すと、絵本に描かれているのと同じに一カ所の壁に少し平らなスペースがあり、そこに上半身が飛び出したような白い石像があった。
「マリー…」
真っ白い石でできた女神像にしか見えないそれは、自分の娘の姿そのものだ。
アンジェラは勢いよくその場所へ走ると、ミケーレを片手で抱いたままその壁を触り、何か変化が起きないか確認した。
残念ながら何も起きなかった。ミケーレが抱えたままになっていた空色の表紙の絵本を確認してみようと、そっと絵本を引っ張った。
ミケーレが目を覚ました。
「パパ…」
「すまん、ミケーレ。起こしたか?絵本を開いてみてくれないか?あの部屋に着いたんだ。」
アンジェラが言うとミケーレは辺りを見回した。
突然アンジェラの腕の中からミケーレは飛び降りた。
「マリー、どうしたの?やだよ…マリー、こんな石みたいになっちゃって…。」
ミケーレがメソメソと泣きだした横で、アンジェラは絵本をそっとミケーレの手から取り、ページをめくった。
『一つでは帰って来ることは出来ないのだ』
そう書かれ、真珠がたくさん描かれたページの次のページには、明滅している大きくなった涙の石を女神の体の近くで手を離す絵が描かれていた。
『捧げよ、全ての悲しみと愛を』
それを見たアンジェラはミケーレに言う。
「ミケーレ、さっきポケットに入れた大きくなった石を、マリーの体の前で手の上にのせてみるんだ。」
「うん。」
ミケーレはすっかり涙を吸って5cm以上の大きさにそだった青い真珠のような球をマリアンジェラの体の前に背伸びをして掲げた。
球の明滅が激しくなり、それに合わせてマリアンジェラの体が明滅を開始した。
「あ…。」
青い球が、ス~ッと上昇し、マリアンジェラの胸元まで上がり、マリアンジェラの体内に溶け込んでいく。
マリアンジェラの像から心臓の鼓動と同じ様な明滅が途切れずに発光し、次第に音までもが心臓の鼓動のように聞こえ始めた。
『ドックン、ドックン…』
ミケーレは思わず翼を出し、ふわふわと上昇したかと思ったら、15歳くらいの大きさのままのマリアンジェラの顔の部分に自分も近づいた。
そして、そっと頬に手を添える。
「マリー、迎えに来たよ。僕だよ。ミケーレだよ。早く帰ろう。」
その時だ、閉じていたマリアンジェラの目がカッと開いた。
「わっ。」
驚いたミケーレは後ろにのけぞり、空中から落ちそうになった。
「きゃ。」
そのミケーレを支えたのは、マリアンジェラの壁の中に埋まっていたはずの両手だった。
そのままの勢いで、マリアンジェラは壁の中から外へ飛び出してくる。
「あ、危ない。」
アンジェラは、ミケーレとマリアンジェラを支えるために必死で手を伸ばした。
自分を下にして衝撃を抑え、どうにか受け止めたアンジェラは石像になっている重くて冷たいマリアンジェラを抱き上げ、どうしていいかわからないという状況だ。
その石像はミケーレの脇を掴んでいる状態で固まっている。
壁から出たはいいが、石像のままとはどういうことだ…。
アンジェラが、マリアンジェラを立たせた状態にして、石像を支えた。
その石像になっているマリアンジェラの腕を、ミケーレが触った。
「マリー。ありがとう。助けてくれたんだね。」
ミケーレは石像のままのマリアンジェラがこのままだったらどうしようと不安にかられたようで、突然、涙があふれてきた。
ボタボタと涙があふれ、次第に声を抑えられなくなる。
「うぇーん。うぇうぇうぇえん。マリー。早く帰って来てよぉ。
一人だと、全然つまんないし、僕、マリーがいないと死んじゃいそうだよぉ。」
溢れた涙がマリアンジェラの腕の上にも落ちた。
すると…石だった腕が…色を帯び、やわらかく、しなやかな人のものと変化していく。
「ミケーレ、見ろ。涙がかかったところが、変ったぞ。」
ミケーレを掴むちからが弱くなり、片手だけミケーレを離した。ミケーレはもう片方の手を見る。そちらにも涙が落ちた。
数滴の涙で、もう片方の手もミケーレを離した。
ミケーレは自分の翼で飛び、マリアンジェラの顔に抱きついて、泣きながら顔をこすりつけた。
マリアンジェラが、頭の方から徐々に石化を解いていく。
「うぇ~ん。マリー…」
まだ、泣いてびちょびちょの顔をこすりつけるミケーレ…。
足の先まで完全に石化が溶けると同時にアンジェラに支えられていたマリアンジェラがヘタヘタと座り込む。
「マリー、大丈夫か?わかるか?パパだぞ。」
マリアンジェラは声の方を向いて、瞬きを3回すると、小さい声で言った。
「パパ~、お腹がすいてて、大きい声でない。」
アンジェラはそれを聞き、満面の笑みで言った。
「そうだな、早く帰って美味しいものいっぱい食べような。」
マリアンジェラが頷いた。
「ママとライルは?」
ミケーレが問うと、マリアンジェラが言った。
「お家に帰ってから、外に出した方がいいと思う。今は、マリーの中に入ってるの。」
三人は立ち上がった。アンジェラはさらに絵本のページをめくった。




