375. 迷いの森
7月17日、土曜日。
いよいよ最終日。イタリアの家にはプールがないため、プール遊びで午前中は張り切ってあそんだ子供達だった。
朝はマフィンのことで少し機嫌の悪いマリアンジェラだったが、朝のフルーツを追加で注文したらそんなことも忘れた様だ。
今日はミケーレもマリアンジェラも見事な泳ぎを披露している。
マリアンジェラはまるで魚のようだ、手足をバタバタしなくても少しクネクネっとするだけでスィーと前に進む。ミケーレは、最近手足が長くなってきて、クロールなどは選手のようにきれいなフォームで泳ぐ。
運動神経がいいのはアンジェラ譲りかな…。と僕は思う。
だって、リリィときたら、顔に水を付けただけで溺れたみたいになっている。
よく今まで生きて来られたな…。あ、僕とずっと融合していたからか…。ははは。
お昼をホテルのバーベキューサイトで済ませ、午後2時には帰り支度を始めた。
荷物をまとめ終わり、アンジェラが支配人に連絡を入れる。
「鍵はテーブルの上に置いておく。世話になったな。あぁ、楽しく過ごさせてもらったよ。」
そう言って、アンジェラは電話を切った。
「さぁ、帰ろう。」
皆にアンジェラが言った。リリィが荷物を、マリアンジェラがミケーレを、僕は最後に忘れ物がないかを確認して、家のアトリエに転移した。
イタリアの家では、もうすでに夜の10時を回り、寝る時間だ。
だからと言ってすぐ眠れるわけではないが…。
とりあえず、子供たちをパジャマに着替えさせ、家の中に異常がないかを確認して回った。
どこにも異常はない。
アンドレとリリアナ達はまだ帰っていない。
予定では、翌日の昼過ぎに戻り、夕方までに戻らなかったら迎えに来て欲しいと言っていた。
最近では、身を守るために、あまり過去には長く行くことがなかったのだ。
行っても3時間、半日程度。城の中でできる行事や執務に限ってやったいた。
今回は父王オスカーの命令で、王子二人をお披露目することになっており、5日間ずっと貴族を招いてのパーティーもあると言っていた。
忙しくしているのだろうか…。
僕もそうだが、いつもいる家族がいないのはものすごく寂しいものだ。
アンドレとリリアナが僕らには欠かせない家族になっていると、ひしひしと感じる。
持ち帰った荷物を片付けたリリィが、僕に洗濯物を早く出してねと言ってきた。
僕も自分の荷物を片付け、洗濯物を洗濯室のカゴに入れた。
「あれ?」
洗濯カゴの中に片方だけ忘れて置きっぱなしにされた赤ちゃんの靴下があった。
これ、洗濯終わってそうだな…。そう思って靴下を手に取った。
『あっ…』
目の前が真っ暗になった。
2、3秒後、目の前が少し明るくなった。
「あれ?ライル…。」
アンドレがジュリアーノに靴下をはかせていた。
「アンドレ、何やってんだよ。こんなとこまで来て赤ちゃんの世話って…。」
「あ、それちょうど片方しかなくて、探してたやつだ。」
アンドレは僕の手から靴下をとって赤ちゃんんに履かせた。
「ここって里帰り中のユートレアだよね?」
「あぁ、そうなんだが…ちょっとまずいことが起きていてだな…。今、ライルが来てくれたのがものすごくありがたいんだ。」
アンドレは一段声を低くして話し始めた。
「実は、おとといのことなんだが、子供たちのお披露目に外国からの客を招く日だったんだ。それで、城の警備はより一層緊張したものになっていたんだが、」
「何かあったのか?」
「城の中の警備に人を多く費やしたせいで、城下町の城壁の関所を守る兵が手薄だったらしくてな、どう猛な動物が群れで城下町に入り込んでしまったらしいんだ。」
「へぇ、それで?」
「討伐隊を送り込んだと騎士団に聞いたのだが、3部隊も送り込んだ騎士団が戻って来ないというのだ。」
どうやら、その動物を駆除するために向かった部隊が行方不明になり、オスカー王がリリアナに助けを求めたらしい。
「普通なら、動物くらいささっと駆除して戻ってきそうなんだが…。リリアナが行ってからすでに24時間以上経っているんだ。
こんなにかかるはおかしいし、かといって、私一人ではライル達に知らせにも行けず…。」
「わかった。アンドレ。君たちに何かあったら困るから、まずは家に送って行くよ。
オスカー王にそれを伝えてくれないか?君を送った後で、リリィと僕で対応するから。」
「助かるよ。明日の夜まで待つのが不安で、ずっと子供たちの側についていたんだ。」
赤ちゃんをひとりずつ抱っこし、オスカー王の元へ向かった。
アンドレがオスカー王にリリアナをライルとリリィが探しに行くからアンドレと赤ちゃん達は一旦未来へ帰ると話した。
オスカーも緊急事態では仕方がないと言い、ライルによろしく頼むと頭を下げた。
僕は、アンドレと赤ちゃんを連れ、その場で転移した。
すぐに、アンジェラとリリィにそのことを伝え、二人で支援しに行きたいと言ったのだが…。アンジェラは、何かを感じるのか、ものすごく不安を抱いているようだった。
「アンドレ、こんな事を言うのは本意ではないのだが、今回はライルとリリィだけでは解決できない気がするのだ。」
「アンジェラ、どういうことだ?」
「アンドレ、お前が行かねば、リリアナを救えない。」
そう言ったアンジェラの体から眩い光が発せられ、あの翼の大きな、プラチナブロンドの上位覚醒バージョンのアンジェラの姿に変わった。
「アンドレ、未徠に電話をかけて、子供達4人を預かってもらえるか聞いてくれ。」
「わ、わかった。」
アンドレが電話を掛けると、もう日本は朝の6時で、亜希子がいるから子供は預かれると言っているとのこと。
すぐにライルとリリィが子供たちを日本の朝霧邸に連れて行った。
まだ起きていたマリアンジェラは状況がわからず困惑していたが、ツイス〇ーをすかさず手に取り、行くことは嫌がらなかった。
ミケーレは、亜希子が大好きなので、いつでも行きたがる。
赤ちゃんのことも頼み、すぐに戻ってきた二人とアンジェラ、アンドレは500年前に戻る前にアンジェラから話を聞いた。
「今回、思ったんだが、やはり取り残された時に戻って来られないのは辛い。
だから、私はあっちに着いたらアンドレと合体して行動しようと思う。」
「あ、そっか…。確かにそうだね。逃げる様な状況でも転移出来た方が格段に有利だもん。」
リリィもライルも同意した。
まずは、4人で転移したのは、ユートレア城の王の間だ。
そして、そこから500年前に転移する。そして、なおかつ、先ほどアンドレがいた場所=オスカー王のいる新城にライルが案内するのだ。
そして、謁見の間にいるオスカー王の元へと急いだ。
「陛下、三人を連れてまいりました。」
アンドレがオスカーに跪いて言った。
「な、なんということだ…アンジェラ殿なのか?」
以前とは風貌が変わってしまったアンジェラに、オスカーは驚きを隠せない様子だ。
「アンジェラ殿…とうとう神になられたのか?」
「いえいえ、そんなたいそうなものではございません。」
しかし、どっからどう見ても神様っぽいからね。
手を合わせて拝む人までいる始末…。
「では、私達はリリアナの後を追います。」
「護衛は要らぬのか?」
「ライルとリリィも、もはや神の域に達しておりますゆえ、護衛は必要ありません。」
「そうか、では頼むぞ。」
そう言った後、アンドレとアンジェラが目の前でキスをして合体するのを目撃…。
あっちゃ~、つい昔の癖でチューしちゃってるじゃん、オスカーの目が点になっている。
しかし、神々しいアンジェラの姿にほぼ近い状態で合体」した姿を見て、誰も文句は言わなかった。
三人で、リリアナのいる場所の近くに転移を試みる。
三人が下り立ったのは、森の奥深くだった。
夏だというのに、冷たい空気が流れる木々の生い茂った場所だ。
まずは怪しい殺気に反応したのはリリィだ。
「みんな、右側の後方から狙われているよ。飛んで、30メートル 以上。」
言った瞬間、皆、30M以上上の空間に転移した。
何かがピュッピュッという音を立て、空を切って行った。
もう夜中であるため真っ暗だが、幸い上位覚醒したあとの三人は夜目もかなり利く。空を切った物質は、弓などではなく、白っぽい粘着物質…まるで網のように広がって木々にネバッとくっついている。
そして、三人はそれを放った者の方を見た。大きな二本の木の間にキラッと光るいくつかの目玉のような物がある。
さすがに上空30メートルに転移したことに気づいていない様子で、さっきまで僕らがいた辺りを伺っている。
「あれは、一体なんだ?」
アンドレ×アンジェラが言った。リリィが即答。
「蜘蛛が一番近いかな?」
「でかくない?」
「あぁ、かなりでかいな。」
どうするのかと思いきや、何も言葉を発せず、リリィはいきなり行動に出る。
「ちょっと待ってて。」
そう言ってさっき下りた辺りに一人で戻るリリィ。
「リリィ」心配そうにそう言うアンドレ×アンジェラに僕は声をかけた。
「大丈夫、リリィは死なないから。そしてリリィはすごいからね。」
「すごい?」
「まぁ、見てなよ。」
僕がそう言った後、それは始まった。
リリィの珍獣討伐、とでも言えばいいのだろうか…。リリアナの気配を探りつつ移動しながら、先ほどの攻撃を瞬時で察知し、転移する。
あの、運動神経の鈍い普段の様子とはまるで別人だ。
そして、リリィは僕の頭の中に話しかけてきた。
『ライル、いた、リリアナはあの蜘蛛のいる日本の木の上の枝に蜘蛛の巣に巻かれてぶら下がってる。』
すごいな…どうやってそんな念話みたいなことできるんだ?後でやり方を教えてもらおう。
リリィは、僕にそう言った後、付け加えた。
『ライル、アンジェラ達にあの蜘蛛の糸に触るなって言ってくれる?』
僕はカクカクと首を縦に振った。僕はアンドレ×アンジェラにそれを伝え、ここでしばらく待つように言った。
リリィが翼をバタバタと動かすと風が勢いよく森の中を通り抜け、下草が全てなぎ倒された。そこにはリリィと同じく蜘蛛の糸に巻かれた30ほどの塊が転がっていた。
「うわ、結構やられてるな。」
『大丈夫、皆生きてるから。』
僕の声が聞こえたのかリリィが反応した。その後、リリィが手をあげ、振り下ろすと雷の矢の雨が蜘蛛を目がけて十数本振り下ろされた。
微妙にリリアナの場所を避けて、蜘蛛の周りを囲んでいる。最後にリリィが右手をグッと握ると地面に突き刺さっている雷の矢の上部がひとまとまりに捻られた。
もう一度リリィが右手をぐっと握った。すると、鳥かごの様な形をしていた雷の檻が一段小さくなった。
『グ、ギュ。グギッ。』
ちょっと嫌な音がして、蜘蛛の動きが止まった。
リリィが蜘蛛の前に行って手を振ったり、『もしもーし』と言っているが反応はとりあえずないようだ。気絶か、絶命かわからないが、行動するなら今だ。
「行こう。」
そう言ってアンドレ×アンジェラと一緒に下りた。
アンドレは気がはやり、アンジェラとの合体から抜け、リリアナを助けようとした。
しかし、リリィが止める。
「アンドレ、触っちゃダメ。」
アンドレが蜘蛛の糸に触る直前でぴくっとして止まった。
糸の間から意識を失ったリリアナが見える。
リリィが物質転移を使い、リリアナだけを蜘蛛の糸の中から出した。
ぐったりと横たわるリリアナをアンドレが泣きながら抱きしめる。
「ううっ、リリアナ…。」
「あ、大丈夫、その蜘蛛の糸に麻痺させる毒みたいのが含まれているみたいで、眠ってるだけだから。ライル、麻痺治せる?」
「あ、うん。多分。」
僕はリリアナの頭に手を当てて白い光で浄化した。マリアンジェラが持つ能力の一つだ。
リリィは30個ほどの糸の塊から次々と騎士団の騎士たちを取り出し、浄化もやっていく。
最後の方で、リリィが大きな声をあげた。
「うおっ。」
蜘蛛の糸から出てきたのは、大きなクマだった。
「これはどうしようかね?いっか、このまま放置で。」
そしてまた次の糸…だが、残念なことにすでに食べられて衣服だけになってしまっている者もいた。リリィは取り出した服と剣をアンドレに渡し、持ち帰って家族を探して渡した方がいいよと言った。
ここでの人間の被害はその一人だけだった。あとは動物ばかり、毛皮状態で残骸が残っているような状態だ。
アンドレがリリアナにキスをすると、リリアナが目を覚まし、アンドレに抱きついている。
目覚めた騎士たちも二人の様子に安堵しているようだ。すかさずリリィが声をかける。
「君たち、そんなことでほっこりしてちゃダメだよ。」
「はい、申し訳ございません、隊長。」
「で、何を追いかけてここまで来たわけ?」
「そこに寝ている大きなクマです。」
「こいつか…。」
隊長とか言われて反論しない、ぷっ、笑える。
リリィはクマの麻痺を治した後、赤い目を使って二度と人のいるところに行かないように言い聞かせた。そして遠くの山の中に物質転移で送る。
「多分、もうこっち迄は来ないと思う。あと騎士団の責任者って誰?」
「は、はい。私でございます。」
さっきの『隊長』って言ってた人だ。
「この、蜘蛛のおばけみたいの…どうしたらいいと思う?まだ生きてるかも…。」
「できれば…岩場で焼き払うべきかと…。」
「やっぱ生かしておけないよね…リリアナがやられちゃうんだもん。こんなの放っておいたら人間なんて食べ放題だもんね~。」
そう言って、森の入り口にあった岩場に最初に騎士団の者たちを転移、そして、拘束してある雷の檻にぎゅうぎゅうに詰まった蜘蛛を転移させた。
リリィがその辺に落ちている枯れて乾いた細長い枝を拾い上げ、くもの折れ曲がって身動きの取れない脚の隙間にねじ込む。
「じゃ、君たちが証人ということで、報告してね。」
そう言って雷をその木の枝に落とした。『ドッシャーン』と音がして空気が震える。
さっきの木の枝からみるみる煙が上がり蜘蛛の体を焼いていく。
「ちょっと火力が弱かったかな?見た目グロイけど、カニのにおいするね。」
騎士たちはポカンとしたまま様子を見守った。
数分後、蜘蛛は丸焦げで、棒でつつくとぐちゃっと崩れた。
「うぇ、キモイ。」
大胆なやり方のわりに、言ってることが子供っぽいリリィに騎士団の人たちもニコニコしながら見守っている。
「それじゃ、帰りましょうかね。アンジェラ~。」
リリアナのところにいたアンジェラが翼を広げ、飛んできた。
「「おおっ、神よ…」」
騎士団の人たち、やっぱりアンジェラを見て神様だと思っちゃってるね。
「ね、アンジェラ。いっぺんに転移するからアンドレ達も連れて来て。」
「あぁ、わかった。」
みんな揃ったところで、一気に転移する。謁見の間が急ににぎやかになった。
「おおっ、皆無事か?」
オスカー王がリリィとアンドレに駆け寄る。
騎士団の団長がいきさつを説明し、アンドレが唯一亡くなったであろう人物の遺品と剣をオスカーの前に差し出した。
「こ、これは…100年ほど前に消息を絶った隣国の勇者のものだ。」
オスカーによると、現在ユートレアに吸収された、あの戦争を仕掛けてきた隣国は、元々戦力に長けており、勇者までいたのだそうだ。
ユートレアのものとなった今となっては昔の話はそれこそおとぎ話程度の伝承となっているが、ものすごく強い勇者がいて、色々な怪物級の獣や、戦争の武勇伝が多かったようだ。
「ふーん、勇者も蜘蛛には勝てなかったんだね。」
「勇者は『迷いの森』と呼ばれる森で行方不明になったと言われています。」
この地域出身の騎士の一人が声をあげた。
「かっこいい名前だね。『蜘蛛の巣の森』だとカッコ悪いもんね。へへ」
「リリィ、多分だが、誰も蜘蛛に食われているとはわからなかったのだろう。」
アンジェラが優しく言った。
「そっか、見た時には食べられちゃってたのか…。うへ~、キモイ」
皆の笑いを誘ったところで、実に三時間が経過していた。
『ぐりゅりゅりゅ~。』
リリィの腹の虫が鳴った。
「あはは…お腹すいたから、もう帰るね。子供達も待ってるし。リリアナも徠神のお店で食べて帰った方がいいんじゃない?」
「帰る。」
リリアナの返事が早い。アンドレはそんなリリアナを心配そうに見つめている。
「アンドレよ、素晴らしい家族を持ったな。」
オスカーが言うと、アンドレは自信たっぷりに頷いて言った。
「はい、毎日楽しく、充実しております。それを許して下さる陛下に感謝しております。」
「リリィ殿、今回も助けていただき感謝しかない。また今度ゆっくり来てください。」
「はい、マリアンジェラが来たいって言ってたから連れてくるね。では、しつれいします。」
そう言ってリリィはアンジェラを連れて先に帰った。
ぼくもアンドレとリリアナを連れて500年後の日本の朝霧邸へ帰った。
階段をバタバタと走って下りる音がする。
「マリー、ミケーレ、徠神のお店に行くよー。」
バタバタと戻ってくる足音が聞こえ、ドアが開いた。
「誰もいない。アンジェラスマホ持ってきた?」
「あぁ、電話かけてみるよ。」
アンジェラが電話をかけると、実家のみんなで徠神のお店でお昼を食べていた。
「そっか、今日はまだ日曜日だね。なんだ、先越されたか…へへ」
そう言ってすぐに合流したのであった。
赤ちゃんの靴下に呼び寄せられたという話をその後にしたら、めちゃくちゃ盛り上がった。
マリアンジェラは、自分の靴下を片方脱いでVIPルームの外に行き、僕に靴下を触ってくれと言う。おいおい、生暖かい靴下は触りたくねぇよ。と言いながら、何も起きないことを確認するのだった。あれ、一日遅かったら、誰かが食われていたかもしれないな…。
これは、僕、ライルの独り言だ。帰ったら、日記に書いておこう。




