330. 優しい彼を救うため
4月17日、金曜日。
日本では、リリィと徠夢が、自宅の朝霧邸での療養に切り替える事を主治医に許可され、朝から退院の準備をしていた。
許可が下りた時点でもうすっかり傷は治してあるのだが、付き添いが必要ということで、アズラィールに車を出してもらい、祖母の亜希子が一緒に来てくれた。
とりあえず、痛いふりをしてゆっくりと歩き、車に乗り込む。
徠夢はまだ完全には癒していない。本当に辛そうだ。
「父様、車が走り始めたら治すね。」
「あぁ、すまないな。」
アズラィールの運転する車が病院の先の曲がり角から左に曲がり、大きい通りへと出た。
もう大丈夫だというところで、服をめくり、傷口のガーゼを取る。
「うわ、結構大きい傷だね。」
そういいつつ、全力で治癒させる。ほんの数十秒で、傷は完全に癒され、痛みもなくなる。
次は頭だ。
「ちょっとそっちに向いてて。」
そう言って徠夢の後頭部のガーゼを外す。
「うわ、縫い傷、どうする?抜糸するのこれ?」
「いや、抜糸はしなくていい糸らしい。」
「父様、じゃ、全部糸ごとやっちゃっていい?」
そういったかと思ったら、手を当てた個所から『ゴリゴリ』と骨が動く音が聞こえ、頭皮の下でうごめいている。
「骨、くっつけて中も外も治しておいたよ。」
「リリィ、お前がうちの子で良かったよ。」
「え?どういう意味?」
「いやぁ、治してもらえるのもありがたいが、敵に回したら心が折れて再起不能になりそうだからな。」
『お前が言うなよ』と心の中で思ったのは、アズラィールだ。ライルの心を折って死に至らしめたことをまるで覚えていないかのような発言にイラッと来る。
「うっそ…。そ-んなに褒めたら、うれしいじゃないの~。えへへ。」
リリィはアズラィールの気も知らず、ニコニコしながらそう返した。
15分ほどで家に到着し、車から降りて家の中へ入った。
留美が駆け寄って徠夢に声をかける。
「徠夢さん、大丈夫なの?」
「あぁ、帰りの車の中でリリィにすっかり治してもらったからな。」
「リリィ、ありがとう。」
「これで、あのキモやせ眼鏡が長く刑務所に入ってくれればいいね。」
そう言ってリリィはニッコリ笑った。
「じゃ、私、帰るね。なんかあったらすぐ電話してね。」
リリィはそのまま封印の間に体を取りに戻り、イタリアの自分の家のクローゼットに戻ったのだった。
日本は午前11時だったが、イタリアはまだ午前4時だ。
リリィはそーっとシャワーを浴び、髪を乾かし、お気に入りの空色のネグリジェを着てそーっとベッドに入る。
アンジェラは反対側に向いて、こちらには背を向けて眠っている。いつものことだ。
後ろからじりじりと近づいて、背中にぴとっとくっついて、首筋の匂いを嗅ぐ。
『んん~っ、これこれ。はぁ~、癒されるわ~。』
アンジェラは香水をつけていないのに、なぜか薔薇の様な香りがするのだ。
吸い込んだ空気を鼻から吐き出した時、急に目の前が真っ暗に…。
「え?」
今まで嗅いでいた薔薇の香りが、血の匂いに変わった。
寝ていたはずの自宅のベッドが固い、マットの様なものに変わっている。
でも、目の前にアンジェラの背中…だと思われる背中はあるのだ。
「や、やだ…。アンジェラ、ねぇ、アンジェラ。返事してよ…。」
アンジェラの背中を揺すって、返事を促す。
『トサッ』と力なく、リリィの方に体が傾き、アンジェラは仰向けになった。
暗くて、殆ど何も見えない。
リリィは全身からキラキラを出して明かりの代わりにした。
ぼんやりと様子が見えてきた。
「アンジェラ、ねぇ、ここどこ?」
アンジェラは意識を失っていた。頭からも血を流している。
それに、周りにもたくさんの人が倒れているのが分かった。
皆、生きているのか死んでいるのかもわからない。リリィはアンジェラを抱きかかえて封印の間へ転移した。
そこはいつもと同じく、ほのかな乳白色の光を放つ壁と床と天井で、優しく二人を照らしている。
「アンジェラ…。」
リリィはアンジェラの状態を確認した。
何か、大きな破片が腹部に刺さり、頭部にも大きなけがを負っており、生きているのが不思議なほどの状態だ。
物質転移で異物を腹部から取り除き、損傷個所を大急ぎで修復する。頭の傷は表面的な裂傷だけで、脳には問題はなかった。
しかし、どれだけ血が流れたかわからない。
この時代がいつなのかも、まったくわからない。傷を癒したら、少し呼吸が安定したが依然意識は戻らなかった。しかも、明るいところで見ると、ずいぶんと痩せている。
リリィはアンジェラの額に手を当て、記憶を覗いた。
アンジェラの記憶によると、どうやら先ほどの場所は隠れ家と考えられる。
人種の迫害がなされていた時代のことだ、悪魔の様な集団による強制収容から逃れるため、友人をかくまっていたらしい。
アンジェラは強制収容の対象ではなかったが、子供の時からの友人家族を逃すためにあの場所に食料を運んだりしていたようだ。
「アンジェラ、本当に優しいんだから…。」
でも、どうしよう…。私の力だけでは失った血液を戻すことは出来ない。
ここ、封印の間にいる間は悪化はしないだろうけど、自然に回復することもないのだ。
仕方ない…連れて帰ろう。
私は、自分のいた時間のイタリアの家の自宅の寝室に多分、90年ほど前のアンジェラをお姫様抱っこで持ったまま帰宅した。
「アンジェラ、朝早くに悪いんだけどさー。起きてー。今すぐー。」
ベッドに寝ているアンジェラがビックリして飛び起きる。
「お、おい。それ、いや、どこから連れて来た?」
アンジェラは私の腕にお姫様抱っこされたまま意識のない、髪の短い、見た目は20歳前後のアンジェラを見てそう言った。
「どっかの隠れ家みたいなところでさ、お腹に何かの大きい破片が刺さってたり、頭が切れてたりで意識が戻んないの。ねぇ、また輸血しないとダメかも…。とりあえず、汚れちゃうけど重いからベッドに寝かせていい?」
「あ、あぁ。」
ベッドに寝かせ、アンジェラが血だらけの服を脱がせ、濡れたタオルで綺麗に拭きとっていく。私は、お爺様の未徠に事情を電話で話し、また輸血をしてもらえるようお願いした。
今回は、日本の家に傷ついたアンジェラを連れて行って、アンドレとアンジェラも一緒に行って輸血が必要かどうか未徠に判断を仰ぐことにした。
未徠の医院の昼休みに合わせて朝霧邸の自室に転移した。
未徠が急いで来るのが見えた。
「お爺様、傷を治したんだけど、意識が戻らないの…。出血がひどかったのかもしれない。お願い、彼を助けて。」
未徠がリリィに訪ねる。
「リリィ、これは誰だ?」
「90年位前のアンジェラだと思う。」
未徠は今のアンジェラと90年位前のアンジェラを見比べて、一言言った。
「アンジェラ、どうやったらそんなに若作りできるんだ?」
「未徠、お前、何を言っている、私は決して若作りなんかではない。」
アンジェラが少し怒っている。それを見てアンドレが笑いを堪えている…。
「お爺様、そんなことより早く診てよ。」
「おぉ、すまない。」
未徠は血圧などを調べ、輸血ではなく点滴で水分と栄養補給を行うだけで、一週間もあれば回復するだろうと言った。
傷よりも栄養状態が悪いことが意識が戻らない原因らしい。
点滴の仕方を教えてもらい、結局彼は連れ帰ったのだった。
未徠に言われた通りに点滴をして、彼は二日後には意識を取り戻した。




