326. 起きてしまった凶行(1)
一通り今回の絵本騒動の着地点を見つけたことで、皆安堵していた。
あとは、絵本に描き出されるお話がこれからのことであれば、ぜひとも役立てたい。
そう願いつつ、解散して、自室へと戻る。
僕、ライルは、どうにか鬼のように大量に出された課題を終わらせ、リリィのアホみたいなトリップ(ぶっとび)の話を聞きながらも常に冷静な判断を怠らない。
やはり、兄はしっかりしなければ…。
しかし、前日は夜通し課題をやったので、リフレッシュしたい気分ではあった。
僕は、今、生身の体を持っていないため、寝る必要がない。いや、眠れないのだ。
暗い部屋の中で悶々とあれこれ考えていると、ネガティブな思考が空回りを始める。
こういう時は、リリィが使っている僕の生身の体をリリィと共有することで、しっかり爆睡するに限るのだ。
僕は、アンジェラとリリィの寝室に行った。
ワインをかなり飲んだらしいアンジェラはもうすっかり寝てしまっている。
リリィはと言うと…、ベッドには入っているが、アンジェラに背を向けスマホを操作している。そーっとベッドの中に転移して、リリィの背後からスマホの画面を覗いてみた。
「ブッ」
思わず吹き出してしまった。僕の吹き出した音に驚いたリリィが僕の口を押えて「静かにしてよ」と小声で怒っている。
僕はリリィの耳元に小さい声で言った。
「これって、12歳のアンジェラと一緒に寝てるときに撮った写真だろ?」
リリィはまた僕の口を押えて、言った。
「内緒にして。もう、かわいくってさ、記念に撮影しちゃった。ふふ」
押えられてるリリィの手を剥し、言い返す。
「お前、自分の夫の子供の時の姿に萌えるとか、変態だな。」
「いいでしょ、大きくても小さくてもアンジェラなんだから。」
まぁ、微笑ましいというか、おめでたいというか…。
その後、リリィの了承を得て二人は融合し、そのままリリィのベッドで就寝となった。
しかし、融合時、僕の頭の中に流れ込んできたのは、過去に転移した先で、誰の家かわからない場所でうろついた挙句、後屈して逆さまにアンジェラが首を傾げてるのを見た瞬間のビジョンとか、面白さのあまり身悶えしたのは言うまでもない。
融合して5分ほど経ったくらいか、ものすごい睡魔がリリィの姿をした僕を襲った。
ガクッ、と全身の力が抜け、あっという間に夢の中へ…。
僕は夢を見ていた。融合中なので、意識は一つしかない。
それは、日本の朝霧邸で僕が現在使っている部屋だ。普段はイタリアの家で過ごしているため、この部屋で眠ることは殆どない。家出したときにコソコソ眠るとかそんな時しか使っていない。どうしてここで眠っているのだろう…。
イヤ、夢なのか?体を確認する。
今はリリィの姿で、パジャマを着ていて、さっき二人で融合してイタリアで眠ったのだが…。寝ぼけて転移とかは今まで一度もないよな…。
やっぱり、夢の中なのか?とりあえず、ベッドから出て、ダイニングに行き、冷蔵庫から冷たいお茶を出して飲んだ。
『ん、リアルにお茶だよね…。』
家の中はシーンと静まり返っている。
壁にかかっている時計を見ると朝の6時、さっきイタリアで夜11時過ぎだったか…時差があるので殆ど時間が経っていない。
あんなに眠りたかったのに…と思いつつよく考えたらリリィは過去のアンジェラ少年の添い寝で6時間も爆睡した後、まだそんなに長くは経っていない。
だからかな?
まぁ、いいや。久しぶりだし、ちょっと家の中見てから帰ろう。
これが現実なら、お爺様とお婆様は今、イタリアにいるはずだし…。
この家には父様と母様しかいないはずだ。でも時間的にかえでが朝食の用意をしにそろそろ離れからやってくるだろうか?
そんな事を考えながらサロンの方へ行くと、おや?サロンのガラス戸が割れていて、ドアが開いている…。
え?どういうこと?
僕は慌てて、父様の寝室へ走った。
「父様、父様。開けるよ。」
一応言った後でドアを強引に開けた。
そこには、床に倒れる父様と、床に広がる血痕があった。
父様の体をチェックすると同時に僕たちは融合を解除した。
リリィが父様の体をチェックする。そして、僕、ライルはスマホでお爺様に連絡をし、セキュリティカメラの確認を頼んだ。
父様は後頭部を鈍器で殴られて気絶した後、刃物で刺されて出血している。
あの、別の世界で起きた状況に似ている。
違うのは病院で起きたか、家で起きたかということだ。リリィが傷を治している間に僕はイタリアのお爺様達を迎えに行った。
すぐに二人を連れて戻るが、父様はかなりの出血で意識が戻らない。
病院に連れて行くことも考えたが、脳挫傷状態の頭部も刺し傷もすでに修復してしまっているため、失血の理由がつかない。
「ライル、徠神達を連れてきて、お爺様に輸血を頼もう。」
「そうだな、お爺様、お願いできますか?」
「わかった。すぐに器具を持ってくるよ。」
未徠は敷地内の医院から輸血をするためのパックなどを運び、心拍を測る機械などもライルに運ばせた。
リリィは戻ってきた僕に言った。
「あっちの世界と同じで、いきなり後ろから殴られてる。だから犯人を見ていないみたい。」
気絶しているところを殴るなんて、本当に気が狂っている。
リリィはもう一つ気になったことがあると言った。
「父様は、そこの机で読書か何かしているところを襲われたけど、その前に母様の声なんかは聞いていないのよ。」
僕はセキュリティカメラの映像をチェックしていたお婆様に何かわかったか聞いた。
「ライル、これ見てちょうだい。」
お婆様が映像を見せてくれた。そこには、今日の午前4時30分ころにガラスを割っている顔を隠した者の姿が映っている。
「午前4時半に読書するかな?」
「そうだな…しないかもな。」
僕はお婆様からスマホを受け取って、その賊の行動を追った。サロンからダイニングを物色し、その後父様達の部屋に入っているが、ドアをそーっと開けた瞬間に閉め、一目散に逃げている。どうやら、父様の怪我には関係のない泥棒の様だ。
「こいつはたまたま入った泥棒の様だ。それにセキュリティがオフになっていないとガラスを壊して入ったらアラームとかなるはずだよね?」
お爺様に聞くと、「確かに、そうだな。」と答えた。
徠神とアズラィール、徠央の三人が来た。
「左徠はどうした?」
お爺様が言うと、「左徠は昨日から帰ってきていないよ」と徠央が言った。
僕は本能的に思ったのだ。
「お爺様、もしかしたら左徠も危ない。」
僕は正面玄関のドアノブを外から触った。
最後に触った人物を教えてくれ、と思いつつ…。
奴だ。あの眼鏡の痩せ男だ。なぜ、鍵を持っている…。
そうか、左徠を最初に襲い、家の鍵を奪ったのだ。そして、堂々と正面玄関から家に入り凶行に至ったのだ。
「お婆様、正面玄関のもっと早い時間のえいぞうのチェックをお願いします。お爺様、輸血が終わったら石田刑事さんに母様があのストーカー男に拉致されたと伝えてください。
そして、鍵を奪うために左徠も襲われたはずだということも…。」
「何だって?」
その場にいた徠央、未徠、徠神、アズラィール、亜希子の全員が驚き声をあげた。
「左徠の居場所と母様の居場所をこれから探すから、リリィは体を封印の間に置いて戻って来てくれないか?」
「わかった。じゃあ、ライルはここで待ってて、すぐ戻るから。」
そう言ってリリィは一瞬で消えた。
徠神たちにも協力してもらい、石田刑事が来たら説明をしてもらうことにする。
とにかく、玄関から入った時間が知りたい。
「ライル、私、昨日の夜に徠夢に電話をしたのよ。今から3時間も前じゃないわ。
その時は二人とも平気そうだった。」
「よし、じゃあ3時間前から1時間半の間に入ってるかもしれないな。お婆様、その間を調べてください。」
そんな会話をしているうちにリリィが戻ってくる。
そこでリリィに未徠が質問をした。
「リリィ、体を置いてくるってどういうことだ?」
「あ、お爺様には言ってなかったっけ?もう私たち二人は生身の体が要らない状態で、その状態だと傷ついても真っ二つにされてもどんなことがあっても死なないんだよ。だから、危険なことが予測されるときは体を置いてくるの。でも、私には、あの体がとても大切なの。」
「よくわからないが、死なないって?」
「そうだよ。息しなくても大丈夫だし、燃えさかる炎の中でも大丈夫なんだよ。」
「お爺様、話の邪魔して悪いけど、急ぐから行くよ。リリィ、まずは左徠の方だ。」
そう言って、僕はリリィの手を取った。
二人で左徠の居場所に行くように念じる。
そこは、あの朝霧城の跡地に建てたお城を模したレストランの裏手だった。
ゴミステーションの陰に倒れている左徠がいた。
頭を殴られて出血している。死んではいない。
「ここは私に任せて。」
左徠はリリィに任せて、留美の場所を探す。そこは今まで一度も行ったことのない場所だった。スマホの地図アプリで場所を特定する。
朝霧邸から車で2時間程度の茨城県の廃坑跡らしいそれは、容易に人目を避け、身を隠すことが可能な廃墟だった。
『すごい気味悪いな…、よくこんなところに来ようとするよ…。』
さて、留美はどこだろう。耳を澄ますと、かすかに止まったばかりのエンジンが熱を放出するような音とギシギシと縄が締まる様な音がする。
いきなり本人の前に出て留美を傷つけられても面倒だ。
出来れば相手の場所と行動を完全に把握できる場所から観察しつつ間合いを詰めたい。
空気中に響くかすかな心音を聞き分けながら、長く茂った草を掻き分けて先に進む。
『いた。』
まるで小さいが祭壇のようになった建造物の中央に、留美が手足を拘束されたまま寝かされている。今、まさにそこに運んできたであろう犯人は、背負ったリュックからサバイバルナイフを取り出した。




