308. 天文の専門家の話
3月22日、月曜日。
前日、CMの撮影後、極度の疲労で家に帰ってからシャワーを浴びた直後に爆睡してしまった。リリィを放置したままで…。
朝、そっと僕を起こしに来たリリィは怒ったりせずに優しく言ってくれた。
「たまには疲れて眠るのもいいもんでしょ?」
僕は素直にそうだなと思った。
今日は、午後にアントニオさんの紹介で天文学に詳しい人に会う予定だ。
アンジェラは一体どのように話を持っていくのだろう…。
そういうところに興味を抱きつつ、顔を洗って身支度を整える。
リリィの所に行って、融合する。
今日はリリィの姿で過ごすことにした。
アンジェラに言われれば、ライルになってもいいが。
14歳の子供より25歳の妻を連れて行った方がいいだろう。
朝食はリリィの大好きなパンケーキだ。
そうだ、『リリィの大好きなパンケーキ』なのだ。
今、初めて気づいた。僕、ライルではなく、リリィがこのメープルとホイップとベリーを大量に乗せたのが好きなんだ…。
僕も好きだけど、ホイップが乗りすぎだと思う。
大量にパンケーキを焼いて、どんどん大皿にのせていく。
食べたい人は食べたい分だけとるのがうちのルールだ。
旬ではないため、ブルーベリーとブラックベリーは冷凍の物が置かれている。
当然のことながら、マリアンジェラは10段重ねを上から押えてナイフを入れ、綺麗に四等分したものを一気に頬張る。
「んんっ。もぉ、さいこー。」
「そうだぞ、ママが焼いてくれるパンケーキは最高だ、な、ミケーレ。」
「あ、うん。最高だけど、マリーの食べっぷり見てるとさ、ちょっとお腹がすぐいっぱいになるね。」
「うひょ~、朝からほめられた?」
「すごいな、マリー。」
アンドレも同調する。決して褒めたわけではないミケーレが半目でマリアンジェラを見る。
「マリーは胃袋と体力が桁違いにすごいからな…、きっと大物になるぞ。」
「まーた、褒められちゃって。うふふ。」
リリィも三段重ねで、もぐもぐ中。
リリアナはお腹が苦しくて、ダイニングに来るのも大変らしく、転移で移動してきていた。
「動くと苦しいし、食べないと餓死しそうだし。全く予想がつきにくい症状よね。」
ぐちぐち言いながらもしっかり食べた。
ライルの春休みも残すところ10日ほどだ、春休みが終わったら、いきなり高校二年の学年で勉強をすることになる。
朝食の後片付けをしながら、アンジェラがリリィに言った。
「ライルは学校に通学するときに何か必要なものとか、買いに行かなくていいのか?」
「ん?」
リリィがキョトンとしたときにライルに変わった。
「あ、すまん。リリィの時にライルに話しかけたら切り替わるのか?」
「そういうわけじゃないけど…。呼ばれたから出ちゃったんだ。融合しているときは、どっちになってても意識は同じだからね、変わる必要ないんだけど。」
そう言ってリリィに戻る。
「あ、そうだ。アンジェラ…CM撮影でもらったスニーカーって、学校で履いてもいいかな?服の色に合わせて履き替えようと思ってさ。」
「なんだか、リリィの姿でライルが返事しているのも不思議な感じだな…。」
箱に入ったままクローゼットに山積みのスニーカーをスニーカー陳列用の棚を用意して並べてくれるらしい。
「あ、あとさ…できれば今使ってる部屋をそのまま僕の部屋にしちゃっていいなら、あっちの部屋のクローゼットにスニーカーの棚をつけてほしいな。」
「そうだな…、さすがに毎回移動して着替えるのは面倒だな…。わかった。そうしよう。」
「ありがと、アンジェラ。ちゅ。」
最後のチューはリリィからである。
昼には移動しなければならないと言うことで、子供たちをアンドレとリリアナと乳母たちに任せる。
待ち合わせ場所は、ローマの事務所近くのカフェにした。
アントニオさんも同席してくれる予定だ。
アンジェラとリリィはローマの事務所に転移で移動し、待ち合わせのカフェに徒歩で移動した。約束の時間より10分ほど早く着いた。
約束の時間の2分前、アントニオさんと40代くらいの男性がカフェに入ってきた。
「はじめまして、アンジェラ・アサギリ・ライエンです。こちらは妻のリリィです。」
「どうも、こんにちは。私は大学で天文学の助教授をしています、カルロ・レオーネです。」
「急なお願いですみません。ちょっと専門家にお聞きしたいことがありまして。」
名刺を交換し、握手を終え、着席した。飲み物を注文してもらい、さっそく質問を始める。
「ストレートに聞くとですね、今後数年以内に、地球に大きな隕石や、飛来物が衝突するような予測というのは、出来るものなんでしょうか?」
いきなりの本題に、少しレオーネ氏は引き気味だったが、少し間を置いて答えた。
「今回、世界的なアーティストのアンジェラさんとお話ができると聞いて、てっきり創作活動のネタにでもするロマンチックなお話でもされるのかと思ってたんですよ。
しかし、的が外れましたね。大きな隕石や飛来物、というと、いわゆる小惑星とか彗星がそれにあたるかと思います。」
レオーネ氏は店員が運んできたばかりのエスプレッソに砂糖をドバドバ入れかき回した。
「現在、要注意だと言われている小惑星は1つあります。
アポフィスと名付けられたその小惑星は、直径が約340m、太陽を323.6日で公転しています。」
エスプレッソを一口飲んで、彼は続けた。
「確か、このアポフィスは2004年に発見されたばかりで、年々軌道長半径がすこしずつ小さくなっていることがわかっています。そして、2029年4月13日に地球に最接近します。時速54,000kmの速さのものが地球にぶつかれば、地球は壊滅的な状況になるでしょう。しかし、今後100年は地球に衝突しないのではないかと言われています。」
アンジェラが頷き、口を開いた。
「なるほど、では、そのアポフィスに関しては、衝突の可能性はゼロではないが、少ないということですね。この1つだけということですか…。」
レオーネ氏がもう一口エスプレッソを飲み、話し始めた。
「2010年に発見された彗星があります。それは2031年に地球に接近すると言われています。これも、地球への衝突の恐れはないと言われています。」
アンジェラは慎重に言葉を選びながら言った。
「そうですか、とても参考になりました。最後に一つ、例えばですが、何かの衝撃などで先ほどの小惑星の軌道が変わってしまうことなどはありますか?」
レオーネ氏はニコニコしながら言った。
「もちろんです。宙に浮いているものですからね、大きなものにぶつかったりすれば、方向が変わり、軌道が変わってしまうことはあるでしょう。
実際、危険な小惑星の軌道を変えるために、2021年に打ち上げられた探査機もありますから。」
「ほぉ、興味深いですね。」
「ところで、どうしてこのようなことに興味を持たれたんですか?」
「まぁ、ちょっとお恥ずかしい話なんですが…、うちの親戚に予知夢をみる人物がおりまして、その者が『星降りが脅威をもたらす』的な事をいうものですから、興味がわいたんですよ。」
「『星降り』ですか…。」
その後、30分ほど雑談をして礼をいい、その場を後にした。
アントニオの息子と同じ大学だったというその助教授は、たまたま春休みで実家のあるローマに帰って来ていたそうだ。
アントニオはアンジェラの経済界での影武者としていろいろな事業で成功を収めている。そういうわけで、彼はかなりの有名人だ。もちろんレオーネ氏も昔から彼を知っているだろう。そのアントニオがアンジェラの前ではまるで家来として、主を敬い気を遣っている様を見て少し驚いているようだった。
やっぱり、外では『アンジェラ様』って言わせるのはまずいんじゃない?
これは、家に着いてからアンジェラに言ったけど…。




