293. 白い羽のコレクション
時は少し遡る。あれは、避難していた場所から最後に皆でアメリカのライルのボーディングスクールのイベントであるホームカミングに行った日の翌日のことだ。
皆、自分の家に帰るために転移で送り届けてもらった。
未徠と徠夢もそうだった。
徠夢はその時の事を振り返る、11年前のライルがそれまでの数か月間、毎日午後の決まった時間に訪問してくるようになり、実の母留美との親交を深め、父である自分もライルに対し愛情を深く感じるようになっていた。
本当に自分はなんてひどい父親だったんだろう…。そのように反省することも多かった。
特に避難を始めて11年前のライルを気遣えなかったときに、彼が大人のいない家で、死にかけていたと知ったときだ。
それを過去の自分に咎めようと、ライルを送って行くときに一緒に連れて行ってもらった。
本当に過去の自分が憎くて仕方がない。
送り届けて戻って来てからも、腹立たしさが消えない。
留美にも報告した。
「自分のことながら、情けないよ。たった三歳の息子に『一人でも面倒だ』とか言うんだ。」
「え?それはどういう意味なの?」
「ん?どういう意味なんだろうな…。」
その翌日から、三歳のライルは11年後の朝霧邸を訪ねてくることはなかった。
徠夢と留美は小さいライルの事を心配しながらも、連絡手段がないこと、そして、現在のライルは無事であることから、次第に気に留めなくなったのである。
一方で、11年前のライルには、激的な変化が起きていた。
ライルはここ数ヵ月、毎日未来の自分の家で、優しい言葉をかけてくれる少し年をとった父親と実の母だと名乗る留美と過ごし、自分も我慢していれば彼らに会える日が来るのだと自分に言い聞かせるようになっていた。
いつものように訪問した先に、祖父母も両親もいなかった。それは数日続いた。
そして、自分の時間でかえでが外出先で倒れた日も、その次の日も…。
ついには、自分もインフルエンザに罹り、死を目前にするほど悪化した。
その時、祖父母と両親が助けに来てくれたのだ。
うれしかった。そして、若い父をたしなめ、学会で海外に行っていた祖父にも早く帰るように頼んでくれた。そして、皆が何かから自分たちを守るために避難しているというお城にまで自分を連れて行ってくれた。
時々顔を合わせることがあった同じくらいの年の親戚の子達にも会えた。
おいしいご飯もいっぱい食べ、毎日両親に挟まれてベッドで眠れた。
このまま、ずっとここにいたいと思ったけど、帰るべきだと大きい自分に言われた。
全ては教えてもらえなかった。でも、元の時間に起きた色々なことがなくなると、未来の自分たちに影響があるのだと言われた。
だから帰ってきたんだ。
昨日帰ってきた。またこのつまらない、僕だけの空間に…。
そう思っていた。せっかく昨日は未来のおとうちゃまが送ってきてくれたのに、すごく頭が痛くなって、そのまま寝てしまった。
かえでさんはもう退院して、身の回りのことはやってもらえるようになっていた。
「ライル様、朝ごはんができていますよ。」
「ありがとう。」
洗面台で顔を洗い、パジャマから洋服に着替える。
洗面台で自分の顔を見て、ギョッとした。
鏡の向こうに女の子が見える。
「だ、誰?」
『おにいちゃん、私、リリィちゃんみたいに幸せになるの。』
「リリィちゃん?誰それ…」
『困ったこと、何でも言ってね。私が聞いてあげる。いっしょにがんばろう。』
「…。」
最初は体調が悪くて混乱しているのかと思った。
そのうち、鏡を見ても女の子は見えなくなった。
でも、お絵描きをしたり、ふとしたときに、自分で意図しないものを描いたり、ボーッとしていることがあることに気づいた。
どうやら、ダメな若い父と関わるときや、辛い時に自分の隠れた部分が出てきて吸収してくれているみたいなそんな感じだった。
11年後の家には行かなくなった。
寂しく思うときもあったが、漠然と自分は将来絶対に幸せになると信じるようになったからだ。未来に行けば心地よいが、それは自分にとっていいことではないと思った。
そんな状態になり二カ月が過ぎた。
世の中ではクリスマス・イヴだ。
うちの中では、若い父はどこかで学生仲間とクリスマスパーティーだろう。
祖父は疲れて寝てしまった。
僕は、一度8時にはベッドに入ったが、夜9時を過ぎて、目が覚めてしまった。
その時、ドアを『コンコン』と叩く音が聞こえた。
ドアを開けると背のすごく高い、金髪のお兄ちゃんが立っていた。
「あ…。」
知っているような、誰だかわからないような…。
「ちびっこ、元気か?」
「???」
「覚えていないのか?僕は、君。君は、僕。11年後のライルだ。」
「あ…お兄ちゃん…。」
「お兄ちゃん…というのも何か変だが…。クリスマスの料理、ケーキも少し持ってきたぞ。」
「クリスマスのケーキ?」
「あぁ、親戚で集まってパーティーをやってるんだ。11年後にな。」
「食べていいの?」
「もちろんだ。」
僕はケーキを食べ、他のお料理を他のお皿にのせ替え冷蔵庫に入れて、お兄ちゃんにお皿を返した。
「えらいな、ちびっこ。」
そう言って大きいライルが僕をハグしてくれた。なんだかうれしかった。お皿を持って大きいライルが帰った後で、眠れなくなった僕は、引き出しの中に入っているフォトケースを取り出した。
小さいサイズのクリアフォルダーみたいなものだ…。
『なんだっけ…これ?』
僕は未来に行って体験したことが段々と記憶から薄れていってることに気が付いた。
覚えているうちに書き留めておかないといけない。
そう思った。
地下の書庫で見つけた、使っていないノートを一冊もらって、メモを書き始めた。
三歳である、たいした字は書けない。ひらがなで片言だが、僕は絵を描きながらメモをしていった。
クリアフォルダーに入っていたもの、それは『はね』だった。
自分の字でクリアフォルダーにマジックでそれぞれに何か書いてある。
「りりあな、あんどれ、まりあんじぇら?、みけーれ?らいな?りりい?あんじぇらちゃん?」
何かの暗号かとも思ったが、「ちゃん」がついているということは、名前だ。
それぞれが少しずつ色と大きさが違って、美しい。
特に『あんじぇらちゃん』の羽はすごく大きくて一番きれいだ。
「らいな」の羽はふわふわしてそうで触ってみたくなった。
ケースから出して触った。
『ぶわっ』と鳥肌が立つような感覚、そして、自分にも翼が生えた。
パジャマを突き破って生えた翼…どんな風になっているのか…と部屋についている浴室の洗面台の前に立ち、姿を確認する。
「え?」
鏡に映る華奢な金髪に軽くウェーブがかかった碧眼の女の子…。また、鏡に自分じゃない誰かが映っている。
さっきの羽をケースに戻し、クリアフォルダーを机の引き出しにしまおうとした時、大きくてはみ出た『あんじぇらちゃん』の羽に触ってしまった。
「あっ」
自分の体が金色の光の粒子になってサラサラと崩れていくのがわかる。
「きゃー」
あわててベッドの方に倒れ込み、慌てると、翼がバサバサと羽ばたくようになり体のバランスがくずれながら、体が砂になって行く…。
未徠が悲鳴に気づいてライルの部屋に行った時には、机の上にクリアフォルダが置いてあるのと、ベッドの上に羽が数枚落ちているだけでライルはいなくなっていた。
一瞬、真っ暗になった。怖くて、目を閉じた。
『チャポン、チャポン』と水が滴る音が鳴った。
そーっと目を開けると、薄暗い中に、月明かりが差し、徐々に目が慣れてきたところで、周りが見えるようになってきた。
『あ、人がいる。』
黒い髪の男の子、ライルよりも何歳か年上のようだ。
近くに寄って触ってみると、体が冷えて震えているようだ。
体をくっつけて話しかけてみる。
「ねぇ、ねぇ。こんなところにいたら風邪ひいてしまうよ。」
反応がない。
「ねぇ、ねぇ…ここはどこなの?僕、お家に帰りたいよ~。」
一人で段々不安になってきたが、どうにもならない。周りを少し見回してみると、水たまりがあった。月が写って外が見える。
ここは…落とし穴?水たまりを覗き込むと、自分がまだ女の子の姿に翼が生えたままだと気づいた。
『え?これは夢?』そう思った時だ、水たまりに写った自分がしゃべった。
『翼があれば飛べるんだよ。』
「そっか…、飛べるんだよね…。」
翼を動かしてみる。少し体が浮き上がった。飛べる。
あの男の子をここから出さなければ…。
「ねぇ、おにいちゃん。起きて、僕がここから出られるように頑張ってみるから…。」
やはり反応がない。僕は、とりあえず、お水でも飲ませてみようと思ったが、水たまりの水はさすがにお腹を痛くしそうだ…。自分だけでも外に出て、飲み水を持ってこよう。
何度も飛ぶ練習をした。何十回もやって、少し飛べるようになった。
穴の深さは子供の背丈の倍くらい。多分、自然にできたものだろう。
少し行くと小川があった。
大きな葉っぱにお水をのせて、慎重に飛びながら穴まで戻った。
足は素足だし、外は結構寒かった。
お水を飲ませようと思っても、こぼれるばかりで飲ませられない…。
ちょっと恥ずかしかったけど、自分の口にお水を含んで男の子の口に入れた。
さっき、歯磨きしたばかりだから…大丈夫だよね…。
『ごくん』と音がして、お水を飲んでくれたのがわかった。
もう一口、お水を口移しで入れた。
『ごくん』という音と共に男の子の目が開いた。
「あっ。」
僕と男の子はチューをしている状態で目を合わせた。
「あ、あの…、こんばんは。」
僕は慌てて、挨拶をした。男の子は周りをぐるりと見てこっちをもう一度見ると口を開いた。
「天国へ行くためのお迎えなの?天使様。」
「え?僕は天使じゃないよ。お迎えじゃないし。外に出て帰った方がいいよ。手伝うから、出ようよ。」
男の子は弱々しくも起き上がった。
「何回も試したけど、出られなかったよ。」
「僕、今翼が生えてるから、一緒に出られるかも…。」
体につかまってもらい上昇を試みるが、二人分の重さはなかなか浮上させられない。
「何か縄とか探してくるね。」
「あの、天使様。天使様はどうして日本語を話しているの?」
「え?だって日本生まれだし。」
「そうなんだ…日本には天使が多いのかな…。」
「え?ここどこなの?」
「ここは、ドイツだよ。僕の名前はアンジェラ。」
「あ、あんじぇらちゃん?」
「そう、天使様は名前あるの?」
「ぼ、僕…。」
「女の子なのに、僕っていうの、おもしろいね…。」
「あ、あの…リリィ。」
僕はとっさに嘘をついた。鏡に映ってた子が言ってた『リリィちゃん』の名前を思わず出していた。
「リリィ、かわいい名前だね。」
そう言って優しく微笑む男の子の顔に、なぜか胸の奥がドキリとした。
慌てて穴の外に出て、倒れた木を二本と、薪くらいの枝を拾い、蔦を集めた。
持ち帰ると、あんじぇらちゃんはじっと外を見つめていた。
「帰って来てくれたんだね、リリィ。」
僕は集めた材料で、はしごを作ろうと提案し、あんじぇらちゃんも一緒に作ってくれた。
僕が下ではしごを支え、あんじぇらちゃんは外に出ることができた。
ふらつきながら、少しずつ進み、あんじぇらちゃんはどうにか村のところまで、戻ってきたのだった。
彼を探している人たちの声が聞こえてきた。
「お家の人が探しているね。」
「うん、おばさんなんだ。」
「そうなんだ…。あんじぇらちゃん、元気でね。」
僕はあんじぇらちゃんにハグしてあげた。さっき、大きいライルがしてくれたように…。
「リリィ、また会いたいな。」
「え?僕、どうやってここに来たか、解らないもん。また来られるか帰れるかもわからないし…。」
「ありがとう。」
あんじぇらちゃんのその言葉を聞いた瞬間、僕の体はまた金色の光の粒子になって崩れおちた…。
「さようなら。」
あんじぇらちゃんの悲しみ色に染まった瞳が忘れられない…。
僕は気が付くと自分のベッドの上に寝ていた。足の裏が土で汚れていた。
パジャマの背中に縦に長い裂け目があった。
僕は洗面台で自分の姿を確認したが、いつもの通りの僕だった。
また、こういうことがあったら…と思うと忘れないようにしなければいけないと思い、ノートに記録を残すことにした。
『あんじぇらちゃん、あなにおちた』
穴と梯子とアンジェラの絵を描いた。
汚れた足を浴室で洗っているとお爺様が走ってきた。
「ライル、どこに行ってたんだ?」
「おじいちゃま、僕、どこかわかんないけど、そこの人がドイツって言ってた。
穴におちちゃったの。」
未徠はライルが夢でも見て、外に出てしまったのかと思った。
この時を始まりとして、度々このようなことが起きるとは、まだ知る者はいない。




