280. お前はなんだ?
アンジェラは深夜遅く、自分とリリィが使っている居室に戻ってきた。
時間は深夜1時過ぎだ。
書斎として使っている部屋にこもって、アメリカの芸能事務所とミーティングをしていたのだ。アンジェラの表情は穏やかではない…。
居室の中には前室、応接室の様なものがあり、更にドアを開けて寝室と浴室へと行くことができる。アンジェラは、そーっと寝室へ入り、浴室でシャワーを浴び、バスローブを羽織って寝室で備え付けの冷蔵庫からワインを出して飲み始めた。
あぁ、ここ数日、かなり色々なことがあった。疲れたな…。
リリィが連れ去られ、絶望を感じ、やっと取り返したと思ったところで石になってしまうなんて、恥ずかしながら絶望のあまり、自分の子供の事さえ考えず身を投げてしまった。
考えてみれば、いくらリリィを失ったからと言って、自分の愛しい子供たちを置いて命を投げるなどとはひどい親である。
反省もしつつ、リリィが戻ってきたことを心よりうれしく思った。
しかし、同時にどうしても気になることがあった。
リリィとライルが別人格で存在するというところだ。自分の愛を根本的に揺るがす事態だと心の中では思っていた。
私は、どっちと愛し合っているのか?どっちと夫婦関係でいるのか?子供たちの親はだれなのか?ものすごく混乱し、悩み、苦しんでいる、それが今の自分だ。
情けない…そう思いつつ、他にも仕事の問題も山積みだ。
「アンジェラ…」
リリィがベッドから下りてこちらに歩いてきた。
「すまない、起こしてしまったか?」
「ううん、もういっぱい眠ったから、自然に目が覚めただけ…。」
少しの沈黙の後、リリィが口を開いた。
「あ、あの…隣に座ってもいい?」
「もちろんだ、断る必要もない。」
リリィがアンジェラの座っているソファの横に少し離れてちょこんと座った…。
「何か話でもあるのか?」
アンジェラが聞いた。
「あの、えっと…、何か困ってることとか、あったら言って欲しいなって。」
アンジェラは予想外のリリィの言葉に、少し拍子抜けした様子で、言い返した。
「大丈夫だ、気にするな、仕事でのことは何とでもなるから。」
「でも、なんだか辛そうだったから…。」
「あぁ、これはな、仕方がないことだ。リリアナが妊娠してからアンドレとリリアナが合体できなくなったのはお前も知っているだろ?」
「あ、うん。そうだったね。」
「こんな時に、ジュリアンへのオファーが多くて断るのが一苦労なんだ。」
「ふーん、どんな仕事なの?」
「ドラマの劇中でのピアノコンテストに参加しているライバル役とか、あとは楽器メーカーのCM、遊園地のイベントでピアノを弾くとか、そんなのばっかりだ。」
「それ、ライルじゃダメかな?」
「しかし、ライルは嫌がっていただろ?」
「確かに嫌がっていたけど…、アンジェラのためだったら、それくらいどうってことないと思うよ。何だったらジュリアンにもなれるし…。でもしばらく本物がいないとなると、露出しすぎは良くないかな…。」
リリィが一人であれこれ言ってるのを聞いて、アンジェラは急に笑い出した。
「なんだか不思議だな…自分の妻が、かわいく見えて仕方がない…。」
「やだ、からかわないでよ。自分でも子供っぽいって思ってるんだから…。もう。」
結局、リリィはライルを呼び出し、本人に聞くと言い出した。
アンジェラは内心、どういう状況…?と思ったが、見守ることにした。
リリィが翼を出し、羽をブチッと一枚抜いて、フッと息を吹きかけると、羽が金色の光の粒子に変わり、その周りにたくさんの光の粒子が集まってきた。
それが大きくなり実体化する。
「ん?あれ?しばらく出てこない方がよかったんじゃなかったか?」
まるで、食事の時の話の続きのように話すライルだった。
「あ、うん。聞こえてたと思うけど、ジュリアンの仕事がいっぱい来てるんだって。
ライル、代わりにやってあげられない?」
「そうだな、条件によるな。」
アンジェラが目をパチクリしながら、リリィとライルの不思議な会話を聞いていた。
「せこいわね、なんか買わせようとしてるの?」
「ふふん、いいじゃないか、ギブアンドテイクだろ?」
ライルが、ソファの後ろからアンジェラに近づき、身をかがめてアンジェラの顔に顔を寄せる…。アンジェラの顎を掴み、少し上に持ち上げて超近いところまで顔を近づける。
「16歳の誕生日にBM納車で手を打つよ。お義兄さま。」
キスされるんじゃないかとドギマギしてたアンジェラは、ますます目がパチクリ状態で固まっている。
「あ、僕、男は好きじゃないから、そんなに期待されると困っちゃうな…ふふ。」
心の中で、やっぱりこいつはかなりの「タラシ」だ、と再確認したアンジェラであった。
慌てて、姿勢を整えてアンジェラが言った。
「3つや4つ仕事したからってBMは買えないぞ。どんな仕事でも数に制限なく誕生日までやるっていうなら、その条件をのんでもいい。」
アンジェラが言うと、ライルが別の条件を出した。
「あと、明日から、学校に行っていいかな?」
「まだ、安全を確認できてないだろ?」
「あぁ、大丈夫、大丈夫。襲ってきたら殺されたふりしてどこに連れて行かれるか確認するよ。最後にキラキラぁって消えればいいんだしさ。今まで使ってたスマホ、僕が使っていいかな?死にそうなときは引き出しに戻すよ。
仕事の依頼はメッセージで頼むよ。混乱を避けるために僕はアメリカの家と寮で過ごすことにするから。呼び出しはメッセージか、リリィ経由で頼む。」
話が終わったかと思っていたら、ライルが急に振り返りアンジェラに話しかけた。
「あのさ、今週末24,25日なんだけど、学校のホームカミングでボランティアのピアノ演奏をするんだ。取材とか受けてもいいよ。それと、子供達も連れてみんなで来たらいいんじゃないかな。」
「わかった、企画を持ち込んでみるよ。」
自分の言いたいことをドンドン言い終わって、ライルは「じゃ、僕もう寮に行っちゃうね~」と言って消えた。
ライルが去り、リリィとアンジェラの間に沈黙が訪れてしまった。
リリィがモジモジしながらアンジェラに話しかける…。
「あ、アンジェラ…。あの、やっぱりライルのことが好き?」
「どういう意味だ…?」
「アンジェラはライルを愛しているでしょ…。」
「リリィ、解らないよ。スマン、混乱しているんだ。さっきのは本当にライルなのか?」
「あれが、本来のライルなの。たぶんね。」
「じゃあ、お前はなんだ?」
「あ…、私…、何だろう…。」
リリィの両目からたくさんの涙が零れ落ちた。ズキズキと胸が痛み、声が出せない。
「ご、ごめん、なさい。もう、ここにいちゃ、いけないんだね。なんか、私、思い違いをしてた。」
動揺した様子で、立ち上がったリリィの周りに金色の光の粒子が広がり消えた。
リリィの体は、『バタッ』とその場で倒れた。
目を開けたまま、息もせず、心臓の音も聞こえない。
「リリィ、リリィ…。」
アンジェラは大失敗をしてしまったのだ。言ってはいけない一言を…言った。
リリィは自分の存在を否定されていると感じ、姿を消した。抜け殻となった体を置き去りにして。




