260. 連れ去られたリリィ
アンジェラとリリアナが病院に着いた頃、病院内では忙しく医療スタッフが駆け回っていた。
アンジェラは呼び出された窓口の係に電話での内容を伝えた。
「すみません。ICUに入っている、リリィ・アサギリ・ライエンの夫ですが、先ほどこちらからご連絡いただき、特殊な医療行為のための同意書にサインをして欲しいと言われたのですが…。」
事務員が内線で誰かを呼び出している。「少しお待ちください」と言われ、応接室に案内された。そしてそこに現れたのは、トーマス・トルーマン、そうベスのお兄さんだ。
「あ、あなたはこの前お話を伺ったトーマスさんですよね?なぜここに?」
「アンジェラさん、自己紹介が遅れてすみません。私はこの大学病院で教授をしています。
この間はそこまで話をしませんでしたね。」
「そうだったんですか、それにしてはお若いですね。」
「はい、14歳で大学を卒業して、その後違う学部に入り直し、現在は教授として教えています。」
「なるほど、それでトルーマン教授は、なぜ私に用があるのでしょうか?私は、今妻の容体が悪く、急いで書類にサインをしなければいけない状況なんです。」
「それを依頼したのが、私だからです。」
「どういうことですか?」
「私が提案したのです。脳の損傷を抑えるために低温で維持する方法を…。」
「そうだったんですか…。とにかく、リリィ…私の妻を助けてください。」
「最善を尽くします。」
そう言って、トーマス・トルーマンは誓約書を出した。内容は、医療行為によりいかなる損害が発生しても意義を申し立てないというものだった。心に何かが引っかかる。
アンジェラは恐怖で体に震えがきた。しかし、一刻を争うのは事実だ。どうにか、サインを終え誓約書を渡した。
トーマスはアンジェラに家に帰るよう促し、足早にその場からいなくなった。
アンジェラはその後、不安な気持ちを抱えたまま、駐車場で車に乗ったまま少し頭を冷やしていた。窓口の側で待っていたリリアナが、アンジェラが先に別の通用口から出たことを知って、追いかけてきた。
「アンジェラ、どうだった?」
「この前ライルと一緒に会った飛び級について教えてくれた人がここの教授だったよ。」
「書類にはサインしたのね?」
「あぁ、とても不安だが、今の私に他の選択肢がないからな。」
アンジェラは、ふとタブレットを手に取り、GPS追跡のアプリを開いた。
タブレットがある現在位置を中心に、3つのGPSの点が表示されている。
アンジェラのチョーカー、リリアナのバレッタとさっきアンジェラがつけたリリィの髪に付けたヘアクリップである。そこで、アンジェラは異変に気付いた。
リリィのGPSの位置が少しづつ動いている。
ICUから場所を移されているのだろうか?それにしては動きが大きい。
アンジェラの車が駐車している場所からは、病院内から地下駐車場に出る出口が見える。
そこに一台の黒いワゴン車がとまった。そして、病院の中から先ほどの男、トーマス・トルーマンが出てきた。続いて、大きな清掃用具を入れる手押しのワゴンを押した男が出てきた。
黒いワゴン車の後部ドアを開けると、二人がかりで手押しのワゴンを車中に乗せた。
「リリアナ、まずい。あの男、ただの教授ではなさそうだ。」
「どうして?」
アンジェラはタブレット上に開いているアプリの画面を見せた。
「あの車に乗せられた掃除用具入れにリリィが入っているんじゃないか?GPSの場所は、今病院のこの場所にあるように見える。」
「あ、そうね。確かに、そうだわ。私にもリリィの場所がその先の車の中にいるってわかるもの。」
アンジェラは慎重に少し距離を取りながらその車を追跡した。
車は1時間ほど走り続け、町はずれのまるでゴーストタウンの様なさびれた商店街を抜け、周りに建物が無い様な場所で脇道へと入って行った。
このまま車で追えば目立ってしまう。地図で見るとこの道は一本道で、行き止まりになっている。普通に考えれば、目的地がこの先にあると考えるのが妥当だ。
GPSに気づかれないように祈りながら先ほどのワゴン車が引き返して来るのを待った。そしてGPSの場所はその道の先のところで急に消えた後、約30分ほどでワゴン車は戻ってきた。
「GPSに気づかれたな。でも場所はだいたい分かった。ワゴン車の後をつけよう。」
さっきより慎重に、ワゴン車との間に三台ほどの車を挟みながら追跡した。
ワゴン車は先ほどのさびれた商店街の一角にある廃工場の様な建物の脇に駐車した。
そして、二人の男が下りてくるのが見えた。どうやら手押しワゴンを運んだ男と車を運転していた男だ。トーマス・トルーマンはいなかった。
「さっきの場所で降りたのか、乗り換えたか…。」
「あ、アンジェラ見て。あの中年の女って、この前リリィが未来のセキュリティカメラ映像で拉致実行犯の一人って言ってた女じゃない?」
「間違いないな。清掃業者を装っていたんだ。さっきの清掃用具を入れる手押しワゴンにしてもやつらの小道具何だろうが…。ここが、拉致実行犯のアジトか…。そして、さっきの場所が宗教団体『永遠の翼』なのか…。」
リリアナは、今突入しても自分たちまで捕らえられては意味がないと言い、暗くなるまで待とうと言った。一度アメリカの家に戻り、家の中からイタリアの家に転移する。
そこでアンドレにも情報を共有した。
「アンジェラ、アメリカに誰か信用できて相談できる人や組織はないのか?」
「アメリカの芸能事務所を任せている副社長か、ホテルの責任者なら多少のことを相談することはできるだろうが…。」
「じゃあ、これから病院に行って一芝居うったらいいんじゃないか?アンジェラが『妻に会わせろ』と言い張ってICUの病棟に入れ、そして私達がリリィがいないと騒げば、病院側は無視はできないだろう?そこで、警察を呼ぶんだ。妻がいなくなった。病院の管理はどうなっているてな。その警察はこっちの言う通りに動いてくれるやつじゃないとまずいからな、そこをなんとかしておきたい。」
「そうだな…。しかし、もし私たちまで捕らえられたりしたら、子供達が困ってしまう。」
「アンジェラの考えていることはよくわかるよ。じゃあ、こうしよう。かなり前倒しになってしまうが、今日、明日で聖マリアンジェラ城へ朝霧の皆と徠神たち、そしてうちの子達を避難させよう。」
「それで、どうするというのだ…。」
「私は、あなたと合体し、自分で移動できるようにしよう。リリアナともしはぐれても別々に行動できるように。」
「そ、そうだな。その方が何かの時には何倍も逃げやすいだろう。」
「アンジェラ、今すぐ事情を話して、協力してくれる人を探して。もし、リリィが死んだりしたら、私も消えてしまう。」
リリアナも余裕が無さそうだ。
アンジェラはアメリカの芸能事務所を任せている副社長に連絡をして、妻が拉致されたが、警察が信用できないことなどを伝えた。その副社長はアンジェラ達の本当の姿は知らない。ただ、先祖に富豪の画家がいて、かなりのお金持ちで、本人にも類まれな芸術的才能があると思っているだけだ。
副社長の反応はいまいちだったが、彼との会話で一つ思いついたことがあった。
ライルが出演したCMのブランドの会長だ。彼もアンジェラ達の事は表面上の芸能人としか見ていないだろう。しかし、孫娘の失態に対していつか借りを返すと約束していた。
そして、その会長はかなりの実力者だ。警察の中にも動かせる人物がいるかもしれない。
ただ、自分たちが『天使の末裔』だと教えるリスクと、果たして相手が本当に自分たちの味方となり得るかを知ることができないのが、難しいところだ。




