23. 北山先生
意識を取り戻した翌日の朝、僕は書いていなかった日記を記憶を思い起こしながら書き綴った。
七月二十六日月曜日、午後三時頃、アズラィールが落雷と共にいなくなった。
その次の日、七月二十七日の午後三時頃、資料の中の首飾りを触り、一八七五年のアズラィールが落雷で瀕死の状態だと知り、癒しを試みるが失敗したと思われた。
少し後に、ハンカチについたアズラィールの血液を触り、アズラィールの体に転移できたが鈴を治した後、アズラィールの意識に問いかけながらアズラィールの体を癒している最中に戻ってきてしまった。
その後七月三十日の深夜まで意識が戻らなかった。
あの首飾りが、能力を封じるものだと直接触ったときに情報を得た。それをアズラィールに伝えることが出来たのかはわからない。地下書庫の資料の日記にはアズラィールが亜津徠竜として登場した。
多分、アズラィールは意識を取り戻し生活できるようになったんだと思う。緑次郎さんは、アズラィールを天使様と呼んでいた。
あぁ、もう七月も今日で終わりだ。
意識を失ってた時間が勿体ない。せっかくの夏休みだというのに。
行ったのは市の資料館とショッピングモールだけというのは、あまりに悲しい。
そこへアダムが人間の姿で元気よく走って来た。
「元気になった~。」
「ありがと。アダム。ところで、朝からどこに行ってたの?」
「おさんぽ。お母上と。」
「犬で?人間で?」
「あの、人間で。です。」
「ふ~ん。もう犬にならないでずっと人間でいた方がいいんじゃないの?」
「え?いいの?犬だとお母上とお話ができないのです。」
ふ~ん。そんなに母様が好きなんだ。
「母様や父様にも意見を聞くべきだと思うけど、後で朝食の時にでも聞いてみなよ。」
「はい。です。」
ピョコ、と耳が飛び出る。おいおい、それじゃまずいんじゃないのかね?
七月三十一日土曜日、午前九時。
動物病院が休診ということもあり、遅めの朝食となった。
久しぶりに何かを食べたということもあり、あまりたくさんは食べられない。
僕は父様と母様にアダムの事を聞いてみた。
「アダムが人間の姿を好んでいるようで、デフォルトを人間にしていてもいいかお許しをもらいたいのですが。母様とお話ができる方がいいらしくて…。」
アダムが頬を赤らめる。
「あら、かわいい事言うのね、アダムったら。いっそうちの子にって、もううちの子だったわね。」
母様、アダムに甘すぎると思いますよ。
そこで、父様が少々苦言を呈す。
「まぁ、夏休み中はいいとしても、夏休みが終わった後に小さい子が家でぶらぶらしているのは何かと面倒な気がするよ。」
確かに、幼稚園や学校に行かせてないとか、近所で噂にでもなったりしたら面倒そうだ。
「そうね~。」
母様もそういうところはさすがに流されないか。
そこで父様がアダムに質問を投げかける。
「アダム、アダムはドーナツが食べたくて人間の姿になったとライルから聞いたんだが、それだけなのかい?」
「あい。」
「どうして、その大きさの人間なんだい?」
「んー、その時の一番大きいのにしてみた。です。」
母様が興味深く食い気味に聞く。
「え?もっと小さくなれるってこと?」
「あい。」
「じゃあ、いっそ赤ちゃんになって、うちの子で出生届だしちゃったらいいんじゃないかしら?家で産んじゃった~。って。」
母様、この前父様の浮気を疑って白目むきまくりだったくせに、子供増えるのはいいってことかよ?
「まさか、アダムを幼稚園や学校に行かせるつもりじゃないよね?」
「ライル、いいところに気づいたわね。それ、それよ。学校に行ってれば近所に何も言われないわ。」
父様と僕は顔を見合わせてドン引きした。
そんな会話を繰り広げている時、ドアベルが来客を告げた。
かえでさんが玄関先で何やら話した後、ダイニングへ戻り父様の耳元で来客に対応するか確認をしている。
「あぁ、かえでさん。せっかくだから居間へお通しして。僕たちも食事を終えたら行くからね。」
僕たち?誰が来たんだろう?
僕たちは食事を早々に切り上げ、居間へと移動した。
そこに待っていたのは、車いすに乗った北山瑠美先生とその両親だった。
「あ、先生。もう大丈夫なんですか?傷は痛みますか?」
僕は思わず駆け寄って声をかける。
「ライル君、もう大丈夫よ。心配かけちゃったわね。」
そう言って北山先生が僕の手を取った。
瞬間、先生の体が緑色の光に包まれ、先生の瞳が緑色の炎に包まれる。
あっ、先生の記憶や知識、情報が流れ込む。と同時に体の奥が熱くなる。この緑の光はどんな意味があるのだろう。
そういえば、母様の目も緑色に光った。
父様は白銀色だった。イヴは赤く光っていたと思う。
今までの感じだと、目が光った人の能力を僕が使えるようになっているような気がするけれど…。
一体、この色にどんな意味があるのかはまだわからない。
あるいは、緑は能力がない場合の色なのかもしれない。
そこで、ふとバロンから以前流れ込んできた記憶の断片が頭の中でクローズアップされる。
襲ってきた犯人の姿だ。
「バロンが私の犬だってライル君が気づいてくれたって、刑事さんから聞いたの。
それに、なぜかわからないけれど、監禁されていた場所でライル君が私の体を心配してくれている夢を見たのよ。すごく勇気づけられた。ありがとう。」
「いえ、僕は何も…。」
「私を襲ったのは、私の知っている男だと思うわ。私のやっているスポーツでライバルのマネージャーをしている男。悔しいわ。こんな怪我で出場できなくなるなんて。それに危なく死ぬところだったわ。」
「その男は捕まったんですか?」
「いえ、まだ捕まっていないの。時間の問題だと思うけれど。」
北山先生は、本気でトライアスロンをやっていたそうで、日本の代表選手にも選考されるほどの実力者だそうだ。
腹部の傷が大きいため、選手生命が危ういらしい。
癒してあげたいが、今は行動するべきではないだろう。
僕の能力は他人に知られてはいけない。アズラィールの家族の話から、僕もそれは痛いほどわかっている。
北山先生は、今日バロンを引き取りに来たそうだ。
バロンを両親に預け、本人はまた病院へ戻りしばらく入院するらしい。
「先生、入院先にお見舞いに行ってもいいですか?」
「ありがとう。うれしいわ。」
そう言って彼らはかえでさんが連れてきたバロンを伴って帰っていった。




