218. プチ逃避行
寮で着替えて、ダイニングの不味い朝食でも食べようかと思ったが、一生の不覚…、髪の毛がボッサボサなのにブラシも何もない。シャワーを浴びようか迷ったが、ドライヤーもなかった。
仕方がない、苦肉の策…日本の朝霧邸の自室に行き、髪を整える。
『まいったな…。スマホも家に置いてきたし…。』
ものすごく数週間ぶりに実家に寝ぐせ直しに来てるって、恥ずかしいな。
さっさと帰ろうと思ったら、ドアがいきなり空いた。
『バンッ』
おっと、ビックリ…って。しまった。バスルームにだけ行けばよかった。
ライナのために鍵をかけていないんだった…。
そして、この家には各室にセキュリティカメラが設置してあるのだった。
入ってきたのは父様だ。
「ライル、…。」
嫌な予感しかしない。父様はすごい勢いで近づいてきた。
うっ、と身構えた時、父様は僕を抱きしめた。
『はぁ?何かのドッキリ?』と思ったが、ここは冷静に対応しないと、難しい人だからな。
「ど、どうしたんですか、父様。急に…。」
「さっき、アンジェラから電話があって、お前がスマホも持たずに家出したと聞いて、仕事を切り上げて帰ってきたんだ。」
「え?」
正直、耳を疑ったよ。誰が家出だよ。恥ずかしいから早く学校に行っただけだし。
「家出はしていないですよ、早めに学校に行っただけで…。でも寝ぐせがひどくて、その、まぁ、あの、ちょっとアンジェラと顔を合わせたくないことがあって、こっちで寝ぐせを直してただけで…。すみません。お騒がせして。」
僕はそう言いながら、父様をどうにか引きはがした。
「そうなのか?本当に大丈夫なのか?」
「あ、ええ、まぁ。」
「何が原因なんだ?」
え?そんなこと聞かれてもなぁ…。言ったらまた怒りそうだけど…。
「あ~、なんだか先週アンジェラと行ったパーティーで、僕を見た人がどうしても会いたいと言っているらしく、アンジェラが断り切れずにいるので…。」
「そんなことで喧嘩したのか?」
「いや~、そんなことって言っても、ちょっと複雑で…。」
「何が、どう複雑なんだ…。」
「え~っと、CMに出て欲しいって話らしくて、嫌だって言ったんですけど…。」
「CMだと?」
あ、きたきた…地雷踏んだか~。
「あの、父様、僕そろそろ学校に行かないと…。朝食もまだで…。」
「ここで食べて行きなさい。」
「え?は、はい…?」
って、怖すぎる。かえでさんが作ってくれた和食を食べ、朝からお腹がパンパンになりつつ逃げようとしていたら、父様が口を開いた。
「CM出演が嫌なんだな?」
「そ、それが~、断り切れない事情があるらしくて…。出るのはオッケーしたんですが、マリアンジェラと一緒なんですよね~。」
「マリーと出るのが嫌なのか?」
「いえ、大丈夫です。気の迷いでした。僕が悪いんで、さっさと学校に行って、後でアンジェラに謝ります。では、ごきげんよう。」
僕は、猛ダッシュで自室に駆け込み、そのまま寮に転移した。
もう、なんだよアンジェラ、話がこじれちゃうだろ!もう。
その日はボーッとしたまま一日を過ごし、午前中の授業で出た課題を昼休みに終わらせ、学校が終わったら、速攻で家に帰った。
クローゼットの中に転移した。
そのままバスルームに行った。誰もいない。
シャワーを浴びて、パジャマに着替えた。子供部屋を覗いた。
子供たちは寝ているようだ。
そーっとダイニングに行った…。誰もいない…。怒ってるのかな…。
はぁ、お腹すいた…。冷蔵庫を開けた、フルーツくらいしかない。
僕はベッドに直行して、寝た。疲れていたのか、すぐに眠りに落ちてしまった。
多分その直後だと思う。後ろから、強く抱きしめられた。
く、苦しい…。これは抱きしめられていると言うよりは、プロレスの技だ…。
やっとのことで抜けて振り返った。
「何すんだよ、アンジェ…?」
そこには、ぷんすかぷんすか怒っているマリアンジェラがいた。しかもでかい。
「マリー、何怒ってるの?」
「私のチューが嫌で家出するなんて最低。」
あぁ、面倒な扉を開いちゃったな…。
「チューが嫌だったんじゃないよ。」
「じゃあ、どうして逃げたの?」
「そ、それは、マリーがあまりにもかわいくて、好きになっちゃいそうだったから、恥ずかしくなってさ…。」
「え、じゃあ元々好きじゃなかったってこと?」
「いやいや、大好きだよ。」
そこにアンジェラが来て厳しい口調で言った。
「マリー、今すぐ元に戻りなさい。」
「はーい。」
マリアンジェラが元の大きさに戻ったのをアンジェラが抱っこして子供部屋に連れて行った。
ふぅ、あのマックスの大きさで技かけられると冗談抜きでやばい。
アンジェラがすぐに戻って来て言った。
「ライル、ちょっとアトリエまで来てくれ。」
あ~、怒ってそう。やだな…。アトリエに入って、すぐ、僕は謝った。
「アンジェラ、ごめん。恥ずかして逃げた。」
アンジェラが、こっちを見て、ニヤニヤしている。
「私は怒ってなどいないよ。」
「え?」
「今、オンラインミーティングをしていたんだ。」
「は?」
「お前のCMの撮影日、明日になった。」
「マジ?何、その昨日聞いて明日とかいうの…。」
「ちょっとこっちに来て、一緒に参加してくれ。」
僕は慌ててパジャマから服に着替えて戻ってきた。最初に言ってよ、もう~。
ミーティングの相手は、そのCMのプロデューサーとアンジェラの会社の撮影スタッフだった。撮影スタッフと機材をアンジェラの会社から貸し出して、監督だけそのプロデューサーがやるらしい。たまたまその人がスペインに滞在しているらしく、スペインにいる間に撮影したいんだとか…。
撮影はスペインの以前旅行したアンジェラの持っている島のホテルの周辺らしい。
ローマのスタッフが朝一で移動して現地に午前10時集合、撮影は3時間~5時間。
有名高級ジュエリーブランドのティーン向けアイテムのCMらしい。
髪は切らなくてもいいのか聞いたら、そのワイルドな感じがいいと言っていたとのことで、ちょっと安堵した。
しかし、こうもスピーディーに段取りされると怒ってることも忘れちゃうよ…。
マリアンジェラはちゃんとできるんだろうか…。
オンラインミーティングを終えて、アンジェラがアトリエの冷蔵庫に入れておいた僕の晩御飯を出してくれた。隠してたのか???
「食べ物がないかと思った。」
「最近、マリーの食欲が異常で、冷蔵庫に入れておくと夜中に無くなることがあるんだ。」
「大きくなってる反動じゃないの?」
「そうかもしれないな…。」
今日の晩御飯は…グーラッシュののったフィットチーネと、チキンのサラダだった。
電子レンジで温めて食べた。
ダイニングに移動し、僕がパクパク食べていると、アンジェラがじーっと見ている。
「何?」
「いや、別に…。」
「何?」
「いや、別に…。」
「だから、何よ。言いたいことあるなら言ってくれよ。」
そうしたらいきなり、アンジェラが僕のそばに来て、口の横についたソースを舐めた。
「ん、んんっ。にゃにふんだにょ。(なにすんだよ)」
口の中のパスタを噛まずに飲み込んでしまった。プシューっとなってリリィになった。
アンジェラは嬉しそうに僕の頭を撫でている。くそ、まるで切り替えスイッチみたいになっているのが悔しい。
ベッドに入ってから、アンジェラに今日あったことを話した。
父様が抱きついてきて家出したと心配してたことや、何があったのかすごくしつこく聞いてきたこと…もしかしたらアンジェラにも何か言ってくるかもしれないし…。
あと、寝ぐせがすごくて直そうと思ったら寮の洗面台にブラシも何も用意していなかったことも…。
アンジェラは僕が話すこと全部に頷いて聞いてくれてた。
気が付いたら、僕はとっくに夢の中だった。疲れてたんだと思う。
今まで引きこもりに近い生活だったのに、毎日サッカーしなきゃいけないし、バタバタしてるからな。




