207. ライルとライナ
その男の子は過去の僕だった。多分三歳になったばかりの僕。
彼は、自分の部屋の上の空き部屋に時々入っては、椅子の上に膝立ちし、外の景色を眺めていた。そうだ、今回の僕は生まれた時から覚醒しているんだった。
何かの拍子に時間を進ませてしまったのかもしれない。
本人には自覚がないようだが、自分で来れたのだから、戻ることもできるはずだ。
小さいライルは不思議そうな顔でそこにいる人たちを観察していた。
すごく背が高い髪の毛が黒いかっこいい大人のおじちゃん。
そのおじちゃんをパパと呼ぶ、目が大きくて、白くてキラキラの髪の毛の僕より小さい女の子。髪の毛も目もお父ちゃまと同じでやせている色の白いお兄ちゃん。
そして、髪も目も茶色のそんなに背が高くない普通のおばちゃん。
「ライル?」
未徠がその子に声をかけた。
「ねぇ、おじいちゃま。おやつ食べたい。でも、かえでさんがいなかったから、ここでお外見てたのよ。あっちから帰ってきたら、見えるから。それとね、遠くから僕のこと呼ぶ声も聞こえたの。」
どうしたものか…。早く帰らせた方がいい気もするが…。そこでマリアンジェラが、急にアンジェラにクネクネしながらおねだりを始めた。
「パパぁ、マリーもおやつぅ~たべたぁい~。」
未徠が徠神のお店のケーキならサロンにあるというので、そちらに皆で移動した。
これ、大丈夫なんだろうか…帰る気無さそうというか、自覚して無さそうだし。
パクパクとケーキを食べながら、小さいライルがマリアンジェラに聞いた。
「ねぇ、どっから来たの?うちのしんせき?」
「あ、うん。イタリアに住んでる、しんせき。」
「ふ~ん。僕、ライル。君は?」
「マリアンジェラ。マリーって呼んでいいよ。」
「そっちの大きいおじちゃんは?」
アンジェラ、苦笑いをしながら、一応返事をした。
「私はアンジェラ、マリーの父親だ。」
「ふ~ん。で、こっちのお兄ちゃんは?」
「あはは、僕はライルだよ。」
「へぇ、同じ名前だね~。で、そっちのおばちゃんは?」
「あ、あの私は…」
そこで、マリアンジェラが言葉を遮った。
「ライルのおかあさんよ。北山留美さん。」
「え?僕の?本当に?」
「本当よ。ね、北山先生。ちょっとこっちにいらっしゃいよ。」
マリアンジェラ、まるでどっかのおばちゃんみたいな話し方だ。
留美を小さいライルの側に呼びつけ、ケーキを食べ終わった小さいライルに椅子から降りるように言うと、マリアンジェラがアンジェラに何か耳打ちした。
アンジェラが苦笑いしながら小さいライルの脇を後ろから掴み、北山留美の目線の高さにして目の前に突き出した。
「まずは抱っこよ。」
留美は一瞬戸惑ったが、小さいライルを受け取った。
「おかあちゃま?」
首をかしげながら確認する小さいライルに、留美は頷きながら涙を流していた。
僕は、黙ってその場を後にした。イタリアに戻り、ライナを連れて戻ってきた。
マリアンジェラがそれに気づいて駆け寄ってきた。ライナの手を取り、留美の側に行った。小さいライルがライナを見て首をかしげる。
「この子もしんせき?」
「そう、正解!ライルの双子の妹、ライナだよ。」
アンジェラがライナの脇を掴み、持ち上げ、小さいライルの横に寄せ、留美に渡す。
「ライナ?僕、お兄ちゃんだったんだ。えへへ~。」
小さいライルがライナにハグした。留美は二人を抱きしめ泣いていた。
小さいライルは、ライナにもケーキを食べさせると言ってお皿とフォークを取りに行った。ケーキを食べているライナを見て、小さいライルが嬉しそうに言った。
「毎日会いに来てくれる?僕、一人でつまんなかったんだ。」
ライナが黙って頷いた。
「おかあちゃまも、毎日会いに来てくれる?」
留美は大声で泣き始めた。マリアンジェラが突っ込みをいれた。
「会いに来たのはあんたの方よ。」
「ほえ?だって、ここ僕の家だよ。」
そこへ、普段家にいる時間でもないのに、徠夢が帰宅し、話し声を聞きつけサロンに入ってきた。
「おとうちゃま~、おかえりなさい~。」
小さいライルが徠夢に駆け寄って飛びついた。飛びついて顔をぐりぐりこすりつけている。徠夢が、固まっている。状況が把握できていない様だ。
小さいライルが、急に説明を始めた。
「おとうちゃま~、僕はおとうちゃまから生まれたと思ってたんだけどね~。ちがったみたいだよ~。今日からね、毎日おかあちゃまとライナが会いに来てくれるんだって。すごいでしょ。ね。」
「あ、あぁ。すごいな。ライル、お前今何歳だ?」
「昨日、かえでさんがお誕生日だよって三歳になったって教えてくれたから、三歳。」
ちょうど11年前から来ているらしい。
「ねぇ、ライル。昨日お祝いしてもらった?」
マリアンジェラがぼそりと聞いた。
「え?お祝いって?昨日はおじいちゃまとおばあちゃまは用事があっていなかったし、おとうちゃまはしばらくお家に帰ってきていなかったから、かえでさんと二人だったの。」
留美はそれを聞いてまた泣き崩れた。
「あんた、マジ最低ね。」
マリアンジェラが徠夢を指さし、とどめの一言を言い終わったとき、ライナが僕のところに戻って来て抱きついた。
「お家に帰りたい。」
はぁ…やっぱりダメかぁ。ライナが小さいライルにつられて留美や徠夢に懐くかと思ったのだが、そう簡単ではない様だ。
「えー、ライナ、もう帰っちゃうの?じゃ、僕も行ってもいい?」
小さいライルが言いだした。
「それは、ダメだろ。迷子になっちゃうかもしれないからな。」
アンジェラにそう言われて、口を尖らせる小さいライル。
「ライル。」
「「ん?」」
父様の呼ぶ声に小さいライルと僕が同時に返事をしてしまった。
アンジェラとマリアンジェラがにやけている。なんか、この父子は性格が似ている。
「あ、あの小さい方のライル、ここはね、いつも暮らしているのよりずいぶん後の時間だからね、元の時間に帰らないと皆心配するだろ?」
「ふ~ん、だからあちこちの物が違うの?」
「帰り方わかるのか?」
小さいライルは少し残念そうな顔で黙って頷いた。
「じゃあ、明日の二時にまた来ていい?」
「わかった。おやつ、用意しておくから、ライナも来なさい。」
未徠が言うと、ライナはもじもじと僕の後ろに隠れた。
「じゃ、僕帰るね。ライナ、また明日ね。」
小さいライルは走って三階の僕の部屋の窓際の椅子の上に膝立ちし、開いているカーテンを掴んで閉じた。
彼の体は金色の光の粒子に包まれて消えて行った。
翌日から、日本時間の午後二時にリリアナがライナを連れて朝霧邸を訪問するようになった。帰りはメッセージで迎えに来て欲しいと連絡が来てから行くことになった。
時々マリアンジェラとミケーレも一緒に訪問した。
親子関係のリハビリの様な日々が続いた。




