202. 出生の詳細(2)
4月12日日曜日。
昨夜、日本の朝霧邸で留美の過去の記憶を詳細に取り出して確認したが、本人には双子を出産した認識も記憶もなかった。
かなり状況の悪い中で、一度も病院を受診せず当時住んでいたアパートで出産し、助産師見習いが手助けをしたのが分かっただけだ。
当時の記憶から、妊娠に至った経緯さえ自覚が曖昧だとわかった。
そのあたりは何か暗示をかけられて不本意な妊娠だったのかもしれない。
自分が当事者という事実から考えると、ますます落ち込む話だが…。僕が落ち込んでは、ライナに失礼だな…。
お爺様とお婆様から、留学当時留美がルームシェアしていた人物についての情報を待っていたが、全く手がかりがないと連絡が来た。
そもそも、当時の留美の周りの事を探るような話を出すのがはばかられるというのは正論だ。仕方がないので、アンジェラと共にドイツにある探偵事務所の様な会社に調査を依頼した。まずは、ルームシェアをしていた人物の特定とその従妹の現在の状況を調べてもらう。
調査には少し時間を要した。留美が当時留学していたのは、オーストリアの音楽学校であるとわかった。ピアニストを目指していたらしい。
どうやら、入学するのがとても難しい音楽大学に入学でき、奨学金をもらっていたようだ。そのため、どうしても途中であきらめることができなかったらしい。
結局のところ、大学卒業と同時に日本へ戻り、教員になるのだが、ピアニストにならなかった理由はわからない。
当時の音楽大学で一緒だった人を辿り、ルームシェアしていた女学生はリンダ・クラインベックだとわかった。彼女は現在地元ドイツの実家近くの町で音楽には関係のない幼児教室の先生をしているらしい。
そして、彼女の従妹で当時助産師見習いをしていた人物は、デリア・シュティール。デリアはリンダの母方の従妹で、彼女は現在、ドイツの少し大きな市の産婦人科で助産師として働いているようだ。
アンジェラと相談して、デリアへの接触方法を考える。
「ただ訪ねて行くのはちょっと無理だと思うんだよね…。」
「ライル、私はいい方法を思いついたぞ。」
「え?なに、なに?」
「結婚五年目で、次の子供を考えているのだが、なかなか妊娠しないってのはどうだ?」
「え?まだ早いよ。二人でいっぱいいっぱいだし。」
「ライル、ふりをするだけだよ。」
「…。あぁ、ふりね。ふり…。」
子作り宣言でもされたかと思って赤面してしまった。僕のその様子を見てアンジェラが僕の顎をクイッと上げ目を見つめて言った。
「本当に作ってもいいんだぞ。ん。」
「やめてよ~、その無駄にセクシーな顔で見つめるのは。もぉ。」
僕はやり場のない恥ずかしさでお腹が痛くなった。
最初からだいたいのセリフを考え、不妊治療のカウンセリングと言う形で産婦人科を訪問することになった。
不妊治療を受けるには、まだまだ若い夫婦なので、怪しまれないように気を付けよう。
僕はリリィになり、まずは病院に電話をかけ、カウンセリングの予約をした。その際、いい助産師だと噂を聞いたのでデリアさんという方とも会ってみたいと伝言した。
予約は約三週間先の月曜日の午後になった。こういう病院は最近は混んでいるのだろうか…。
ライナは相変わらず僕以外には懐く様子もなかった。
リリィになった僕とリリアナは外見はほぼ同じなのだが、ライナはリリアナには心を許さず、触られることを嫌がった。
赤い目で命令しているからか、アンジェラの言うことはよく聞いたが、好意的ではなかった。
そんなある日、アンジェラがマリアンジェラを連れて洋服のデザイナーさんのところにお誕生日パーティー用のドレスの採寸に行った日のことだ。
ライナは子供部屋に引きこもり、ミケーレは僕にべったりくっついて甘えていた。
「ねぇ、ライル。ママになってぇ。」
「ママがいいの?」
「うん、今日はママがいい。」
僕はリリィになった。ミケーレがこういうことを頼むのは珍しい。
「どうしたの、ミケーレ。甘えん坊さんだね。」
ソファに座り、ミケーレを膝にのせ抱き寄せておでこにキスをすると、目をキラキラさせて見上げる。めちゃくちゃ、かわいい。
「ねぇ、ママ。ミケーレとパパ、どっちが好き?」
うわ、出た。幼児あるあるだ。超面倒なやつ。
「どっちも大好きだよ。でも種類の違う大好きだからな~、比べられないなぁ。」
「そうなの?種類違うの?」
「そうだよ~、うまく説明できないないけど、種類が違うんだよ。ミケーレだって、パパの事大好きでしょ?」
「うん、大好き。だって、パパいなかったらママに会えなかったもんね。」
「…ははは、そうだね…。」
僕の頭の中では徠人の生まれ変わりのミケーレだが、過去を変えたことで、ミケーレが生まれる前の徠人は、五歳で死亡しており、彼の前世での僕に対しての想いや情報はないはずだ。ところが、ミケーレが意外なことを言いだした。
「ママ、僕ね時々夢で見るんだ。僕がね、パパにそっくりの大きなお兄ちゃんになって、まだ小さい子供のライルと犬のお散歩したり、ベッドで一緒におねんねしたりするの。それがね、すごく楽しくて、ベッドでぎゅってしたまま離れたくないなって思うの。でもいつも目が覚めると夢だってわかっちゃうんだ…。」
「くっ…徠人…。」
「え?ママ、今なんて言ったの?夢の中で小さいライルがいつも僕のこと呼ぶときにミケーレじゃなくて、『ライト』って呼ぶんだ。」
僕はもう涙を止められなかった。実際にあったことだ。なかったことになんてできない。でも、それを夢で見させるなんて、ある意味、残酷だ。
「あとね、ベッドで裸のママとチューしたりする夢も見…」
ミケーレの口を思わず手で押さえた。僕の涙を返せ。
「それ、絶対パパに言ったらダメだよ。本当は全部、記憶あるんでしょ…。」
ミケーレは可愛いウルウルの目をこっちに向けて、僕の手を口から離して言った。
「言わないよ~、アンジェラ怖いもん。」
ゲッ。やっぱり、全部覚えてるな…。
「どうして、五歳で死んだことになっちゃったんだろうね?」
とか、あどけない顔で言われて、返答に困る。まぁ、本当にかわいい息子であることは間違いないのだ…。できれば、言わないでほしかったな…。
突然、ミケーレが僕に予想外の質問をした。
「ねぇ、ママ。あの子って誰なの?」
「え?あの子?」
「あっちのお部屋にいる小さい子。」
「あぁ、ライナね。まだ調べている最中だから、全部わかったら教えるつもりだったんだけど、前の事全部覚えてるなら話しておいてもいいかな。」
「うん、それで?」
否定しないんだな…。まぁ、いいか。知能が大人レベルなら遠慮せず教えてやろう。
「あの子は、僕の双子の妹らしい。」
「え?ライラなの?」
「やっぱり全部覚えてるんだね…。僕もライラかと思ったんだけど、ちょっとまだ断定するのは早いかもしれない。元々ライラは僕の脳内にあった腫瘍に朝霧鈴の腹部にいたライラの核が憑依したものだったはずだ。」
「そうだったんだ…。怖いね。」
「多分だけど、あの子、ライナは元々僕の双子のオリジナルだと思う。ライラに接触していないからね。」
「あの子、どうなるの?」
「まだ、わからないよ。でも本当の親のところに帰った方が幸せかもしれないし、そうじゃないかもしれないからね。それをアンジェラと考えている最中なんだ。」
「ふぅん。でもそんな子がなんでケーキ泥棒になったりしてここにいるの?」
「孤児院の前に捨てられていたそうなんだ。その経緯を調査中なんだよ。」
「…。捨てられた…。」
ミケーレの顔が曇った。ちょっとショックだった様だ。
「やさしくしてあげてよ。うちにいる間は…。ね。」
「うん、わかった。」
そう言って、ミケーレは僕の膝から元気よく飛び降り、走ってどこかに行ってしまった。はぁ…、なんだか今後ミケーレの事を意識しちゃいそうで嫌だな。
そういえば、立ち居振る舞いにしても何にしてもマリアンジェラの豪快な子供っぷりと比べると冷静で大人っぽいところがあった。
少しして、アンジェラとマリアンジェラが帰ってきた。
お土産のケーキを買ってきたようだ。
マリアンジェラが勝ち誇ったようにケーキの箱を両手で持ち上げて見せびらかす。
「ママ、見て。今日はあそこのピンクの壁のケーキ屋さんで、タルトを買ってきたのよ。」
「おかえり。なんだかずいぶん大きな箱だけど、いっぱい買ったの?」
「もちろんよ。うち、人数多いもの。」
鼻息を荒くして、ダイニングテーブルに箱を置こうとしてぐらついている。
このアホさが、なんとも言えず、かわいい。
「今、アホとか思わなかった?」
マリアンジェラが僕を睨みつける。
「え?思ってない思ってない…かわいいなって思っただけ。」
「そう?ならいいけど。」
心も読めるのかもしれない…正直、うちの家系で最強なのはマリアンジェラだ。
マリアンジェラはミケーレを探しに行ってしまった。
アンジェラが着替えてキッチンに入ってきた。
「おかえり。」
「ただいま。今日はリリィなのか?」
「あ、ミケーレにママがいいって言われてね。」
「甘えたいんだな…。」
「まぁ、そうかもね。」
マリアンジェラがミケーレを連れて戻ってきた。
「ママ、ミケーレがあっちの部屋に入ってたんだよ。」
「いいでしょ、別に。」
ミケーレが口を尖らせて言った。何だか雰囲気が怪しい。
「どうかしたの?」
「なんでもない。」
アンジェラが二人に声をかけた。
「さぁ、二人ともおやつの前に手を洗っておいで。」
「「あーい。」」
二人が手を洗っているときに、ドアの陰から視線を感じてそちらを見ると、ライナが覗いていた。
「あ、ライナ。こっちにおいで。一緒にタルトを食べよう。その前に手を洗いに行こうか…。」
僕が声をかけると、スッとドアの陰に隠れる。
僕はライナの後を追いかけ、そっと捕まえて、抱っこした。
「ほら、手を洗おう。」
僕はライナの姿を見て、ぷっと吹き出してしまった。
大きな青い薔薇の花が頭のてっぺんにパッチンクリップで留めてあったからだ。
「ライナ、ミケーレにお花つけてもらったの?」
ライナが無言で頷いた。
「そう…かわいいけど、ちょっと横にずらそうか…。そうしたらもっとかわいくなるよ。」
洗面台の前で、いつものツインテールをほどいて、両サイドを編み込みにして、後ろでまとめ、右耳の上に薔薇をつけなおす。
「ほら、かわいくなった。」
ライナがちょっと頬をピンクにしてうれしそうに笑った。
「じゃ、みんなと一緒にタルトを食べよう。マリーが買ってきたんだよ。」
無言のライナを抱きかかえたままキッチンへ移動する。
ダイニングテーブルにアンジェラと子供たちが座り、小皿にタルトを取り分けていた。
逃げられないように、抱っこしたまま椅子に腰かける。
アンジェラはライナの分をお皿に盛り、僕たちの前に置いてくれた。
「食べていいよ。」
すでに食べ始めている子供達をチラッと見て、そーっとフォークを手に取る。
マリアンジェラは一個目を完食して、アンジェラに二個目を取ってもらっている。
「これ、やばウマ。」
マリアンジェラの言葉に、反応したのか、ライナもフォークでつついてタルトを食べ始めた。フォークをうまく使えないようだ。
僕は、ライナのフォークをライナの手ごとそっと掴んで、タルトをフォークで一口分すくい取り、彼女の口元に運んだ。
「あーん、して。」
素直に口を開けたところにタルトを入れて食べさせる。
もぐもぐ食べ、こちらを見上げるライナ。残りのタルトも同じように食べさせた。
食べ終わり、お皿を片付けるため膝からライナを下ろす。
いつもなら秒で走り去るところだが、今日はそこに立ったままこちらを見ている。
「どうしたの?ジュース飲みたい?」
一瞬考えて、頷いたライナにアンジェラがジュースを出してくれた。
固まったままのライナを椅子に座らせて、ジュースを手に持たせる。
「はい、どうぞ。」
ちびちびジュースを飲み始めたライナにミケーレが話しかけた。
「ねぇ、お外で遊ぶ?」
キョトンとしたライナが、こっちをちらちら見ている。
「一緒に遊んでおいで。そこの、サンルームから見えるところしかダメだよ。」
「あーい」
ミケーレはそう返事をすると、ライナの手を取って引っ張って行った。
さっきの花といい、これといい、ミケーレはライナがかわいそうだと思って気をつかっている様だ。
マリアンジェラがお昼寝をし始めて、アンジェラと二人きりになったので、さきほどのミケーレとの話を耳に入れた。
ライナが誰か聞かれたこと、僕の妹である可能性が高いこと、そして捨てられたらしいと話したこと。
その後でミケーレがライナに気をつかっているのだと…。
アンジェラはそれで薔薇がつけられていたのか…と微笑みながら言った。
着けなおす前の状態を見せたい。あぁ、見せたい。
「アンジェラ、ちょっといい?」
側によっておでこを触ろうとしたら、勘違いされてキスされた。んんっ。
まぁ、これでも記憶は渡せるけど…。長いな、キスが…。
「ぎゃはははは…。」
キスの途中でアンジェラが笑いだした。見えたんだね、さっきの薔薇の画像が…。
「まぁ、そんなわけでさ、ミケーレがちょっとライナに興味を持っているらしいんだ。」
「そうか…。で私たちは、アンドレに子供たちを頼んで、ユートレアに行くって言うのは、どうだ?」
「え?どうして?」
「そ、それは…。」
アンジェラが赤面する…。
「やだ、もう。昼間っから…。」
僕がライルでいる時間が長いのが残念と思っているのはミケーレだけではなかったようだ。僕はライルの姿に戻った。
三週間が過ぎ、今日は予約していたドイツの産婦人科の不妊治療のカウンセリングを受ける日だ。夕方帰宅するとアンドレとリリアナと乳母たちに家を任せ、まずユートレア城に転移した。そこからは、運転手付きの車で送ってもらう。
病院に着き、受付を済ませると、待合室も完全個室の様で、誰もいない部屋に通された。ソファに座ってしばらく待った。
「セレブ向けの病院らしいぞ。」
アンジェラが言った。
「そうだったんだ…。知らなかった。」
そこへ、医師と看護師、そして、看護師とは少し違う制服を着た女が入ってきた。
全員女性だ。
「わぁ、本当にアンジェラ・アサギリさんなんですね。」
女性の医師がそう言って診察するためのデスクの前に置いてある椅子に移動するように促した。僕たちはそれに従い、椅子に座る。
「現在の奥様の年齢が、25歳ですか。で、ご主人が29歳…。ってずいぶんお二人とも見た目が若い気がするんですけど…。」
「そ、そうですか?」
医師の鋭い指摘にちょっとまずかったかな…と思う。アンジェラ年齢不詳で売ってなかったっけ?
「結婚四年目で、お子様がお二人…と。まだ不妊治療には早いのではないかと、思いますけどねぇ。何か理由でもあるんですか?」
「実は、もう二人は付き合い始めてから十年経っているんです。彼女が成人するまで結婚を待っていたのですが、早く家族が増えたらいいな、と思っているのに次がなかなかできず…。」
「なるほど…。わかりました。それでは、もし治療を開始されるのであれば、こちらに記入して書類を出してください。」
そう言って数枚の申し込み用紙を渡された。そこで、すかさず僕が質問をする。
「あの、デリアさんって助産師さんが、評判だとお聞きしたのですが…。」
「あ、デリアですね。」
そう言って、一番後ろにいた女性を前に来るように指示した。
「ありがとうございます。私がデリア・シュティールです。」
「よろしくお願いします。」
そう言って握手を装い手を出した。デリアも手を出し、握手をした。
記憶を最大限取り込む、特に15年前を意識して。
「では、わからないことがあったらいつでも受付の方に電話でご連絡して下さい。」
「はい。あ、最後によろしいですか?」
僕は三人にまっすぐ目を向け、赤い目で命令した。
「今日、僕達に会ったことは僕たちがこの部屋から出た瞬間に忘れて。アンジェラの年齢や話の内容も全部忘れて、書類を破棄して。」
三人の目に赤い輪が浮かんだ。
「さ、行こ。」
二人で、さっさとその場を後にする。
待っていた帰りの車に乗り込み、さっき取り込んだデリアの記憶をアンジェラに渡した。
「な、なんてことだ…。」




