154. ライルの父(後編)
三十二歳の徠夢には懐かしい思い出をもう一度繰り返している程度の感じではあったが、二十九歳の徠夢にとっては、目まぐるしく異常なことが次々と起こる日々を過ごしていた。
ライルが拾ってきた仔犬が人間の子供に変身したり。
ライルが白い蛇を拾ってきたり。
担任の北山先生の犬に飛び掛かられて気絶して半日も目が覚めなかったり。
しかも実は、北山先生の体内に転移していて拉致事件を解決していたと告白されたり…。
そして、ライルの夏休みが始まって数日したころだった、たまたま家で話題に出た朝霧家にまつわるおとぎ話の事を知りたいとライルが言いだし、市の資料館にかえでさんに連れられて行った。
その後、いつの間にか子供の姿になってついて行ったアダムが血相を変えて戻ってきたかと思ったら、ライルが消えたという。
僕は、鏡の中の自分に聞いた。
「何が起こってるのか教えてよ。」
鏡の中の三十二歳の僕は、『三時間後に池にドボンって戻ってくるよ、先祖を連れて。』
と言った。
とりあえず、アダムをなだめ、三時間後に池の前で待っていたら、本当にドボンと音がして、二人が落ちてきた。
ライルとアズラィールだった。最初は日本語を話せない様子だったが、ライルが記憶と情報と言語がどうのと言って、その子は頭に手をあてると瞬時に日本語を話せるようになった。僕を父親と間違えるほど、父親は僕に似ているらしい。
市の資料館で見た展示の中の写真立てに触ったら、過去のドイツに行ったと言っていた。
にわかに信じがたいと思ったが、どこからどう見てもライルと同じ顔だ。
そして、地下書庫に彼の写真があるとライルに言われ、確認した。
それは、実在していた。これからその子が行く先で起こることが、朝霧家のおとぎ話になっているのではないかと言う。
うちにいる間に二人は本当の兄弟のように仲良くなった。
そして、三日後に落雷と共に彼はいなくなった。
それからだ、地下書庫にあった先祖が残した資料や品物の中にアズラィールが着けていた首飾りがあった。それを触ったらライルが消えて居なくなってしまった。
僕はまた、鏡の中の自分に聞いた。
彼は心配しなくても戻ってくると言った。ライルはすぐに本当に戻ってきた。
でも、今度はたまたまアズラィールが怪我をしたときの血が付いたハンカチがないかと言う。わけもわからず洗濯ものから出して渡すと、それを触ったらまた消えてしまった。
そんなに時間がかからず戻ってきたライルが言うには、朝霧家のおとぎ話はライルがやった癒しの能力だったということらしい。
朝霧家の娘も治したらしいが、意識を失った体を残して過去の人物に入り込むなど、自分が今三十二歳の自分を中に入れたまま生活しているという事実がなければ、到底考えられない。実際、その三十二歳の僕が目の前にいて、砂のようにサラサラと崩れ僕の中に入ってくるのを見ていたからこそ、現実として受け止められるというものだ。
三日間も眠り続け、やっと意識が戻ったライルはけろっとした顔で言った。
その後も僕の弟の徠人の居場所を突き止め、助け出したり…。
三十二歳の僕としては、ここからは、元々体験したことと全く変わらなかった。
すでに杏子の姿はなく、彼女の存在があるかないかの違いくらいしかなかった。
もちろん、この時二十九歳の僕は、ライルに対して誰が見ても世界で一番ライルの事を愛している父親だと自信を持って言える対応をしてきたと感じていた。
しかし、せっかく父親のやり直しをさせてもらっていたのに、同じ過ちをしてしまった。
それは、血縁者を助けるために犠牲になったライルが、戻ってきた後にアンジェラと一緒にいることが多くなり、ついには女性になってしまったことに起因する。
そして、アンジェラと結婚すると言い家から出てアンジェラの住むイタリアに行ってしまった。
三十歳になっていた徠夢だが、ライルが寂しさを補えるものが用意できなかった。
三十歳を過ぎて、自分の事を『僕』というのはやめた。
ライラは出現していたが、自分の子供という認識は全く持てなかった。
そして、クリスマスパーティーに来たライルに「早くもとに戻れ」と言ってしまったのだ。
ライルはショックから、半年以上昏睡状態になった。
自然とライルの足は私の元から遠のいた。
言っちゃいけないと思っても、どうしても気になった。
わずか十歳の男児が、いつの間にか親戚の男にかっさらわれてしまった。
前世で深いつながりがある二人だと、前世の記憶を見せられて説明されても、どうしても納得がいかなかった。
私はライルを、息子をあきらめたくなかった。
徠人が行方不明になって半年が過ぎ、母がライルに救出されたと言って、家に戻ってきた。彼女は自殺だと聞いていたのに、これも由里教授の仕業だったらしい。
徠人は結局、自殺の傷が深かったのか、衰弱して死んでしまったが、
ようやく、ライルが昏睡状態から戻ったと聞いたが、いくら連絡しても応答してもらえなかった。悲しくて、悔しくて、寂しくて、それでも増えた家族のために働いて、なんだか自分の存在が何なのかわからなくなり空しくなった。
そして、私の両親が急にイタリアに航空機を使って言った理由がライルの出産だと知って、またしてもショックを受けた。
両親が主催する、ライルの子供の一歳の誕生パーティーの当日になった。
アンジェラと子供たちの楽しそうな姿を見て、腹が立った。
自分の思いを伝えたくて、地下の書庫に呼び出した。
私は、その前日に鏡の中のもう一人の自分に言われていた。
『手を出すな、それが原因でリリィが死ぬ。絶対にやめてくれ。』
手は出さない。でも思いは伝えたい。
地下書庫に先に行き、椅子に座って待った。
ライルはアンジェラと子供たちまで伴ってやってきた。
「ライル、私はお前にこの家に帰ってきてほしいんだよ。」
「父様、それは無理だよ。私には今、家庭があるし、アンジェラも子供達も大切なんだ。ごめん。」
「私の事は大切じゃないと言いたいのか。」
私は多分その時、ひどく醜い顔をしていただろうな…。
ライルの恐怖にゆがむ顔がはっきりと見えた。
そして、ライルはその場に倒れこんだ。『心筋梗塞』だった。
すぐに救急車で病院に運ばれたが、後から病院に追いかけた時には、すでに心停止していた。
私は本気で後悔した。
以前にもあったではないか、「早くもとに戻れ」と言っただけで半年以上昏睡状態になるほど、繊細で弱い心の持ち主だとわかっていたはずだったのに。
目の前でマリアンジェラがライルの体を持ち去った。
涙が止まらなかった。
次の瞬間、マリアンジェラが私の涙を瓶に集め始めた。
その時、マリアンジェラは僕の手を取り小鳥を乗せた。
『おわりのときには、小鳥が飛んでどっかに行っちゃうから、目をつぶって三十秒くらい経ってから目をあけてね。』
この小鳥のことか…。でも小鳥は腕に乗せられたばかりなのに、その場から飛んでいなくなってしまった。
私は、言われたとおりに目を瞑って三十秒数えた。
そして、目を開けた。




