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147. 過去を知るための旅

 私は、移動する前のライルの部屋で意識が戻った。

 身動きがとれない。天井、壁を少し眺めるくらいだ。

 ドアが開き、誰かが入ってきた。

「ライル様、ミルクの時間ですよ。」

 若い頃の川上かえで(ぎぼ)が、私を抱きかかえミルクを飲ませてくれる。

 私がライルに入っているのか?しかし、なぜ孫に様つけて名前を呼ぶんだ?

 おむつも替えられ、私が入り込んでいる体は眠りについた。


 違う日だろうか、目が覚めて、お尻が気持ち悪いが、泣くのを躊躇しているような感じが伝わってくる。

 一日に何度か、義母がやってきて、ミルクとおむつの交換をしてくれる。

 何日も何日もその繰り返しだった。これは違う世界のどこかなのか?

 わたし杏子はははなぜ現れない?

 二週間ほど経っただろうか、この体の主=ライルであろう者は殆ど泣いていない。

 その日初めて、杏子が部屋に来た。

「ライル~、お目目が大きいのね~。お人形みたいだわ。」

 そう言ってのぞき込んだだけで、去っていった。それからまた、何も起きない日々が過ぎ、ベビーベッドの中で部屋の中の様子を観察するだけの日々を過ごした。

 私の父、未徠が何度か部屋に入ってきて、こっそり抱っこして行った。

 母は一度も来なかった。

 ある日、未徠に何かあったらしい。義母がライルを抱きながら涙を流し言っているのを聞いた。

「旦那様が、車の爆発で亡くなるなんて…。」

 旦那様?爆発?よくわからない。何がどうなっているんだ…。

 どうしてちちは来ない?


 半年ほど経っただろうか、つかまり立ちができるようになった。

 ライルは相変わらず殆ど泣かず、黙って外を見つめていることが多い。

 離乳食を食べられるようになり、食事の時間にダイニングやサロンに移動させられるようになった。

 私がいた。ダイニングで食事をしている。しかし、ライルには無関心だ。

 ちらっと見るくらいで、声もかけない。杏子も同じだ。

 まるで、動物を飼っている程度の関わりだ。いや、それ以下だ。

 私と杏子はまだ学生だ。朝出て行ったら、夜遅くまで帰ってこない。

 それなりに遊んでいた。付き合いもあるから、と思ったが…本当にそんな言葉で済むのだろうか…。私は一度もライルの名前さえ呼んでいない。


「お父様がお出かけになりますよ。」

 そう義母がライルに声をかけた。ライルが手を振った。私は振り返りもしなかった。

 ライルはまるでそこに存在していない様な扱いを受けていた。

 そのまま、毎日が変化なく過ぎていく。

 二歳になるころには、会話もできるようになっていた。しかし、話す相手は義母のみだ。

 しかも、仕事の合間に数分単位でしか時間はない。

 自分で自由に家の中を移動することは可能になっていた。

 ライルはいつも一人で、地下書庫の棚にある絵本を黙々と読んでいた。

 一度読んでもらったら、次は自分で読める。暗記するのだ、義母に時間を取らせないように。義母が杏子の母という感じがしない。杏子は『かえでさん』と呼んでいる。

 何かが違う。私の記憶とは確実に何かが違う。

 ライルが四歳になった。幼稚園に入園したが、入園式に親が来ていないのはライルだけだった。義母が代わりに入園式に出た。

 幼稚園でもライルはひたすら寡黙に過ごした。

「外人」「英語しゃべってみろよ」など、心無いことを言われても、何も言い返しもしなかった。そして、心の中で思っているのがわかった。

『争うのはすきじゃない』『黙ってやり過ごすのがいい』『自分から関わらない』

 そうしてどんどん毎日が過ぎて行った。

 義母が「お父様」「お母様」と呼ぶので、ライルは私や杏子のことを「父様とうさま」「母様かあさま」と呼ぶようになった。

 しかし、一緒に夕食をダイニングでとるようになっても、会話はほとんどなかった。

 参観日や運動会などのイベントも、私と杏子は関心がなく、義母に任せた。

 そんなイベントの時、同じクラスの子にののしられた。

「おまえの母ちゃん、年取ってるな。」

「あれは、お手伝いさんだから。母ではない。」

 初めて、ライルがクラスの子に言葉を発した。お手伝いさん?義母ではなく、お手伝いさんだというのか…。


 あまり変化のないまま小学校に入学した。

 この頃、私と杏子は大学を卒業し、他の動物病院での勤務や、大学の研究室での研究に忙しかった。姿さえ見ることも珍しくなった。

 義母とライルの細い関りだけがライルの生活の中心だった。

 学校では、時々女の子に告白され、それが嫌で逃げ回っているようだった。

 何もすることがないので、本を読んだり、勉強をしているせいか、勉強はとにかくよくできる。人との関わりを持つのが苦手で、どんどん殻に閉じこもっている。

 私達のせいなのか…。

 小学三年の夏休みになった。生活はほぼ変わらないが、ライルは自分に親戚がいないことを不思議に思い、義母に聞いた。

 ライルの祖父や誘拐された叔父の事を聞いて、少し心が揺れたようだ。会ってみたいと思ったのだ。

 ほどなく、地下書庫で先祖の写真を見つけ、自分にそっくりな男の子アズラィールの写真を見つけ興味を持った。そして、義母の買い物について行った帰りに仔犬と出会った。

 親にはぐれた仔犬を放っておけず、嵐の中助けに行った。

 その仔犬を飼っていいかどうかを聞いたのが私との会話で、唯一まともなものだと感じた。


 その後、変な夢を見たり、犬が子供になったり、蛇を助けたりをライルの中ですべて一緒に体験した。蛇のけがを治した時のことは覚えている。

 ライルが朝霧家の伝説について知りたいと言って義母に市の資料館に連れて行ってもらったことは、私も覚えている。

 しかし、その後が衝撃だった。資料館に展示してある写真立てに触っての過去のドイツへの転移、そして子供時代のアズラィールを救い、さらには日本の過去へ転移してしまったアズラィールとりんを能力で救ったことも、日記に書いてあったことがそのまま現実として起こっている。

 私と杏子を交通事故から救った時も、ライルには何の迷いもなく、ただ「救いたい」という気持ちが伝わってきた。


 刑事が訪ねてきた事件、犬に飛び掛かられ、気を失ったときに何が起こっていたのか…、初めて目の当たりにした。

 緑次郎を火災から救い、やさしく言葉をかける。自分の事を顧みず、危険でも相手をただ思いやる、そんなことを繰り返すライルその人になっての体験は、想像以上に私の心をズタズタにした。

 まるで、ライルは死にたがっているか、死に急いでいるようだ。


 徠人を助け、家の中で少しずつ居場所ができ、少し希望のようなものを感じていた時に頭痛や意識の混濁が始まった。

 アンジェラを瀕死の重傷から救い、アズラィールを病から救ったこと。


 宗教団体を隠れ蓑にしたテロリスト、由里拓斗。まさか、教授であり義父である彼が、私たちの命を、いや生贄にするために体を集めていたなんて…。

 そして、杏子までもが裏切っていたなんて…。

 過去のユートレア城でのアンドレとの出会い、大切な人を想う気持ちを隠すことなく全力で守る強さ。悪魔の復活を阻止し、封印の間で皆を助けたこと、力尽きて自分ではない者に体を奪われ、自分が脳腫瘍と化した細胞の塊の中に封じ込められたこと。

 神の慈悲により、時間をかけ細胞の再生が進み、またライルとして戻ってこれたこと。


 戻ってからのアンジェラの献身的な振る舞いに心打たれ、過去のアンジェラを何度も何度も助け、お互いを大切だと思えるようになっていったこと。それは、愛か何かはまだわからなかったが、間違いなく私や杏子との繋がりよりは、深く心地よいものだった。

 そして、いつしか、アンジェラが死なないように自分も生きて行こうという気持ちに変わった。その気持ちがライルの性別や年齢を変えたのだ。


 数えられないくらいの事柄がどんどん目の前をかすめていく。

 家族が傷つかないように奔走し、傷つけられた家族のために復讐も厭わない。

 しかも、女性にならなければいけなかった一番の原因は徠人だった。

 徠人はライルに執着していた。徠人が人生を終えて自分の子供として生を受け親子として愛してあげたいとそう思ったのだ。

 そして、それは現実となった。


 アンジェラと共に、ミケーレとマリアンジェラと過ごす様子はライルの子供の時とは正反対のように愛であふれていた。

 ミケーレとマリアンジェラが一歳になるからと未徠がパーティーを開いてくれた。

 楽しい子供達とのひと時、皆の笑顔、それを、私がぶち壊した。

 今、ライルの目の前にいるのは私だ。何が気に入らないのか、顔を殴られ、真っ暗闇に落ちた。

 暗闇の中で、ライルが呟いた。

『ごめん、アンジェラ。もう僕には無理だよ。』

 息が、苦しくなった。


 周りが真っ白になり、私、朝霧徠夢は孫のマリアンジェラと手を繋ぎ、ライルの部屋で日記を手にしていた。


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