133. 別れ
僕、朝霧ライルは本来、十一歳の小学生の男児だ。
色々なことがあって、生命の危機に直面したり、いろいろな困難に立ち向かったり、すごくたくさんのことが約二年の間に起こった。
現在、僕の魂は叔父である朝霧徠人の体に入っている。
叔父の徠人は僕に執着し、僕を殺して自分も死のうとまでしていた。
でも、彼が僕を殺す前に、僕は自分で自分の人生に終止符を打つことにした。
いくら誰かをを大切に思っても、いくら自分を犠牲にしても、わかってもらえないのであれば、それは無だ。頑張れば頑張るほど、悲しく辛く、心の中は無になって行く。
もう、頑張らなくていい。僕は自分にそう言い聞かせた。
自分のことを大切に思ってくれる人がいることさえ忘れて…。
息をするのも忘れていた気がする。
どれくらい時間が経っただろう。
左を向けば、僕が本来入っていなければいけない体がそこにある。
でも、もう戻るのが怖い。自分の運命や父親と向き合うのが怖い。
堂々巡りの思考を繰り返し、しばらくぶりに目が覚めた。
その時に感じたんだ。もう徠人の体はダメみたいだ。お別れの準備をしてあげよう。
僕が彼にしてあげられる、最後のはなむけだ。
僕は足元に転がっているいくつもの涙の石を拾い、ハンカチで包んだ。
黒い翼の天使は封印の間から外に出た。
そしてアンジェラに電話で伝えた。
「徠人を送る準備をしたいから、未徠と徠夢には家にいてもらって欲しいと伝えて。」
その日は七月二十九日、土曜日。
僕は前回と同じように、リリィの腕に噛み傷をつけ、血を舐めた。
リリィの体の中に入り込むように。
リリィの中に徠人の体ごと入り込んだ僕は、一度イタリアの家のクローゼットに飛んだ。リリィの服を黒のシンプルなワンピースに替えた。
そしてパールのネックレスを付けた。布の手袋をはめた。
靴も黒いものに履き替え、準備が終わったら目的地まで転移する。
そこは、一度徠人に連れて来てもらった、「徠人の墓」だ。
昔、誘拐されて戻ってこなかった徠人をあきらめるために、死んでもいないのに墓を建てたと言っていた場所だ。
そこには、何も入っていないただの墓石があった。そして、三十過ぎのきれいな女性と、ドクター・ユーリがそこにいた。
女性は、ドクター・ユーリに対し叫びながら刃物で威嚇していた。
「あなたが、うちの徠人を誘拐したんでしょ。わかってるのよ。返しなさいよ。」
「ただの馬鹿な女かと思ってましたが、案外鋭いですね。バレては仕方ないですね。
あなたには死んでもらいましょう。」
ドクター・ユーリはそう言って女性から刃物を取り上げ刺し殺そうとしている。
どうやらこの女性は僕のお婆様のようだ。
徠人の話では彼女は自殺したと言っていたが、事実は違ったのか…。
では、躊躇することはない。僕たちを自分の欲望のために使おうとするなど、許せるわけがない!
僕は雷の矢でドクター・ユーリの体を地面に突き刺し、まずは意識を刈り取った。
そして、お婆様に手を差し出し、挨拶をした。
「初めまして、徠夢の子供で、リリィと言います。ここで少し待っていていただけますか?」
お婆様は不思議そうな顔をしたけれど、頷いてくれた。
僕はドクター・ユーリを五百年前のユートレアの封印の間に連れて行った。
そこには石化したルシフェルの亡骸があった。
その中に彼を放置して、僕はお婆様のところへ戻った。
「お待たせして申し訳ありません。徠人が待っています。」
「徠人に会えるんですか?」
「はい。」
僕はあまり詳しくは説明しないようにしてお婆様に目を瞑ってもらい手をつなぎ、現代の朝霧家に転移した。
ホールの真ん中で、皆その時を待っていた。
そこには、リリアナとアンドレと共にアンジェラも待っていた。
僕のお爺様である未徠、そして僕の父親である徠夢、その他の家族が皆待っていてくれた。
お婆様をお爺様のところへ連れて行くと、お爺様は泣き崩れた。
死んで、自分が荼毘に付した妻が生きて戻ってきたのだ、喜ばしいことであろう。
父様が何か言いたそうに僕に近づいてきたがアンジェラがそれを止めていた。
あぁ、僕は今、心を乱されたくないよ。このまま静かにやるべきことをやりたいんだ。
心の中でそんなことを思いながら、次の準備に入る。
「リリアナ、徠人のベッドをここに移せるかな?」
リリアナは無言で首肯して、ベッドをホールの真ん中に移動させた。
お婆様は驚いていたが、皆、いつものことだとばかりに平然としているので、空気に押されて騒ぐものはいなかった。
僕は、自分の中に入っている徠人の体を青い光の粒子として取り出し、ベッドの上に横たえた。すでに魂の抜けた状態の体は、呼吸も心拍もない状態となっている。
僕は徠人の体の上にブランケットをかけた。
お婆様にお爺様が「これが徠人の現在の姿だ」と伝えているのが見えた。
お婆様は動かない徠人に縋りついた。
「ごめん、もう少し待ってて。」
僕はそう言うと、アンジェラをそばに呼んだ。
アンジェラに向き合い、手のひらを胸にあて、強く願った。
「徠人、早く出て来いよ。」
紫色の光の粒子がアンジェラからにじみ出て、やがて直径五センチほどの核になった。
その核はふよふよと空中で揺らぎながら、徠人の体の真ん中辺りに吸い込まれていった。
僕は、ポケットから封印の間で集めてきた涙の石を全部徠人の胸元にぶちまけた。
「ライル、何してるんだ、お前!」
父様の僕を諫める声が聞こえたが僕は無視をした。
僕は誰に説明するでもなく、僕の想いを口にした。
「この石は僕と大天使ルシフェルの涙。悲しみと、苦しみと、喜びと、愛の結晶。
きっと、最後に徠人に少しだけ力を与えてくれると思って、持ってきたんだ。」
そう言って、僕は手袋を脱ぎ、その石の一つを手に取った。
涙がポタポタと流れ、石の上に落ちていく。
涙の石は、次々と僕の涙を吸い込んで、大きくなりながら明滅を始めた。
ある程度の大きさになった石が、徠人の体にめり込んでいく。
青い石が二つめりこんだ、徠人の髪が、元の青黒い藍色へと変化する。
赤い石がめり込んだ、徠人の赤い瞳が、元の深い碧眼へと変化する。
白い石がいくつもめり込んだ、長身の瘦せこけた体が、少しずつ小さくなり、やがて五歳くらいの男の子になった。
お婆様の泣き叫ぶ声が家じゅうに響き渡った。
「徠人!徠人、目を開けなさい。」
僕は、赤い目を使い、半開きの徠人の目を覗き込んで、言った。
「自分のお母さんに挨拶くらいちゃんとしろよ!」
徠人は、二度瞬きをした。そして、母親の方を見て小さい声で言った。
「母さん、ずっと会いたかった。でも、もうこれ以上は無理なんだ。」
徠人は力なく母親の方を見た。そして、少し笑みを浮かべて言った。
「でもね、次はライルが僕のことを一番に愛してくれるってわかってるから。悲しくないんだ。」
「「徠人!」」
お婆様もお爺様も泣き叫んだ。徠夢も。
ちゃんとみんなに愛されてるじゃないか…。それでも、徠人はライルの一番じゃなきゃ嫌だったんだろう。
「ごめんね、もう行くね。ライル、約束忘れないでね。…さ、よ、なら…。」
皆が見守る中、徠人は眠るように息を引き取った。母親と父親に手を取ってもらって。
長い時間をおかずに、徠人の体全体が金色に発行し光の粒子となって消滅した。
そして、体の中心部分にさっきの紫の核が約一センチほどのサイズになりポトリと落ちた。お婆様がそれを触ろうとしたとき、それは眩い光を放ち、僕の腹部へと突進していった。
「うっ。」
「リリィ、大丈夫か?」
アンジェラが気遣い、僕の肩を抱いてくれる。
「うん、大丈夫。だけど、少し休みたい。」
「おい、ちゃんと説明しろ。」
徠夢の空気の読めない言葉が、僕に突き刺さる。




