11. 走れアダム
アダムは走った。とにかく早く家に帰って知らせねば。何回か転び、膝も擦りむいた。血も出て泣きそうだ。
でも、今止まるわけにはいかない。
行った時の半分ほどの時間で家に着いた。動物病院のドアの方に走り、ドアを開ける…。あ、開かない。ドアが開かない。
「うぇえーん。開けてくだしゃい。ライルのお父上~。」
アダムは泣きじゃくってその場に座り込んだ。
カチャ、と音がしてドアの内側から開錠され、ドアが開く。
「あら?ぼく、どうしたの?どこの子かな?」
ライルの母が訪ねるが、アダムはそのまま中に突進して行く。
「あらららら~。」
アダムは昨日入ったライルの父の診察室のドアをバァーンと開け、涙がいっぱい溢れる目を大きく開けたまま叫んだ。よだれも若干流れている。
「たちゅけてくらさい。ライルが、ライルがぁ~。あ~ん。」
ライルの父である徠夢が驚いて口を開けたまま固まっている。
「こんにちは。君は誰かな?ここは動物病院だよ。そしてライルはうちの子だけどね。ライルがどうかしたのかい?」
アダムは、泣きながら犬へと姿を戻す。
「あぁ、アダム。どうして人間の姿になんかなっていたんだい?」
徠夢は意外にも驚かずに、静かにアダムに問いかける。
「し、資料館は犬は入れないんでちゅ。ひっく、なので、なので、人の姿で行ったんでちゅ。」
「それで、ライルがどうかしたのかい?」
「ライルにそっくりな男の子が写ってる写真立てに触ったら、ライルが光の粉になって消えて、消えて…。う、う、うぅううぅぅぅ。うぇーん。」
そこまで聞くと徠夢はやさしくアダムの頭をなで、抱き上げた。
「大丈夫だよ。ライルは強い子だから、おかしなことにはならないさ。」
徠夢はアダムを抱きかかえたまま動物病院を後にして、自宅の地下書庫へと急いだ。
「アダム、今は人間の形の方がいいな。できるかい?」
「あい。」
まだぐじゅぐじゅと泣きべそをかきつつも人間の形になる。
「いいかい、アダム。まず、いくつか教えておくれ。その写真立てにはどんな写真が入っていたんだい?
こんな写真かい?」
徠夢が書庫の棚に乗っている箱を開け、ちょんまげの人と少年の写真を見せる。
「これじゃないの。これも見たけど。違うの。」
「んー、どんなのだったか教えてもらえるかな?」
小さく頷くとアダムは一生懸命説明した。
ドイツの姉妹都市の展示があったこと、その中に魔女として焼き殺された家族の写真が飾ってあったこと。
そしてその写真にライルにそっくりの少年が写っていたのだと。
徠夢は少し考えて、他の箱を漁りだした。
三つ目の箱を漁って、一冊の帳簿のようなものを取り出した。それをパラパラとめくると、徠夢はアダムにわかるように説明してくれた。ライルは写真に写っていた子の所に一時的に行っていること。
そして、三分後か、三時間後か、三日後か、三か月後か、三年後かわからないけど、
三の単位で必ず戻ってくるということ。
戻る場所は、家の裏庭の真ん中にある池だということ。
戻った時に溺れなければ、ライルは大丈夫だということ。
何が何だかわからないけれど、ライルのお父上がそういうのであれば、信じるほかないと心を決め泣くのを我慢するアダムだった。
そこからは、いつもおっとりゆるゆるでスローな徠夢が超速再生状態で活動を始める。
裏庭に人の姿になったアダムを連れて戻り、物置にしまってあった空気を入れる子供用のプール、浮き輪大小3つ、を全てプッシュポンプで膨らませ、ロープで繋ぎ、池の淵に立つ桜の木に括り付けた。
その時間、わずか三分ほど。
徠夢はアダムに優しくせつめいする。
「最初の三分はもう過ぎただろうからね。次は三時間後か、三日後かわからないんだよ。何時に消えたんだい?覚えているかい?」
「えっと。十二時くらい。」
「僕は仕事があるからね。ずっと待っているわけにはいかないし…。とりあえず、三時間後と三十時間後とか、来れるときに来るからね。万が一、それ以外の時に戻ったら困るから、アダムはここで見張っていておくれ。」
「あい。がんばる。です。」
泣きすぎて鼻が詰まっていてはいと言えない。
そこにかえでさんがやってきて、話しかける。
「あら、アダチ様。ライル様もご一緒ですか。そろそろお昼なのですが、お姿がなくて。」
アダム、そのかえでさんの言葉を聞き、涙がちょちょぎれる。
「ん、アダチ?あ、かえでさんライルはちょっと用事を頼んだからすぐには帰ってこないんだ。この子はこれからうちでしばらく預かることになったから、よろしくお願いしますね。」
「あ、はい。お食事は…どうされますか?」
「今日は天気もいいし、裏庭に運んでもらえるとうれしいな。ね。アダム。」
「あい。でしゅ。」
「かしこまりました。奥様にもお伝えしますね。ん?あだむ?」
「お願いします。」
かえでさんが不思議そうな顔で首をひねりながらダイニングへと戻っていく。
「アダム、もう泣くのはおやめ。今は待つしかないのだよ。」
「あい。」
アダムは涙をこらえて、池を睨みつけた。
「顔、すごくこわくなってるよ。くすっ。」
徠夢は笑ってアダムの頭をポンポンとやさしくたたいた。
約五分後、裏庭の池の前。
テーブルとイスとパラソル、そして昼食が運ばれ徠夢とアダムと杏子が食事を開始する。
「徠夢君、その子さっきの子よね?知り合いなの?」
「あぁ、後でライルが戻ったら全部説明するよ。彼はライルのお友達だよ。」
アダムは出された食事を少し口にしながらも不安に押しつぶされそうだった。
本当にライル様は帰ってくるのだろうか?
食事を終え徠夢と杏子は午後二時には仕事へ戻って行った。
その後はアダムが一人、パラソルの下で池の監視作業だ。
何も起きないまま、午後二時五十五分になる、そして徠夢が裏庭に戻ってくる。
「アダム、僕もここで少し待つよ。心配しなくて大丈夫だからね。」
その数秒後だ、ドーンという音と共に池に水柱が2つ上がる。
「きゃあ。」
何も知らない杏子が動物病院の中で悲鳴を上げる。
徠夢は落ち着いたままアダムを従え池の側に駆け寄る。
「ちょっと的は外れちゃったかな。」
小さく笑う徠夢の言葉の直後、池の中から二人の少年が浮き上がり大きく息を吸う。
「ぷっはーっ。げほっげほっ。」
「うぇっ。げほごほっ。」
徠夢はまるで知っていたかのようにさわやかな笑顔でこう言った。
「おかえり、ライル。アダム、ほら、二人にタオルを取ってあげて。」
「あい。いますぐ。です。」
音に驚いて動物病院から駆け出してきた杏子はわけがわからず硬直したままだ。
池から二人を引き上げ、タオルで拭きながら徠夢は二人に話しかけた。
「さぁさぁ、着替えをして、二人には少し話を聞かせてもらおうかな。」
「Papa?」
ライルにそっくりな少年がドイツ語を発し、徠夢に抱きつき号泣する。ライルは目が点。
杏子は、そんな二人を見てまるで幽霊でも見たかのようにその場にへたり込んでいる。
どうにか体を拭き終え、服を着替えて徠夢、ライル、アダム、そしてライルとそっくりな少年の四人はサロンへと移動した。
途中、かえでさんがライルともう一人を見て腰を抜かし、杏子は徠夢につかみかかっていたが、どうにかふりきりサロンに入った。
その少年を、徠夢の隠し子かと思ったのかもしれない。
「さて、ライル。まず無事でよかったよ。アダムから話を聞いていろいろと驚いたよ。僕には何も隠す必要はないんだよ。今度からは必ず僕に言うんだよ。何のことかわかるよね。」
「はい。ごめんなさい。父様。」
「それで、そっちの君は状況がわかているのかい?」
「父様、その前に一度僕の手を握って下さい。」
「ん?なぜだい?」
僕は父様ともう一人の少年の手を握り、僕の意識を父様に向けるようにした。
僕が少年から得た情報と僕の今日の記憶を父様に渡し、少年との言葉が通じるようにしたのだ。
「ほぉ、ライル。ずいぶんと便利な能力だね。では、彼はやはりあの写真の子で間違いないんだね。」
「はい、父様。」
その後、僕は、写真立てを触った時からの出来事を詳しく話すこととなる。