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教室に入った。
彼女の机を見て、まだ暗い空を見た。
静寂に響く秒針のスピードは、僕の軟弱な気持ちの整理を待ってくれるほどゆっくりではなかった。
「5」
短針がさすその数字は、時間が無いことを示していた。
手に持った数十枚のプリントには、じんわりと汗が滲んで、
足は動きたくないって、悲鳴を上げた。
「往生際悪いなあ。」
自虐的に笑みを浮かべて、心臓に手を当てた。
握りつぶすみたいに爪を立てたら、胸が震えた。
単純な話だ。
僕はこれで済むけれども、彼女の心臓は、本物の『指』がかかっている。
「やりますか。」
誰もいない廊下を、僕の足音だけが響いた。
それがちょっと怖くて、誇らしかった。
ーーーーーーーーー
シナリオはこうだ。
朝早くに、誰も見ていないタイミングに校舎に侵入する。
警備員のおじいさんがベッタリみているわけでもないし、校舎裏の男子トイレの窓から入れることはわかっているから、正直そこまで難しいわけではない。
家からはこっそり出てきたけれど、置手紙を残してきたから、思春期のそういうものなんだと思ってくれることを願うしかない。
そして、作った数十枚の記事を校内に張って回る。
生徒が来る前に教師に見つかって全てを剥がされないように、出来るだけ広く、それでいて目につくように、張っていく。
後は、校舎をゆっくりと、時間を潰すように回る。
それだけだ。
張り終わって、校舎を丁度一周したくらいの時だった。
6時、6時半…
時間を確認する度に早くなる鼓動が、背後から名前を呼ばれた瞬間に、落ちた。
振り向く前に時間を確認する。
腕時計は、7時43分を指していた。
予想よりも早く呼ばれたけれど、時間的には十分だった。
放送で呼び出されなかったのは奇跡に近い。
振り返ったら、予想と寸分違わない顔をした担任の姿があった。
僕はちょっとだけ苦笑して、何も言わずに歩きだした担任について行った。
気にかかるのは、教室の、コースケのことだけだった。
通されたのは、職員室の隣にある応接室だ。
担任の男性教師は、一枚のプリントを取り出した。
見間違える筈もない。
自分で作った記事だ。
コンビニでコピーして、この一枚だけ、右上にボールペンで僕の名前が書いてある。
この一枚だけ名前を書いて、職員室の近くに張った。
見つけられれば教師が回収してくれるだろうし、誰か説明する役が必要な中で、僕の名前を知られる人数を少人数にしたかった。
無駄な抵抗かもしれないけれど、いじめの標的が自分にならないための、我ながら情けない自己防衛だ。
その左の、二重括弧に挟まれたタイトル。
ゴシップっぽい言葉しか思いつかなくて、書いた言葉は我ながらひどかったと思う。
『2年3組でいじめが発覚!?』
その後には、いじめの様子についてが書かれていたが、周りの生徒はおろか、犯人に対してさえ、悪感情は書かれていない。
今まで黙っていた僕には書く資格はないっていうのもあるし、教室の雰囲気作りのためにも必要だってのもある。
悪を否定してたら、今まで流されるだけの僕たちには立場がないんだ。
自分たちが正義だという感覚が必要なのだ。
それでも、一番は「いじめを悪だと言っている僕じゃあ、ダメなんだ。」って、そんな思いがあったからだ。
ここまでは面白い程想像通り。
ここからが本番だ。