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応接室の狭い空間の中に、男性教師の低くて重い声が響く。
「これについて、説明してもらえるかな?」
シンプルで、単純で、想定していた言葉。
「そのままの意味です。
このクラスでは、いじめが行われていた…
かもしれないってことです。」
「…その情報は、どこで?」
これもまた想定した質問だった。
答えは、決まっている。
演じればいいんだ。
ヒーローの僕を。
『匿名希望の人なんですが、情報として…』
そう言って、そう…
「先生は、いじめは悪だと思いますか?」
口から出た言葉は、用意していたものとは全く違うものだった。
「それは…悪だろう。」
「僕が聞きたいのは、先生としての答えじゃなくて、人間として。」
「……人間の感情は、例えそれが悪感情だったとしても、俺は否定されるべきではないと思う。」
「つまり?」
「教師として、いや、人間として失格な言い方をするならば、いじめは悪ではない。」
「じゃあ、それは黙認されても良いとお思いですか?」
「それは違うだろう。
ただ、表現が未熟で感情の揺れやすい思春期において、やり直すことは出来るとは思うということだ。」
「僕も、いじめは悪ではないと思います。」
「ほお…」
「ただ、あなたとは真逆の考えです。
例え、いじめていた人が更生したとして、いじめられていた人の傷は癒えるのでしょうか。
その原因になったのが、自分も含めた傍観者を含んだものだという事実に、僕は向き合えるのでしょうか?」
「それは…」
「僕は、立ち向かえないんです。
特別な人間でも、ヒーローでもないから。
先生の言葉を借りるなら、『悪感情』ってものを肯定しないと、僕は押しつぶされてしまう。」
「…」
「先生は、いい人ですよ。
ちゃんと、『いじめ』っていう全体のことを考えてる。
でも、僕は目先の、これだけ解決できれば良いんです。
だから、こんな形をとりました。
悪感情は否定しない。
自分のことを棚に上げてでも、全体が自分の正義感を押し付れる場所を作りだそうとした。」
先生は何度か唸って、視線をさまよわせた後、口を開いた。
「お前はさあ、こういうのしない奴だと思ってたよ。」
そう言って、先生は立ち上がった。
それから、応接室の扉を開ける。
「ほら、鞄持って。
貼ってあったプリント全部回収していけよ。」
「えっ」
「いじめに気付いていなかった。
いや、気づいていても俺は何も出来なかったかもしれない。」
「でも…」
「良いから、少しくらい、ヒーローの手伝いさせてくれよ。」
先生に背中を押されて、応接室を出る。
貼ったプリントの回収に回った後、教室の扉の前に立った。
深呼吸をして、重い教室のドアを開いた。
少しだけ、目線はこちらに向いたけれど、すぐに外れていった。
窓際に近い彼女の席には、少しの人だかりが出来ていて、いじめていた奴らは、居心地が悪そうに教室の隅にいた。
やったと、そう思った。
胸に、血液が大量に吹き込まれていったみたいだった。
今度は迂回せずに、真っすぐに自分の席に向かった。
席に座ったら、コースケが背中を叩いてくる。
「嬉しそうな顔しやがって!」
にやけ顔にそういわれて、にやけ顔で答えた。
「お前もな!」
拳でハイタッチしたら、彼女を眺めた。
周りから、『大丈夫だった?』『ごめんね。』って、そんな言葉が飛び交う。
彼女たちを、薄情だって、そういう人もいるかも知れない。
でも、そう言ったら、僕は何も出来ないじゃないか。
そんなことが出来る特別な奴なら、いじめていた奴らを責めれるのか知れないけど、少なくとも、直接的には僕らは出来ない。
でも、いいんじゃないだろうか。
今日の天気は、晴天なわけだし。
ーーーーー
次の朝に、通学路で彼女に会った。
会ったというか、彼女が待っていた。
「よう。」
出来るだけ普通に心掛けた挨拶だ。
「おはよう。」
彼女は、普通に、ただ普通に答えた。
会話も特になくて、彼女と並走して歩いた。
このまま歩けば、大人数のいる通路に合流する。その時に、彼女が口を開いた。
「罰掃除だって?」
その言葉に、心の底から驚いた。
今回の件の罰としては、担任から掃除を言い渡された。
こんな軽くしてくれたことには、感謝の一言だ。
「なんで知ってるの?」
「コースケ君が…」
「あいつ!
ほんとに…」
それから、彼女は俯いた。
「それで…本当に、ありがとう。」
俯いたままの彼女の声は、少し震えていて。
思わず歩く足を止めた。
この「ありがとう」は、どんな言葉なのろうか。
僕の自己満足を気遣った言葉なのだろうか。
分かるのは、純粋な言葉じゃないってこと。
僕には分からない、痛みとか、苦しみとか、そんなものが掻き混ぜられた言葉だ。
口を開きかけて、そのまま閉じた。
『どういたしまして』じゃない。
僕の自己満足は、最後まで自己満足で終わらせなきゃいけない。
「笑ってよ。」
明るく、自分らしくもなく、指で彼女の口角をあげた。
彼女はの目には、ちょっと涙が浮かんでいたけれども、すぐにいつもみたいな笑顔に変わった。
久しぶりに見たその顔に、不覚にもドキッとして。
思わず顔を背けたら、後ろで鼻をすする音がした。
容易に想像できる。
彼女は声を出して、泣きながら笑った。
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