二章 わかさま ②
第二章登場人物
○黒田長政 豊前を治める黒田家の嫡男。第一章では城井家を滅ぼすための策略として
城井家の姫君を嫁として扱う演技をしていた。
○後藤又兵衛 黒田家に仕える武将。体がでかい槍の名手。息子に太郎助がいる。
○吉田又助 黒田家に仕える若者。怪我をしていて今回の戦には行かない。
○井上九郎右衛門 黒田家重臣。長政の城井攻めに反対している。
○大野小弁 黒田家に仕える若者。籤の結果、城井との戦で一番槍に決まった。
第二章の冒頭で長政が眺めていた羽織の持ち主。
本話で新しく登場する人物
○竹森新右衛門次貞
黒田の旗奉行。八幡神に仕えてきた神官の血筋の生まれ。
○黒田三左衛門一成
長政の弟のようにして育てられた黒田官兵衛の恩人加藤重徳の子。
体がでかいしまだまだ育つ。
※城井との戦いの時はまだ三左衛門とは名乗っていませんが
話の途中で名前が変わるとややこしいので三左衛門表記にしています。
豊前国入りした黒田氏が最初に居城とした馬ケ岳城は、東に雌峰、西に雄峰と二つ山頂を持つ双耳峰にある。
より高い西の山頂は削いだように平らに広くなっていて、そこに本丸、東に二の丸が築かれていた。
今、壮年の武者が一人、力強い足取りで本丸へやってきた。
黒田家旗奉行の竹森新右衛門次貞である。
京都平野を抜け、馬ケ岳を上がってきた秋の肌寒い風が、びゅう、と吹きつける。右手に持っていた軍旗がはためく。
竹森新右衛門は城内へ入ろうとする足を止め、その彫刻刀で削り出したように鋭い目で麓を見下ろした。扇状に広がるは見渡す限りの田園。
だがその実りは黒田、ひいては豊臣家を豊かにはしていないのだ。
奪っていった者どもがいる。
新右衛門は南西に連なる山々を見やる。城井谷の方角に広がる空には、雲が地平を食らう龍のようにうねっていた。
四百年の我らが土地を奪われた。その恨みもわからぬでもなかった。
新右衛門もまた、故郷を戦火で追われ流浪の末に黒田に仕えた身である。
だがあわれ、あの一族はもう、滅ぶしかないのだ。
新右衛門は、軍旗を掲げ、空を見上げる。
左手を旗に沿って上に伸ばす。その親指と人差し指の間には、指の付け根から手首まで、
ざっくりと斬られた跡があった。新左衛門は、不意に顔をしかめた。
何年も前に塞がったはずの古傷から、かすかに血がにじみ出していた。
かつての八幡神社の倅、神官武士の出である竹森新左衛門はいつも戦の前に勝敗を占う。
五十戦以上負け知らずの黒田の旗。これまでは常に、白く清い気に包まれていたものだ。
だが、今日だけは違った。
「不吉な」
新右衛門が本丸広間に入ると、すでに数十を超える若武者達が戦準備として各々の武具の手入れをしている。
後藤又兵衛基次が胡坐をかいて座り、槍を見ながら吉田又助重成と話し込んでいた。
吉田又助の方は、怪我をしているらしく、曲げるのは左足だけで右足を伸ばしたままという膝をすこしかばった座り方をしている。
「此度の戦に出れぬのが歯がゆくてかないませぬ。もうすぐ又兵衛殿の妹君と祝言をあげるというのに、武功の一つも花嫁に捧げられませぬ」
「なあに、又助ならこの先いくらでも首をとってこれよう。今はゆるりとしておれ」
各々の武者達に気を配りつつ広間を通り抜けていた竹森新右衛門は、その中でも一際立派な体躯を持つ若者に目をとめた。
黒田官兵衛孝高の恩人、加藤重徳の次男として生まれ、黒田長政の弟のようにして黒田家のもとで育てられてきた黒田三左衛門一成である。
黒田三左衛門は、二枚の鎧板を慎重に前後で合わせ、鎧銅を身に着けている途中であった。
着付けを手伝っているのであろう、具足下着姿の大野小弁が黒田三左衛門の右脇に回り、紺の合わせ紐をきつく絞る。
黒田三左衛門は黒い帯を腰に巻き、結んだ。着心地を確かめるように少し大げさな所作で腕を振り、黒漆塗りの太刀を佩く。
「三左衛門、また大きくなったのではないのか。どれ、動いてみよ」
竹森新右衛門は、黒田三左衛門に声をかける。
黒田三左衛門は構え、突く動作をする。それを見て、竹森新右衛門はある人物の名を呼んだ。
「おーい、又兵衛」
吉田又助と笑いあっていた後藤又兵衛が顔をむけると、竹森新右衛門が続けた。
「おぬし、前に使うておった胴巻を三左衛門に貸してやれ。また背が高くなったようでな」
「わかりもうした」
後藤又兵衛は吉田又助に声をかけると、黒田三左衛門の方へのしりのしりと歩き出す。
「二の丸の方にしもうてあるんじゃ。三左衛門、ついてこい」
後藤又兵衛と黒田三左衛門一成が出ていくのを見て、竹森新右衛門はさらに奥へと進んでいく。先には、黒田長政の休んでいる部屋があった。
その部屋へ続く襖の手前に、井上九郎右衛門が静かに控えていた。やってきた竹森新右衛門の顔を窺う井上九郎右衛門に、竹森新右衛門は答えた。
「はなはだ悪い気じゃ」
「失礼いたします。若様」
井上九郎右衛門と竹森新右衛門が部屋に入り、頭を下げて控える。
「なんだ」
竹森新右衛門が口を開く。
「若様。わたくしめ、いくさ前の習い通り旗を掲げ占いをおこないました。なれど、不吉な相がでております。このようなことはわたくしがお仕えして初のことでございます」
井上九郎右衛門がそれに続ける。
「どうか考え直していただけませんでしょうか。若様」
長政は口をぎゅっとゆがめて答える。
「戦準備をしていることは城井めも感づいておるはず。ここでやめてはいよいよなめられてしまう。それだけは避けたい」
「戦はだまし合いでございます。やめてもそれで、城井めが戦準備のため兵に米をたらふく食わせた分損をさせた、兵糧を減らさせ追い詰めたということになって悪い策にはなりませぬ」
そう申し上げる井上九郎右衛門に、長政はなおも首を縦にはふらない。
「おぬしらも、肥後の国を治めきれなかった佐々殿が切腹させられたのは知っておろうが。早く城井めを滅ぼさねば。今度は黒田の家が取潰れるかもしれぬのだぞ。そうなればぬしらも困ろうに。我は黒田の家を滅ぼしたくないのだ。今更やめるわけにはいかないのだっ」
長政はそう叫ぶと、井上九郎右衛門と竹森新右衛門をばたばたと部屋から追い出してしまった。
「此度も若様は、打って出られるおつもりのようだな・・・」
竹森新右衛門はぼそりと口に出す。
“此度も”というのは、つい二ヶ月前にも、殿の留守中を狙って、長政の居城に少しの兵を差し向けるという挑発を行ってきた一揆勢に腹を立てた長政が、吉田又助など若い者を無理やり連れて勝手に出て行ってしまったことがあったからだ。
結局、長政は自ら真っ先に敵陣に突っ込んでいき、五つの首級を持ち帰ってくるという猪武者っぷりを発揮して帰ってきた。
その後にも、竹森新右衛門と井上九郎右衛門は散々(さんざん)長政を諫めたのである。
しかし、我らの思いは若様に全く伝わっていなかったのだ。
めったに感情を表にはださない竹森新右衛門の顔に、一抹の悲しみがさす。
一揆勢は、軍略の誉れ高い黒田官兵衛孝高の不在時ばかりを狙って行動に移す。若様のことを若輩者と舐めてかかっている、それは間違いない。きっと今回も逆賊どもは、何かしらの行動をしてくるであろう。
だが、その煽りに乗せられては相手の思うつぼというものだ。
井上九郎右衛門は下がりがちな眉をさらに八の字にしながらつぶやく。
「若様は普段あれほど思慮深いお方でありますのに、こと戦場においてはわざと分別を置いてこられるようですな。腹をくくるしかありませぬ」
竹森新右衛門は長政の部屋からの帰り、一人考える。
黒田家の世継ぎは一人しかいないのだ。黒田官兵衛の実子はもう一人いる。五歳になる熊之助である。しかし、子供の命などいつ消えるかわからぬ燈火である。長政には生きてもらわなければならない。
荒くれものの上に立つものは面子が大切であるというのは理解できる。が、偉大なる父の跡継ぎ、生まれながらの「若様」として生きてきたせいなのかどうも傲慢すぎる。
必死なのだろう。こうであれと周囲から願われ、そうであることを己に律し続ける。
失敗などできない。引き下がれない。
その誇り、痛い目をみて一度は「死んだほうが」その後に良き将良き主になるであろうが、今回は危うすぎる。本当に命を落としてしまっては元も子もない。
若様に生きて帰ってもらう。何を犠牲にしてでも。
そうすることが自分の使命であろう。
広間で騒ぐ若武者たちを眺めながら、竹森新右衛門は右のこぶしをきつく握りしめた。