二章 わかさま ①
二章からは黒田長政の視点から見る城井家の話です。
彦山から流れくる山国川は、耶馬渓と呼ばれる渓谷を抜けて中津の町に入ると二手に分かれ、東側の支流は中津城の前を流れて海へとそそぐ。
その中津城にほど近い千本松河原から木材を打ち付ける音が聞こえてくる。
城井家の家人を磔にするための刑具を作っているのだろう。
当主、鎮房の首は検分のため大坂に送られ、長男朝房は日向への出陣に同行していたため首はここにはない。残る妻や子、兄弟達を悉く磔にして見せしめにするのだ。
もっとも、嫡子朝房の嫁、竜子だけは秋月氏の娘ということもあり、家臣団から助命嘆願が出されているため殺さない。
黒田吉兵衛長政は、ふと書状を書いていた手を止め、顔を上げた。目をやった先には、床の上に飾られた刀と青い陣羽織があった。
刀の方は、紋美しく切れ味良しと謳われた名刀”城井”兼光であり、羽織はかつて家臣の大野小弁正重が身に着けていたものである。
―――――やっと終わったのだ。城井との戦が。
※
天正十五年七月、肥後で国人が蜂起。その鎮圧に長政の父、黒田官兵衛孝高が母里太兵衛友信など黒田家の中でも武功のあるものを連れて向かうと、その留守を狙って豊前の国衆もが反乱を起こした。
その一揆の首魁となったのが城井家であった。一度は国替えの命に従い自らの治め続けていた土地を退いたものの、戻って元の領地を攻め取ったのである。
孝高の嫡子、齢二十の長政は一揆勢の鎮圧に明け暮れることとなった。
秋も深まるころ、広幡城を調略し勢い付いた黒田長政は、軍議の場でこう提案した。
「このまま小山田城を落とし、城井谷まで一気に攻め上がろうぞ」
「若様。城井は谷深くに籠っておりますが、それは外へ出れば我らに負けるのがようわかっておるからです。出てこぬならば害にはなりませぬ。行き詰って向こうから出てくるまでは放っておればよいのです」
三十も半ばといった年頃の武者が長政に意見する。
井上九郎右衛門之房である。
長政の祖父、黒田職隆に小姓として仕えたことから始まり、今は黒田官兵衛孝高に仕える黒田家の重臣だ。
「あのような狼藉者をそのままにしておくなど我慢ならぬわ。近頃はこの馬ケ岳城の辺りでまで略奪を行っておると聞くではないか」
後藤又兵衛が小山田城周辺の地図を広げながら、井上九郎右衛門の方に同意する。
「吉兵衛よ。やめたほうがええぞ。城井どもがおるは、ここら一の難所じゃ。山が険しゅうて、道が狭い。我らの兵が多くても、縦に伸びてしまえば脆くなる」
「そんなことはわかっておるのだ。出て来ぬのであれば、叩き出してやるのみよ」
長政は敷かれた地図を見やる。周防灘に迫る山々の間を、険しい谷が切り裂くように走る。
その渓間の最奥に小山田城があった。
「城の背後に岩丸という山がある。尾根伝いに進み、小山田城の背後を突く」
「というてもなあ。尾根というのは細い。先にも言うたが、こちらの兵が生かしきれん。少し足を滑らせれば谷に落ち、中々這い上がってはこれんしのう」
又兵衛は長政の案に反対する言葉を続ける。
「しかも城井の奴輩は、山を知り尽くしておるはず。これもきびしい」
そして九郎右衛門が落ち着きをもった声で述べる。
「若様がすばらしい采配をされるのは、私もよく存じております。なれど今、この城には熟練した将があまりおらぬ上、兵は重なる戦で疲れております。城井は出てこぬのですから、母里らが帰ってきてからでもよいのです。太兵衛らがいれば、若様の策をさらに鮮やかに成し遂げてくれましょうぞ」
「そうじゃ。殿らが戻られるまで待つんじゃ」
殿。という言葉を又兵衛の口から聞いたとたん、長政の顔は面白くなさそうに歪んだ。
自分は父などに頼らなくても、もう一角の武将である。己で策を立て、家臣どもを従えて戦を仕掛けるぐらいできるのだ。
「主の命に従えぬのかっ。わしはもう決めたぞ。早く戦の支度をしろ」
もうおぬしらの意見など聞かぬ。長政は叫ぶと、障子を勢いよく開けて部屋を出て行った。
吉兵衛は仕方のない奴じゃと呆れている又兵衛に、井上九郎右衛門が話しかける。
「わしはあえて殿の名をださなかったのじゃ。それをおぬし・・・・・・」
「吉兵衛などより殿の策が聞きたいわい。そもそも殿は城井攻めは待てと言っておった」
井上九郎右衛門は深い溜息をついた。
長政は家臣たちが控えている間に入り、声を挙げる。
「みなの者。明日の朝、城井どもの小山田城を攻めることと相成った。さあ此度に一番槍の誉を受けるのは誰ぞ」
数多の猛者、黒田の武者たちが一斉に沸き立った。
「この小弁に一番槍をおまかせください」
「いや、わしに命じてくだされ」
自分こそが一番槍の名誉をば。血気盛んな若者たちが、次々に声を上げる。
その喧噪を愉快そうに見ていた長政が、部屋に入ってきたものの静かに佇んだままの後藤又兵衛に気付く。
「おい、又兵衛。いつもは己が一番槍だと騒ぎたてるのに、今日はどうしたのだ」
又兵衛は口を真一文字に結んだまま答えない。
「仕方ないのう。お前はわしの横について出陣するがよい」
「・・・・・・はっ」
承諾の返答に満足した長政は、若武者たちが騒ぐ中へ戻っていく。
「よし、一番槍を望む者が多い故、いつものようにくじ引きといたす。用意せよ」
「籤はもう又助が用意してございます」
長政の側仕えをしている大野小弁という若者が声をあげる。
「おお、さすが又助よ。お前、けがをして自分は戦に出られぬというのに、殊勝なやつよ」
長政の言葉を受けて、よく日に焼けた若者、吉田又助が元気のよい声をだす。
「へえ、出陣できずとも、皆の役に立ちたくて」
若者が輪になって集まり、紙縒りのくじの端を持つ。
長政の合図で一斉に引くと、大野小弁の籤の先だけ朱に染まっていた。
「よし、大野小弁が一番手だ。励めよ」
「はい、若様」
大野小弁は切れ長の目をさらに細くして、にっこりと笑った。