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一章 野ばらの姫君 ⑥

 豊前(ぶぜん)の国は春を迎えた。吉乃が庭に面した廊下を歩くと、夜風がなんともあたたかい。

そんな夜のことだった。春は気が落ち着かぬ者が増えるというが、その日千代姫は乱れていた。

「よしの」

横たわる布団の上に、姫の黒髪が乱雑に広がる。

「もし、城井(きい)の家が滅ぶ、ということでもあるならば」

千代姫は、今にも泣きだすのではないか、というほどに顔をゆがめた。

吉乃は千代姫の額にそっと手を置き、撫でる。

「どうされましたか、姫様。城の方々は優しく、姫の兄君もまた、武功をあげて黒田家の信頼を得ているようです。何を憂いておられるのです」

「夢に父上を見た。鬼になられた。正夢になりはしないかと、おそろしゅうてかなわぬのじゃ」

 千代姫は吉乃の顔を見つめた。

「よしのは、いつまでも、ともに……」

「吉乃も、姫様とともにまいります。たとえそれが彼岸(ひがん)でも」

 言ってしまって、なんと不吉な言葉を吐いてしまったのか、と吉乃ははっとした。

「よい。もうよい。その時には城井の皆の往生を願ってたもれ。吉乃には生きていてほしいのじゃ。誰よりも(なが)く」

千代姫は、吉乃の頬にそっと触れた。

「ただわらわのことを、忘れぬでいてほしい」

己を主張しない姫君という立場の者が自分をさす言葉を使うことはまず無い。

しかし千代姫は今、わらわと言った。姫にとってはじめての願いごとだった。

 

 泣く千代姫をなだめて寝かし、侍女部屋へ戻る吉乃の前に、一人の男が現れた。

忘れようもない大男、又兵衛だった。

「すまぬが、そこの侍女よ。今夜この城に、急な客人が来ての。人が足らぬのじゃ」

 こんな夜更けに。と思ったが、自らが黒田家に尽くせば、姫の立場も良くなるだろうと吉乃は考えた。

「はい。何をすればよろしいでしょう」

「ついてきてくれ」

城の廊下を、又兵衛が窮屈そうに進んでいる。体が大きいとこういうことになるのか。と吉乃が面白く見ているうちに、城のはずれについた。

 こんな場所に侍女の仕事があるというのかと不思議に思っていると、又兵衛がこちらに振り返り、

 吉乃の首を掴んだかと思うと、そのまま締め上げた

意識が途切れる前、すまぬ。という声がかすかに聞こえた気がした。


吉乃が目を覚ますと、茣蓙(ござ)のようなものに包まれて、城井と黒田の領土の境、かつて自分が千代姫と歩いてきた道の(やぶ)に放り投げられていた。

体を起こすと、自分の胸元に和歌が書かれた紙が置かれていたことに気付く。


 今朝憂ひて 紀伊にきこゆる はたもとのおと


 千代姫の書いたものだと文字からわかる。

姫が好きだった紀貫之の歌にあった、「そうひ」。薔薇の花である。

紀伊は城井と衣。衣を織る機。吉乃は必死に意味を掴もうとしたが、わからなかった。

とにかく城に戻ろうと、吉乃は駆けた。やがて人里までたどり着くと、人々の噂がきこえてきた。

 山国(さんごく)川の千本松(せんぼんまつ)河原で、城井の家人が(はりつけ)になるらしい。

 そこで吉乃は気づく。歌にあった「はた」とは、磔の木のことだと。

姫は知っていたのだ。自らが死ぬことを。


 日が傾ききったころ、吉乃はようやく河原へたどりつく。着物と髪は乱れきり、履物無く走り続けた足からは血が流れ続けていた。

 松の木々を抜けて、這うように人だかりに近づいていく。

 その向こうに見えたのは、左のわき腹から右の胸へ槍が刺さった、千代姫の姿だった。

 磔にされた姫の小さな胸に、吉乃は赤い、鮮やかなあだ花を見た。

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