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一章 野ばらの姫君 ④

吉乃が糸姫の居室の襖を開けると、部屋へと入った千代姫が膝をつき、頭を下げながら挨拶を述べる。

「御台所様。お初にお目にかかります。千代と申します」

柔らかな声が、それに答えた。

「顔をお上げくださいませ。千代姫様」

千代姫が顔を上げると、豪奢(ごうしゃ)な着物に身を包み、結った黒髪の美しい女人がいた。

糸姫である。

そのまっすぐこちらに向けられた凛とした顔立ちに、千代姫は、大名嫡子(ちゃくし)の正妻といった立場の余裕と、秀吉の腹心、蜂須賀正勝の娘である威厳を見た。

 糸姫は、十三になる千代姫の四、五歳ほど上といったところであろうか。

ここでの暮らしは慣れましたか、花は何が好きですか、と優しげに千代姫に話しかけていく。

 それにこたえる千代姫は、初めのうちは緊張していた様であったが、話題が千代姫の好きな和歌や物語の話に移るころにはすっかり和らいでいたようであった。

 楽しげに言葉を交わす二人の姫君を見て、吉乃の気持ちもまた、(ほぐ)れていった。

 ふと、糸姫の傍らで控えていた女が吉乃のほうへと来た。饅頭をくれた侍女である。

糸姫よりも、いくらかは年が上であろう年増に見える。

「うちもね、よそものやったから」

話しかけられた侍女の言葉は、吉乃が聞きなれない”よそ”の響きを持っていた。

 侍女は吉乃の顔を見つめて続ける。

「いつまでも、まわりを見て、(かと)うなってるのはつらいやろう」

 不意に、吉乃の胸が締め付けられた。

「はい」

「うちにいろいろ聞いてくれてええんよ」

 侍女は、吉乃の手をそっと取る。あたたかさが吉乃を包んだ。

「ありがとうございます。吉乃と申します」

「梅という。よろしゅうに」

微笑むお梅に、吉乃は少しためらいながら話しかける。

「実は、おたずねしたいことがございまする。又兵衛と名乗る方から頼まれたのですが……」


 又兵衛という男に頼まれた玩具は、糸姫の侍女、お梅のおかげで届けることができた。

 太郎助はすらりとした体躯の色白の少年で、少し面長なところが又兵衛に似ていると思ったが、歳は十二、三といったところで馬の玩具で遊ぶような年頃には見えなかった。 

 お梅は、吉乃が黒田家に仕える者たちに馴染めるようになにこれと世話をやいてくれる。

 あれほど疑って悩んだ饅頭のことにしても、自分が毒見をしてから千代姫にも召し上がってもらったが、ただただ美味な菓子だった。


 ある日のことである。

吉乃が千代姫の部屋に入るために膝をつくと、背後からぱたぱたという軽い足音が向かってきて、着物の背中部分を何者かに急に掴まれた感触がした。

あっと小さな悲鳴をあげて振り向けば、そこには四、五歳ほどの男の子がいた。

 他の侍女と間違えたのだろうか。吉乃の顔を見てきょとんとしている。

 部屋の中にいる千代姫が声をかける。

「よしの、どうしたのじゃ」

「童が来ておりまする。どこぞの子息が迷われたようで」

 千代姫が襖の隙間から廊下を覗きこむ。

竹千代(たけちよ)と同じくらいの歳じゃの」

 自分の弟の名を口にしながら部屋の縁に腰をおろした千代姫が、襖を開いて子供に笑いかけた。

「初にお目にかかります。千代と申します。あなた様のお名前をきかせてくださいな」

「く…くまのすけ」

千代姫がちらりと吉乃の方を見た。

熊之助といえば、黒田家の次男の名前と同じだ。

「まあ、熊之助様。そこにいては寒いでしょう。どうぞ中へお入りください。菓子もありますよ」

 菓子ときいて、不安そうな顔を笑顔に変えた熊の助がぱたぱたと部屋の中へと入っていく。

その様子をみて吉乃は慌てた。

子供とはいえ大事な黒田の子息を許可なく部屋に連れ込んでしまうのはいかがなものか。

きっと乳母や侍女達が探しているだろう。

思慮深い千代姫のいつになくすばやい反応に驚く吉乃へ、千代姫は言葉をかけた。

「熊之助様のお相手をしておく故、よしのは好きにすごせ」

 千代姫の表情を見れば、中津城に入って以来は見ることのなかった満面の笑みである。火鉢の側に姫と一緒にあたる熊之助の方を見やると、右手に見覚えのある馬の玩具を持っていた。


 お梅ならば、熊之助なる子の守役(もりやく)と連絡が取れるだろう。

城中を歩く吉乃が侍女部屋へと向かっていると、中庭に面した廊下から何やら慌てた様子で軒下を覗きこんでいる大柄な少年を見つけた。

「もし、何かお探しですか」

吉乃が声をかけると、少年が顔を上げた。見覚えがある。

後藤又兵衛(またべえ)の息子、たしか太郎助(たろすけ)であったはずだ。

「馬の玩具をお探しであれば、こちらに」

「そちらにいらっしゃいましたか。ありがとうございます」


 吉乃と太郎助が部屋へ着くと、熊之助は部屋の端でふにゃりふにゃりとうつ伏せで寝ころび、首を傾けて気持ちよさそうに笑っていた。

「熊之助様。お部屋にもどりましょう」

熊之助は、いやだと返事するかわりに、そのままころころと部屋の真ん中にいる千代姫の方へ転がっていってしまった。それを吉乃が追っていく。

太郎助は、うかつに姫の部屋へ入り込むわけにもいかず戸惑っていた。

吉乃が節をつけてわらべうたを歌い出す。

〽ねーんねん こーもりは どーこいーいったー

 吉乃と千代姫が両手を上げて、左右に揺らし手拍子を加えて振りをつけていく。

〽あーのやま こえて さーといーったー

 千代姫は熊之助と手のひらを合わせている 

〽さーとのみやげは なーになーにかー

 いーちにたんもの ににかがみー

 太郎助は豊かな黒髪を揺らしながら(うた)い踊り続ける吉乃を見ていた。そうして眺めているうちに、歌詞の中にいつのまにか自分の名前が入っていることにはっとした。

〽ねーんねん たーろすけ どーこいーいったー

 どこどこーだろな さあどこだー

 歌が終わったとき、太郎助は吉乃と千代姫の視線がこちらを向いていることに気付いた。

「たろすけはここっ」

いつのまにか熊之助が笑顔で太郎助の袖を引っ張っている。

「熊之助様は、お部屋に帰ると楽しいことが待っているのですよね」

 意図に気付いた太郎助が熊之助を抱き上げる。

「さあ、お部屋に帰って私とともに竹で刀をつくりましょう」

 熊之助が嬉しそうに太郎助にしがみつく。

 太郎助が千代姫と吉乃に目を向け、頭を垂れて感謝を示す。

「太郎助様。御名(おんな)を呼ぶご無礼をいたしまして申し訳ありませぬ」

 吉乃が廊下へ出て膝をつく。

「いえ、とても助かりました」

 太郎助は熊之助を抱え、長い廊下を去っていく。曲がり角に来たとき後ろをちらりと振り返ると、吉乃がまだ頭を下げているのが見えた。

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