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2章 わかさま ➆

 城井家の家人が磔になって二月が経ち、一揆勢の残党掃討も終えたころ。

 長政は、中津城の居室へと呼び出した黒田三左衛門一成にこぼした。

「なんぞ、民の間で我は人でなしと呼ばれておるようだな」

「そのようなこと。若様は、黒田の家を守った尊いお方です」

「言うに事欠いて妻殺しの鬼若様だと。三左衛門もきいておるだろう。どのように語られておるか知っておきたい。話せ。正直にだ」

「奥方の鶴姫様まで磔にという話はよくされておりますが、若様を卑しめるようなことは誰も申しませぬ」

「誰だ」

「いえ、誰も若様のことは……」

「違う」

 長政の眉根が寄り、左の口角が歪んで下がる。

「鶴姫とはだれだ。”あれ”の名は千代であったぞ」

 長政は黙って考え込んだと見えたが、すぐに一成に向き直った。

「もうよい。民草の言うことなどくだらぬわ。お前を今日呼んだのは、みなの弔いに行ってほしいからだ。小山田までな」

 長政は黒田三左衛門一成に書状を渡す。

「城下に合元寺という寺があるだろう。そこの空誉(くうよ)上人(しょうにん)に経を詠んできてもらえ。後は、馬も連れの者もお前が好きにしていい。よくよく弔ってやれ。長く待たせてすまなかったとな」

 こちらに突き出された若き主の右手が、かすかに震えている。

 一成は、その大きな体を折って跪き、両手を差し伸べて書簡を受け取った。


 城井氏との戦で命を落とした者達の供養にあたり、三左衛門一成はまず又兵衛に声をかけた。

「みなの弔いをすることとなりました。ともに来てはくれませぬでしょうか」

 黒田三左衛門一成は後藤又兵衛のことを、武人として尊敬している。しかし、人としてはあまりに好きではない。

 又兵衛の、若様への態度は甚だしく礼を欠いている。

 又兵衛自身は、その人となりを知っていれば、若様との親しさの現れと見て許せてしまうという一面もある。が、又兵衛を真似て若い武人たちもが若様を侮っている様に三左衛門一成は日頃腹を立て続けているのである。

 しかし、又兵衛は上の者を敬わないかわりに下の者を馬鹿にすることもない男である。それ故、城の外を歩く時にはいい連れなのだ。

「おう、よいぞ。ついでに倅の太郎助も連れて行ってよいか」

「はい。此度は公事ではないので。あとは、山中の案内役が欲しいところです」

「それなら、ええのがおるぞ。わしの石削り仲間じゃ」

「石削りとは」

「あのあたりでええ形の石を見つけてのう。持って帰って取水桶にでもしようかと思ったら、そこらの行者の作りかけてたもんじゃった。それから石の削り方を教えてもらっとる」


 供養へと出かける日が来た。三左衛門一成は、ぱっかりと晴れた青空を見上げる。

 一行は、山国川を渡り、海を臨む中津の街を出る。

 黒田三左衛門一成が先導し、後に続くのは空誉上人が乗る輿である。

 空誉上人は、長政の父である黒田官兵衛孝高が中津に入国するに従い、播州より来た人である。

 城井鎮房謀殺の際も、中津城に入った鎮房を待つ城井家の家臣を留め置いたのは空誉上人が再興した合元寺であった。又兵衛とも茶の湯を楽しむ仲だ。

 最後を進むのは、塞ぎ込んでいるから外に連れ出したいと頼まれた又兵衛の長男、太郎助である。この少年は、城井鎮房謀殺の際に切り込む役割であったのに、怖気づいて動けなかった。

 それが長政の不興を買い、側付小姓の役目を外されていたのだ。

「勝ったり負けたりするのが戦。人の生も同じ。何か仕損じたからといって気を落とすでないぞ、太郎助よ」

 又兵衛は息子の背中を、音を立てて叩きながら元気付けようとしていた。

 初夏の風が吹き抜ける。気持ちの良い晴れ日だ。豊前の山並みがくっきりと見えている。

 小山田の山の麓に着くと、案内人と合流して進んでいく。

 案内の行者は、又兵衛と同じぐらいの歳であろう、日によく焼けた小柄の男だった。

 黒田三左衛門一成は行者に声をかける。

「ここらで首塚が作られたと聞いている。そこまで頼む」

「へえ。首塚で。ああ、あとここらのもんが作った供養塔もありますよ。そこで忠義者の若いお侍様が若様の身代わりとなって果てたとか」

「なに、その者の名前はわかるか」

「大野小弁様ときいております」

 黒田三左衛門一成ははっとした顔になり、それから瞳をかすかに潤わせた

「……そこを先にしてくれ」


 山の中腹まで登ったところに、馬の高さくらいの大岩が据えてある。その前のあたりで、巫女姿の娘とまだ幼い顔つきの行者が何やらしゃがみこんでいた。その二人はこちらに気付いたようで、地面に手をついて控えていた。

「あの岩のところが大野小弁様が討ち死になされたところです」

 黒田三左衛門一成が近づくと、岩の前には「大野小弁」と書かれた卒塔婆がたてられていた。

「そこの二人、顔を上げて見せよ」

 黒田三左衛門一成はそこにいた娘の身形を見た。華奢な身体に纏った朱と白の巫女服。朱色が少し褪せている様だが、生地と縫いがしっかりしている。

 そして見ていたと思われるのは文字が記された紙。書かれていたのは仮名ではなく真名文字だ。

「女。何者だ」

 地に響くような低音。三左衛門一成は、自らの疑問を声に出してからしまったと思った。

 女でありながら本字の文を見ていた。それを怪しむあまりに、脅かすような声を出してしまった。

 ただでさえ自分は上背が大きく、顔まで厳つくておんなこどもに怖がられてしまうというのに。

 娘の顔に脅えを見た三左衛門は、横の又兵衛に少し申し訳なさそうな目をむける。

 又兵衛は、三左衛門の視線を受けて話し出す。

「いやはや。すまぬ。いえな、わしらはおぬしらをどうにかしようという気はないぞ」

 女の顔を見ていた黒田三左衛門一成は気付いた。

「その顔、城中(じょうちゅう)でみたことがある。城井の姫付きであった侍女だな。そこで何をしている」

 瞬きをゆっくりと一度した後、娘は話し始める。

「まこと、“鶴姫”様の侍女でございました。吉乃と申します。こちらは私の弟です」

「ここでなにしとったんじゃ」

 又兵衛が問いを投げかける。

「我らは求菩提(くぼて)の信徒として、敵も味方もなく。ただここで命を落とされた方の供養にまいりました」

 黒田三左衛門一成は押し殺した声をあげる。

「おぬしらは我ら黒田の勢を憎んでおろう。まさか小弁を怪しげな術に使うのではあるまいな」

 疑念を抱く黒田三左衛門一成を、案内の行者が慌てて止める。

「お侍様、お待ちを。その方は元々、求菩提が城井を裏切らぬように人質として差し出されて仕えていました。亡くなられた城井の姫に心を痛められることはあれど城井の者ではありませぬ」

 籠に乗っていた空誉上人が降り、そして吉乃の方に近づいてくる。

「その紙をお貸しあれ」

 吉乃が渡した紙に、空誉上人がぱらぱらと目を通す。

「まこと、経典ですな。その娘の言う通りのようです。供養をしていたよう」

 吉乃が空誉上人に向き合い、頭を下げる。

「お坊様がいらっしゃったのでしたらどうぞこの卒塔婆は外してくださいませ。まだ経はあげておりませぬので。縁なき我らの供養よりもよろしいでしょう」

 黒田三左衛門は吉乃を眺める。この女を初めて見た瞬間、ただならぬ気を感じたかに思えたが、話してみればただの娘子のようだ。

 能面の小面のような顔は、美しく整ってはいてもどこか作り物のような笑みに感じる。でもまあ、神に仕える女というものはそんなものなのかもしれない。

 こちらに手をついてひざまつき、吉乃は話し出す。

「こちらに出向いておりましたのは、この刀が大野小弁殿のものであると明らかになりましたのでその供養に。刀をお返ししたいのですがお受け取りいただけませんか」

「かまわぬぞ」

 吉乃は後ろに控えていた幼い行者に声をかけた。

「八郎、刀をここへ」

 背負っていた竹編みの(おい)から、八郎と呼ばれた少年が一本の短刀を取り出し吉乃に渡すと、吉乃は顔を下げ、それを頭上に高く捧げてもつ。

 黒田三左衛門はそれを受け取る。鮫皮から生まれる細かい丸柄の上に、朱色の紐が巻かれている柄。黒漆塗りの柄に、九曜の家紋。

 菊花の形に凹凸がついた鍔には、虹に輝く螺鈿で飛び跳ねる狐の文様が刻まれている。

 見覚えがある。間違いなく、小弁の使っていた短刀であった。

「百姓が拾うておりましたが、毎晩若武者様が枕元に立たれるとのことで、こちらに持ち込まれました。大野小弁様にはこの刀をお託ししたい方がおられるのではないでしょうか」

 黒田三左衛門は亡き友の小刀を、大事そうに懐に入れた。

 それまで顔を伏せてなり行きを聞き窺っていた太郎助は、おそるおそる吉乃を見た。

 主君長政に、この女人を野に捨ててこいと命じられたときは、俗にいう「野送り」として殺めればよいのか、本当に捨ててくるだけでよいのか迷ったものだ。

 結局は、人に見つかりにくそうな藪の中へ隠しておいた。

 自分の腕の中で気を失う吉乃のあどけない顔、そして肉の温かさを感じていると、殺す気にはどうしてもなれなかったのだ。

 城井家の侍女を殺めなかった咎を受けることはないとわかった今、太郎助は素直に吉乃が生きていてくれてよかったと思った。

 吉乃は丁寧に頭を下げる。

 太郎助は吉乃を眺める。怪我でもしたのだろうか足を少し引きずっている。

 吉乃はゆっくりと、足取りを二度に分けて体の向きを変え、ゆらゆらと去っていく。

 力が無いように見えて、不思議と倒れたり躓くような気配が全くない、芯が通った揺れ。

 太郎助は、その歩みが、舞のようだと思った。

「吉兵衛がなにゆえ、あの侍女を助けたのかようわかった。民の信仰厚き巫女まで殺せば治めにくくなる。後のことまで気をまわすとは、よき主になってきたのう」

 又兵衛が口角を上げて喜んでいるのを見て、太郎助は沈黙を保つことにした。

 空誉上人に経を読んでもらい、供養を終えて帰途につく。

 黒田三左衛門は馬を進めながら、考えていた。

 小弁はまだ若い妻と、生まれたばかりの子を残して逝くことが、化けてでてしまうほど無念だったに違いない。

 この刀は、小弁の子に託そう。その子が立派な武人に育つよう、小弁のかわりに目をかけてやろう。黒田三左衛門一成はそう思った。


 城井家が滅びた翌年の天正十七年(一五八九年)、長政は、父である黒田官兵衛孝高の後を継ぎ、黒田家の当主となった。

 黒田“甲斐守”長政は、中津城の大広間に控える家臣団の前で述べる。

「これまで我は、家臣の言を疎かにし過ちを重ねること多くあった。

よって以後は月に一度、“異見会”を行うこととする。それは我と家臣が集まり、身分の上下を気にすることなく率直な意見を交わす場である。その場では、誰に何を言われても腹を立ててはならぬ。謝るべきところは謝り、直すべきところは直せ」

 長政は集まる臣下の顔を見渡し、一息つくと続けた。

「むろん、主である我に意見を言うことも許される。至らぬことあれば、言うてくれ。この家を栄えさせるため、我が良き主となるためにもよろしく頼む。皆の者、どうか力を貸してほしい」

 その言葉を聞いた大野三左衛門一成は、城井との戦を思い出していた。

 大野小弁が、“殿”の身代わりとして名乗りを上げた自分の申し出を断って、自ら去っていったこと。馬の鞍が外れた時に、自らも危ないにもかかわらず、見捨てず待ってくれていた我が主のこと。

 この命、尽きるまでこのお方に仕え、支えていこう。黒田三左衛門一成は決意した。

第二章はこの話で終わります。

第三章からは再び吉乃の話に戻ります。

次回からは3日に1度、1話ずつの更新になります。

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