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水の魔物  作者: たかまち ゆう
第六章 飛翔 

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6-9. ディパジットの人々

 その頃、ディパジットではパニックが起きていた。

 始まりは、誰かが空を指差したことだった。

「あれ、何だ?」

 その男は大きな鳥かと思ったのだが、別の誰かが「あれは竜じゃないか?」と言い出したことから、一気に騒ぎが広がっていった。

 騒ぎを聞きつけ、多くの人が家から出てきて空を見上げる。

 その竜らしき飛行生物は、円を描いて飛びながらもだんだんとこちらへ近づいてくるように思われた。

 それでも、上空高くを飛んでいるらしく、かなり小さく見えていた間は、人々は比較的落ち着いていた。

 だが、あろうことか、竜は急に高度を下げ始めた!

 近づいてきたその姿は、絵で見たことがある竜そのものだ、と多くの者が思った。

 町を囲む壁に遮られ、途中で見えなくなったが、森の中へ着地したように思われた。

「どうする!?」

 人々はあちこちで相談しあったが、多くは声高に恐怖を叫ぶばかりで何の結論も出なかった。

 本来ならこんなとき、皆のまとめ役になってくれそうな男、カイビがいないことも、人々の混乱に拍車をかけた。

「カイビさんが死んだって本当なのか?」

「一体どうして?」

「見てた奴が言うには、バケモノに殺されたって」

「俺は後ろから鋭い刃物で一突きだって聞いたぜ?」

 口々にそんなことが囁かれ、伝わっていくうちに、カイビが竜に殺されたなどという誤った情報まで、もっともらしく語られるようになっていた。

 それでも、そのまま何事もなければ、人々は普通の生活に戻り、竜のことも、伝説の生き物を見たという程度の記憶にできたかもしれない。

 そうならなかったのは、竜は人間を喰う、ということを多くの者が事実として知っていたせいだと言えるかもしれない。

「もしこのまま竜がそこの森に棲み着いたら、俺達も喰われちまうぞ!」

 一人がそう叫び、あの竜を退治しようと言うと、周りの人間もそれに和した。


 再び飛び上がった竜が先程よりもかなり低空、ディパジットの間近――と彼らには見えた――を通過した。

「撃て!」

 誰かの号令で、横一列に並んだ男達が一斉に銃を発射する。

 発砲音が、重なり合いながら大きく響いた。

 撃ったのは、森で狩りをしていた者や、訓練を受けていた門番など、銃を扱ったことのある者達だ。

 中には、上空の目標を撃つのは初めてという者もいたが、多くの弾は比較的正確に竜の方向へ飛んだ。

 ただ、いかんせん距離がありすぎた。

 弾は竜までは届かなかったか、届いていたとしても、その身体に傷はつけられなかったように見えた。

「くそっ! だめだ、届かない!」

「あれを使おう!」

 そう言い出したのは、大砲の開発に携わった男の一人で、その威力には絶対の自信を持っていた。

「ちょうど試し撃ちもしたかったし、いい機会だ」

 男の言葉に、多くの者が頷いた。


     *


 上空では、リーンが小さく悲鳴を上げていた。

「きゃ」

『どうした? リーン』

「いえ……。今、何かがかすったような気がして」

『何?』

 アーサーが翼を羽ばたいて移動を止め、剣呑な声を出したので、リーンは慌てた。

「あ、でも、髪です。髪の毛。どこも痛くないし、大丈夫です」

『……少し懲らしめてやろうかと思ったのだが』

 アーサーは、眼下の人間達に冷たい視線を向けている。

 彼らに攻撃されたのだということはリーンにも分かったが、報復しようという気にはならなかった。

「やめてください! それより早く、こんな場所から離れましょう」

『……ふん』

 アーサーは不本意そうに鼻を鳴らしたが、リーンの希望を聞き入れて高度を上げた。

 北へ向けて再び飛び始める。

 ホッと息をつくリーンの後方で、突然大きな爆発音がした。先程連続して聞こえた破裂音よりも低いが大きい音で、振動が腹に来た。

 アーサーが大きく左へ旋回する。

 アーサーにしがみつきながら首を巡らせたリーンのすぐ近くを、大砲の弾が通過していった。

 弾はずっと遠く、森の中へ落ちた。

 もしもっと角度が南へ向いていたら、リューカ村に落ちたかもしれない……。

『怪我はなかったか?』

「あ、……はい」

 気遣うアーサーに、リーンは蒼白な顔で震えながら答えた。

 自分達はこの場所を去ろうとしていたというのに、どうしてそっとしておいてくれないのだろう、と思う。

『…………』

 アーサーが無言で進路を変えた。

 ディパジットへ向かい、真っ直ぐに飛んでいく。

「だ、だめです、アーサー様!」

 リーンの制止を、竜は今度は無視した。

『リーンは伏せていろ。我にしっかり身体をつけておけ』

「はい……」

 他になすすべがなく、リーンはアーサーの背中にしっかりと掴まり直す。

 アーサーが近づいていくと、ディパジットの人々は恐怖の表情でざわめいた。

 何人かが、再びこちらへ銃を向ける。

 だが、アーサーが口を開け大声で威嚇すると、本能的な恐怖に耐えきれなくなったのか、その多くが逃げ出していった。

 ぱらぱらと銃を撃ってきた者もいたようだったが、アーサーの硬い鱗には傷一つつかない。アーサーは銃の攻撃など意に介していないように見えた。

 さらに近づく竜の姿に、その場に残っていた男達もほぼ全員が蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 わずかに残った男達は、大砲の砲口を改めて竜へ向け、再び発射しようとしていた。

「アーサー様……!」

 リーンが小声で呼んだ瞬間、アーサーが再び吠えた。

 松明を手にしていた男が、反射的に大砲の導火線に火をつける。

「わっ、おい、馬鹿……!」

 砲口の角度を調節していた別の男達が焦った声を出した。

 その様子を見て、アーサーは今度は右へ大きく旋回した。そのまま北へ向かうルートへ戻る。

『……何か言ったか? リーン』

「いえ……」

 リーンは後ろが気になってたまらなかった。

 身体を捻って振り向くと、大砲の弾が発射される瞬間が見えた。ほぼ同時に、発射時の轟音が聞こえる。

 だが、発射された弾はまるで狙いが定まっておらず、すぐ近くの建物に当たってそれを破壊した。

 しかも、どうやらその建物には火薬が保管されていたらしい。

 立て続けに響いた爆発音に、リーンは首をすくめた。

 気遣うようなアーサーの言葉に答え、リーンは正面を向き直した。

 もう絶対振り向かないと心に決めながら。


     *


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