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水の魔物  作者: たかまち ゆう
第一章 水の魔物
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1-3. 『奇跡の泉』へ


(俺も、行かなきゃ)

 エスリコの姿が完全に見えなくなった時、ウエインの心に浮かんだのは焦りだった。

 気付いたとき、ウエインはエスリコとは違う方向へ向けて歩き出していた。

(……『泉』へ)


 ウエインは以前から、『奇跡の泉』へ行ってみたいと思うことは度々あった。

 父の言っていた「水の精霊」とやらに興味もあったし、一度会って、母と自分を救ってくれた礼を言っておきたいという思いもあった。

 父が死ぬ以前は繰り返し見ていた夢に泉が出てきたが、もしかしたらそれが『奇跡の泉』なのかもしれない。それを確かめたいというのも、『泉』へ行きたかった理由の一つだ。

 森の地図を繰り返し見て、伝え聞いた情報と照らし合わせ、大体の場所は目星を付けていた。

 しかしその推測が当たっていたとして、『水の魔物』が素直に通してくれるとは思えなかったし、礼を言うつもりがかえって迷惑をかけることになったら……と考えると、それも躊躇(ためら)われた。

 だが、父から「水の精霊」のことを聞いた者は、ウエインの他にはいない。

 だとしたら今、彼女を救える可能性があるのも自分だけだ。

(討伐隊が来る前に、彼女達をどこかへ逃がそう)

 ウエインはそう決意した。

 しかし――、

 ウエインの心には、エスリコの言葉が引っかかっていた。

 『水の魔物』が父の仇だというのは、本当だろうか?

 それは確認しなければならないだろう。

 もしそれが本当だったら、自分はどうすべきなのか。ウエインは、まだ決めかねていた。

 だが、心は迷っていても、道にまで迷ってしまうわけにはいかない。

 『泉』はそれほど大きくはないらしいのだ。

 進む方向を少しでも間違えれば、辿り着くことはできないかもしれない。

 しかしウエインは、それほど心配してはいなかった。

 どういうわけか、ウエインは小さい頃から非常に優れた方向感覚を持っていて、森の奥まで入り込んでも一度も道に迷ったことがなかったのだ。

 今も、なぜか自分の進むべき方向がはっきりと分かる。

 樹の間から斜めに差し込む陽光で、森は薄明るい。

 冬に落ちた葉が積み重なってふかふかする感触の土を踏みしめ、ウエインは進んだ。

 道からは完全に外れているが、ウエインにとっては特に支障もない。

 そもそも、この森には野草を採ったり獣を狩ったりするために村人達が繰り返し歩いて踏み固めた道があったのだが、最近ではその道にも雑草が増え、土の見えない部分が多くなってきたというから、どちらにしても状況はあまり変わらないだろう。

 ここ数年、人々はどうも以前ほど森へ立ち入らなくなったようだ。

 それは、森に棲む獣がなぜか最近減ってきて、狩をしにくくなったせい……あるいは、行商人が増えて、肉や珍しい地方産物、その他様々な物が割合簡単に手に入るようになったせいでもあるだろう。

 新しい行商人の多くは魔物に住む場所を奪われた者達であると、聞いたことがあった。

(でも、あのクラム先生が森で道に迷うとは考えられないんだけどな……)

 ウエインは考える。

 クラムが帰ってこないのが『水の魔物』のせいかどうかは分からない。

 だが、クラムの曾孫は、心臓の病気だという。

 生まれてたったの一年で既に三回、発作を起こし、生死の境を彷徨ったことがある。

 クラムの帰りがあまり遅くなれば、『水』を手に入れるどころか、曾孫の死に目にすら会えないということにもなりかねない。

 彼のことだから、食糧や水の確保あたりは問題なく行っているだろうとは思うが……。

 ――もしもまだ森にいるのであれば、何とか見つけ出して連れ帰らなくては。


     *


 ガサッ。


 草の鳴る音を耳に捉え、ウエインは瞬時に身構えた。剣の柄に手を掛ける。

 音のした方を見ると、見たことのない金髪の少女がいた。ウエインの警戒心溢れる表情と動作を見て、驚いたように目を見開き、慌てて両手を上げる。

 少女が武器の類を一切手にしていないことを確認し、ウエインは剣の柄から手を離した。

 それを見て、少女は上げていた手を下ろした。頭の上の方で束ねていてなお腰まで到達する長い金髪を、肩の後ろに払う。年齢はウエインと同じかやや下くらいに見えるが、表情や動作の裏に妙な余裕が垣間見えるところからすると、実は年上なのかもしれない。

 厚手の布を多く使った服は、やけに古めかしいものに見えた。

 リューカは小さな村だから、同年代の村人の顔は全員見知っている。

 顔に見覚えがない以上、別の村か町から来たと思われるが、こんな森の中を歩いてきたにしては、服があまり破れたり汚れたりしていない。

「……君は誰? ちなみに俺は、ウエイン・サークレードというんだけど」

 不審に思って、ウエインは訊ねてみた。

 少女は髪と同じ金色の瞳でウエインをじっと見つめ、

「リーンよ」

 短く答えた。

(――リーン?)

 どこかで聞いたことのある響きのような気がしたが、誰なのかは思い出せなかった。

 名字を明かさなかったのは、やはり少女――リーンの方もウエインを警戒しているということだろうか。

 それでも念のため訊いてみる。

「ねえ君、『奇跡の泉』って知ってる?」

「もちろんよ。有名じゃない」

 リーンがあっさりと頷いたので、ウエインは軽く目を(みは)った。『奇跡の泉』の伝説は、リューカ以外の村や町にまで轟いているのだろうか。それとも、リューカ村に親戚でもいるのか。

 どちらにしても、今は話が早くて助かる。

「その泉に向かったクラムっていうお爺さんを捜しているんだけど、どこかで見なかった? もう八十近い人で、身長は……多分、君より少し低いくらい」

「クラム……クラム先生……?」

 リーンが小さな声で呟くのが聞こえ、意表をつかれたウエインは自分でも驚くほど鋭い声を発していた。

「知ってるの!?」

「え、ええ、まあ。……あ」

 曖昧に頷いていたリーンは、ふと何かに気付いたような顔をした。

「私、先生を見たわ」

「本当!?」

「ええ。久し振りだったから、あの時は誰だか分からなかったけど、そう、あれは確かにクラム先生だったわ」

「どこ? どこで会ったの?」

「それは……」

 その時、リーンの瞳が、不意に何かを思いついたように妖しく(きら)めいた。手招きをしながら言う。

「教えてあげる。ついてきて。こっち――」

 だが言葉の途中で、リーンは目を見開いて跳躍し、ウエインから離れた。

 直後、彼女の頭があった部分を、何か細長いものが凄い勢いで横切る。

「え……。何――」

 ウエインは驚いて足を止めた。

「ちっ」

 リーンが小さく舌打ちするのが聞こえた。

 何が起こったのか理解できないウエインを置いて、彼女は踵を返すと走り去っていく。

「あっ、……え? ちょ、待っ――」

 状況が摑めないまま咄嗟に追いかけようとしたウエインの左腕が、突然ぐいっと引っ張られた。

 ハッとして見ると、腕に細い(つる)のようなものが絡みついている。

 目線で辿っていくと、その蔓のようなものは、長く伸びて奇妙なものに繫がっていた。

『…………』

 それは何も言わなかった。

 身長二メートルほどの、人型をしたモノ。全体が無色の液体でできおり、一応頭と胴体と四肢らしき部位に分かれ、二本足で立っている。だが、その表面は不安定に波立ち、透かし見える森の景色を歪ませている。

 その、人でいえば右腕にあたる部分が長く伸び、徐々に細くなってウエインの腕まで繫がっていた。

(……もしかして、これが『水の魔物』?)

 先程ウエインとリーンの間を遮るように横切ったのは、この「腕」だったようだ。

「聞いてくれ、俺はおまえに話が……」

 ウエインは言いかけたが、『水の魔物』はウエインの言葉など聞こえていないかのように無反応でこちらへ近づいてきた。

 思わず後ずさろうとしたウエインの腕を、絡みついている細い「腕」――いや、それはもう「触手」と表現する方が正しい――が、思いがけず強い力で引っ張り、その場に止めた。

 さらに反対側の「触手」が首辺りに伸びてくる。

 もしも、首にまでこの強さで巻きつかれたら、命はない。

(……っ!)

 身の危険を感じ、ウエインは反射的に剣を抜いた。

 腕に絡みついた「触手」を切り落とす。

 だが、切り離された触手の先端は、それ自体が意思を持っているかのように、波打ちながらウエインの左腕を這い上がってきた。

「……!!」

 思わず振り払った瞬間、今度は切り離した触手の根元側が伸びてウエインの顔にぶつかり、口や鼻を塞いだ。

(息が……できな…)

 ウエインは必死で顔から触手を外そうとしたが、顔を覆うように広がった水は、触れることはできても「掴む」ことができない。

(だったら、いっそ)

 ウエインは、息を止めたまま前へ踏み込み、『水の魔物』の本体に剣で斬りつけた。

 歪む視界の中で、剣が『水の魔物』の右の脇腹から反対側へ抜けるのを見る。

 だが、相手は巨大な液体の塊。

 剣が通り抜けたそばから、じゅるじゅると音を立てて元に戻っていく。

 剣はその身体を文字どおり「通過」しただけで、傷を残すことはなかった。

(な……!)

 驚きと息苦しさに耐えきれず開いた口から、大量の水が浸入してくる。……体内に入り込もうとしている。

 ウエインは剣を取り落とした。

(う……。死ぬのかな、俺……)

 わずかな諦めの混ざった恐怖を感じた瞬間、


 ――ウエイン・サークレード。恐がるコトはナイ。


 どこかから、声が聞こえた。

 それは、正確には鼓膜を震わせる音声ではなかったが、ウエインは自分の思考と同じくらい自然に、その「声」を「聞いた」。


 ――ワタシは最初から、オマエと共にイた。


 たどたどしい喋り方。それを聞くのは、初めてではないような気がした。

 恐怖が急速に薄らいでいく……。


     *


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