2-11. フィニア
部屋の中から、扉に駆け寄る足音と、ガチャガチャ扉を開けようとする気配がする。
外開きの扉なら押さえるのも楽だったが、あいにくこの扉は内開きだった。ドアノブを引っ張って、回されないよう左手で必死に押さえる。
「ちょっとそのまま、頑張って」
ジブレが横から、扉の鍵穴に鍵を差し込んで回した。
ガチャ、と音がして、鍵が閉まる。
「この部屋は、中からも鍵を使わないと開け閉めできないようになっているから」
「そうですか」
ウエインはホッと息をついてドアノブを放し、剣をしまった。
ドア自体や蝶番などを壊されてしまえばそれまでだが、これで少しは時間が稼げる。
「ローアスさん、すみません。こんなことに巻き込んでしまって」
「いや……」
「あ、あの、ごめんなさい。私がいけないんです。こんなことになるなんて、思っていなくて……」
フィニアが夫の言葉を遮るように言って、大きく頭を下げた。
「私、地下に部屋があることを知っていたんです。そこに女の人の……死体が、隠されていることも。その髪の毛が、話に聞くイリケ族と同じ銀髪だったから、私、ずっと心配していたんですよ。あなたが、何か、良くないことを考えているんじゃないかって」
最後の方はジブレに向かって、少し責めるような口調になっていた。
「それでも、いつかあなたが話してくれるんじゃないかと思って、待っていたのに。あなたは何も言わず、知らない子たちを部屋に入れてしまうし……。さっきその子を見たとき、地下の女の人にそっくりだと思って、私は不安でたまらなかった。もしかしたらあなたが、イリケ族の復讐に力を貸すつもりなんじゃないかと思ったわ」
「まさか」
「だって、イリケ族には女しかいないんでしょう? ということは、イリケ族は最後の一人になっても、その人が子を産めば存続していけるのよ。血が濃くなることはないし、かといって『外』の血を取り入れることによって薄まっていくこともない。一人が子を多く産めば、それだけ数が増えていく……。私たちの先祖が起こした大虐殺のときに一人でも生き残りがいたなら、今はまた数が増えているかもしれないじゃない。あなたはどこかでその人たちと知り合ったのかもしれない、同情して、力を貸すことにしたのかも……。そう思ったのよ」
ウエインは、フィニアの想像力にむしろ感心してしまった。
きっと、直接夫に問い質す勇気が持てず、一人で抱えて色々考えすぎてしまったのだろう。
「だから、さっきたまたま会ったカイビさんの奥さんに、言ってしまったの。もしかしたら、伝説のイリケ族かもしれない人を見かけたって。まさかカイビさんがこんなにすぐ家を訪ねてくるなんて。カイビさんに問い詰められたら、隠しきれなくて、夫と一緒にいるところを見た、って……。ごめんなさい! 本当に、ごめんなさい。あなたにも、なんて謝ったらいいか……」
フィニアはモニムに対しても頭を下げた。
モニムは少し困ったように微笑みながら首を振り、ジブレは頭を搔いた。
「いや、僕の方こそ、ごめん。君に何も言わなくて……。地下のあの人のことをどう説明したらいいか、分からなかったんだ。でも、僕はこの女の子と会ったのは今日が初めてだし、家に連れてきたのは、地下のあの人の関係者かもしれないと思ったからで、それ以上のことを考えていたわけじゃないんだよ」
「ええ……。でも、それは半分、嘘です」
妙にきっぱりと、フィニアは言った。
「あなたは最近、何かに悩んでいた。たぶん、この町のあり方について、疑問を持っていた。そうでしょう? 私が不安だったのは、そのせいもあるんですよ」
「…………」
ジブレが目を見開いた。図星だったらしい。
彼が何か言おうとした瞬間、
バンッ
「……!」
奥の部屋で大きな破裂音がして、全員が息を呑んだ。
金属が震える、不快な残響が残っている。
「しまった。カイビさんは銃を持っている」
ジブレが慌てた様子で言い、隠れる場所を探すように辺りを見回した。
「じゅう?」
ウエインが呟く。
(――それは何だ?)
だが質問する余裕はなかった。鍵が壊れたらしく、奥の部屋の扉が開いたのだ。
ウエインは再び剣を抜き、男達が飛び出してきたらすぐ反撃できるように身構えた。
しかし、ウエインの予想に反して、誰も部屋の外に飛び出しては来なかった。
代わりに、開いた扉の影から顔を出したカイビの手には黒い筒のようなものが握られ、その先端が真っ直ぐモニムの方を向いていた。
「危ない!!」
ジブレが叫んだが、ウエインは動くことができなかった。これだけ距離があれば、どんな刃物でも届かない。彼らが近づいてくるまでには、まだ何秒かの時間がかかるはずだと思っていたのだ。
バンッ
部屋の奥から聞こえたのと同じ破裂音がして、モニムが突き飛ばされたように後ろへ倒れた。
その瞬間、モニムの左胸から鮮血が散るのを、ウエインははっきりと見た。
(――何が起こった?)
ウエインは呆然と目を見開いた。
カイビは、こちらへ近づいてなどこなかった。
ただ無言で、黒い筒の先端をモニムに向け、そして――、
(何かが、飛んできた?)
まだ何が起こったのか理解しきれていないウエインに、カイビが黒い筒の先を向けてきた。
また破裂音。その瞬間、ウエインの腕が意図することなく跳ね上がり、
ビイィィィ…ン
耳に障る嫌な音がして、腕に激痛が走った。
反射的に剣を取り落としそうになったのを、なんとか堪える。
黒い筒から飛んできた何かを自分が剣で弾いたらしいと気付いたのは、
「馬鹿な!?」
とうろたえる男達の様子を見ている途中だった。
(俺が弾いた、というより、たぶんエルがやってくれたような気もするけど)
ウエインはそう考えながら、モニムの元に駆け寄った。
衣の胸の部分に穴が開き、その周りが血で汚れていたが、既に血は止まっているようだった。
「……よくも」
ウエインが見つめる前で、モニムが呟いて身を起こした。
(――いや、違う)
モニムの目には、『泉』にいたときに見たのと同じ、虹色の揺らめきがあった。
(エルだ)
そういえばイエラの目にはこの色も見えなかったな、とウエインは思い返す。
だが、暢気にそんなことを考えている場合でもなかった。




