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水の魔物  作者: たかまち ゆう
第二章 失われた故郷 

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2-4. ディパジットへ

 クラムがまた家に戻るのを見届けると、モニムはその布を広げ、今着ている服の上から羽織った。

 布の下に挟まった髪を引っ張り出さず、上部に余った布を頭に巻きつけて結ぶ。

 (ひたい)まで覆うように巻かれた布によって前髪は隠れ、眉毛も陰になって、特徴的な銀髪は見えなくなった。

「へえ……。そんな風になってるんだ」

 マシラクス教徒を見たことはあったが細かく観察したことはなかったウエインは、ゆっくりではあるが迷いなく着込むモニムに感心した。

「近所に住んでいた、デューン人の女の人が着ていたの。わたしには、神に仕えるという感覚はよくわからないけれど、珍しくてじっと見ていたら、その人が一度だけこっそり着せてくれたのよ」

 モニムは恥ずかしそうに微笑んだ。

「……じゃあ、行こうか。どうする? 森の中を歩いていく? 少し遠回りすれば、もっと歩きやすい道もあるけど」

「少しでも早く着ける方がいいわ」

「分かった」

 ウエインはまた森へ戻って歩き始めた。

 進むべき方向は、北北西。

 ディパジットはかなり大きな町であるらしいので、迷う心配はほとんどなかった。

 自分の方向感覚の良さは体内のエルフューレのおかげなのかもしれない、とその時ウエインは気付いた。

 夢の中で、多くの動物が『泉』で水を飲んでいる光景を見た。

 あれもエルフューレの記憶だったのだとしたら、エルフューレはあの動物達全てと意識を同調できたことになる。

 だとしたらエルフューレは、森には相当詳しくなったのだろうから。


     *


 迷うことなく、目的地へ着けそうだ。

 ディパジットの外壁が見えてきた時、ウエインはそう思ったが、ホッとするどころか、顔を強張らせずにいられなかった。

(――高い)

 ウエインの身長の三倍はあろうかという石の壁が、左右に長く続いている。

 どうやらこの高さの壁が、町全体を囲んでいるらしい。

 隣国との争いも絶えて久しい今、国境線にだってこんな壁がありはしないというのに。

(こんな、まるで――)

 攻め込まれるのを恐れているような。

 そう考えかけて、ウエインは頭を振った。一体、誰がこの町を攻めるというのか。

 元々歓迎されることを期待して来たわけではないが、「拒絶」という言葉を具現化したかのようなこの壁を見ると、腰が引けた。

 隣ではモニムも気圧されたように沈黙している。ここが本当に自分の故郷だった場所なのか、確信が持てない様子だった。

「……どうする? 本当に行く?」

 モニムの気が変わるのをほんの少しだけ期待して、ウエインは訊いてみた。だが、

「……行くわ」

 青ざめながらもきっぱりとモニムは言った。

「たとえ、わたしの知っているデュナーミナの面影が全く残っていない場所だったとしても、一度は帰…いえ、行ってみなくては、いつまでも心残りになるもの」

「分かった」

 ウエインは頷き、覚悟を決めた。

「……どこから入るのかな」

 自らを鼓舞するため、努めて明るい口調で言う。

 左右を見回してみても、門らしきものは見当たらなかった。リューカ村から森を抜けてディパジットへ出る広い道は、ここよりかなり西側へ出るようになっているから、おそらく門もそちらにあるのだろう。

「こっちから回ってみようか」

 二人は壁に沿って西側へ進んだ。

 ウエインの推測は正しかったらしく、ほどなくして、壁の様子が一部違うところが見えてきた。あそこが町の入り口だろう。

 ウエインはモニムの格好を改めて観察し、髪が見えていないこと、他に不自然なところがないことを確認した。

 モスに乱れはなく、髪はきちんと隠れているが、瞳だけは隠す方法がない。それが急に不安に思えた。

「いい? モニム、決して町の人に顔を近くで見られないようにして。できればなるべく目は伏せておいた方がいいな。歩きにくいようなら、俺が手を引くから」

「……はい」

 モニムも緊張した様子で頷いた。

 そうして到着した町の入り口は、そこだけ木でできていると思われる巨大な扉だった。木といってもかなり厚みがあり頑丈そうで、壁と同じだけの高さがあるそれは、非常に重いだろうと思われた。

 一人で開閉するのはおそらく不可能だろう。

「我が国に何か用か?」

 扉の両脇に二人ずつ立っていた門番と思える者達のうち、最も近くにいた若者が声をかけてきた。

「国?」

 ウエインは道を間違えたかと思った。

「あの……、ここは、ディパジットという町ではないんですか?」

「いかにもここはディパジットだ。しかし、単なる町ではない。もうすぐ国として独立することになっている」

「え、そうなんですか?」

 こんなに狭いのに? とウエインは思ったが、口には出さなかった。

 町としての規模はともかく、一国としては小さすぎると思うのだが、ここでそう言って相手の気分を害するのはどう考えても得策ではない。

 まだ二十代半ばと思われるその若者は、あまり気が長そうには見えなかった。

「凄いんですね」

「そうだろう!? なにしろ我々には――」

 若者はそう言って、手に持っていた黒い筒のようなものを軽く持ち上げようとした。

「おい。そのへんにしておけ」

 そんな若者を制止したのは、隣に立っていた年嵩(としかさ)の男だった。三十代後半くらいだろうか。目つきが鋭く、妙な威圧感がある。目が合っただけで冷や汗が出そうだ。

「それで、何の用なんだ」

 改めて問うてくるその声も冷厳だった。

「あの、俺……いや、私達は」

「何か探りに来たのか? ええ?」

「え……」

 男の態度は明らかにこちらを怪しんでいるものだった。しかも、「疑わしい」というレベルを超えて、何かを確信しているように見えた。

 モニムのことがバレたのかとも思ったが、それにしては敵意がウエインに対して強く向けられすぎている気がする。

「探る、なんてそんな……」

 必死に否定したが、男がこちらに向ける眼差しから疑いの色は消えない。

 そこへ。

「あのう。何かあったんですか?」

 その場にそぐわない、やけに暢気(のんき)な声がウエイン達の後ろから聞こえてきた。

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