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水の魔物  作者: たかまち ゆう
第二章 失われた故郷 

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2-3. クラム

「しかし、ここにその人がいるということは、生き残りがいたということなのかね? ……いや、すまんな、この年寄りはどうも好奇心が強くて」

 モニムが警戒心を露わにするのを見て、クラムは苦笑した。

「貴女が訊かれたくないというなら、儂はこれ以上何も言いますまい」

「あの、先生、彼女のことは――」

 言いかけたウエインを、クラムは手のひらを見せて押さえるような動作で止めた。

「誰にも言うなと言うんだろう? 解っておる。ディパジットの連中は、今でもイリケ族を嫌っておるからな。噂になってはまずかろう」

「……!」

 ウエインはハッとしてクラムを見つめた。

「どうして、ディパジットの人がイリケ族を嫌うんですか? 逆なら分かりますけど」

 普通は、殺された方が殺した方を憎むものではないのだろうか?

 しかも、ほぼ三百年経った今では、当時の人間は一人も生き残っていないはずだ。

「報復を恐れているということですか?」

「うむ。まあ、そう言えるのかな。デューン人は、イリケ族の水を操る能力を非常に警戒しておったらしい。未だに、彼女達を忌むべきものとして敵視しておる。イリケ族のうち、強い能力を持つ者は、川を逆流させることさえもできたというから、それが本当なら確かに恐ろしい力ではあるがな」

 クラムはモニムに視線を向けた。

 水、という単語は否応なく『奇跡の泉』のことを思い出させる。『泉』とモニムに何か関係があるのではと考え始めているのだろう。

「……モニム」

 ウエインはモニムに近寄って小声で話しかけた。

「先生の曾孫は、生まれたときから重い心臓の病気に苦しんでいるんだ。だから、少し『水』を分けてあげることはできないかな?クラム先生は信頼できる人だし、モニムを危険に晒すようなことにはならないと思う」

 それにクラムは、リューカの多くの村人に対して影響力を持っている。ここで彼に恩を売っておくことは、今後の方針を考える上で損にはならないはずだった。

「病気? そう……。お気の毒に」

 モニムは呟き、そして困ったように足下を見た。

「でも、ここには『水』がないわ」

「え……。えーと、今はモニムの身体の中にあると思うんだけど」

「え?」

 モニムは一瞬青ざめたが、自分の胸に手を当て、しばらく目を(つむ)った後、再び開けた時にはどこか決然とした表情をしていた。

「わかりました。何か、液体を入れられる物を持っていますか?」

 と、クラムに向かって訊く。

「もちろんです。儂は『水』を得るそのために『泉』を探していたのだから」

 言いながら、クラムは懐に手を入れて革袋を取り出した。

 革袋を受け取ったモニムは一旦クラムに背を向けた。

 少しして再び向き直った時には、革袋に水が満たされていた。

「持っていってください。あなたがわたしのことを喋らなければ、赤ちゃんは助かるはずです」

「おお……。これが」

 目を見開き、クラムが感嘆の声を上げた。『水』か、と言いたかったのか、あるいはイリケ族の力か、と続けたかったのだろうか。

 クラムが伸ばした手に、モニムは革袋をそっと置いた。

「あの、先生。モニムが今ディパジットに行ったら、どうなると思いますか?」

 ウエインは、クラムの意見を聞いておこうと訊ねた。

「まさか……、行くつもりなのか?」

「迷っています。それを判断するためにも、どの程度危険なのか知っておきたいんです」

 クラムは眉根を寄せた。

「やめた方がいい。だが、どうしても行くというなら、少なくとも彼女の髪を隠すべきだな。イリケ族と気付かれれば、追い出されるか、捕まえられるか、あるいは最悪、命を狙われるか……、いずれにしても、良心的な振る舞いを期待することはできんだろうから」

「そうですか……」

「髪を隠すなら、良い物が家にある。どちらにしても、いずれ必要な場面があるかもしれん。『水』のお礼に差し上げよう」

 クラムはモニムに微笑みかけた。

「ぜひ一度、儂の家に来てくだされ。儂もこの『水』を早く曾孫のところへ持っていってやりたいしな」

「え? ええ……」

 革袋を大事そうに抱えて踵を返すクラムを、ウエインは追った。モニムも、躊躇(ためら)いながらついてくる。

「先生、良い物というのは、何ですか?」

「うん。マシラクス教の信徒が頭から被る衣、モスだ。あれなら髪を完全に隠せるし、屋内でも脱ぐ必要がない」

「ああ、なるほど……」

 ウエインは納得して一つ頷いた。

 東方の国の国教であるマシラクス教の信徒はこの国にはそう多くないが、信教の自由は認められている。ウエインも、その独特の服装をした人を見かけたことがあった。

「ただ、怪しまれれば引き剥がされる可能性はある。本当は、そんな危険な場所には行かないのが一番なのだがな……」

 そう語りながらも、クラムは迷いない足取りで進んでいた。

 ウエインはその後に続きながら、ふと疑問に思う。

「そういえば先生、リューカに戻る道は分かってるんですか?」

「ああ。この辺りまで来れば、あとは自分の家の庭のようなものだ」

「はあ……」

 それでは、クラムがなかなか帰ってこなかったのは、やはり道に迷ったせいなどではないのだろうか。

 それとも、自分の居場所は分かっていたものの、泉は見つけられずに彷徨っていたのか。

 先程のクラムの歯切れ悪さを考えれば、少なくとも進んで話したい内容ではないのだろう。

 何か本当のことを言えない訳があるに違いない。

 他ならぬクラムが黙っているのなら、追及するのは気が引けた。

 ウエインが迷っている間に、森の木の間から外が見えてきた。

 天頂近くにある太陽が眩しく光を放っており、森の外は明るい。

 クラムの家は村の外れ、森に接した場所にある。

 ウエイン達が辿り着いたのは、その家のちょうど裏だった。

 ウエインにとっても見慣れた風景だ。クラムの授業は座学だけではなく、裏庭や森に入っての体験学習も多かったからである。

 正確にこの場所へ出られたことからも、庭のようなものだというクラムの言葉は真実のようだった。

「ちょっと待っていてくれ」

 言い置いて、クラムは家の中に入っていく。

「さっき……」

 クラムの姿が見えなくなってから、モニムがぽつりと呟いた。

「ん?」

「あの時みたいだった。水を渡した時。あなたのお父さんが泉に来てくれた時」

「ああ……」

「初めて泉に行った時から、わたしは人とはほとんど会わなかったの。動物達はたくさんいたけれど、わたしは寂しかった。ずっとずっと寂しかった。だから彼が来て、一緒にいると言ってくれて、本当に嬉しかったのよ。彼を待っている間は、幸せだった。でも最近は動物達もだんだん減ってきていて……。これで彼が来てくれなかったら、わたしは本当にひとりぼっちになってしまうって、思っていたわ」

「一人じゃないよ」

「え?」

「エルがいるじゃないか」

「…………」

「それに、俺も――」

 わぁ、と、歓声のような悲鳴のような声がどこかから聞こえ、ウエインは言葉を切った。クラムの家人が、彼の突然の帰宅に驚いて発した声だろうか。

「えっと……」

「クラムさんは約束を守るかしら? わたしはもう、裏切られるのはいや」

「あ……、うん。大丈夫だと思うよ……」

「信じていいのか、わからないの。だって、イスティムさんは来てくれなかった。それに……。あの日、わたし達を殺しに来たのは、前の日まで同じ村で暮らしていた男の人達だったのよ」

「え?」

 モニムが今度は何の話を始めたのか捉え損ね、ウエインはモニムの顔を見返した。

「あの日? って?」

 聞き返してから、ハッと思い当たる。

「もしかして三百年前の……?」

「ええ」

 モニムは頷いた。

「村の男の人達はみんな敵になった。お父様だけはわたし達を庇ってくれたけれど、でも、そのせいで……」

 モニムの声が震えて途切れた。

 口元を押さえ涙を堪える様子のモニムから、ウエインは視線を逸らした。

 モニムが語っているのは、自分自身の「体験談」だ。ならばやはりモニムは、襲われて殺された者達の子孫ではなく、その時その場にいた本人なのだ。

「……その時、モニムは何歳(いくつ)だったの?」

 返事が来るまでには、少し間があった。

 モニムは、気持ちを落ち着けるように一つ深呼吸してから言った。

「十三。もう少しで、十四歳の誕生日だったわ」

 それは、今のモニムの外見年齢とほぼ一致する。

「やっぱり、そうなのか……。じゃあモニムは三百年もずっと、その姿のままなの?」

「ええ。あの日以来、成長が止まったみたい。だからもう、半分は死んだようなものよ」

「…………」

「でもこのままじゃ……、あの後、お母様や村がどうなったのか、自分の目で確かめないままじゃ、死んでも死にきれないわ。だからウエイン、お願い。わたしをデュナーミナがあったところまで連れていって」

「うん。分かったよ。モニムがそうしたいなら」

 そこまで話した時、家の戸が開いて中からクラムが出てきた。手に、折り畳んだ灰色の布を持っている。

「いや、お待たせしてすまなかった。これがモスだ。着方(きかた)は分かるかね?」

「ええ、大丈夫だと、思います」

 モニムは頷いてその布を受け取った。

「これ、本当に頂いてもいいんですか? きれいな状態で、きちんとお返しできるかどうかわからないのですけど……」

「もちろん、そのくらいのものならいくらでも差し上げますよ。モニムさん、『水』をありがとう。本当に感謝しております」

 クラムは微笑み、深く頭を下げた。


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