7.美獣と花嫁の一日
ヴァーミリオンと顔を合わせている時間は、意外と短いものだった。
夜行性のヴァーミリオンと、昼行性のリリアディアでは、活動時間が意外と重ならない。
また、ヴァーミリオンは時間帯によって姿が異なる。
ここ三日観察を続けた結果、ヴァーミリオンは、午前六時から午後の六時までは獣人型、午後の六時から午前六時までは人型という中途半端な呪いにかかっていることがわかった。
リリアディアは周囲が明るくなると目が覚めるようになっているので、朝の起床は今のところは六時前後だ。
「…おはよう」
朝食のためにリリアディアが食堂に足を運ぶと、いつもそこには既に美獣がいる。
「…おはよう」
リリアディアは挨拶をして、美獣の正面に腰掛ける。
いつも、このタイミングで笑顔のティルディスがテーブルワゴンを押して現れる。
「おはようございます、主、花嫁様。 本日の朝食は、パンの盛り合わせに生ハムとルッコラのサラダ、果物です。 お飲み物は紅茶でよろしいですか?」
「構わない」
ヴァーミリオンの反応を待って、ティルディスはテキパキとリリアディアの前にお皿を並べ始める。
いつもながら豪華すぎる朝食に、リリアディアは呆気にとられるばかりだ。
「ささ、花嫁様、遠慮なさらずにどうぞ」
にこにこと笑むティルディスがリリアディアに勧めるものだから、リリアディアは目を閉じる。
「全ての恵みに感謝して、いただきます」
生ハムをナイフで切って、ルッコラと一緒に口に運ぶ。
「美味しい」
「当然です」
リリアディアの反応にティルディスはそう返すが、やはり嬉しそうではある。
そのティルディスは、ヴァーミリオンの隣にもう一食の朝食の準備をし始めた。
リリアディアが朝食を摂っている間、この美獣は食事をせずにじっとリリアディアを見つめている。
瞬きすら惜しいという様子は、非常に理解に苦しむ。
リリアディアは、ヴァーミリオンの視線を気にしないようにしながら、黙々とティルディスの作ってくれた朝食を堪能する。
ヴァーミリオンが、今、食事をしないのには、理由がある。
現在、ヴァーミリオンは獣人型。
よって、あのもふもふな手での、細かな調整を必要とするものの扱いは、非常に困難らしい。
つまり、今現在の美獣な姿では、カトラリーの扱いが難しいようなのだ。
それでも、リリアディアと共に朝食を摂りたい欲求はあるらしく、なんとか食事をしようとしていたのが、出逢って二日目の話。
そのとき、見るに見かねたリリアディアは、食事を終えた後で、格闘する美獣の隣の席に移ってベーコンエッグを切り分けてやった。
「はい」
フォークに刺して、ずいと突き出してやれば、美獣の目が点になる。
意味をわかっていないのだろうか。
「あーん。 口、開いて」
リリアディアが言うと、美獣の目が泳いで、ティルディスに助けを求める。
「…ティルディス。 私はどうすればいい。 花嫁が可愛すぎて、苦しい」
「この程度で苦しがられては、私が困ります。 花嫁様の厚意を有難く頂戴すべきです」
そういうわけで、その日の朝のリリアディアは、美獣の食事の世話をした。
食事を終えた美獣は、疲労困憊した様子であり、その後すぐに就寝したようだった。
因みに、その日の夕食では照れまくる人型のヴァーミリオンに、視線すら合わせてもらえなかったという状態だ。
視線は感じるのに、リリアディアが目を向けると、事前に察知して目を逸らすのか、別のところを見ている。
これが、今までリリアディアと接してきた人間の普通の反応だというのに、不思議な気持ちだった。
そしてその翌日の朝、リリアディアは美獣の隣に座って食事をすることにした。
自分が食事をしながら、美獣の世話も焼いた方が早いだろうと思ったからだ。
「はい」
リリアディアがサラダを美獣に差し出すと、美獣の目が泳いで、ティルディスに助けを求める。
昨日も見た図だ。
「ティルディス、私にはリリアディアと同じカトラリーを使うのは無理だ」
リリアディアは、いちいち自分のカトラリーと美獣のカトラリーを持ちかえるのも面倒なので、リリアディアの使っていたフォークでパンプキンサラダを差し出したのだ。
それがどうやら、美獣のお気には召さなかったらしい。
リリアディアはむっとして、差し出していたフォークを自分の口へと運んだ。
「そんなに嫌いならしるしなんて消して追い返せばいいのに」
文句を言いながら、半ば自棄になってリリアディアは食事を進める。
「…ティルディス…私は試されているのか? リリアディアが口をつけたものを口に入れるなど…考えただけで内側から焼け焦げそうなのに」
「大丈夫ですよ、主。 その程度で焼け焦げていたら【番】になどなれません」
むしゃむしゃもぐもぐと食事をしたリリアディアは、「ごちそうさまでした!」と手を合わせた。
そして、美獣のカトラリーを手に取り、再度美獣のパンプキンサラダを美獣の口へと近づける。
「はい。 これならいいんでしょ?」
リリアディアが言うと、美獣の目が丸くなる。
そして、三度、ティルディスに向いた。
「…ティルディス…。 花嫁が可愛すぎて死ぬという事象はありえるか?」
「私の知りうる限りではありまえせん。 可愛い花嫁様を思う存分堪能なさってとっとと花嫁様に慣れてください」
そういうわけで、美獣がリリアディアの口をつけたカトラリーを固辞したため、リリアディアは食事を終えた後、美獣のカトラリーで美獣の世話を焼くことになった。
ついでに言うのであれば、美獣は殊の外、この日課を気に入ったらしい。
もちろん、照れながらではあるが。
そして朝食を終えたリリアディアは、ヴァーミリオンをストーキングするのが日課となっている。
仕方ないではないか。
ティルディスには、下手に歩き回ると危ないと言われているし、家事全般はティルディスの畑らしく、リリアディアを近寄らせたがらない。
在り体に言えば、リリアディアは暇なのだ。
暇を潰す何かを探していたら、美獣の世話をしろと言われたので、飛びついた。
人型のヴァーミリオンの世話は御免だが、美獣の世話なら喜んで!
リリアディアにストーキングされるのがまんざらでもない様子の美獣なのだが、リリアディアに世話はされたがらない。
出逢って二日目の朝、美獣について行ったら、美獣は入浴をするということだった。
あのつやつやでさらさらの全身の洗浄にはさぞかし時間がかかるだろう。
あの素敵な毛並みを洗って乾かしてブラッシング…なんて楽しそうなのだろう!
リリアディアはきらきらとやる気になったのだが、美獣の反応は微妙だった。
「…リリアディア、何か期待をしているようだが、入浴は一人で済ませる」
「えっ、なんで? 手伝うよ! っていうか、手伝わせてください!」
「…リリアディア、…それは、私の【番】になってもいいということか?」
神妙な様子で聞いてくる美獣に、リリアディアはぎょっとする。
話の流れがわからない。
「え、どうしてそうなるの?」
リリアディアの返答に、目を伏せた美獣は疲れた様子で緩く頭を振る。
さっきぶんぶんと揺れていた尻尾が、一瞬にして垂れ下がった。
その反応は何だ。
「…だったらだめだ。 そういうことには順序があり、きちんと【番】になってからでないと」
「…それは、交換条件ということ?」
リリアディアの問いに、美獣が困ったように瞳を揺らす。
助けを求めようにも、ここにはティルディスもいないから困っているのだろう。
そして、困り果てた美獣は腹を括ったらしい。
「…リリアディア、私は男性体だ。 可愛い花嫁に全身を愛撫されて、理性が飛ばない自信がない。 容赦してくれ」
リリアディアの目を見ずに言いきった美獣は、逃げるようにそそくさと浴室に入って行った。
あまりの衝撃に、リリアディアはその場から動けずに、ぼっと顔を真っ赤にする。
そうか、あの美獣な姿に目隠しされていたが、そういうことか。
確かに、リリアディアも美獣に体を洗う提案をされたら拒否をするだろう。
それと同じことだったらしい。
にしても、どうして愛撫などという卑猥な単語を出してくるのだ。
それからリリアディアは浴室へのお供をすることは諦めるようになった。
代わりに、美獣の寝室を整え、美獣を待っていることにした。
美獣の部屋のカーテンは分厚い。
そして、リリアディアの目だから見えるが、わずかに魔力が感じられる。 このカーテンを閉じてしまえば、美獣の部屋は昼までありながらそこだけ夜闇の空間となる。
明るいのが苦手なのだろうか、と思っていたが、眠るのに適した環境を整えているだけなのだろうな、と気づいた。
美獣の就寝時間は、九時から十時の間くらい。
どれだけ遅くても、十一時になったことはない。 本日も、十時少し前に美獣はベッドに入った。
美獣は眠るときは、寝衣を下穿きしか身につけないらしい。
理由を聞いたところ、「窮屈で苦手だ」ということだった。
下穿きは窮屈でないのか、と聞いたら、「…以前は身につけなかった。 今は…君の目があるから…」と物凄く照れた美獣から返って来た。
リリアディアは、不躾な質問を放ったことを心から後悔した。
紳士で純情な美獣は、リリアディアを寝室に入れたまま、そこを密室にすることはない。
今も、廊下へと続く扉が放たれていて光が入ってくるので、リリアディアはベッドに入った美獣を見届けて、カーテンを閉める。
そうすれば、夜の帳が落ちる。
「おやすみなさい」
リリアディアが美獣に近づいて告げると、美獣からふっと音が漏れ聞こえた。
笑った、のだろうか。
「おやすみ、リリアディア」
「ねぇ、今、何か笑った?」
リリアディアが胡乱な目で美獣を見ると、美獣の声が耳に響く。
「君が、『おやすみ』と言って、眠るまで傍にいてくれる。 目覚めれば、『おはよう』と笑いかけてくれる。 幸せだな、と思っただけだ」
リリアディアには、笑いかけた覚えなどないのだが、美獣の目には都合よく見えているらしい。
それとも、リリアディアが無意識で、笑いかけているのだろうか。
だとしたら、由々しき事態だ。
自覚がないというのはとても怖い。
リリアディアが考えていると、耳に穏やかな呼吸が聞こえて来て、美獣が寝ついたことを知る。
美獣は獣なだけあって、耳がよい。
リリアディアはいつも、ここからは気を遣って音を立てないようにして、美獣の寝室を後にするのである。
それからリリアディアは、最低限自分の着ていた衣類を洗って干す。
ティルディスがやってくれると言ったのだが、さすがに気が引けたのだ。
この薔薇屋敷はいろいろと謎で、室内に洗濯ものを干しているというのに、衣類が夕方までに乾かなかったことは一度もない。 怖いので、何がどうなっているかは聞かない。
世の中には知らないほうが幸せなこともたくさんある。
昼食を終えれば、自由時間だ。
欲しいものは、ティルディスに言えば大抵どうにかしてもらえる。
リリアディアは今、ティルディスに用意してもらった毛糸で、編み物をしている。
生まれてくる、甥か、姪かに、手袋と、帽子と、セーターと、靴下を編む計画を立てたのだ。
この屋敷には本もたくさんあるし、リリアディアは毎日本を一冊読むことも決めた。
だが、そうしている間にも、自分の家族のことを思う。
身重のナンシーは大丈夫だろうか、アンは家事を出来ているだろうか。 父はまた、変なことに巻き込まれていないだろうか…。
左手の甲をちらと見れば、そこには変わらず【番】のしるしである、黄金と深紅の花弁の薔薇が咲いている。
この問題を解決できないうちは、家に帰ることはできない。
けれど、美味しいティルディスの料理を食べたとき、これを一緒に食べたいと思うのも、食べさせてあげたいと思うのも、今のところはやはり、家族なのだ。
そんなことを考えているうちに、六時の鐘の音が耳を打つ。
これが、夕食の合図。
夕食で会うヴァーミリオンは、美獣の姿ではなく、目も眩むくらいに美しい青年の姿で非常に残念だ。
そのヴァーミリオンに、夕食時、「食べさせてはくれないのか?」と聞かれたときは顔面蒼白になったものだ。
あれは、美獣がカトラリーを使えないからやったことであり、人型のヴァーミリオンにする理由もなければ意味もない。
ヴァーミリオンは、ときどきずれている。
いつもなら、真っ直ぐに自分の部屋に向かい、お風呂を済ませてまったりし、就寝するリリアディアだが、それではいつまでも状況は変わらない。
ヴァーミリオンは「知り合って好きになってもらえたら…」とか言っていたが、そうだ。 交渉の材料となる何かを手に入れる必要がある。
リリアディアはその何かを手に入れるべく、ヴァーミリオンの私室に向かった。
こんこん、と扉をノックするが、返事がない。
リリアディアがそろり、と扉を開くと、目の前には困った表情のヴァーミリオンがいた。
「…どうした?」
「…お互いを知る時間が足りないなぁ、と思って」
リリアディアが言うと、ヴァーミリオンの白皙の頬がうっすらと朱に染まり、目が潤む。
薄々感じていたのだが、この美貌の青年は赤面症なのだろうか。
リリアディアがじっとヴァーミリオンを見つめていると、ヴァーミリオンは言いづらそうにしながらも、リリアディアを諭す。
「…それは、嬉しい。 …けれど、だからといって、この時間に異性体を訪なうのはいかがなものかと思う」
「…じゃあ、いつ話をすればいいの?」
リリアディアが問うと、ヴァーミリオンは黙ってしまった。
これは、致し方ない、ということでいいだろうか。
リリアディアがヴァーミリオンの脇をすり抜けて室内に入ると、ヴァーミリオンは深い溜息をついて扉を開け放したままにした。
ヴァーミリオンが向かっていたと思しき執務机には、何やら書類が積まれている。 だが、残念ながらその文字はリリアディアには読めない。
「これは?」
「仕事だ。 これでも異階では貴族だから。 リリアディア、話がしたいのならば、こちらに座って話そう」
肩を竦めたヴァーミリオンは、リリアディアを客人用と思しきソファを勧める。
「どうして、わざわざ、夜にお仕事を…? あ」
勧められたソファに移動しながら疑問を口にしたリリアディアだったが、言いながらふと思い至る。
夜は、ヴァーミリオンは人型である。
昼間の獣人型のときには使えないカトラリーもきちんと使えていた。 ということは、書き物についても同じということか。
リリアディアの納得を見透かしたように、ソファに脚を組んで優美に座ったヴァーミリオンが頷く。
「そういうことだ。 獣の体には、不自由なこともある」
すとん、とヴァーミリオンの正面に腰を下ろしたリリアディアに、ヴァーミリオンの瞳が向く。
「リリアディア。 私は君に好きになってほしい。 知りたいことは、聞いてくれ。 答えられる範囲で答える」
思いがけず真摯な答えが返って来て、リリアディアは良心が痛むのを感じた。
ヴァーミリオンのことを知りたい、というのは間違いではないが、弱みを探しに来ただなんて…言えない。
「何かあれば遠慮なく聞いてくれ。 母の姿を見ていたから人間の女性が好むものは何となくわかるが…個人差があるのだろう?」
問われて、リリアディアは思わず、ヴァーミリオンを見てしまった。
「お母様は人間だったの?」
「そうだ」
表情を変えずにこくりと頷いたヴァーミリオンを見て、リリアディアは腑に落ちる。
「だから」
その【腑に落ちた】が知らず唇から零れてはっとする。
ヴァーミリオンが、不思議そうな顔でリリアディアを見つめているから、応えないわけにはいかなくなってしまった。
「魔力があって、強くて、人間とは比べられないくらい綺麗で…お話の中だったら、人間を蔑んでても当然なのに、全然そんな感じがしないから、どうしてかなぁって思ってたの」
薔薇に選ばれた花嫁、というだけで、種族の違う花嫁を受け容れられるのはどういうわけかと思っていたが、母親が人間だったのなら納得だ。
もしかしたら、ヴァーミリオンは、母親と同じ種族に興味を抱いているのかもしれない。
「お母様はどんなものを好んだの?」
「甘い菓子は好きだった」
間髪入れずに返って来た答えに、リリアディアは微笑ましくなる。
それは、ヴァーミリオンの中に、彼のお母様が生きている証だ。
「うん、わたしも好き。 ほかには?」
少し考えるような表情になったヴァーミリオンは、更に続けた。
「あとは、そうだな。 父のことが好きだった」
母親が好んだもの、で二番目に出てくるものが【父】ということは、ヴァーミリオンの両親はとても仲睦まじかったのだろう。
「素敵なお母様だったのね」
「だが、私はリリアディアのほうが素敵だと思う」
これまた間髪入れずに返されて、言葉に詰まったのはリリアディアのほうだった。
ヴァーミリオンは不思議なところで照れるくせに、こういう言葉をさらっと言うから謎だ。
そこでふと思いついたように、ヴァーミリオンが言う。
「何か欲しいものはないか? 母は父におねだりをするのも好きだった。 父に甘えるのも、父を困らせるのも」
そうか。 小悪魔なお母様だったのだな。
「…お母様もお父様も亡くなっているの?」
リリアディアは、疑問に思っていたことを聞いた。
この邸に、ヴァーミリオンとティルディス、リリアディア以外に誰かいるという様子はない。
ヴァーミリオンが、静かに笑む。
寂しげで、哀しげで、でもとても美しい表情に、リリアディアの目はくぎ付けになる。
「ああ。 人間の寿命は短いな」
ぽつり、と零された言葉が、リリアディアの中の何かに触れる。
人間の、ということは、お母様の寿命は短かった、ということでいいのだろうか。
「お父様の寿命は長かったということ?」
問うが、その簡単な問いに応じる声はない。
先ほど、お母様の好きなものを尋ねたときには、間をおかずに答えが返ってきた。
今の問いは、その質問よりも遥かに答えやすいもののはずだ。
ということは。
「…答えたくないことなのね。 なら別に聞かない」
素っ気なく言った後で、リリアディアはハッとする。
そもそも、弱み的な何かを探しにきたはずなのに、どうして「聞かない」とか言ってしまったのだろう。
自分がわからない、と思いながら、リリアディアは自分の左手の甲を見た。
「…やっぱりわたし、考え直した方がいいと思うの。 だって、わたしも人間よ? 貴方より早く逝くのはわかりきったことだわ」
「縁起でもないことは言うべきではない」
頑なな声が返って来た。
やはり、ヴァーミリオンの反応は速い。
だからこそ余計に、答えづらい問いがわかるというものだ。
「それに、その点は問題ない」
付け足すような言葉が耳に届くが、【その点】は何を指しているのだろう。
考え直した方がいい、と言ったことだろうか。
ヴァーミリオンの考えも、言葉も、リリアディアには難しい。
「…どうして、貴方はここにいるの?」
「どういう意味だ?」
声が固い気がする。
ヴァーミリオンは表情があまり動かない。
赤面症の気はあるが、不機嫌かどうかについては、声の方が手掛かりとなりそうだ。
「だって…貴方たちと、人間とでは、あまりに違うでしょう? わたしは時たま貴方の言っていることが理解できないし、考え方や、感情も、よくわからないときがある。 それは、貴方たちだって同様でしょう?」
そんなところに、そして、こんなふうに周囲から自分たちを隔絶させ、人目を忍んでまで、人界にいる意味は聞いたけれど、同族のいるという【あちら】にいても仕事はできるはずだ。
「必要があれば、あちらに戻る時もある。 あちらには居城があるから。 だが、私はこちらの方が好きだ」
最後の一言が、リリアディアの胸に落ちる。
そうか。 ここは、おそらく、ヴァーミリオンが彼の両親と過ごした場所でもあるのか。
思い出も、たくさん詰まっているのだろう。
途端に、リリアディアは自分の質問を恥じた。
「ごめんなさい、無神経なこと聞いた」
「どうして?」
問い返す声がやわらかいのが救いだ。
そう思いながら、顔を上げる。
すると、ヴァーミリオンがその美貌に、破壊的な微笑を浮かべていた。
「だって、こちらには、君がいる」
そのとき覚えた感情が、恐怖だった、なんて、口には出せない。