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6.番の役割

「【番】がいると、呪いも緩和されるんですよ」

 だから、【番】が必要なのか。

 リリアディアは腑に落ちる。

「…ああ、なんか嫌な予感がしてきた。 そうよね、呪いにかけられたお貴族様なんて、王道パターンだものね。 呪いと聞いた時点で花嫁の役割について考えるべきだった」

 同じく王道で考えるのならば、呪いを解くために必要なものも自ずと導き出される。


 そうと決まれば話は早い。

 リリアディアが【番】として、美獣の呪いを解けば、リリアディアは晴れてお役御免。 無事に解放してもらえるだろう。

 早く呪いを解いてしまおう! とリリアディアは急にやる気が湧いた。


 さてさて、【番】なリリアディアは、旦那様に何をすればいいのだろう。

「美獣な旦那様にキスでもすればいいの? 泣いてあげればいいの? でも、それって別に結婚しなくてもいいんじゃない? ああ、でも、美獣を愛していなければ何をしてもダメなのかしら、それだと望み薄ね」

「花嫁様、何気にひどいことが混ざっておられます」

「え、ごめんね、気づかなかった」

 どの辺だろう、と自分の発言を振り返ってみるが、そんなにひどい言葉が混ざっていただろうか?


 ティルディスは哀しげな顔でふるふると頭を振った。

「それに、花嫁様は誤解をしておられます。 【番】は私たちにとって特別なもので、傍にいることが当然というか、安定するというか…」

「でも、【番】が何かすると呪いが解けるんでしょう?」

「あくまでそれは付加価値と言いますか…」

 先ほどから、ティルディスの反応はのらりくらりというか、妙に言葉を濁している。


 リリアディアは、まだるっこしいのは苦手なのだ。

 まずは答えを、結論を! と先を急ぐ。

「付加価値でも、呪いは解けるんでしょう? 何をすればいいの?」


 問うと、二人が絶句する気配が伝わる。 そこで、リリアディアは怯んだ。

 何か、自分はまずいことを言ったのだろうか?


「花嫁様が人間ということは、その辺の説明も必要ということになるのですね…。 失念していました」

 ヴァーミリオンがティルディスを見た。

「父上は母上にどのように説明したんだ?」

「母君様は、父君様の正真のお姿にめろめろでしたからね…。 特に説明も必要なかったのではないでしょうか?」

 難しい顔で主従が首を捻っている。


「何二人で内緒話してるの?」

 リリアディアが問いかけると、またもや美貌の主従は顔を見合わせてしまう。

 そして、本気で思案している空気が伝わってくる。

 リリアディアがぶつけている質問は、彼らにとってはそんなに無理難題なのだろうか。


「…私が説明しましょうか?」

「…いい、私がする。 場所を移すから、ティルディスはここを」

 吐息をついて、ヴァーミリオンが立ち上がる。

「畏まりました」


 ヴァーミリオンはリリアディアの背後に立って、椅子を引いてくれた。

「…行こう」

 立ち上がったリリアディアはヴァーミリオンについていく。

 途中、歩幅の差に気づいたようで、真面目な彼は律義に歩調を緩めてくれる。


 連れてこられたのはリリアディアとヴァーミリオンが対面を果たした居間で、向かい合ってソファに腰掛けた。 けれども、ヴァーミリオンはすぐには口を開かない。

 そんなに、順序立てて話さなければならないほど、難しい話なのだろうか。


 珍しく、ヴァーミリオンはリリアディアを直視しなかった。

 リリアディアから見えるのは、彼の横顔で、その目尻がほんのり赤い。

 それだけで色香が匂い立つようだ。


 これを見慣れてしまったら自分は普通の美に感動できなくなるに違いない。

 そんな勿体ない事にはならないようにしないと。

 そんなことを思っていると、ヴァーミリオンがリリアディアを見ないまま、唐突に口を開く。

「【番】は【伴侶】で、私たちで言う【夫婦】のことだ」


「それは知ってる」

「つまり…姿を定着させるためには、…初夜を迎えて、【夫婦】なら当然のことをする」

「え、」

 思いもかけないことを言われて、リリアディアは一瞬真っ白になった。


 その反応を、理解できていないと受け取ったのだろう。 ヴァーミリオンの顔がこちらに向いた。

「…これ以上、どう言えばいい?」

 ヴァーミリオンの蜜色の目が若干潤んでいて、ますますとろりとした熱っぽい色合いに見える。 照れているのはわかるが、これは非常に目によろしくない! 瞑れる!

 そして、この美獣は世の乙女も真っ青の純情っぷりで、ますますこのひとの隣で花嫁なんて無理だ。


 リリアディアもつられて照れて、慌てて口を開く。

「合ってるかどうかわからないけど、きっと大丈夫! …その、ごめんなさい。 変なこと、言わせて」

「…いや」

 気まずい空気が流れた。


 その空気をやり過ごすために、リリアディアは自分の考えに没頭する。

 目の前の男が綺麗すぎて、どうも現実感を伴わないのだが、花嫁ということは、つまりはそういうことなのだろう。

 彼らが、【花嫁】という立場にこだわる理由も何となく腑に落ちた。

 こちら側の体裁を慮っての、取引のような意味合いが強いのではないだろうか。

 つまりは、「責任を取って結婚する」というようなものだ。

 だが、いかんせん、目の前の男が現実離れした美貌の持ち主なので、実感が全くわかない。 そういう世俗的なことに一切興味がなさそうに見えるから尚更だ。


「けれど、誤解しないでほしい」

 真摯な声音に顔を上げると、ヴァーミリオンが真っ直ぐにリリアディアを見ていた。

「ティルディスも言ったが、あくまで呪いがなくなるのは付加価値だ。 たまたま、そうなった、というべきか」


 瞳に浮かぶ真剣な色に、何か大切なことを彼が言おうとしているのはわかる。

 ヴァーミリオンの声は、訴えるような、甘く切ない響きだった。

「呪いを解くために、【番】を欲するわけではない。 【番】を迎えたら、たまたま呪いが解けた。 この違いを、理解してほしい」


 ああ、彼は、リリアディアのことを、呪いを解くための道具ではないと言ってくれているのか。

 彼は、真面目で、律義で、優しいひとだ。

 そう思ったら、自然と笑みが零れた。


 彼は、軽く目を見張って、はにかんだように笑った。

「私は、人間のことをよく知らない。 …どうしたら、君に好きになってもらえるんだろう」

 先ほどの笑みとは打って変わって、その言葉には深い煩悶が見えるようだ。

 それでも彼は、思い悩む姿までも、美しい。


 ふと目が合って、リリアディアが反射的に目を逸らすと、耳に声が届いた。

「…君は私が嫌いか?」

「え?」

 ヴァーミリオンを見ると、彼はじっと、リリアディアを見つめていた。


「目が合うと、逸らすだろう」

 ドキリ、とする。


 まさか、指摘されるとは思わなかった。 リリアディアは思わず、自分の目の前に右手をかざしていた。

「ああ、ごめんなさい。 これは、癖、みたいなもの」

「癖?」

「…この色、あんまり良くないの。 虹彩なんか、金色だし、気味悪いでしょう」

 リリアディアが、自分の瞳の色に持つ、複雑な感情が伝わったのか伝わらないのか。


 ふと、空気が動くのを感じた。

 目の前にかざしていた右手を、決して無理矢理ではない力で取りはらわれる。

 視線を上げると、真摯な蜜色の瞳に、絡め取られた。

「良くない、とは、何に対して?」


 咄嗟に、答えられなかった。

 良くないと、言う人がいるからだろうか?

 恐れる人がいるからだろうか?

 目の前のこの人は、こんなに真っ直ぐに、この目を見つめてくれるのに?


「私は、綺麗だと思った。 だから、逸らすな」

 息を呑んだ。


 こんなに綺麗な人に、綺麗だと言われるような目はしていない。

 思うけれども、それは言葉にならない。


 綺麗だと、好ましいと思うのなら、きっとそれは、彼が人間ではないからだ。

 この瞳は、人ならざる物には愛される。


「嘘ばっかり」

 口ではそんなことしか言えなかった。

 けれど、本心ではとても、嬉しかった。

 ありがとう、なんて口にしたら、泣いてしまうのではないのかと、思うほどに。


「人間は、複雑だな」

 じっとリリアディアを見つめていたヴァーミリオンが、ぽつりと言った。 少し、困ったように。

「え?」

「聞こえる言葉と、伝わる思いが違う」

 困ったような表情で、かすかに頬を染めたヴァーミリオンの手が、リリアディアの腕からそっと離れる。


 獣の毛に覆われていないヴァーミリオンの手は、綺麗だった。

 そこで、リリアディアは自分に流れる血を、強く意識した。

 その、綺麗な手を、獣の手に変えた人物の側に付いていた――ヴァーミリオンの先祖と敵対していた魔術師の血が、己の中を巡っていることを。


「…貴方だって、本当は見たくないんじゃないの?」


 気づけば、自分の唇からそんな音が零れた。

 目の前のヴァーミリオンは、驚いたような顔をしている。

 リリアディアから溢れる言葉は、止まらなかった。


「だって、この目は、あなたに呪いをかけた敵方の魔術師たちと、同じ色だもの」

 リリアディアは、彼の祖先が戦ったという魔術師の血を引いているのだ。

 憎くは、ないのだろうか。


「…何か、思い違いをしているようだ」

 ぽつりと漏らされた言葉は、心底から疑問だ、と言っているように聞こえて、リリアディアは視線を上げる。

 そうすれば、ヴァーミリオンの甘くて深い綺麗な蜜の色の瞳と出会う。


「…伝承とは、おかしなものだ。 どこで捩じれる? その瞳は、世祖の血を引いている証のはずだが」


 言われた意味を、すぐには理解できなかった。

 リリアディアがヴァーミリオンの言葉を理解しようと、思考をフル回転させていると、ヴァーミリオンは心配そうにリリアディアの目をのぞき込んでくる。


「大丈夫か? リリアディア」

「…この目が、世祖の血を引いている、証?」

 まだ信じられずにリリアディアが問題の個所を繰り返すと、ヴァーミリオンは頷いた。


「…人ならざる者に、好かれると言ったな。 それは、彼らが長命で、世祖のことを覚えているからだ」

 そっと、ヴァーミリオンの手が伸びて、リリアディアの左の眦に触れた。

「どうしてその目が、世祖の血を引く者全てにあらわれないか、知っているか? 血が選んでいるからだ。 世祖と同じように、彼らを愛せる存在かどうか」

 ヴァーミリオンが、優しい表情で微笑んだまま、リリアディアを見る。


「…それを知っているから、その目ではなく、君に惹かれるんだ。 リリアディア」

 その言葉に、リリアディアがどれだけ救われたか、ヴァーミリオンは知らないだろう。

 自分が、歴史の中で悪者とされる存在の再来ではなかったこと。

 この瞳があるから、目に見えざるものに、好かれるのではなかったこと。

 彼らも、目の前のこのひとも、瞳ではなく、リリアディアを見てくれている。



゜・*:.。.❀.。.:*・゜゜・*:.。.❀.。.:*・゜゜・*:.。.❀.。.:*・゜



 リリアディアを部屋まで送り届けたヴァーミリオンが自室に戻ると、ティルディスが待っていた。


「主、花嫁様に本当の話はされていないので?」


 ヴァーミリオンは、扉口に立つティルディスを横目で一瞥し、通り過ぎ、執務机に向かう。

「リリアディアも全てを語っているわけではない。 それに、私は彼女に私の人生を押しつけたいわけではない」

 言うと、ティルディスはため息をついたようだった。

「主はお優しすぎます」


 肩を竦めてさえいるかもしれないな、と思う。

 ティルディスを振り返らず、羽ペンを手に取ってインクをつけつつ、ヴァーミリオンは呼ぶ。

「…ティルディス」

 呼びかけに、応じる声はない。

 だから、続ける。


「リリアディアは私について、どの程度を知っている?」


「…ほとんど何も、というのが正確でしょうね」

 ティルディスの言葉は、真実だ。

 それを、ヴァーミリオンもよく、わかっている。 そして、それ以前に。


「…人間を【番】にするというのは難しいな」

 たまたま、ヴァーミリオンの母は人間だったけれど、一族の【番】が人間である必要はないのだ。


「ならば、止めますか?」


 ティルディスの言は率直だった。

 それは、実に簡潔で、合理的な解決方法。


「少なくとも、花嫁様はそれを望んでいらっしゃいます」


 それも、知っている。

 ティルディスに言われるまでもない。

 考えながら、ペン先をインクにつけて、上げて、の動作を無意識に繰り返す。


 彼女は、彼女とヴァーミリオンが違う生き物だと理解した上で、ヴァーミリオンという存在と接している。

 自分たちに対する偏見はない。

 ヴァーミリオンを否定しているわけでもない。


 けれど、【花嫁】という立場には拒否感を示し、ヴァーミリオンにとっての彼女が【番】とは認めない。

 ヴァーミリオンにも、否定してほしがっているように見える。

 それでも。

 ペン先を持ち上げれば、青黒いインクの雫が、インク壺へと落ちて波紋を描く。


「私は、望まない」

 彼女を、リリアディア以外を、【番】とすることを。



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