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4.交渉開始

「なぜ」

 短く聞いたのは美獣だ。

 リリアディアはそっと自分の左手の甲を戻して、視線を落とす。

「薔薇に選ばれたから花嫁になれ、って意味が分からないので」


 美獣にだって好みはあるはずだ。

 こんな薄気味悪い瞳の、気が強くて素直でないはねっかえりなんて、御免だと思っていないとは言えない。 もっと淑やかで可愛らしくて素直で優しい女性の方が、絶対いいと思うのだ。


「それは【番】のしるしだが」

 けれど、美獣からは何事もないかのように、さらり、と返ってきた。


 そうか、【花嫁】というのはリリアディア側の言葉であり、美獣側では【番】という言い方をするのか。

 それにしても、【番】という言い方で、逃げ道がいきなり狭められた気になるのは、気のせいだろうか?

 リリアディアの中で【番】という言葉は、【半身】のようなものに変換される。


「わたしは貴方のことなんか何一つ知りません。 貴方だって、わたしのこと、何も知らないはず。 それでいて、どうして貴方の花嫁にならなければいけないのですか。 意味が分からない」

 わかっている。

 【番】という言葉を使われた以上、今リリアディアが主張しているのは、【花嫁】としての心情であって、彼らには何も意味がない。


 彼らが欲しているのは、気持ちで惹かれ合った【花嫁】ではなく、定められた【番】に過ぎない。

 ふっと笑う気配がして、リリアディアは恐らくその笑いを発したであろう美獣を睨みつける。

「何が可笑しいんですか」

「ああ、いや。 随分はっきりと物を言うんだな。 その割には大事なところがおざなりだ」

 嘲る気配も、見下した気配もしない。 美獣の瞳には優しい色が浮かんだままだ。


「君の理論だと、理由が必要だということになる。 私が君を気に入ったから花嫁にする、ということなら問題ないのか?」

 自分で言いだしたこととはいえ、リリアディアは信じられない思いで美獣を見つめる。


 まさか、聞く耳を持ってくれるとは思わなかったのだ。

 その上で、提案をしてくるとは…下手に何かを言うと、言質を取られて本当に逃げられなくなりそうだ。


 非常に理に適った考え方をしている。

 リリアディアが望む方法なら、【番】であることを認め、【番】になるのか、と。


「ついさっき出会ったのに? わたしには、無理」

 言った瞬間、ぴくっと美獣の耳が反応し、その瞳に陰りが差した気がした。 そう、思った。

 だが、瞬き一つの間に、それは消える。

 だから、リリアディアの見間違いだったのかもしれない。


「なぜ?」

 美獣の口から零れた声はさきほどの、同じ言葉での問いよりも、多少柔らかく感じた。

 美獣は恐らく、譲歩して妥協できる点があるだろうと考え、そこを探っているのだろう。


「わたしが貴方のことを何も知らない。 わたしが貴方のことを好きではないから」

 できるだけ、素っ気ない、冷たい言い方をしたつもりだが、それすらも見抜いているのか意に介していないのか、美獣はひたすらに穏やかだった。

「その理論だと、君が私のことを知って、好きになれば問題がないということになる」

 声も柔らかく、微笑んですらいるのではないかと、思ったほどだ。


 彼の言っていることは、正しい。 けれども。

「貴方は何も感じないんですか? 薔薇に選ばれた、ただそれだけの【番】を、妻に迎えることに」

「代々我が家はそうしてきた。 【番】を妻に迎えることが最良だ」

 リリアディアは、このとき、無言で見守るティルディスの微妙な反応に気づかなかった。

 それと同様に、リリアディアの口にしたことと、美獣の返答が若干ずれていることにも。


 ゆったりと膝を組んで、深くソファにもたれた美獣は、毛に覆われた手を膝の上で合わせる。 場違いなことこの上ないが、リリアディアは彼の手にあるであろう肉球が非常に気になった。

 そんなことは知らない美獣は、穏やかな目でリリアディアを見つめる。

 その瞳の色は得だな、とリリアディアは思った。 とろりと甘い蜜のような色彩はとても綺麗だ。


「さらにいいことには、私は君の容姿が気に入ったし、率直な物言いも気に入った。 愚直なまでの、優しさも」

「わたしは優しくなんかありません」

 被せるようにして否定したのだが、美獣はそのことで特に気分を害した様子もない。

 ただ、少しからかうような声音で尋ねただけだ。

「果たして、そうだろうか?」


 リリアディアが反論を口にしようとする前に、美獣が先手を打つ。

「とりあえず、折角花嫁がここまで来てくれたんだ。 お帰りいただくのも失礼だろう」

「え」

「お互いを知る時間が必要なんだろう?」

 美獣の目が細められ、口角が上がる。


 人間であれば、にっこり笑った、となるのだろうが、美獣の姿でそれをされると、全くそうは思えない。

 舌なめずりをする獣のように見えるから、その笑い方はしないほうがいい、と思ったのだが、どうせ見るのは自分かティルディスだけか、と放置する。

「確かに、そうではあるんですけれども…」


 何かリリアディアが想定していたのとは逆の方向に話が行っている気がする。

 知らないなら知ろうじゃないか、となるあたり、【番】をどうしても逃がしたくないのだろう。

 というかもしや、言質を取られたのだろうか?


「私は、ヴァーミリオン。 君は?」

「リリアディアと申します」

 律義に名乗ってくれるから、リリアディアも名乗る。

 でも、呪いにかけられたお貴族様なら、きっと正式名称はもっとずっと長いのだろう。


 リリアディアは、美獣の視線に気づいて、首を揺らす。

「…? なんですか?」

 この美獣がリリアディアを見ている時間は長い。

 話すときに相手の目を見るように、というのは常識だが、リリアディアは多くの場合においてそれを望まれなかったから、どうにも違和感がある。

 それ以前に、思い返せば、美獣の視線はリリアディアから外れない。

「いや、綺麗だろうとは思っていたんだが…。 想像していたよりも、綺麗だったから」

 そこでようやく、美獣の目は一度リリアディアから離れた。


 自分の容姿が、それなりに美しいことは自覚している。

 だが、そこまで眺めている価値があるとは思えないし、リリアディアはとりわけこの瞳が嫌いだ。

 その表情を酌んだのだろう。


 問いかけてきたのはティルディスだった。

「あまりよいことと捉えていらっしゃらない風ですね?」

「これは先天的なものだし、皮一枚剥がせば皆同じ。 若いうちしか価値のないものに、どれだけの意味があるの?」

「花嫁様にかかると、元も子もないですねぇ」

 苦笑したティルディスに、リリアディアはふと思う。

 美獣やティルディスは自分たちと同じように年を取るのだろうか。


 物語の中の不思議の住人は、たいていが長寿か不老不死だ。

 問いを口にしようと思って見ると、美獣の顔が顰められているのに気付いた。 鼻の頭に皺が寄ったのだから相当だ。

 何か気に障ったのだろうか、と思ったが、美獣の潤んだ目を見て、思い至った。

 欠伸を噛み殺したのかもしれない、と。


「お休みの最中だったのですよね? 起こしてしまってすみません。 あの、どうか休んでください」

 リリアディアが言うと、ティルディスは、目を丸くした後、美獣に笑みかける。

「優しい花嫁様でよかったですねぇ。 今お休みになられたら、麗しい花嫁様の夢を見られるでしょうね、うふふ」

「煩い」

 顰め面のままで、美獣は低く唸る。

 それを見ると、ティルディスの顔から笑みが消えた。


 怖い、というほどではなかったが、普段が穏やかな表情を浮かべている分、それがなくなると冷たい印象を与える人なのだ、とリリアディアは気づく。

「冗談はそのくらいにして、お休みになってはいかがですか? 起こしたのは私ですけれど、顔合わせ程度のつもりでした。 まさか花嫁様に付き合って、起きていらっしゃるなんて言わないですよね?」

 ティルディスは、どことなく、ではあるが、研ぎ澄まされた刃のような人だ。

 普段はそれを鞘に隠しているのだろう、と思っていると、美獣がすっと立ち上がる。


「…わかった、休む。 済まない、リリアディア」

「あ、いえ」

「ご心配なさらず。 屋敷の案内は私めが致しますから。 主もごゆっくりお休みください」

 ティルディスが美獣に深く礼を取る。


 そのまま扉に向かうかと思われた美獣だが、リリアディアに向き直った。

「リリアディア、ひとつ聞かせてくれ」

 思いがけず、真剣な声音に、リリアディアは無意識で姿勢を正す。

 正したところで、元々が大柄な美獣は立っているのだから、身長差は埋められない。

 それでも、圧迫感や威圧感のようなものは、感じなかった。


「私のこの姿が、恐ろしいか?」


 問われたことは、もっと思いがけなくて、思わずぽかんとしてしまう。

 けれど、美獣の瞳があまりにも真剣だから、慌てて口を開いた。

「えぇと、その見事な肉食獣の牙を見たときは、血の気が引きましたけど…。 重ねて聞きますが、わたし、餌ではないんですよね?」

 ああ、と美獣が頷く。

 それを確認して、リリアディアは先を続ける。


「まだちょっとついていけてないんですけど…ああ、そのせいでちょっと麻痺してるかもしれません。 その上で答えるなら、びっくりしましたけど、怖くはないです」

「…正直に答えていい」

 リリアディアの言葉を求めたというのに、疑っているようなその反応にむっとして、リリアディアは美獣を睨みつけた。


「正直に答えてます。 なんで疑うんですか。 わたし、動物は好きなんです。 姉が獣アレルギーなので飼えませんでしたけど、はっきり言って貴方はわたしの好みです」

 胸を張って言いきれば、美獣は傍目にもわかるくらい、目を見張った。

 その傍らで、ティルディスはにやにやしている。

「好みですって。 よかったですねぇ」


 そう、嘘は言っていない。

 【獣】として考えるのならば、美獣はリリアディアのドストライクであり、超好みである。


 艶々の毛並み。 紅と金の混ざった、不可思議であり美妙な毛色。 蜜のような、とろりと甘い色の双眸。 そこには理知的な色が宿る。 精悍で、利口な、美獣…!

 本当に獣だったら、思う存分抱きしめて撫でまわして可愛がったのに!

「子どものころ、動物と話せたら…とか考えたのが現実になったんですもの。 嬉しくない方がおかしいわ」

 だからといって貴方が好きかどうかっていうと別問題ですけど、とにかくその美しい毛並みを撫でさせてほしい…! と言わないだけの分別はリリアディアにもある。


 リリアディアの返答に納得したのか、美獣は背を向けて扉へと歩いていく。

 その尻尾が、嬉しそうに揺れているのをリリアディアは見た。

 美獣は、扉を押して、出て行きかけて、足を止める。 それでも、その尻尾の揺れは止まらない。


「ティルディス」


 一度言葉を切った美獣は、振り返らない。

「私も夕食を摂る」

 それだけ言って、客間を後にした。


「ふふふ、愛されてますねぇ」

「はぁ」

 にこにこと笑ってティルディスが話しかけてきたが、なぜにどうして愛されているのだかわからないから、リリアディアは微妙な返事をするしかない。


 この屋敷の歴代主は、【番】だから、薔薇に選ばれたからという理由それだけで、花嫁を盲目的に愛すると言うのか。

 それならば、そこには愛は存在しないか、彼らが愛と理解しているものは、気持ちや感情、心ではなく、大切に扱わなければならない、という【番】への義務や責任だ。

 強迫観念と言ってもいいかもしれない。


 美獣は、それを【最良】だと言った。

 それは、【幸せ】とは程遠い表現なのではなかろうか。

 現時点で、ではあるが、リリアディアは、ヴァーミリオンと名乗った美獣に悪い印象は抱かなかった――だって、ドストライクなのだ――。

 最良だから、と自分を納得させて花嫁を迎えるのではなく、幸せを築いていくために花嫁を迎えてほしいと、思うくらいには。



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