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3.旦那様は美獣様

ようやく旦那の登場です。

 待ったのは、十分程度だろうか。

 時計の針が午後三時を少し回ったところで、ティルディスが戻ってきた。


「花嫁様、お待たせいたしました」

 一応の礼儀として、立ち上がるべきだろう、と立ち上がったリリアディアを、ティルディスは楽しそうに瞳をきらきら輝かせて見ている。

 落ち着いた雰囲気の人だと思ったけれど、意外と悪戯っ子のようなところもあるようだ。

 明らかに、【主】とやらを見たときの、リリアディアの反応に期待している。


 ティルディスが扉の向こうに目配せすると、彼が押さえた扉から、すっと影が滑り込んできた。

 リリアディアは、目を見張る。

 驚きすぎて、心臓が、跳ねた。


 純金に紅玉を溶かしたような、不可思議な色合いの毛髪。 その毛並みの艶やかさが、不可思議な色合いを更に引き立てている。

 瞳はとろりと蜜を溶かしたような、甘い色合いだった。


 突然現れたそれに、リリアディアの思考は停止する。

 綺麗だ、とか、そういった感想ではなく、まず、事実の確認しかできなかった。


 艶々の毛並み。 凛々しくも賢そうな顔立ち。 の獣――あんまりわたし好みだから美獣としておこう!――が、それこそティルディスよりも質のよさそうな衣装を着て、二足歩行している!

 あ、いや、どうなのだろう。 美獣は四足歩行でここまで来て、たまたま今立っただけかもしれない。


 ティルディスと比べても背が高いのだから、かなり大柄なのだろう。 実物を見たことはないが、狼やライオンはかなり大きいらしいから、立てばこのくらいの身長――いや、全長?――になるかもしれない。

 ということは、目の前のこれは、主のペットなのだろうか。


 そういえば、父が着ぐるみというものがあると言っていた気がする。

 双方見つめあって微動だにしないので、見かねたらしいティルディスが、口を開いた。

「主、花嫁様も戻ってきてください」

 リリアディアがハッとすると、美獣の口がわずか開いて、鋭い牙が垣間見られた。


 そういえば、こういう牙って肉食獣特有のものだった気がする。

 ということは?

 リリアディアの血の気が一気に引いた。

 薔薇に選ばれた花嫁なんていうのは建前で、この美獣の餌として、自分はここに招かれたのでは―――!?

 リリアディアは祈るように手を組んで、目をぎゅっと瞑る。


 お父さん、可愛がってくれてありがとう。 姉さんたち、わたしを恐れずに、接してくれてありがとう。 何も返せずにごめんなさい。 それでもわたしは、あなたたちと家族に生まれて幸せでした―――。

 と自分の人生の終わりを覚悟した時だった。


「ああ」


 低く、甘い美声が、どこかから聞こえた。

 ティルディスのものではない。


 恐る恐る目を開くと、こちらを見つめる甘い蜜色の瞳と目が合う。

 言うまでもない。 美獣だ。


 リリアディアを見つめながら、美獣がまた口を開く。

「そちらから訪ねてくれるなんて意外だ。 迎えに行こうとは思っていたんだが…。 嬉しい」

 蜜色の目が、すっと細められる。


 あれはもしや、獲物をロックオンした目だろうか。

 色々と現実逃避したいが、目の前の美獣が話しているところを、今度はしっかりと見てしまった。

「しゃ…しゃべった…」

 ああ、なんだか驚きすぎて、腰に力が入らない。


 リリアディアは、よろめいて、ソファに座りこんでしまった。

 慌てたように、美獣がリリアディアに近づいてくる――ああ、やっぱり二足歩行だった!――。


 彼は、リリアディアの傍らに膝をついて、ソファの背に寄り掛かるようにして座るリリアディアの顔を覗き込んでくる。

 美獣は鼻が高い――という表現もおかしいのだろうか、長いと言うべきだろうか――ので、リリアディアと美獣の鼻の頭がぶつかりそうだ。

「体調が悪いのか?」

「いえ、少し…驚いてしまって」

 もしかするとこれが腰が抜けるという現象だろうか。


 これは夢なのだろうか。

 ああ、いつから夢だろう。 もういっそ、父が戻ってきたあたりから夢であってほしいのだが…。


 だが、目の前にあるのはどれだけ凝視しようと、やはり美獣の顔だ。

 知的で精悍でけれども美しい、気品の滲み出る、獣の顔――矛盾しているといわれようと構わない…だって実際そうなのだから!――。


 リリアディアは、自分の姿が美獣の美しい瞳に映っているのを認める。

 美獣の瞳は、とても真摯な色を湛えている気がした。

 それに気づいて、リリアディアは少し冷静になる。

「あ、あの、失礼を承知で伺いますが、着ぐるみに入る趣味とかお持ちではないですか?」

「着ぐるみ?」

 思わぬことを言われた、というように蜜色の目が丸くなる。

 ああ、どうやらこれは外れらしい。


「ええと、じゃあ、よく訓練された大型の肉食獣で、ティルディスさんが操りつつ、腹話術してるとか…?」

「ふふふ、面白いですが、違います」

 笑顔のティルディスが可愛く両手の人差し指を交差させている姿が、美獣の後ろに見える。

 そして、にっこりと楽しげな笑みを浮かべたままで、右肘を張り、右手の平は腹部へ。

 指先まで神経を行き届かせているのであろう、左で美獣を示して見せる。


「花嫁様、こちらが私の主で、貴方の夫となる方ですよ」


 ティルディスのその言葉で、リリアディアは最優先確認事項を思い出す。

 美獣が何者かはこの際あとでも構わない。 ひとまず把握しておきたいのは、自分は、この美獣の【何】なのか? ということだ。


「え、ええと、わたし、餌じゃなくて花嫁で間違いありませんか?」

「ふふふふふ、どうします? 主」

 楽しそうに笑いながら、ティルディスが美獣の顔を覗き込む。

 表情はよくわからないが、美獣の声は呆れていた。

「花嫁で遊ぶな、ティルディス」


「さすが私の主です。 こんな面白い方を花嫁様に選んでくださるなんて! 毎日楽しくなりそうですねぇ、ふふふ」

 非常に楽しそうな様子のティルディスに、美獣は少し顔を顰めたように見えた。

「お前の趣味を加味したわけではない」


 まあ、それはそうだろう。 けれども、花嫁を薔薇に選ばせるという無茶苦茶な手法で花嫁を決めてしまうあたり、この美獣の趣味が加味されているわけでもない気がする。

「では、間違いなく、あなたがこの屋敷の主で、わたしの…夫になる予定だと」

「ああ」

 リリアディアの最終確認に、美獣はこくりと頷く。

 ここまでの様子から、この美獣が、真面目な性格だということだけは、なんとなくわかった。


 そして、リリアディアはこの美獣で真面目な旦那様の花嫁になる、と。

「目眩がしてきた…」

 更に深くソファに沈み込んだリリアディアは、それでも状況を理解すべく、心の中の書架から最もこの訳のわからない事態を丸く収められるだろう答えを探す。

「…念のため伺いますけれど、悪い魔法にかかった王子様とかではないんですよね?」

 ダメ元で聞いてみたのだが、ティルディスは目を丸くした。

「おや、よくご存じですね」


「え、まさか本当に、悪い魔法にかかった王子様なの!? 王道!?」

 信じられない、と心の中で叫ぶ。 ティルディスが二・三度頷くような素振りを見せた。

「末代までの呪いにかかったお貴族様です」

「…見方によれば、似たようなものだが」

 ティルディスからは細かい訂正が入ったが、当の美獣はどちらでもかまわないのか大枠で捉えている風である。


「…少し時間をください。 情報を整理します」

「では私はお茶の用意をして参ります」

 ティルディスが出て行って、リリアディアは夫となるという美獣と二人――いや、一人と一匹だろうか――きりになった。

 美獣はその場から立ち上がり、リリアディアの正面に場所を移したようだ。


 美獣のことは意識して頭の隅に追いやる。 いや、もう頭の外に追い出してしまおう。

 まず、父が得体の知れない屋敷でもらってきた得体の知れない薔薇がリリアディアを選んだことにより、なんだか知らないがリリアディアは屋敷の主の花嫁になる予定にある。

 家にいても事態は進展しないからと、家を出て辿り着いた屋敷の主はなんと美獣だった!

 リリアディアは美獣の花嫁になるのか!? つづく。


 そこまで考えて、リリアディアはがっくりと肩を落とす。

「あああ…整理したところで何も解決しない…」

「ああ、ようやく自分の世界からお戻りですね。 どうぞ、紅茶です。 お菓子もどうぞ」

 いつの間にか、ティルディスは戻ってきており、手際良くティーカップやお菓子を並べていく。

「ありがとう」

 ティルディスにお礼を言って姿勢を正し、ようやく正面に座る美獣を視界に入れる。


 このソファも素晴らしい手触りだけれど、絶対目の前の美獣の毛並みの方が素敵な手触りだろう。 特に、あの、揺れる尻尾の誘惑がすごい。

 動物好きには堪らない罪な美獣だ!

 抱きつきたい。 撫で回したい。

 と余計なことを考えつつ、リリアディアは紅茶もお菓子も自分にしか用意されていないことに気づく。


「あの…召し上がらないんですか?」

 伺うように美獣を見ると、美獣はリリアディアを見つめながら応じる。

「特段、必要がない」

 どうにも、居心地が悪いと思ってしまうのは、家族以外でこんな風にリリアディアを見る人間が滅多にいないからだ。

 くすぐったいような、どうにも落ち着かない感じが居たたまれなくて、リリアディアは質問を重ねる。

「それは、貴方がたにとっては、ということですか?」

「私は趣味でいただきますけどね」

 さらり、と傍らに立つティルディスが言った。


「趣味」

 リリアディアは、ティルディスの言葉を繰り返す。

 その意味するところは、やはり美獣の言った「特段、必要がない」ということなのだろう。

 嗜好品と同じようなものと思えばいいのだろうか。

 生きるために必ずしも必要ではないが、美味しいから口にする。


 リリアディアたちの言う【食べるのが趣味】と、彼らの言う【趣味でいただく】は同義ではない。

 そんなことを思っていると、ティルディスが美獣に何か言っているところだった。

「主も、花嫁様の為に召し上がられるようにしたほうがいいですよ。 お母君もおっしゃっていたではないですか。 一人の食事ほど味気ないものはない、と」

「………」

 美獣は微妙な表情のまま無言だ。 恐らく、あまり興味も関心もないのだろう。

 趣味という言葉そのままで考えるなら、リリアディアだって「絵を描きましょうよ」と言われたら、今の美獣と同じような反応をする。


「無理にとは言いませんから、その顰め面止めてください」

 歩み寄ったのは、ティルディスのほうだった。

 妙な主従だ、と思う。

 いただきます、と小さく言って、ティーカップに口をつけながら、リリアディアは二人――もう面倒なので二人ということにしよう――を観察する。


 主従というにも色々な形がある。

 この二人に関しては、主と目付、または教育係のほうが近いように見受けられる。


「あの…いきなりで申し訳ないんですが、これを消していただきたいんです」

 唐突な切り出し方だとは重々承知しているが、ストレートにお願いするのが、やはり一番だろう。

 リリアディアが左手の甲を二人に向けると、主従は目を見張った。



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