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2.薔薇屋敷への道

 就寝中のはずの、主の目が突如開いたので、従者は黒曜石の目を瞬かせる。

「主?」


「…ああ、…ようやく…出逢ったようだ」


 安堵したような、吐息交じりの甘い声だった。

 主の現在の姿では、ほとんど表情の違いがわからないが、それでも従者は穏やかな顔だ、と思った。

 さらに付け加えるなら、恐らく微笑している。


 主からこんな反応を引き出せる人物には、一人しか心当たりがなかった。

 そもそも、その為に、従者は主が咲かせている薔薇を持ちださせたのだ。


「花嫁様ですか?」

 問えば、主の目が、また伏せられた。

「……待ち遠しいな」

 まるで、夢見るかのように。



゜・*:.。.❀.。.:*・゜゜・*:.。.❀.。.:*・゜゜・*:.。.❀.。.:*・゜



 支度を終えたリリアディアが家を出ようとしていると、父が丁度帰宅した。

「…お帰りなさい」

 リリアディアがそう声を掛けるも、父は息をついて、心配そうな顔で窺うようにリリアディアを見る。

 リリアディアがどこへ出かけるつもりなのかも、おおよそ見当がついているのだろう。


「リリー、本当に行くのかい?」

「大丈夫よ、すぐに帰ってくるから心配しないで」

 明るく笑って見せる。


 すると、父の思考は別の方向に走り出したようだった。 そわそわと動きに落ち着きがなくなる。

「やはり何か、持たせた方がいいのではないだろうか? こんなに美しく心根の優しい娘を妻にできる幸運だけで、持参金など必要ないとは思うのだが、それでもやはり何か用意するのが礼儀と」

「お父さん!」


 無理矢理に父の言を遮って、リリアディアは父親に言い聞かせる。

「なんか勘違いしているみたいだけど、お嫁入りするわけじゃないのよ。 あちらだってわたしみたいな跳ねっ返りいやだって言うかもしれないし」

「そんなこと言う輩に嫁ぐ必要はない!」

 娘たちをこよなく愛している父は、実にわかりやすく憤慨してくれた。


 自然と、リリアディアは微笑んでいた。

 リリアディアにだって大切なものはある。

 そして、リリアディアの大切なものは、今、リリアディアにしか守れない。


「そう。 だからね、少し家を空けるだけ。 きちんとわたしの気持ちを話してくるから、心配しないで」

「話し合いのできない相手だったらどうするんだ?」

「大丈夫、わたしは父さんの人を見る目は信用してるから」

 この父には、人望と人徳だけはあるのだ。

 だから、一家は、罪人の血を引く証の瞳を持つリリアディアがいても、街の中ではぐれ者にされずに済んでいる。 それは全て、父のおかげ。

 お土産を選ぶセンスは、リリアディアに対しては絶望的だけど、という言葉は飲み込んだ。


「くれぐれも、ナンシーには無茶させないでね。 アンがしばらくは家にいてくれるって言ってたから大丈夫だと思うけど」

「…お前が無茶をするんじゃないよ。 父さんはそれだけが心配だ」

 そう言って、父はリリアディアの頭を撫でてくれる。

 それだけで、勇気をもらったような気分になった。

「うん、行ってきます」


 そう、自分を鼓舞して家を出てきたのはいいものの、今更ながらリリアディアは不安になった。

「………この道で、合ってるはず………」

 木々に囲まれた森の中を歩きながら、リリアディアは手元の地図に目を落とす。


 といっても、父も迷った末に辿りついた屋敷であり、そこから家にはただただ必死だったというのだから、どの程度あてになるのかはわからない。

 広葉樹はほとんど葉を落としてしまっていて、どうにも寒そうだ。

 さくさくとリリアディアが枯葉を踏む音と、リリアディアの呼吸音だけが耳に届く。


 山の獣も、ほとんどが冬眠の準備をしたのだろう。

 冬眠前の準備中の獣たちに襲われる危険がないことだけが、救いだった。


 そんなことを考えながら、どれくらい歩いただろう。

 不意に、薔薇の香りがした気がした。

 リリアディアは足を止めてあたりを見回す。


 前を見れば、道。 後ろを振り返っても、道。

 屋敷など、影も形もない。

 なのに、薔薇の香りがした。


 それはもしかすると、招かれている、もしくは、誘われている、ということなのかもしれない。

 リリアディアのこの、左手の印に反応して、薔薇屋敷への道を開こうとしていると?

 リリアディアがもう一度周囲を見回すと、風もないのに、ある一点の木だけが揺れた。


 ああ、これは、こちらにおいで、ということか。


 今リリアディアが歩いているのは、旅人や商人が使う、比較的踏みならされた道だ。

 そこから、逸れて、森の奥へと誘おうとしているらしい。

「は…」

 思わず笑ってしまった。


 森に詳しくないリリアディアが下手に踏み込んで、無事に戻れる保証はどれくらいだろう。

 薔薇屋敷から無事に戻れるかどうかが問題ではなくなってきた気がする。 まずは、薔薇屋敷に無事に到達できるかどうか、だ。


 歩いていればどこかには出るから、とひたすらに呑気に構えている父とは違い、残念ながらリリアディアは楽観的にはできていない。

 自分が用心深い性格でよかった、と思いながら、リリアディアは左手に巻いていた包帯を外しだす。

 持っていた裁縫用の小さなハサミで包帯を切り分け、近くの細い枝に結び付ける。

 これは、自分が、家族の待つ家に戻るための、目印。


 友人のいなかった幼少時代のリリアディアの友人は、本だったと言っても過言ではない。

 どこぞの間抜けな兄妹のように、パン屑を撒いて結局帰り道がわからなくなっては悲惨だ、と考えていた子どもの頃が懐かしい。

 そんなことを思いながら、揺れる木々に導かれるままに、道を外れて森を進んでいく。


 適度な距離で、包帯を結ぶことも忘れない。

 ああ、でも、白い包帯は雪が降ったらわかりにくくなってしまうかもしれない。

 雪が降る前に、家に戻れるようにすればいいだけの話だが。


 そういえば、子どもの頃にもこんな風に森を歩いたことがあった気がする。

 あれは、いつだっただろう。 栗や、団栗を見た気がする。

 ということは、あれは秋だったのか。


 怖いもの知らずだな、と思ってリリアディアは笑った。

 冬眠前の獣たちが、餌を探してさまよう季節だなんて、思いもしなかったのだろう。

 よく死ななかったものだと思って、リリアディアは戦慄した。


 違う。


 顔から笑みは消えていた。

 足も、止まっている。


 どうして、忘れていたのか。

 いや、知っている。

 人間は、忘れられる生き物だ。

 忘れたいことを、箱に詰めて、鍵をかけて、心の奥底に沈められる。


 わたしは、あのとき、死を願って歩いていたのではないだろうか?


「最近、珍客が多いですね」

 耳に届いたやわらかい声に、開きかけた蓋は閉じて、そのまま記憶の奥底に沈んでいく。

 急に、強い薔薇の香りを意識した。


 声の主を探して辺りを見回すと、不思議なことに、リリアディアの背後――つまり、歩いてきた方向に、人が立っていた。

 およそ山歩きに向くとは思えない、燕尾服の青年が立っている。 執事、という言葉が反射的に頭に浮かんだ。


 中性的な美しさの青年だった。

 さらさらと零れる髪は闇夜を集約したかのごとき漆黒。 前髪が長いのか、持ち上げられてピンでとめられている。

 髪も後ろで一つにまとめられているようだ。 漆黒の瞳が、優しく細められる。


「こんにちは、麗しいお嬢さん。 道にお迷いですか?」

 場所に不似合いな青年が、状況に不似合いな笑みを浮かべて、ひたすらに穏やかに言葉を紡ぐ。

 こんなおかしなところにいる、おかしな青年がおかしくないわけがない。

 だからリリアディアは、その人物をこう、結びつけた。


「…貴方、もしかして、薔薇屋敷の人?」

 問えば、青年は軽く目を見張ったようだった。

 思わぬことを聞かれた、というようなこの反応は、肯定にも否定にも取れる。


 リリアディアは青年に詰め寄った。

「薔薇屋敷の人なら、薔薇屋敷に案内してほしいの。 それとも、貴方が【主】?」

 青年は、リリアディアの左手に目を留めたらしい。

 とても嬉しそうに微笑んだ。


「これは失礼しました、麗しい花嫁様でしたか」

 言葉だけ聞いたら嫌味にも取れるのだが、青年の声も表情もそういったものとはほど遠い。

 そして、その微笑みを見て初めてリリアディアは、先ほど青年が浮かべていた微笑が、感情が伴わない平素の表情であることに気付く。

 

「私は主ではありませんよ。 こちらです」

 言い終わるなり、背を向けた青年に、リリアディアは首を傾げる。

 そちらは、リリアディアが歩いてきた方向だと思うのだが…。


 青年について歩き出すが、リリアディアが結んだはずの包帯は見当たらない。

 森が人間の感覚を狂わす、というは本当だったのか、と安易に捉えていいのだろうか。


 理由はわからない。

 感覚でしかないが、ここは、今までリリアディアが歩いてきた森とは違う、と訴える。

 噎せ返るような薔薇の香りに、少し先を見ると、確かにそこには屋敷があった。

 屋敷のまわりをリリアディアの二倍はありそうな柵に囲まれており、柵には薔薇が巻きついて、鮮やかな真紅の花弁を揺らしている。

 リリアディアが呆気に取られていると、青年が不思議そうにリリアディアを見た。


「どうかしましたか?」

「話に聞くのと実際目にするのはやっぱり違うんだなぁ、と思って」

 リリアディアが言うと、青年は、驚いたような顔をした。


 その反応に、リリアディアは驚く。

「何か変なこと言った?」

「視えるんですか?」

「え? 見えるも何も、目の前にお屋敷が」

 青年はリリアディアを――正確にはリリアディアの目を凝視した後、頷いた。

「その目の前では、目くらましなど無意味ですか…。 さすがと言えばさすがですが…恐れ入る」


 それを聞いて、リリアディアはまたやってしまったのだろうか、と思う。

 リリアディアは、自分にだけ見えて他者には見えないものと、みんなに見えるものの区別が苦手だ。

 それが、周囲に遠巻きにされる理由だとはわかっているが、見えてしまうものの実際の存在の有無の判別はできない。

 だって、リリアディアには見えて、リリアディアの世界には、存在しているのだから。


 青年はリリアディアに向き直ると、門を指し示すように右手をあげて、左手を胸に当てる。

 そして、実に優雅に腰を折った。


「お待ち申しあげておりました。 どうぞこちらへ。 薔薇に選ばれし花嫁様」


 青年が言うやいなや、門にまで絡みついていた薔薇が消えて、門がひとりでに開いた。

 リリアディアは呆気にとられて門を凝視する。


「…貴方、魔術師なの?」

 リリアディアが半ば茫然として青年に問うと、青年は楽しそうに瞳をきらめかせて笑う。


「申し遅れました、私、この屋敷の執事兼、この屋敷の主の従者であります、ティルディスと。 以後お見知りおきを、花嫁様」

 自己紹介をしてくれた執事だが、リリアディアの質問の答えにはなっていない。

 だから、リリアディアはもう一度尋ねた。

「魔術師では、ない?」


 念を押せば、ティルディスと名乗った青年は、微笑む。

「それは人間の職業でしょう? 最早絶滅したと聞いていますが?」

 ああ、素敵な笑顔で、なんてわかりやすい返答をくれたのだろう。


 自分は人間ではないから、もしもそれが使えたとしても、魔術師とは呼ばれない―――。

 リリアディアの耳には、そう変換された。


 そうして執事に、薔薇屋敷の中へと案内されたリリアディアだったが、開いた口が塞がらなかった。

 天井が高いし、廊下にまで絨毯が敷かれていて、全てが上質に見える。 けれど、それだけではなく、玄関を入ってすぐのところにある鏡が、魔力の気が強くて当てられそうだと思う。

 全てを加味しても、自分がひどく場違いだ。

 ティルディスの後をついて歩きながらも、非常に恐縮してしまい、自分で自分を言うのもどうかと思うが、まるで借りてきた猫だ。


「花嫁様、こちらです」

 客間と思われる部屋に通されて、座るように促される。

 ソファは、見るからに上等なもので、リリアディアが腰掛けると深く沈む。

 埋もれてしまいそうな、それでいて、身体の線を捉えるソファに、リリアディアは言葉も出ない。

 何の皮張りなのだろう。 深みのある茶色の毛並みは、素晴らしい手触りだ。


「…すごいお屋敷」

 それだけ言うのがやっとだった。

 すると、ティルディスは首を揺らす。

「そうですか? 確かに、主と私と貴女の三人きりだと多少広いかもしれませんね」


 ああ、まず、この屋敷を【すごい】と認識していないティルディスの価値観が怖いのだが、リリアディアの【すごい】を何に対する意見なのか捉えられていない可能性もある。

 きっとそう。 そういうことにしておこう。 リリアディアの精神安定上。


 そしてもう一つ。

 今、この従者は、「主と私と貴女の三人きり」と――多少広いかも…というのは、聞かなかったことにしておいて――言わなかっただろうか?

「こんなに広いお屋敷で、お手伝いさんとかいないの?」

「需要がありませんので」

 間を置かずに、きっぱり、とティルディスは言う。


 需要がない、というのは、主もティルディスも、必要性を感じていないということか。

 だとすると、誰がこの屋敷を維持しているのか…いや、考えると怖いから、考えないようにしよう。

 という結論にリリアディアが至ったとき、見計らったようにティルディスが声をかけてくる。

「ただいま主を起こしてきますので、このままお待ちください」


 リリアディアは目をぱちぱちさせた。

 目につく所にある、大きな時計は、もうすぐ午後三時を指そうかというところだ。


「…貴方の主は夜行性なの?」

「せめて夜型と言っていただけますか?」

 微妙に困った顔で言われてしまって、何か悪いことを言ったような気になる。


 けれど、そうか。 主が夜行性というのは間違いないのか。

 リリアディアの頭の中にあるイメージが浮かぶ。


 薔薇に囲まれた、普段人間の立ち寄らない屋敷。 夜行性の主。 美貌の従者。 となると。

「貴方の主は吸血鬼?」

「想像力の豊かな方ですね」

 リリアディアとしては、非常に真面目に問いかけたのだが、ティルディスには非常に楽しそうに笑われてしまった。


「吸血鬼ではありませんよ。 でも、花嫁様はもっと驚くかもしれませんね?」

 非常に好感のもてる素敵な笑顔で、やんわりとティルディスは否定した。

 否定した、のだけれど、聞き捨てならないことが、続かなかっただろうか?

「…もっと驚くって、どんな主人よ」


 思わず零れた言葉に対する反応は、ない。

 ただ、楽しそうに目を細めたティルディスは、リリアディアに頭を下げる。

「何もおもてなししていなくて申し訳ありませんが、主を起こしてくるのが最優先事項かと思いますのでご容赦ください」

 扉に向かっていったティルディスだったが、思い出したようにリリアディアを振り返る。


「ああ、後でいくらでも屋敷の案内はしますから、今はここにお留まりくださいね。 着替え等でお時間いただくかもしれませんが…ご辛抱ください」

「…例えば、よ? もしわたしが勝手に出歩いた場合、どんな事態が予想されるの?」

 一拍、きれいに空いた。


「結果だけ申し上げれば、無傷では済まないかもしれませんね?」

 にっこりと笑んだティルディスのそれは、恐らく張り付けた笑みだったのだろう。

 リリアディアも、笑みを張り付けて返した。

「大人しく待ってる」


 リリアディアは、左手に吸い込まれた薔薇に関して主に物申して、これを消してもらって、家族の元に帰るのだから。



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