16.ゆっくりと重なる想い
夕食にやって来たヴァーミリオンの襟元に、リリアディアは注目した。
「…ヴァーミリオン、タイが曲がってる」
現在のヴァーミリオンは、神々しいばかりの美貌の青年姿。 リリアディアが戻ってきて五日目くらいで、ヴァーミリオンの姿は以前のサイクルに戻った。
とりあえずこれで一安心。
美獣のお世話係は自分の趣味も入っているからいいのだが、そろそろ里帰りさせてもらっていいだろうか、と考えている。
「…では、直してくれ」
うっすらと目元と頬を染めたヴァーミリオンがそんなことを言う。
照れるくらいなら無理に言わなくてもいいのに。
それに。
「無理。 わたしタイの締め方知らない」
リリアディアはヴァーミリオンの要求を一蹴する。
リリアディアの反応は予想の範囲内だったのだろうか。
さして落ち込んだ様子もないヴァーミリオンは、なぜか先の言葉を発した時よりも照れたようだった。
「…では…、私の為に覚えてくれ」
一世一代の告白のように言うが、別に言いにくいことなら言わなくてもいいのに。
「ヴァーミリオンにはティルディスさんがいるでしょ?」
別にリリアディアが覚える必要はないだろう。
だが、ヴァーミリオンが一時停止しているのを見ると、何かが違ったらしい。
何が違うのだろう、とリリアディアが考えていると、ティルディスが深い溜息をついた。
「…主…やはり私の申し上げましたように、その程度の言葉では花嫁様にはプロポーズとは認識されないようですよ?」
「…どうやらそのようだ」
ヴァーミリオンも細く息を吐いている。
リリアディアは目を瞬かせる。
今のが、何だったと?
「…プロポーズ?」
問い返すと、ヴァーミリオンは目元を染めて、頬も染めて、そっと目を逸らす。
話をする気はないようだ。
「待って、照れてないで説明して」
リリアディアが求めると、ヴァーミリオンは目を逸らしたままでもごもごと口にした。
「…君が、【許嫁】のことで、微妙な反応をしたのが気になったから…考えた」
そのヴァーミリオンの言葉に、リリアディアは驚いた。
自分でもよくわからないもやもやというか、自身の気持ちの違和感に、ヴァーミリオンが気づいていた。
それだけでなく、その原因を考えてくれていた、とは。
「…母が、父に『好きだ』『愛している』を言われたがったことを思い出した」
静かに、ヴァーミリオンの言葉が、リリアディアの胸のなかに落ちる。
不思議なほどに、その言葉を、すんなりと受け止められた。
それが、どういう意味かは、まだわからないけれど。
リリアディアがじっとヴァーミリオンを見つめていると、ヴァーミリオンの甘く優しい蜜色の瞳が、リリアディアに向く。
なぜか、ドキリ、と心臓が跳ねた。
ヴァーミリオンの神がかった美貌に、ではないことは、わかっている。
芸術品にドキリとすることは、ありえない。
ヴァーミリオンは、ひとつ呼吸を置いて、リリアディアを真っすぐに見つめた。
「私は君に、【番だから花嫁になってほしい】という趣旨のことしか言っていなかったと気づいた」
ヴァーミリオンの言葉に、リリアディアはまたも驚く。
自分がもやもやしていたこと、違和感に思っていたこと、…嫌だと思っていたことは、それのように感じたからだ。
「君の声が痛くて苦しくて、私は君を【番】だと直感した。 けれど、【番】のしるしを与えた理由は、それだけではなくて」
一度言葉を切ったヴァーミリオンは、頬を染めて、一度視線を落とす。
常のヴァーミリオンなら、リリアディアに促されない限りは、それ以上を口にしないだろう。 けれど、今回のヴァーミリオンは違った。
ぐっと顔を上げて、リリアディアの、何もしるしのない左手を手に取った。
「父と母のように、これから先、ずっと共にいたいと。 痛みも苦しみも、喜びも、分かち合いたいと思ったのが君だったからだ。 それを、愛しているというのだろう?」
緊張、しているのだろうか。
ヴァーミリオンの頬から赤みが引く。
リリアディアの手を握る、ヴァーミリオンの手が、冷えている。
つられてリリアディアも緊張して、ヴァーミリオンを見返せば、ヴァーミリオンは真摯な表情で言葉を紡ぐ。
「愛している。 だから、私は君に、花嫁になってほしいと思った」
「っ…」
言葉が、出なかった。
握られた手を、引き抜く気にも、振り払う気にもならない。
それなのに、顔が熱くて、どんな顔をしていいのかもわからなくて、顔を伏せずにはいられない。
どんな反応をするのが正解なのかもわからない。
【番】になる、決心をしたのかと問われれば、即答はできない。
だって、リリアディアの人生に、ヴァーミリオンを付き合わせることについて、納得できていない。
ヴァーミリオンはそのことについて、リリアディアと同じように捉えてはいないのだ。
彼はついさっき、「これから先、ずっと共にいたいと。痛みも苦しみも、喜びも、分かち合いたいと思った」と言った。
それだけ聞けば、とても素敵な関係に聞こえる。
リリアディアだって、ヴァーミリオンを大切にしたいと思っている。
握られた手を、放してほしくない。
この手に、別の人の手を握らないでほしい。
そして、その手が冷えているのなら、温めたい、と思う。
リリアディアは今まで、恋愛をできるような環境にいなかった。
だから、これが恋愛感情なのかどうかわからない。
それでも、今のリリアディアは、家族と同様に、あるいはそれ以上に、ヴァーミリオンを大切にしたいと思っている。
これからも、共にいられたら、と。
その思いで、いいのならば。
黙りこくったままのリリアディアから、ヴァーミリオンの手が離れる。
反射的に、リリアディアがその手を握ると、ヴァーミリオンは、笑んで。
「大丈夫。 君に渡したいものがあるから、一度、手を放してほしい」
リリアディアがそろそろと手を放すと、ヴァーミリオンが一度手を握る。
開いたヴァーミリオンの手の上には、真紅と黄金の花弁を持つ薔薇が一輪。
リリアディアがヴァーミリオンを見ると、ヴァーミリオンは緊張した面持ちでいた。
「…もう一度、私の【番】になってほしい」
常になら、頬を染めている場面、だと思う。
けれど、ヴァーミリオンの頬は白皙のままで、リリアディアはヴァーミリオンの緊張を感じ取った。
同じく緊張の感じ取れるヴァーミリオンの声が静かに、問う。
「リリアディア。 答えは?」
答えなんて、そんなもの、決まっている。