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14.招かれざる客

 何が、体が目当てだ! とリリアディアは憤慨しながら、食堂の扉をばんっと開く。

 無人と思っていたその空間に、女性の後ろ姿があって、リリアディアは固まった。


 豪奢な、金茶の、ゆるやかに波打つ髪は、腰のあたりまである。 身体のラインに沿った、濃いグリーンのドレス。

 食堂の入口の扉を開け放したまま固まるリリアディアに、こちらを振り返る女性が、ゆっくりと見える。

 髪と同じ色の、きりりとした眉。 瞳はリリアディアのように明るい色ではなく、深くくすんだマラカイト・グリーン。

 美女だ。 とっても美女だ。


 リリアディアが美女を凝視していると、表情を変えないままに美女の赤い唇だけが動く。

「…貴女、誰?」


 向けられる目が、何となく違和感だな、と思った。

 どうしてだろう、と考えて、リリアディアは気づく。

 同じ生き物を見る目ではない、と気づいたからだ。

 なんとなく、それで相手が誰かは察せる。


「異階の、方…?」

 リリアディアの問いに、美女は答えない。

 リリアディアが美女の問いに答えないことが不満だったのか、美女は顎を反らして少し見下すような角度でリリアディアに近づいてくる。


「貴女、誰? どうしてここにいるの? ヴァーミリオンの何?」

 畳みかけるような質問と、目の間まで来た美女に、リリアディアはたじろぐ。

「ええと、わたし、は…」

 ヴァーミリオンには【番】と言われているけれど、【番】と言っていいのだろうか?

 リリアディアは、ヴァーミリオンにはもっと彼にふさわしい【番】を迎えてほしいと思っている。


 美女の、マラカイトグリーンのような瞳が、リリアディアを観察しているのが分かる。

 けれど、リリアディアには美女の求める答えは返せない。 リリアディア自身が、自分が何かをわかっていないからだ。


「…何、でしょう?」

 その気持ちが、そのまま返答にあらわれただけだというのに、美女の表情がひきつった。


「貴女、ふざけてるの?」

 声音もワントーン下がった。

 これは、敵視されたかもしれない。

 蛇に睨まれた蛙の気持ちで、リリアディアが一歩下がれば、とんと背中に何かぶつかった。

 その瞬間に、美女の視線が上がり、目が鋭くなる。


 瞬き一つの間に、リリアディアの上を通って、漆黒の衣装に包まれた腕が見える。

 その衣装から伸びた手には、剣が握られており、切っ先が美女の喉元に当てられている。


「ふざけているのはどちらでしょう?」


 自分の背後から聞こえた声は、ティルディスのものだ。

 食堂に灯された炎の光を受けて、美女の喉元に当てられた鋼の刃が、鈍色の光を放っている。


「…冗談が過ぎるわよ、ティルディス」

 首をわずかに傾けるようにして、ティルディスを見下す美女は、不敵に笑んでいる。


「…気安く私の名前を呼ばないでいただけますか」

「誰に刃を向けているかわかっている?」


 背後にあるティルディスの表情はわからないが、目の前の美女の表情から、二者間で火花がばちばちっとしているのはわかる。

 どうしよう。

 万が一の何かが起きたときに、仲裁に入るのはリリアディアか? 荷が重すぎるぞ!

 リリアディアが火花散る二者の間で身の振り方に悩んでいると、救いの声が聞こえた。


「わからぬわけがないだろう? 私が交戦の許可を出した」

 ティルディスが美女に剣を突き付けているのとは逆側から、濃い灰色の衣装に身を包んだ背中が現れた。

 ヴァーミリオンだ。


「つれないのね。 いつものことだけれど」

 ヴァーミリオンの背に隠れて、美女は見えなくなったが、その代わりにティルディスに相対しているときよりツートーンくらい上がった声が耳に届いた。

 だが、ヴァーミリオンの反応は素っ気ない。 わずかに、背後を振り返った。


「ティルディス、引いていい」

 ティルディスは応じなかったが、すっと刃が引かれる。

 リリアディアは慌ててティルディスを振り返る。

「あ、ティルディスさん、ありがとうございます」

「いいえ」

 にこりと笑んだティルディスの手を、リリアディアはちらりと見るが、その手に既に剣はない。


 完璧な執事姿のティルディスは、どこかにあの長剣を隠し持てるはずもない。

 あれはいったいどこへ行ってしまったのか…。

 そんな思いでリリアディアはティルディスを見上げたのだが、ティルディスにはあのいつもの安っぽい笑顔を向けられてしまった。

 話すつもりはないということか。


 リリアディアが、ティルディスに気を取られているうちに、ヴァーミリオンと美女の距離が縮まっていた。

「あちらにはいつ戻るの?」

 無表情のヴァーミリオンに密着するように体を寄せた美女が、ヴァーミリオンの頬を撫でている。

 あれは、大人の世界だ。


 少し距離を置いて様子を見よう、と思ったリリアディアに反し、ティルディスが口を挟んでいる。

「戻りませんよ。 主はここを気に入っていらっしゃいます」

「お前には聞いていないのよ、ティルディス」

 チクチクネチネチと言ったティルディスに、美女が噛みついた。

 そうか、美女対リリアディアを蛇と蛙と思ったが、美女対ティルディスはコブラ対マングースか。

 未だかつて見たことがないくらいに、殺気をみなぎらせたティルディスに、リリアディアが若干引いていると、ヴァーミリオンが美女を冷たく見た。


「怪我をしたくなかったら気安く名前を呼ぶな。 私の従者はお前を主とは認識していない。 …怪我をしたかったら別だが」

「あら、許嫁に向かってあんまりね」

 ふっと笑った美女が言った言葉に、リリアディアの思考が停止する。


 今、目の前の美女は、【許嫁】と言ったのか。

 誰が、誰の、許嫁、だと?


「お帰りいただけますか、黄一族の姫君」

 いつも物腰のやわらかいティルディスが発したとは思えない言葉に、リリアディアはハッと我に返る。


 美女がティルディスに向ける、若干上から見下ろす視線は変わらない。

「随分な従者。 自身の生まれを自覚した言葉とは思えないわね」

 美女が、勝ち誇ったように言った瞬間、ティルディスの顔から表情が消えた。


「それは私の意を代弁しただけだ。 用がないなら去れ」

 ティルディスを庇ったのかどうかはわからない。

 だが、そこで、ヴァーミリオンが口を挟んだのはきっと、ティルディスのためだ。

 案の定、美女の意識は、ヴァーミリオンに向いたらしい。


「用ならあるわ。 いつ異階(あちら)に戻るの?」

「異階には用がない。 それに、お前との婚約は父が破棄しているはずだが?」

 きっぱりとヴァーミリオンが否定するも、美女は納得しなかったらしい。

 ヴァーミリオンの衣装を掴んで縋っている。


「父様は納得していないわ。 それに、わたしはわたしの【番】は貴方だと確信している」

 その言葉に、リリアディアの胸はドキッとした。

 リリアディアは、人間だから、【番】という確信がわからない。

 リリアディアは、そのとき、どんな顔をしていたのだろう。

 ヴァーミリオンの瞳がリリアディアを映した次の瞬間には、厳しい表情をしたヴァーミリオンが、美女に告げた。


「私はお前を自分の【番】とは思わない。 去れ」

「っヴァーミリ」

 美女が言い終わらぬうちに、ヴァーミリオンの指先が、美女の眉間に触れる。

 一瞬のうちに、そこから光が溢れて、美女の姿が消えるので、リリアディアはぎょっとした。


「っ…! 今、何したの」

「異階へ強制送還しただけだ」

 詰め寄るリリアディアに、ヴァーミリオンは淡々と返す。

 そればかりでなく、なぜか、リリアディアに対して、溜息までついた。


「…リリアディアは優しすぎる。 君を認めない者にまで、心を砕いて、案じるなんて…」

 それならば私に対してもっと優しく接してくれればいいのに…とかなんとか聞こえた気がするが、無視だ、無視。

 それよりも、聞いておかなければならないことがある。


「…貴方の、許嫁、って言ってた」

「言っているだけだ」

 リリアディアが零すと、反射とも思える速度でヴァーミリオンから返ってくる。

 その速度に、逆に不信感を抱いてしまうのは、リリアディアの考え方がいけないのだろうか。


「…ヴァーミリオン」

 リリアディアは、両手でヴァーミリオンの、目も眩むくらいに美しい顔を挟んで自分の方を向かせて、真っすぐに睨みつける。

「きちんと答えて」

 睨んでいるのに、ヴァーミリオンの頬には朱が差す。


 リリアディアには最早突っ込む気力がないから、誰か突っ込んでほしい。 その反応は間違いだと。

 口を開くティルディスに、リリアディアの気持ちが伝わったのかと思ったが、全く伝わっていなかったらしい。

「花嫁様は本当にあざとくていらっしゃる…」

「本当に。 私には至近距離で見つめるなと言って、自分から不意打ち。 自分の顔がどんなに綺麗で可愛らしいか理解しているのか?」

 ヴァーミリオンはうっすらと目元を染めて、落ち着かなさげに視線を揺らしている。

 その表情がどれだけ綺麗か、ヴァーミリオンこそ理解していない。


「一応断っておくけれど、少なくとも、貴方に綺麗と思われるような顔はしていません。」

 リリアディアが言い切るも、ヴァーミリオンはうっすらと目元と頬を染めたままで、リリアディアの手首を掴んで引き寄せた。


「普段は絶対に呼ばないのに、こういうときだけ私の名を呼ぶなんて、ずるい」


 リリアディアの手を拘束した手の大きさに、その力強さに、相手が生身の男性なのだということを急に意識して、ものすごく恥ずかしくなる。

 リリアディアが困って恥ずかしがっているのに気付いているのかいないのか、ヴァーミリオンがリリアディアの耳に唇を寄せる。


「もう一度、名を呼んで」


 甘ったるい声を耳に吹き込まれれば、一瞬で体が熱を持つ。

 どちらがずるいんだ、と抗議してやりたいが、抗議したら負ける気がするからぐっと堪える。

 そして、リリアディアはヴァーミリオンがまだリリアディアの質問に答えていないことにも気づいている。


「…きちんと答えて」

 再度問い詰めれば、ヴァーミリオンは答えずにおれないことを悟ったらしい。


「許嫁、だった。 父が生きているときに、破棄している。 これでいいだろう?」

 そう、話を終わらせようとするヴァーミリオンに、リリアディアは若干イラっとする。

 どうせ、リリアディアは人間だ。 そのことはわかっている。

 リリアディアは人間だから、わからないから、雑な説明をしても大丈夫だとか思っているのだとすれば、大きな間違いだと思い知らせてやらねば。


「よくない。 彼女、【番】って言った」


 追及の手を緩めない、そういう意気込みでリリアディアは言ったのだが、ヴァーミリオンも沈黙を守っている。

 そうか。 そっちがその気なら、それでもいい。

 ヴァーミリオンが言うように、ずるい女になってやろうではないか。


「…ヴァーミリオン」

 こんなのは自分の声じゃない。

 思ながらも、リリアディアが促すために呼んだ名前は、思っていたよりも甘い響きになって死ねる。


「っ!?」

 途端に、ヴァーミリオンに抱きしめられて、リリアディアは動揺する。

 自分で仕掛けたとはいえ、この反応は予想外だった!


「…転がされてますね、主」

「何とでも言うがいい。 我が一族は花嫁には勝てない」

 一度リリアディアを解放したヴァーミリオンが、少し屈むような動きをするので何かと思っていると、膝の裏に腕を差し込まれて、背中も支えられてしまった。

 まさか、とリリアディアが思っていると、ひょいとヴァーミリオンに横抱きにされてしまう。


 何をするのだろう? なんて呑気に見ているのではなく、逃げていればよかった!

 思うも後の祭りで、リリアディアは食堂の椅子に座ったヴァーミリオンの膝の上に横抱きに座らされてしまう。

 リリアディアが往生際悪く、一瞬逃亡を試みたことに気づかれたようで、ヴァーミリオンの腕に囲むように抱きしめられてしまった。

 いつもの草食系な美獣に非ず!! 一体どうした!!


 リリアディアのそんな視線に気づいたのか、ヴァーミリオンはぎゅううとリリアディアを抱きしめる。

「しばらくリリアディアと離れていた上に、力を使ったから疲れた」

 ああ、そういえば、忘れていたけれど、さっきの美女をヴァーミリオンは【強制送還】したのだったか。


「だ、大丈夫?」

 リリアディアのほうからもぎゅっとすればもっと早く回復するだろうか。

 そう、リリアディアがヴァーミリオンを抱きしめてみると、ヴァーミリオンの耳や首が赤くなっているのに気づく。

 リリアディアは、この草食系で純情な美青年の照れるポイントと照れないポイントがわからない。


 とりあえず、そろり、と手を放してみれば、ヴァーミリオンの耳や首の赤みが引いていく。

 よかったよかった、と思っていると、ヴァーミリオンの目が、リリアディアを見つめていた。

「…好意と一緒だ。 私はあれを【番】と認識できなかった。 それだけだ」

 唐突に、リリアディアの質問に対する答えは、ヴァーミリオンからもたらされた。

 ふと、以前に思った事が脳裏を掠めた。


――まるで、【薔薇に選ばれた花嫁】という肩書が欲されているようだ


「だから、しるしが必要だった?」

 リリアディアの指摘は、真理をついていたらしい。

 ヴァーミリオンの瞳が、驚いたように瞬いた。

「…知っていたのか」

 知っていたわけではない、とリリアディアが首を横に振ると、ヴァーミリオンはさらに説明を続けてくれる。


「許嫁という【番】の候補を拒否し、別の【番】を望む場合、それなりの建前があったほうが相手を納得させやすい」

「同族の方がしるしだけで納得するの?」

 同族同士なら、問題ないかもしれないけれど、リリアディアは異族種なのだ。


「意外とな。 遺伝子レベルの話をすれば納得せざるを得ない」

 すでに耳の赤みも首の赤みも顔の赤みも引いているヴァーミリオンが、神妙な顔で頷いた。

 だが、遺伝子レベルとはどういうことだ。


「遺伝子レベル?」

「余計なことを言った」

 問い返したリリアディアに、赤みが引いたばかりのヴァーミリオンの頬に、また赤みが差した。

 なんだ。 言いにくいことなのか。

 話が進まない、とリリアディアは横目でちらりとティルディスを気にする。

 ティルディスは生温かい眼差しと笑みを、リリアディアとヴァーミリオンに向けている。


「…私がご説明しましょうか?」

「いい、私が言う」

 ティルディスの申し出を、ヴァーミリオンは即座に打ち消す。

 最近思うのだが、ヴァーミリオンは、言いにくいことほど他人に言わせたがらない。

 ということは、ヴァーミリオンが言いにくいけれど、ティルディスにも言わせたくないことということか。

 男女のあれこれということだろうか、という予想は当たっていたらしい。


「…つまり、相性が良くて、いい子が生まれる、と。 我が一族の薔薇は、その相手を見極めるものという理解で、周囲には知られている」


 目元を染めて、目を潤ませて、乙女も真っ青の恥じらいの表情のヴァーミリオンに、つられてリリアディアも照れてしまった。

「あ、ああ、なるほど」

 それ以上、どう話を続ければいいのかもわからないが、沈黙もつらい。

 ヴァーミリオンの膝の上からも逃げ出したいところなのだが、リリアディアと接触していた方が辛くないというのなら、我慢すべきなのもわかっている。

 ということで、リリアディアは、ティルディスに逃げることにした。


「そういえば、ティルディスに【番】はいないの?」

 途端に、また、シン…となる。

 ヴァーミリオンも、ティルディスも、言葉を発さない。


 …これは、地雷を踏んだのだろうか?



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