13.噛み合わない二人
リリアディアは、六時の鐘の音を聞いて、ヴァーミリオンの部屋に向かう。
そうすれば、ヴァーミリオンの部屋に行く途中で、ばったりとティルディスに出くわした。
気まずい、とリリアディアは思ったのだが、それはきっとティルディスも同様だったのだろう。
しばし、向かい合ったままでお互いに固まっていたのだけれど、ティルディスがすっと頭を下げた。
「…昼間は、大変申し訳ございませんでした。 差し出がましいことを申し上げました」
すぐにティルディスは頭を上げたが、まさか頭を下げられるとは思っていなかったリリアディアは慌てた。
「いえ、貴方が言うことは筋が通っているもの。 貴方が、ご主人様をどれだけ想っているのかもわかるし」
ティルディスは、軽く目を見張った後で、笑う。
「まさかまさか、私は自分の身の上しか考えておりませんよ。 後継ぎがなく、主が亡くなられては、私は無職になってしまいます」
はぐらかしているようだが、リリアディアはそれがティルディスの本音ではないことにも、気づいている。
「そう言うなら、それでもいいけど」
ティルディスが、ヴァーミリオンの身を案じていることは、わざわざ確認せずともわかることだ。 リリアディアは、あれから半日ほど考えて出した結論をティルディスに告げる。
「とりあえずね、彼の人生を狂わせた責任がわたしにはあるから、できる限り彼の傍にいようとは思うんだけど…貴方のご主人様はどういった女性がお好みなの?」
リリアディアの発言に、なぜかティルディスの目が点になる。
「………と、言いますと…?」
「わたしは、人間だし。 彼にはもっと相応しいひとがいると思うの。 人間だと寿命が短いから…異階にそれらしい方はいないの?」
【番】に先立たれて残された【番】が長生きできないのであれば、長生きできるような【番】を美獣が迎えればいいだけだ。
ティルディスはしばし言葉が出ない様子ではあったが、そっと眉間に手を当てて、寄った眉根を揉み解すような動きをしている。
「そういう方向に展開しましたか…。 主が不憫です」
「いやいや、勝手に美獣を不憫にしないでよ。 わたしを【番】にしたままで、早死にした方が不憫だわ」
言いながら、ヴァーミリオンの部屋に向かうべく歩き始めれば、ティルディスがリリアディアの後ろからついてくる。
ノックをして、扉を開くと、そこには美獣なヴァーミリオンがいた。
「? どうした、リリアディア」
ヴァーミリオンは、リリアディアとティルディスが揃って部屋に来たことに驚いているらしい。
ただ、リリアディアも驚いた。
「あ…えっと、その…やっぱり美獣の姿なんだなぁ、って」
昨日あれだけ元気がなかったので、今日はどうなのだろう、と思って見に来たのだが、やはり六時になったのにヴァーミリオンは美獣の姿だ。
ヴァーミリオンは、美獣のときに着ている服と、人型のときに着ている衣類が異なる。
美獣のほうが体格がいいようで、それに合わせた服――さらには、尻尾が窮屈らしく下穿きの尻尾が出るところに穴をあけてあるらしい。
人型のときには、穴の開いた下穿きなど穿きたがらないのは普通のことだろう。
リリアディアとしては、尻尾がにょきりと出たあの姿が好きなのだけれど。 嬉しいときには揺れるし、悲しいときには垂れるし、あれが美獣の感情のバロメーターだと思っている。
ヴァーミリオンは、リリアディアに近づいてきて、ふぅと息を吐いた。
「君がいないと疲れる」
…今まで寝ていたはずなのに、疲れるなんて、どれだけ疲れているのだろう。
「え、大丈夫? えぇと…こうしたほうがいい?」
リリアディアが、ぎゅっと、上半身がつやつやさらさらな毛に覆われたヴァーミリオンに抱きつく。 そうすれば、ヴァーミリオンの身体が硬直する。
昨日はぱさぱさぎしぎしだった毛が、今は以前のさらさらつやつやを取り戻している。
頬に当たる毛がくすぐったいけれど気持ちよくて、リリアディアは頬擦りせずにはいられない。 そうすれば、困ったように揺れる尻尾が手に当たるので、尻尾をなでなでする。
素晴らしい毛並みでもふもふだ。
そうすれば、いつの間にか頬が当たっているところから毛がなくなって筋肉質でしっかりとした素肌に変わってしまった。
「あああ…人型になっちゃった…。 美獣をもう少し愛でていたかったのに」
残念だ、とリリアディアはヴァーミリオンから離れる。
ヴァーミリオンはといえば、首筋まで赤くして、握った手を口に当てた上で顔を背けて震えている。
どうした。
その様子を見て、ティルディスははあぁ…と息を吐いた。
「…花嫁様は意外とあざとくていらっしゃる…」
だから、何がだ。
美獣姿に比べて細身のヴァーミリオンは、ウエストのところで穿いていた下穿きが若干下がって腰穿きに近い状態になっている。
腰骨が若干見えているのがセクシーだ。
年頃の乙女としては、異性の――上半身だけとはいえ――裸が目の前にあれば、「きゃあ!」とか恥じらって顔を手で覆って顔を背けるのが望まれる反応だということはわかる。
けれど、ヴァーミリオンの裸は整いすぎていて、彫像か何かを見ているようで、いけないことをしているような罪悪感とかのようなものがない。 わかりやすく言えば、生々しくないのだ。
芸術に対して、どきどきはぁはぁする趣味はリリアディアにはないし、そういう性癖でもないのでこういう反応になっている。
そんなことを思っていると、何かから立ち直ったらしいヴァーミリオンが、ぱっとリリアディアを見た。
「顔を、よく見せて」
両手で頬を挟まれて、間近に顔を覗きこまれて、リリアディアは固まる。
きらきらしい、人外の美貌に、リリアディアは顔を背けたいような衝動に駆られる。 けれど、それが叶わないから、せめてもの抵抗で目を逸らす。
「やっぱり貴方の顔は精神に及ぼす破壊力が並ではないから、この至近距離でわたしを見つめてはダメ」
リリアディアの反応に、ヴァーミリオンの表情が愕然とした。
「…君が私を抱きしめるのはいいのに?」
どういうことだ、とその顔が言っている。
どういうことだ、なんて、決まっている。
「だってあれは顔が見えないもの」
つやつやさらさらな毛が頬を擽る感触がどれだけ素晴らしいか、語らせてもらえるのならば一時間は語れる。 いや、二時間かもしれない。
そうすれば、なぜかヴァーミリオンが悟った顔になった。
「…そうか…リリアディアは、私の体が目当てか」
「…その言い方やめて。」
「…ええと、私はお邪魔でしょうか?」
控えめに口をはさんだティルディスに、リリアディアはハッとする。
気のせいか、ティルディスの視線が生温かい。
なんだか一気に恥ずかしくなったリリアディアは、ティルディスに背中を向けながら言った。
「いえ、ここはティルディスさんに任せます! 先に食堂で待ってます!」
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リリアディアが去った部屋で、シャツのボタンを留め始めていたヴァーミリオンが、ピクリとボタンを留めかけた手を止めて、呟く。
「………ティルディス」
その声音に、若干の緊張感が含まれていることに、ティルディスは気づいたらしい。
「…どうされましたか、主」
問い返す、ティルディスの声にも、緊張が滲む。
「…先に食堂に行け。 異階から、招かれざる客が来たようだ」
言いながら、手早くヴァーミリオンは着替えを進める。
ヴァーミリオンの発言を受けて、ティルディスの黒曜石の瞳が、ギラリと底光りした。
「…刃を向けても?」
ヴァーミリオンはティルディスを見ずに着替えながら、命じる。
「刃を交えてもいい。 私が責任を取る」