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10.花嫁の帰還

 森の中の道を歩いていれば、自分が以前に枝に結んだ包帯を見つける。

 それを道しるべに歩いていけば、ほどなくして薔薇が香り、薔薇に囲まれた豪奢な屋敷が現れる。


 この門はどうやって開けるのだろう、と蔦の絡んだ格子状の門をリリアディアががちゃがちゃと揺らしていると、門扉がキィ、と開いてリリアディアは二三歩よろめく。

 何とか踏みとどまって、転倒するという惨事を回避したリリアディアがふっと顔を上げれば、玄関の扉のところに、黒づくめの執事が立っている。


「…ティルディス…」


 リリアディアが、ティルディスを呼ぶと、ティルディスは笑んだ。

「お帰りなさいませ、花嫁様」

 その言葉にリリアディアは、一週間ほど前にティルディスが自分を見送ったときのことを思い出した。 「お気をつけていってらっしゃいませ」、とあの時言ったティルディスは、「お帰りなさいませ」とリリアディアを出迎えた。


 ティルディスが浮かべた、変わらぬ笑みが胸に痛くて、リリアディアはそっと視線を外す。

「怒らないの、ティルディス」

 リリアディアは、逃げたというのに。


 ヴァーミリオンの思いが、重くて、怖くて、ヴァーミリオンを置いて、逃げた。

 それなのに、舞い戻ってきて。


 自分を恥じる思いと、罪悪感でいっぱいだ。

 自分が何をしたいのかも、よくわかっていない。

 けれど、ヴァーミリオンに会わなければならないと、そう思ったのだ。


「お戻りになると、信じていましたから」


 変わらぬ声音の、ティルディスの言葉に次いで、ぎ、と扉の開く音がする。

 そろそろと顔を上げれば、ティルディスが扉を大きく開け放って、リリアディアに道を示していた。


「どうぞ、花嫁様」



゜・*:.。.❀.。.:*・゜゜・*:.。.❀.。.:*・゜゜・*:.。.❀.。.:*・゜



 一週間ぶりの、薔薇屋敷。

 その中を、ティルディスに案内されるがままに進む。


 たった一週間、だ。

 それなのに、屋敷の中が静かに、そして、暗く感じるのはなぜだろう。

 不気味だ、とは思わなかったが、その静けさが怖い。

 途中で、リリアディアが足を止めると、ティルディスが不思議そうな顔で振り返る。


「…花嫁様?」


 今から、ヴァーミリオンに会うと思うと、心臓が痛い。

 ここまで来て、往生際が悪いのは、わかっているけれど。


「…ヴァーミリオン、今、眠っている時間でしょう? 起こすの、悪いから…。 暗くなってから、会うことにする」

 何とか、そう絞り出す。


 ティルディスの黒曜石の瞳は、じっとリリアディアを観察するように見ていたけれど、最後には笑んでくれた。

「ええ、では、花嫁様の思うがままに」

 ティルディスに、猶予を与えられたのはわかった。

 だから、告げる。

「…ありがとう」


 リリアディアは、自室だとあてがわれている部屋に入って、ベッドに身を投げ出した。

 一週間前と、何も変わらない部屋。

 ああ、けれど、ベッドがきちんと整えられていることを見ると、やはりティルディスはリリアディアが戻ることを確信していたということだろうか。


 リリアディアは、瞳を閉じて、深く息を吸って、吐く。

 心の準備をしなければ。

 ヴァーミリオンに合わせる顔などないが、会わなければならない。

 会ったら、きちんと謝らなければならない。

 そう思って、リリアディアは気づく。


 何を、謝ればいいのだろう。


 自分の手を、焼いたことだろうか。

 それとも、忘れていたこと?

 薔薇屋敷を、ヴァーミリオンのもとを、去ったことだろうか。


 会わなければ、謝らなければ、とそれだけで家を飛び出してきたリリアディアだったが、具体的に何をどうしようということは考えていなかったのである。



゜・*:.。.❀.。.:*・゜゜・*:.。.❀.。.:*・゜゜・*:.。.❀.。.:*・゜



 ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン…。

 時を告げる鐘の音に、リリアディアはハッとする。

 ベッドに突っ伏して考え事をしているうちに、うっかり眠ってしまったらしい。

 ここのところ寝不足だったし、昨夜もあの夢を見て、夜中に目を覚まして眠れぬままに朝を迎えてここまで来たのだから、仕方ないことだと理解してほしい。


 リリアディアの聞き間違いでなければ、鐘が六つ打った。

 午後六時。

 リリアディアが薔薇屋敷に滞在していた時の習慣のままであれば、この時間にはヴァーミリオンは目を覚ましている。


 …会いに、行こう。


 そう、腹を括って、ヴァーミリオンの私室までやって来たのだが…。

 コンコン、とリリアディアは再度扉をノックした。

 もう、三度目になるのだが、室内からの応答はない。


 リリアディアが途方に暮れていると、

「花嫁様?」

 とリリアディアを呼ぶ声がした。


「ティルディス…」

 声のした方を向くと、ティルディスが近づいてきて、ヴァーミリオンの部屋の扉を無造作に開ける。

「!?」

 いつもはきちんとノックをし、伺いを立てるはずのティルディスの行動に、リリアディアが驚いていると、ティルディスが入室を促した。


「どうぞ、花嫁様」


「えっと…、でも、ヴァーミリオンは、入っていいって言ってない」

 もしかしたら、リリアディアに会いたくない、顔も見たくないと思って、応じなかったのかもしれない。

 そう、リリアディアは思っていたのだが、ティルディスは仕方なさそうに笑った。


「主は今、応じられる状態ではありませんからね」


「え…?」

 それは、どういう意味だ。

 リリアディアがティルディスを凝視していると、ティルディスにもう一度、「どうぞ」と促されてしまった。

 だから、リリアディアは室内に一歩足を踏み入れる。


 夜の帳の落ちた部屋は、真っ暗だった。

 廊下から差し込む明かりで、リリアディアの足元くらいまでは照らされているが、奥まで光は届かない。

 リリアディアがそれ以上足を進めるのを躊躇っていると、取っ手付きの燭台を持ったティルディスがずかずかと進んでいき、ベッドの脇で足を止めた。

 炎の明かりに照らされたものに、リリアディアは目を見張った。


「あ、れ…? …どうしてまだ、美獣のままなの…?」

 言いながら、ベッドに近づく。

 近づいてみても、美獣の姿は美獣のままだ。

 この時間は、ヴァーミリオンは、人型になっているはずなのに。

 近づいてよくよく見つめてみれば、あの素晴らしい毛並みの艶が、失われているような気がするし、耳まで垂れてしまっている。


「な、なんか、弱って、る…?」


 炎の光の加減で、弱って見えるだけならいい。

 そういう願望も込めて言ったのだが、残念ながらそれは、ティルディスに否定される。


「ええ、弱っていらっしゃいますね」


 あまりにも淡々としたその様子に、リリアディアは思わず声を荒げていた。

「丈夫なんじゃなかったの!?」

 今、自分がティルディスにしているのは八つ当たりだ。

 それをわかっているのに止められなかった。

 リリアディアが感情の高ぶるまま肩で息をしていると、ティルディスの表情から笑みが消えた。


「わかっていらっしゃらないのですね、花嫁様。 主が衰弱されたのは、【番】のしるしを貴女が放棄され、主から離れたためです」

 リリアディアは、目を見張る。

 そして、ゆっくりと、ぎこちない動きで、ヴァーミリオンを、見た。


 心臓が。 胸が。

 苦しくて、痛い。


 ヴァーミリオンがこうなったのが、自分のせいだということ。

 そして、ティルディスは、ただ事実を述べているだけで、リリアディアを責めているわけではないということが。


 ティルディスは、燭台をことりとベッドサイドのテーブルに置いた。

 リリアディアは、ヴァーミリオンの顔をのぞき込む。

 毛並みの艶が失われただけ、だろうか。

 毛に覆われた顔では、表情が分からないし、顔色もわからない。

 衰弱しているという相手に、こんなことをしていいものかどうかわからなかったが、ヴァーミリオンの身体を揺さぶる自分を止められなかった。


「ねぇ、起きて。 ねぇ…ヴァーミリオン」

 手に触れる毛が、つやつやさらさらではなく、ぱさぱさぎしぎしなのが、辛い。

 どうしてだろう。

 視界が、ぼやける。

 目が、瞼が、熱い。

 弱ったヴァーミリオンを見ていられなくて、ぎゅっと目を瞑れば、ぱたたっと目から雫が落ちた。


「っ…起きてよっ…ヴァーミリオンっ…!」


 そう、懇願せずにはいられなかった。

 起きて、その、優しくて甘い蜜色の瞳に、リリアディアを映してほしい。

 ちょっとどうかと思うくらいに素敵な低い声で、リリアディアの名前を呼んでほしい。


 それから、リリアディアに、きちんと、謝らせてほしい。


 何をどうしたくて戻ってきたのか、リリアディアはまだわからない。

 それが、わかるまで、リリアディアの傍に、いてほしい。


「…起きてよ…」

 もう一度、繰り返せば、ぱさぱさでぎしぎしな毛が、リリアディアの目もとに触れて、離れていく。

 その感触に、ぎょっとしてリリアディアが目を開けば、弱弱しく目を開いた美獣がいた。


「…泣くな。 泣くな、リリアディア」

 低くて素敵な声が、掠れていてそれが痛々しい。

 泣いてなんていない、常なら言えたその台詞が胸に詰まって出てこない。

 リリアディアは、顔を歪めずにはおれなかった。


「…だって…」


 その先に、続く言葉が出てこない。

 リリアディアが、ただただヴァーミリオンを見つめることしかできずにいると、ヴァーミリオンの手が伸ばされて、リリアディアの頬を撫でた。

 ぷにぷにの肉球も、かさかさになってしまっている。


「泣くな…。 君の悲しむ声は…苦しい。 【番】の悲しみは、私の胸を裂く」

 どうして、こんなときまで、その蜜色の瞳は優しいのだろう。

 どうして、まず、リリアディアを案じてくれるのか。

 リリアディアが、【番】だから?

 ぎゅう、と胸が苦しくなった。

 けれども、そのリリアディアよりも、ベッドに横たわったままのヴァーミリオンの方が、痛そうな、苦しそうな顔をしている。


「わかっているのか? 私にこんな思いをさせているのが、自分だと。 私にこんな思いをさせられるのは、自分だけだと」


 ヴァーミリオンが吐き出す言葉は、空気を震わせ、苦痛と苦悩に満ちていながらも、リリアディアを傷つけようとはしていない。

 なのに、その甘い蜜色の瞳に揺れる、狂気のようでいて、凶器のようでもある感情は何なのだろう。


「このまま私の息が止まれば、君は理解するのか? 私が、どんなに大切に想っているか、思い知ればいい…!」


 堰切ったように溢れる、ヴァーミリオンの言葉に溺れそうになる。

 それ以上ヴァーミリオンの思いを聞いているのが苦しくて、リリアディアは思わず、叫んでいた。


「だ、だって、わたしは貴方に相応しくないもの…!」


 意外なことだが、リリアディアの言葉に、ヴァーミリオンの言葉の奔流が止んだ。



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