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1.こうして始まる物語

 むかしむかし、あるところに、商人が三人の娘と暮らしていました。

 三人のうちでも末娘は、とても美しく心が優しいので評判です。

 ある時、お父さんが仕事で近くの町ヘ出かける事になると、一番上の姉さんが言いました。

「お月さまの色をした服を、買ってきて」

 すると、二番目の姉さんも、

「お日さまの色をした服を、買ってきて」

と、ねだりました。

 でも末娘は何も言わないので、かわいそうに思ったお父さんが何度も聞くと、

「…薔薇の花が、一本ほしいわ」

と、答えました。

 仕事を終えたお父さんは、姉さんたちの服を買いました。

 でも薔薇の花は、どこにもありません。

 おまけに帰る途中、道に迷ってしまったのです。

 困っていると、遠くに明かりが見えました。

 近づいてみると、とても立派なお屋敷です。

 けれどいくら呼んでも、お屋敷からは誰も出て来ません。

 ふと見ると、庭にきれいな薔薇の花が咲いています。

「見事な薔薇だ。 これをお土産に持って帰ろう」

 そう言ってお父さんが薔薇を一枝折ると、さわさわと薔薇の茂みが揺れました。

「手折ってしまったのですね」

 凛とした声に、お父さんは辺りを見回しました。

 すると、薔薇の茂みの向こうから、一人の青年が姿を現したのです。

 お父さんは、そのあまりの美しさに息を飲みました。

 衣装も一目で上等とわかるものを身に着けていて、お父さんはどこの貴族だろう、と考えます。

 けれど、すぐに青年が自分の手元の薔薇を見ていることに気づいて、慌てて頭を下げました。

「も、申し訳ありません。 あまりに美しいので、娘の、土産にと…」

「持ち帰るとよろしい。 代わりにと言ってはなんなのですが、我が主に花嫁を連れてきてもらいたい」

 突然の提案に、お父さんはびっくりして言葉も出ません。

「その薔薇が花嫁を選ぶでしょう。 …さあ、日が暮れる前にお帰りなさい」

 お父さんが、青年が見やったほうを見ると、ああ、と思い出したように青年が言いました。

「…これは、私と貴方の【約束】です。 主は花嫁を欲していらっしゃる。 違えたときは、どうなるか…言わずとも、お分かりになりますよね?」

 その声の低さに、冷たさに、お父さんの背筋に悪寒が走りました。

 お父さんは、直感的に、このひとは人間の皮を被った何か別のものなのではないかと、突然思い立ったのです。

 そして、後はもう振り返らず、わき目もふらずに家を目指したのでした…。



゜・*:.。.❀.。.:*・゜゜・*:.。.❀.。.:*・゜゜・*:.。.❀.。.:*・゜



「へぇー…。 そんな曰くつきの薔薇なんだ?」

 テーブルに置かれた薔薇を面白くもなさそうに見ながら、薔薇をお土産にねだった張本人――末娘のリリアディアはため息をつく。

 頬杖をついているあたり、リリアディアの話を聞く姿勢が見て取れるだろう。


 父は、『とても美しく心が優しいので評判』と盛って話を始めたが、リリアディアは自分の心が特別優しいとは思わない。

 どころか、リリアディアは自分にまつわる評判というものが、そういったいい意味での評判ではなく、別の意味で評判だということも自覚している。


「リリー…お父さんが大変な思いをしてその薔薇を手に入れたのを労ってはくれないのかい?」

 涙目になってしまう父に、リリアディアは慌てて姿勢を正して、笑みを浮かべる。

「大変な思いをしたのね、大変だったわね、ありがとう」

「リリー、ああ、私の天使…」

 心のこもらない労わりの言葉と謝辞で感動してしまうあたり、リリアディアは父をお人よしだと思う。


「だからお土産なんていらないって言ったのよ…」

 父には聞こえないように毒づく。


 父自身に罪はない。

 罪はない、のだが、リリアディアは、父の【お土産】でいい思いをしたことなどないのだ。

 二人の姉へのお土産は、いつだってまともなものなのに、父がリリアディアに持ってくるお土産に関しては、必ずと言っていいほど何かある。


 子どもの頃にもらったぬいぐるみには何かが憑いていたし、可愛らしい鏡もリリアディアの姿を映すことはなかった。 靴をもらえば勝手に踊りだしたりと、挙げればきりがない。

 かといって口に入れる物もなにかあった時には非常に恐ろしいので、植物を挙げてみたのだが…それでもやっぱり、何かあるらしい。

 造花などを見繕ってくるだろうとタカを括っていたのだが、相変わらず予想の斜め上をいってくれる。


「リリー、リリー」

 自分を呼ぶ父の声が聞こえたので、リリアディアは顔を上げる。

 そうすると、笑顔を浮かべた父の顔があった。 これはこれで、いい予感がしない。


「あの青年は、薔薇が花嫁を選ぶと言ったんだ。 それは、薔薇を欲しがったリリーのことではないかと思うんだよ」

 それを聞いて、リリアディアはじっと父の顔を見つめた。

 嬉しそうに、にこにことしている。 父がリリアディアの将来について考えてくれていることは、百も承知だ。

 だからといって、この状況で、

「…どうしてそこで喜べるんだろう…?」

 と心底不思議である。


「お父さんはわたしを厄介払いしようというの?」

「まさか! リリーにはできれば、ずっと私のそばにいてほしいけれど、リリーだってもう年頃だろう?できるだけいい相手を見つけてやろうというのが、親心では…」

「じゃあ聞くけど、お父さん。 わたしがいなくなった後、家のことはどうするつもり?」

 聞くと、父は言葉に詰まる。


 上の姉は既に婿を取っており、下の姉も近々結婚することが決まっている。

 上の姉が家を継ぐのだけれど、家事全般についてはほぼ戦力外と言っていい。 この家の家事一切を担ってきたのは、他ならぬリリアディアなのである。


 人を雇えば簡単に済む話ではあるのだが、あの極度の人見知り…もとい、人間嫌いの姉ならば、人を雇って賃金を渡すよりも、妹に家にいてもらってその仕事を任せるほうがいいと言うだろう。

 リリアディアは更に畳みかける。

「それに、花嫁を探しているのは、お父さんが実際に会った人ではなくて、その人の主なんでしょう? すーごいよぼよぼのおじいさんだったらどうするの?」


 きれいに、一拍空いた。

 その間に、父は想像してしまったのだろう。


「そんなの、父さんはいやだ!!!」

「うん、わたしだっていや」

 涙目になって身を震わせつつ、渾身の力で否定した父に、リリアディアはこっくりと頷く。

 そして、テーブルに置かれた、真紅の薔薇に目をやった。


「それに、この辺で薔薇に囲まれたお屋敷なんて、わたしは聞いたことないもの。 お父さんは人がいいから、何かに騙されてるんじゃない?」

 何か、という言葉を意図して強調すると、父はさっと顔色を変える。

「! 縁起でもないことを言わないでくれ!」

「だってこの薔薇だって、綺麗すぎるし…。 まずね、今の時期に薔薇が満開っていうことにわたしとしてはいささかの疑問を感じてほしかったんだけど」

 父は、きょとんと目を丸くした。

「なぜ?」


「普通に考えて今の時期、薔薇なんて咲いてないし、流通しているわけがないの」

 リリアディアが指摘すれば、父の表情がハッとする。

「そうか…! だからどこに行っても薔薇はなかったのか!」

 あれだけ探してもないはずだ、とどこか納得する父に、リリアディアは若干の良心の呵責を覚える。

 そこまでわかっていて、どうして薔薇を頼んだりしたのかと、リリアディアに問うようなことはしない。 それが父だ。

 本当に、お人よしだ。見ているこちらが不安になる。


「お父さん、つっこむのそっち? この薔薇の存在云々(うんぬん)に関してではなくて?」

 リリアディアが薔薇から目を離さずに言えば、父は顔を強張らせる。

「リリー、まさか、何か感じるのか…?」


 リリアディアの目は、常人には見えないものを映す。

 金緑石の瞳に黄金の虹彩が散っているそれは、過去の【魔術師】の血を引く証であるという。 この国の基礎を築いた初代皇帝――世祖が斃した、悪王とその側に付いていたという魔術師は、今もなお悪の象徴で、犯罪者でしかない。

 この目のおかげでリリアディアは、家族以外には畏怖され腫れもののように扱われて育った。


 仕方のないことだ。

 人は、自分たちとは違うもの、目に見えないものを恐れる。

 それらを拒絶することで、自身の安寧を保とうとするのだ。


 リリアディアは、【視よう】と意識して目を細める。 うっすらと、薔薇から立ち上る、黄金の靄のようなもの。

 それが何かは知っている。

「微量の魔力を感じます」

 神妙に述べると、父は椅子をひっくり返しそうな勢いで立ち上がった。

「…!」

 そのまま隣の部屋まで逃げていきそうな父を、リリアディアは引き止める。


「お父さん、逃げないで。 悪い感じはしないから」

「そ、そうか…? リリーが言うなら…」

 父は声を上ずらせながらも、再び席に着いてくれる。

 ただ、椅子はテーブルから体一つ分ほど距離を置いた位置にずらして、だ。


「お父さんが触って大丈夫だっていうことは、お父さんにとっては無害な仕掛けだと思うの。 魔力も微量だし、さほど複雑な条件は設定できないと思う」

 そこまで言うと、ようやく人心地ついたようで、父は椅子を持ち上げてそろそろと寄ってくる。

 他愛もない、と思ったのは口にも顔にも出さないでおく。


「それにその人、薔薇が花嫁を選ぶって言ったんでしょう? ならきっと、この薔薇の仕掛けは、何らかの女性にだけ反応するものだと思うの」

 だから、大丈夫、と父に笑みかけるが、父は神妙な顔をしたままだった。

「リリー、お父さんはどうすればいい?」

「どうもしなくていいんじゃない?」

 リリアディアがあっさりと返せば、父は泣き出しそうな勢いで身を乗り出してきた。

「リリー、あの美しく怖い青年は、約束を破ったらただでは済まないと言っていたんだぞ!?」

「ああ、そっか。 そんなことも言ってたわね…。 お父さん、花嫁探しの手足にされたんだっけ…」

 面倒なことをするものだ、と思う。 意味がわからない。


 なぜ、わざわざ薔薇に魔法をかけて、花嫁を探す?

 それも、自分の花嫁のことなのに、自分ではない他者の手に委ねて?

 だとしても、一輪の薔薇で花嫁探しなんて効率の悪いことこの上ない。 大量にばらまけばいいのに、と考えて、薔薇を手にしたのが父一人とは限らないと気づく。


 屋敷から出られない理由があるのか。

 それとも、気に入らない花嫁ならば、白紙に戻すつもりでいるのか。

 花嫁の条件に細かく拘っているのだろうか、とも思うが、先ほども言ったように感じ取れるのは微量の魔力。 あれでは、細かい設定条件は付けられない。

 まるで、【薔薇に選ばれた花嫁】という肩書が欲されているようだ、と思う。

 だとしたら、それは、なぜ?


 思考に没頭していると、リリアディアの言葉を信じたのか、父が色々な角度から薔薇を眺めていた。

 リリアディアの視線に気づくと、薔薇をすっと差し出してくる。

「リリー、試しにお前が触ってみないかい?」

「拒否します」

 間髪いれずにリリアディアは答えた。


「なぜ」

「一つ。 わたしは結婚になんて興味がない。 二つ。 どうにもその青年の話が胡散臭い」

 指を一本ずつ立てながら、触りたくない理由を挙げる。

 けれど、今挙げたふたつが比にならないくらいに、この最後の理由が薔薇に触れるのを躊躇わせる。


「三つ。 なんだかすごく、嫌な予感がする」


 父は目をぱちぱちさせて、肩を落とした。

 眉が八の字に垂れ下がっていて、いわゆる『しょぼん顔』になっている。

「…そうか…。 やっぱり薔薇に選ばれてしまうのは、私の可愛いリリーか…」

 どこか諦観したような呟きに、驚いたのはリリアディアである。

「どうしてそうなるのっ?」

 怖気立ったリリアディアとは対照的に、父は落ち着いていた。


「リリーは目を逸らしたがっているけれど、お前の嫌な予感は当たる。」

 普段なんだかんだで取り乱すのは父、その父をフォローするのがリリアディアだったのだが、今は真逆の状況で、リリアディアは更に混乱する。

「この場合、お前にとっての嫌な予感というのは、お前が選ばれることにほかならないと思うんだがどうだろう?」

 どうだろう、と聞かれても。

 リリアディアは答えることができなかった。


 リリアディアの内心の動揺を読み取ったかのように、父は笑ってくれる。

「だが、父さんも善処するよ。 お前をお前が嫌なところに嫁にやるわけにはいかないから」


 翌日から、父は商いの為出入りする人のお屋敷や家に薔薇を持って行くようになった。

 季節外れの薔薇ということで、珍しいと興味を示して手に取る人も多いそうだが、特にこれといった成果はないらしい。


「もういっそ誰かに押しつけてきちゃえばいいのに、真面目だからなぁ…」

「? 何か言った?」

 大きな独り言が聞こえたようで、姉がキッチンを覗き込む。


「ナンシー、どうかしたの?」

「いい匂いがしたから。 何を作ったの?」

「蜂蜜入りのクッキー。 今ジンジャーティーも淹れるから、ナンシーは大人しく待ってて」

 リリアディアが言うと、姉は肩を竦めて笑いながら出ていく。


 上の姉・ナンシーのお腹には、リリアディアの甥か姪がいる。

 特につわりもないようで安心だが、できるだけ滋養のいいものを食べてもらって、あったかくしてほしいとリリアディアは願っている。

 こんな時期だから、面倒な話は姉の耳にいれたくないし、今姉の傍を離れたくないとも思っている。


 お茶の用意をして居間に行くと、姉が外に出ようとしていてぎょっとする。

「! ナンシー、何してるの!」

 姉は、きょとんとしたようだった。

「何って、雨が降ってきたから、洗濯物を取り込まないと」

「そんなのはわたしがやるから! ナンシーは大人しく座ってて」

 慌ててテーブルにお茶のセットを置いて、姉を座らせる。 ナンシーは苦笑した。


「リリー、ちょっと過敏に反応しすぎ。 動きすぎないのもよくないんだから」

「何と言われようと、足元の悪い雨の日に外には出しません。 ナンシーに何かあったら、わたしが義兄さんに顔向けできないんだから」

 軽く睨むと、姉は不承不承の体で肩を竦めて座った。

 洗濯物を取り込むぐらいの家事しかできないんだからさせてくれたっていいのに、とか何とか聞こえた気がしないでもないが、リリアディアは籠を持って外に出る。


 乾いていてよかった、と思いながら洗濯物を取り込んで、家に戻る。

 丁度父と義兄も帰ってきたところだったらしい。

「お帰りなさい」

「ただいま」

 父と義兄の様子を見ると、雨には降られなかったようだ。

「雨が降る前でよかったわね」

「そうだな」

 ほ、と父が息を吐いた瞬間、父の手から薔薇が滑り落ちる。


 今となってはどうして、と思うのだが、リリアディアは反射的に手を伸べてしまった。

 大体において、この世の【とりかえしのつかないこと】というのは、一瞬の判断ミスで起こるようなものなのである。

 その例に洩れず、それは、一瞬の出来事。


 リリアディアの左手に触れると共に、薔薇が、消失したように見えた。

 あるいは、リリアディアの手の中に、薔薇が吸い込まれたようにも。


「え」


 あまりの出来事に、リリアディアは咄嗟に反応できなかった。

 それは、そこに居合わせた人間―父、姉、義兄も同様だったのだろうが、最も早く立ち直ったのは父だった。

 落下する薔薇を受け取ろうと、手を伸べた形のまま固まるリリアディアの手を、慌てて取る。


「大丈夫か!? 痛いところはないか!?」

「大丈夫、痛いところはない」

 父はリリアディアの左手をひっくり返したところだった。

 父が目を見張ったのがわかり、リリアディアは父の視線を辿る。


 自分の、左手の甲。

 そこには、今までなかったものがあった。

「…!」


 黄金と、深紅の花弁を持つ、薔薇。

 冗談でしょ、と叫びたかった。

 父が卒倒したのを、義兄が慌てて支える。


「どういうこと? 大丈夫、リリアディア」

「ナンシーは近づいちゃダメ! 座ってて! 倒れられたら大変だから!」

 慌てて立ち上がろうとする姉にぎょっとし、リリアディアは声を上げる。


 自分の左手の甲を凝視する。

 これが、薔薇に選ばれた証し。


 目を伏せて、右手を額に当てる。

 ほとんど無意識の動作だった。


「ああ、もう、誰か夢だと言って」

 やはり、わたしの嫌な予感は当たるらしい。



゜・*:.。.❀.。.:*・゜゜・*:.。.❀.。.:*・゜゜・*:.。.❀.。.:*・゜



 ここは、ゲシヒテ・ライヒ。

 かつては魔術師が存在し、その時代の名残がところかしこに残り、畏怖される世界。


 日常の隣に非日常があり、不思議でないことが一瞬のうちに不思議に変わる。

 特にその非日常と不思議は、ある特徴を持つ人間の周囲で頻発する。


 かつて存在した魔術師と同じ、金の光彩を散らした美しい金緑石の瞳を持つ、人間を取り巻くように。



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