子の心、親知らず-猿蟹合戦の恋模様-
ぱん、ぱん、ぱん。
晴れた秋の空に、ピストルの音が響く。
今日は、毎年恒例町内対抗運動会。
今年も、運動会の名物ともいえる2人の争いが朝から勃発していた。
「おうおうおう蟹江の。今年もこの日がやってきたなぁ」
いかつい顔に角刈り頭の親父が、挑発するように相手に言う。
「相変わらず品がないな猿木の。今年もコテンパンにしてやるよ」
そう答えた、同じくいかつい顔にこちらはスキンヘッドの親父が喧嘩を売るように答えると、相手は買ったとばかりにまくしたてた。
「何言ってやがんでぇ!この間勝ったのは俺じゃねぇか!」
「お前が勝ったのはあの競争だけだろうが!合計で見てみろ、うちの町内が優勝だったろうが!」
「これは俺とお前の勝負だ!他のやつが入れた点を計算に入れんじゃねぇよ!」
「お前、自分が優勝した時は全く逆のことを言ってたじゃないか!」
「何を!やるか!?」
「望むところだ!」
「はっはっは、相変わらずじゃのう」
「「長老!」」
2人の喧嘩に割って入ったのは、臼井権兵衛、86歳。この近辺の地主でもあり、その頼りがいのある性格から、長老と呼ばれみんなに慕われている。この運動会も、長老がいるから開催されていると言っても過言ではない。
「勝負をつけるのは、運動会の中でしてもらおうか。・・・だがのう、忠則。お前、怪我しとるんじゃないか?」
忠則と呼ばれたのは、スキンヘッドの方の親父。蟹江忠則、48歳。
「何!?お前、大事な運動会の前に怪我するとは・・・。さては、俺との勝負に負けるのが怖くて、わざと怪我したな!」
「これ、勝之。少し黙っておれ」
権兵衛に言われ、口をつぐんだのが、角刈り親父。猿木勝之、同じく48歳である。
「怪我は、どんな具合じゃ?」
「軽い捻挫です。運動会には出れます!・・・と言いたいところですが・・・」
「わしが許すわけがなかろう。この運動会は、町内ごとの交流を深めるとともに、町内の結束を高めるために行っているものじゃ。怪我がひどくなるようなことがあれば、運動会は取りやめにする」
「長老なら、そうおっしゃると思っていました。・・・だからなぁ、猿木!」
それまで、権兵衛に言われたように黙っていた勝之に、忠則は顔を向ける。
「今年は、俺の代わりに息子がお前を倒す」
それまで、忠則と勝之の恒例喧嘩を見ていた人だかりの中から、忠則に似ているが少し気弱そうな若い男性が出てきて、勝之にぺこりと頭を下げた。
彼が、忠則の息子の智則、18歳である。
「あぁん?この泣き虫が?俺を?面白れぇ、返り討ちにしてくれるわ!」
「あの、おじさん、俺からもおじさんに話したいことが・・・」
「ああぁぁん?お前なんかと話すこたぁねぇよ」
「ちょっとお父さん、智くんの話も聞いてあげてよ」
人だかりをかき分けて出てきたのは、勝之の娘の未稀、同じく18歳。
さすがに勝之には似ていない。と言うより、まったく似ていない。
未稀は、その昔に運動会のマドンナと呼ばれた母に似ており、顔立ちが整っている。気の強さが顔に出ているのか、母よりも目力が強く、意志の強そうな眉をしているが。
「何言ってんだ未稀。敵の息子は敵だろうが。話を聞く筋合いなんかないっての。じゃあな、智。せいぜい町内の足を引っ張んないように頑張んな」
そう言うと、勝之は未稀を引っ張り、自分の町内会のテントの方へ帰っていった。
智則は2人の後ろ姿を見ながら、こぶしを握り締めるのだった
勝之と智則の勝負と言っても、徒競走などは年齢別に争うため、個人で直接対決できるものは、1つしかない。
運動会一番の人気競技、借り者競争である。
この借り者競争は、様々な障害を越えたのち、最後に【借り者】がある。
様々な障害でごっそり体力を削られていく中、最後の【借り者】では、必ず人物像が明記されており、それを抱えて(だっこでもおんぶでも何でもいいのだが)ゴールしなければならない。
権兵衛曰く、「お借りした大事な者を走らせるようなことはあってはならん」ということらしい。
ならば『者』ではなく『物』にすればいいではないかと思うが、運動会の花形競技であるため、毎年決まって『者』なのである。
競技にエントリーするのは、各町内でも精鋭たちばかりだ。
そんな中、毎年蟹江忠則と猿木勝之の両者が、1位を目指して熾烈な争いを繰り広げていた、というわけだ。
「ふっふっふ、忠則のいない今がチャンス!若造など足元にも及ばないわ!」
余裕綽々で鉢巻きを締めなおしている勝之の隣のレーンで、いささか緊張した面持ちで智則は靴ひもを締め直しながら、勝之に話しかけた。
「おじさん。俺、おじさんにお願いがあるんです。勝ったら聞いてもらえますか?」
「あぁん?お願いだぁ?いいぜ、勝てるもんならな」
ニヤリと笑った勝之の言葉に、智則は内心安堵する。
約束は取り付けた。あとは、勝つだけだ。
選手がスタートラインに並ぶ。
スターターは権兵衛だ。この競技だけは必ず、長老がスタートを切ることになっている。
「では、位置について・・・」
権兵衛が、ちらりと智則を見た。気がした。
「よーい」
ぱぁん!
ピストルの合図とともに、勝之は一気に加速した。
最初は【ずた袋ピョンピョンゾーン】。その名の通り、ずた袋に両足を入れ、ジャンプして進むのだ。
勝之はこれが得意である。
両足をうまくばねのように伸び縮みさせ、後続を離していく。
ずた袋ゾーンが終わって、勝之がちらと後ろを見ると、意外にも2位に食らいついているのは、智則だった。
(ちっ、あなどっていたか・・・)
忠則がいつ怪我をしたにしろ、何の準備もしないで息子を大事な勝負に放り込んだとは考えにくい。それなりに鍛えてきたのかもしれない。
その勝之の考えは当たっていた。
忠則が怪我をしたのは1週間ほど前だ。運動会に出られないかと庭で忠則が奮闘していたところ、息子が自分から言い出したのだ。「俺が父さんの代わりに出るから、鍛えてくれ」と。
それから1週間、蟹江家では地獄とも言える日々が続いた。
走り込み、筋トレ、各障害物に特化したトレーニングメニューをこなし、智則は今日に至るのである。
次は、【スプーン競争ゾーン】である。
ピンポン玉をスプーンに乗せ、平均台を渡る。
勝之はこのゾーンが終わっても、いまだ1位を独走していた。
次は、【お豆分け分け】ゾーン。
ボールに数粒ずつ入った豆を、種類ごとに小皿に取り分ける。
もちろん、箸を使ってだ。
勝之は最近、老眼が進んできたため、少し手間取った。
大豆とえんどう豆はいいのだが、小豆がつかみにくいのだ。
少し智則との差を縮められはしたが、いまだ1位は勝之のものであった。
その後も、ネットをくぐったり、バットに頭を付けて5周回ってから走ったり、小麦粉の中から飴玉を探したりした後、いよいよ最後のゾーン、【借り者競争】に勝之は到達した。
指令の紙をめくると、『帽子とサングラスをし、スカーフを巻いている女性』と書いてある。
(よし、女だ!)
一概には言えないが、女性の方が体重が軽いことが多い。観客席で、まずは目立つ帽子を探す。
帽子とサングラス、サングラスとスカーフなど、2つを身に付けている女性は多いが、3つとなるとなかなかいない。
少し焦りつつ、観客席を探しながら、智則の様子を探る。
彼は今、指令の紙を見たところだった。
と、見た途端、瞬時に観客席の、勝之の町内会の席に行き、誰かの手を取った。
未稀である。
智則は軽々と未稀を横抱き(いわゆるお姫様だっこである)にすると、あっという間にゴールした。
勝之は唖然とした。
なぜ未稀が。いったいどんなお題だったんだ。なぜ未稀は敵に協力したんだ。
いやまずは、自分もゴールしなくては。
何とか、帽子にサングラス、スカーフを巻いている女性を見つけ、おんぶをしてゴールした。
この【借り者競争】では、全員のゴール後に、自分が引いたお題を発表する。
そして、きちんとお題にあった人物を連れてきているかどうか、観客が判断するのである。
最後にゴールした人から判断が行われ、2位の勝之が言い終わった後、智則の番となった。
未稀は智則に寄り添うように立っている。
ちょっとくっつき過ぎじゃないかと勝之が思った時、智則が司会からマイクを受け取り、借り者のお題を読み上げた。
「俺が引いたお題は・・・『愛する人』です!」
「「なにぃぃぃぃぃ!!!?」」
「「「「「おおおおおおおおおお!!!」」」」」
2人の父親だけが寝耳に水とばかりに叫び、他の観客たちは親の気も知らずに盛り上がっている。
「待て待て待て智則!お前、何言って・・・」
「ごめん父さん。でも父さんの特訓のおかげで、勝つことができたんだ」
自分の父に謝ってから、智則は勝之に向き直り、マイクを通していった。
「おじさん。勝ったらお願い、聞いてくれる約束でしたよね」
嫌な予感しかしない勝之は、しらばっくれることにした。
「は?約束?何のことだ?」
「そう言われると思ってました」
智則はそう言うと、放送席の方を見る。
すると、スピーカーから、よく知った声が聞こえてきた。
『あぁん?お願いだぁ?いいぜ、勝てるもんならな』
「ちなみにこれは、スタート前の猿木勝之氏のお言葉です」
ご丁寧に、誰かがアナウンスで会場中に伝える。
観客席のあちこちからは、「約束守れ!」「一度行ったことを翻すのか!」と言う、勝之へのやじが聞こえる。
勝之は観念して、智則を見た。
「何でぇ。お願いって」
「未稀さんとの交際を認めてください」
ひゅーひゅー!とはやし立てるような声が、会場中を埋め尽くす。
勝之は腕を組み、むっつりと黙り込んだ。
ちなみにその頃、忠則は完全に石化しており、それを、妻が面白がって写真に収めていた。
勝之は何とか、言葉を絞り出した。
まずは本人の気持ちを確認しなくては。
「・・・未稀」
愛娘を見ると、聞かれることを分かっていたのか、未稀はまっすぐに父の目を見て、話し始めた。
「私は、ずっと智くんのこと好きだったの。だから告白してもらって、すごく嬉しかった。でも、隠れて付き合うのももう嫌になったの。だから、父さんにも認めてもらおうと・・・」
「隠れてって、お前らいつから・・・!」
「え、1年前くらい?」
娘にさらりと言われ、勝之は膝から崩れ落ちる。
「あの、おじさん・・・?」
おろおろと、智則がしゃがみ込み、勝之の様子をうかがう。
「・・・・・・」
「え?」
「勝手にしろっつってんだよ!もうお前らも18だろうが!酒とたばこはまだだが、運転免許だって取れるし選挙も行けるんだろ!結婚だって・・・でき・・・でき・・・・・・そこまでは認めねぇからなぁああああああ!!!」
「あ、え、おじさん!?」
「ちょっとお父さん!?」
勝之はそのまま、ダッシュで会場を飛び出し、消えてしまった。
ちなみにその頃、忠則の石化は解けず、それをいいことに妻が棒でつついたり、油性ペンで顔に落書きしていたりした。
「何とか、おさまったようじゃのう」
「あ、長老。あの、ありがとうございました。みんなのための運動会を、こんな私的なことに使わせていただいて」
智則が頭を下げると、権兵衛は「さあて?」と頭を掻きながら言った。
「わしはただ、面白い【借り者】のネタを提供してもらっただけじゃ。それをたまたま智則のコースに置いたのは蜂谷だし、レース前の様子を記事にするために録音していたのは栗本。わしはなんも知らん」
そう言って自席に戻る権兵衛の背中に、智則と未稀の2人は深く頭を下げたのだった。
その日の夜。
某居酒屋で、1人酒を飲みながらくだを巻いている男が1人。
猿木勝之である。
「なんでよぅ、黙ってたんだっつーの。相手か。相手があいつだからか。そりゃそうだ相手知ってたら海に沈めてでも別れさすわボケェ!」
店のオヤジも困ってしまい、そっとしている。
その勝之の隣の席に誰かが座った。
「オヤジ、俺もこいつと同じもの」
「あいよ」
「・・・何だてめぇか」
「何だとは何だ。顔真っ赤にしやがって。本物のサルか?」
「うるせぇバカヤロー。お前の顔見ると、智の奴を思い出すから見たくねぇんだっつーの」
「そりゃあこっちだって同じだ」
そう言って、出てきた酒に口を付けたのは、蟹江忠則であった。
しばらくは2人とも、黙って酒を飲む。
「・・・あいつよぉ」
「あん?」
独り言のようにぽつりと、忠則がこぼす。
「智則。あいつよぉ、昔から、弱気っつーか意気地がないっつーか、すぐ泣いてばっかでよぉ」
「あぁ、他のちび共にいじめられては、未稀が助けてたよなぁ。まったく、情けねぇったら」
「そんなあいつがよ、【借り者競争】によ、すごく真剣に取り組んだんだ。俺も負けさせたくないから、相当しごいた。それなのに、あいつはついてきたんだ。・・・本気だぞ、未稀ちゃんのことは」
「けっ」
勝之は、コップに残っていた酒を一気にあおる。
「んなこたぁ分かってるよ。そうでなきゃ、借り者競争歴うん十年の俺に敵うかっての!」
オヤジ、追加!と、空になったコップを差し出す。
「・・・智が、見どころのあるやつに成長したことくらい、知ってらぁ」
ふん、とつぶやき、勝之は腕組みをして目を閉じた。
「未稀ちゃんも、すっかり美人になったなぁ」
「当たり前よ!誰の娘だと思ってんだ!」
「お前に似なくて心底よかったと思う」
「うっせぇ!」
忠則も腕を組み、目をつぶって昼間の2人を思い浮かべた。
智則は少し気が弱いところがあるが、正直で心根の優しい子だ。美人でしっかり者の未稀なら、智則をうまくリードしてくれるに違いない。
付き合いが長く続いたら・・・結婚と言うこともありうるのだろうか。
「結婚するなら・・・」
隣でも、同じことを考えていたらしい。
「やっぱり洋装だな」
「やっぱり和装だな」
2人は、同時に希望を述べた・・・が、残念ながらそこは一致しなかった。
「何言ってんだてめぇ!未稀には真っ白なウエディングドレスがお似合いだろうが!和風なんて古くせぇな!」
イスをがたんと勢いよく倒しながら、立った勝之がまくし立てると、忠則も負けじと立ち上がった。
「お前こそ何言ってる!今は和風の結婚式が見直されてきてるんだぞ!それに、未稀ちゃんなら白無垢だって絶対似合うだろうが!」
「未稀が何でも似合うのは分かってる!だがな、俺の夢はな!未稀とバージンロードを歩くことなんだよぉおお!!」
「そっちが本音じゃねぇかこのアホ猿!」
「うるせぇマヌケ蟹!大体お前は昔からマヌケなんだよ!あの7歳でやった柿泥棒の時だってなぁ!」
「あれはお前が俺に全部なすり付けて逃げたんじゃないか!この卑怯猿!」
「お前がもっと素早く逃げていればそもそも捕まらなかったんだよ!」
2人はどんどんヒートアップしていく。そして最後には・・・
「絶対お前となんか親類にならんぞ!」
「こっちからお断りだっつーの!!!」
言い争いは、店のオヤジが閉店にして2人を追い出すまで続いたそうだ。
今回は今までと違い、親父中心にしてみました。
なぜなら、子の代を主人公にしたら全然書けなかったからです!
親父2人を主軸にしたら、進む進む。
たまにはこんなのもいいなぁと思います。
恋愛小説って言っていいのか分かりませんがね・・・。