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早く気づけばいいのに

作者:

 男は扉の前に立っていた。扉といってもそれ程重厚なものではなく、どこにでもある普通の、印象には残らないような扉である。

 男は十数分も前からその扉を眺めていた。というのも、男にはこのような場所にまったく見覚えがないのだ。さらに言うならば、どのようにしてここまで来たのかも男にはわからなかった。

 左右を見れば突き当りが見えないほどに廊下が続いている。

 こんな場所から早く離れてしまおうと思い立ち、歩き出そうとするが、そうすると男の頭の隅にちらちらと扉が映り、気になって離れられずにいたのだった。

 そのようにうろうろしていると、男は扉に小さな掛け看板が付いていることに今更ながら気がついた。看板は、かろうじて《***人生相談室》と読めた。彼には相談するようなことなどまったくなかったが、人は居るだろうと期待し、扉を二、三叩いてみる。すると、

「は〜い。開いてますよ〜」

 と、少々間の抜けた声が男へと返ってきた。男は人が居ることに安心し、扉を押し開け、部屋の中へと入っていった。


 中はそれほど広くはなく、大きな机が一つ置いてあり、パイプ椅子が数脚、雑然と放置されている。

 その向こう側には男よりかなり若く見える、ラフな格好をした、耳の形が少し妙な女性が笑顔で座っていた。

「はじめまして。***人生相談室へようこそ」

 そう言って彼女は男を椅子に座るよう勧めた。男は素直にそれに従い、彼女と机を挟んで向かい合う。

「あの、ここはどこなんですか?」

 男は自分が妙なことを言っているとわかりながらも、知らなければいけないため質問した。 しかし、彼女はそれをまるで聞いてない風に無視して話を進める。

「あなたは悩みがあるようですね。なんせ***してしまったのですから」

 男は無視されたことに腹を立てたが、ここで怒鳴っても仕方がない。それに、彼女の言葉が何か引っ掛かった。はっきりと聞こえたはずなのにまったく理解できない言葉があったからだ。

 男が怪訝そうな顔をしているのに気がついた女性は少し慌て、焦りながらまくしたてる。

「あ、すみません。わかりませんよね。まだ慣れてなくて。あたしはアスモと言います。あなたは徳山さんでよろしいですよね?」

 男は驚いて素っ頓狂な声を上げた。無理もない。初対面で自分の名を当てられてしまったのだから。

「な、なぜ、私の名前を知っているのですか?」

 アスモと名乗った女性は自分が失敗したことを知ってか知らずか、またも徳山の質問を無視した。

「あなたの悩みを教えていただけませんか?」

 徳山は今ここに居ることが悩みだと言ってしまいたかったが、さすがにそれはないと思い自分の悩みを探してみた。

 そして、この間仕事に失敗してしまったことをなんとか思い出し、ぽつぽつと悩みと言えるかどうかわからないものを吐き出していった。


「なるほど〜。それは大変でしたねぇ」

 アスモは徳山の悩みを聞き終えると、彼の悩みなどどうでも良さそうな調子でそんなことを言った。徳山はその小馬鹿にするような態度に、さすがに怒りがこみ上げて来るのを感じていたが、その後のアスモの言葉によって、その怒りなど簡単に忘却してしまうような尋常でない違和感を覚える。

「それで屋上に行ったんですね?」

 なぜ彼女が知っているのかという以前に、どうして屋上へ行ったのかがわからなかった。わからなかったが確かに徳山には最近、屋上へと行った記憶があった。

「えぇ、仕事で失敗しましたから。頭を冷やしに行ったんですよ」

 そうであるはずだと彼は自分を納得させながら告げた。

「屋上では何をやったんですか?」

 また、どきり、と心臓が飛び出すように高鳴った。徳山の背筋は冷や汗で冷たく湿ってしまっている。自分が何をしたのかは思い出せないが、それは思い出したくもないことだというのはなんとなくわかっていた。思い出そうとしただけで、ぞくり、と悪寒が走るのだ。

 アスモはそんな彼をずっと見つめている。その表情は時には楽しそうに、時には残念そうに歪められていた。


 それからしばらく、他愛のない話をして、

「あなたはもう何にも縛られない自由を手に入れているとしたらどうしますか?」

 アスモは徳山にそんなことを聞いた。ばかばかしいと思った徳山だが、彼女の極めてまじめで真剣な様子に驚き、仕方なくそれに応えるため、自分なりの考えを適当にまとめた。

「私には自由なんてありませんよ。会社に縛られ、家族に縛られ、社会に縛られていますから。自由を手にしているなんてありえませんよ」

 その答えに不服そうに眉を寄せていたアスモだったが、それも少しの間で、すぐに先刻までの笑顔に戻っていた。


「すみません。そろそろ帰り道を教えていただけませんか?」

 徳山はまた無視されることを覚悟しながら切り出した。しかし、「会社まででよろしければ」と、今度は素直に教えてくれた。彼は数度アスモに礼を言い、そそくさと立ち上がって扉へと歩いていった。そして、躊躇いなく扉を開けて、足を踏み出し、部屋から完全に体が出た瞬間、煙のように、いや、実際煙となって──


 徳山はこの空間から消失してしまった。


「あ〜ぁ、結局思い出せなかったかぁ。自縛霊確定だな〜」

 言葉自体は残念そうだが、声音はひどく楽しそうなアスモのつぶやきは、すでに消えてしまっている徳山に届くことはなかった。


 バタン、と閉じられた扉には《死後の人生相談室》と書かれた掛け看板が静かに、ゆっくりと揺れていた。


目を通していただいてありがとうございます。

死ぬことは怖いですが、死んでからの方が怖いですよね。生きてるうちには死後の世界を想像することしかできませんから。

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HPつくりました。ぜひ遊びにきてみてください。くぬくぬしよっ!
― 新着の感想 ―
[一言] アスモってそんな感じの名前の悪魔がいましたよね。やっぱり悪魔か……。 文章はとても読みやすかったです。 オチでひっくりかえすタイプの小説だと思うのですが、読めてしまいました。 ***という伏…
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