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――その時だった。
志乃の真上を過る、"影"。傾きはじめている夕陽の前を何かが横切る。
「え……?」
見上げた空には、……人が飛んでいた。
「ライトニング・レイド!!」
威勢のいい掛け声とともに、その声の主は空から強襲を仕掛け、〈ゴーレム〉の頭部に剣を叩きつけた。
その一撃は〈ゴーレム〉の巨体を揺るがす。人間が目を回すように、水晶の目がめちゃくちゃに揺らいでいた。
「……なん、だ……?」
志乃は呆然とその後姿を見つめる。バットを握る手から力が抜けていた。
空から颯爽と飛び降りてきた少女。両刃の長剣を携えて、目の前の敵に怖じることもなく凛と立つ後ろ姿に、志乃は見とれていた。
その凛々しい姿は、まるで――。
「もう大丈夫よ。〈勇者〉があなたを助けに来たわ」
少女は〈ゴーレム〉と対峙したまま、ちらりとこちらを見て微笑む。ポニーテールの髪が風になびいていた。
――そう、勇者。志乃の目には、彼女はそう映ったのだ。
勇者。それは、ゲームで、お伽話で、伝説で、常に弱き者を救い続けてきた存在。
「勇者、だって……?」
「そ。勇者、悠月綾音よ。勇者としてあなたを助けるのは当然の役目でしょ?」
悠月綾音。そう名乗った少女はパチンとウインクを飛ばす。
〈勇者〉などとというロールを持つ生徒がこの学園にいるだなんて聞いたことがない。そもそもそんな〈ロール〉が存在するということ自体聞いたことがなかった。
しかしもしも彼女が、本当に〈勇者〉なのだとしたら……。
「さ、覚悟しなさい。あんたの相手は……このあたしよ!」
まるで楽器のように美しく、どこまでも響きそうな声が、高らかに宣言した。
「行くわよ! ソニック・ブレイク!!」
綾音が剣を構えて強く地を蹴る。その力強い踏み込みは、十メートルは開いていた〈ゴーレム〉との距離をたったの一歩で……いや、二歩……三歩……。
……たっぷり五歩かけて縮めた。
「……うん?」
その時点で、志乃は何かがおかしいと感じる。
「さあ、喰らいなさい!」
掛け声とともに振り払う横一閃。その鋭い刃は、魔力で強化された下手な金属よりも強固な石から成るゴーレムの体を真っ二つに両断……せず、表面に気持ち控えめなかすり傷をつけた。
「この、この!」
次々と叩きつける攻撃。〈ゴーレム〉より先に剣が折れそうだった。
数発叩き込んだ所で、綾音はやはり五回ほどかけてバックステップで戻ってくる。
「な、中々やるわね……ぜえ……はあ……」
早くも息が尽きていた。
「……頼りない勇者も居たもんだな」
志乃が呆れ顔で言うと、綾音は顔を真っ赤にする。
「う、うるさいわね! 今のは、……そ、そう! じゅ、準備運動よ!」
思い切り虚勢だった。どうやら第一印象は全くの見当違いだったらしい。……どうせ助っ人が来るならもっとまともな者に来て欲しいところだ。
(……一瞬でも見とれたりした俺がバカだった)
志乃は深々と長い溜息をつき、天を仰ぐ。……校舎の四階の窓が開いているのが見えた。どうやらあそこから飛び降りてきたらしい。
「……まあ、一応〈ロール〉持ってるだけ、いないよりはマシと思うか」
「な、何よ失礼ね! ていうか〈ロール〉持ってるなんてそんなのあたりまえじゃない! あんたあたしをバカにして……」
「文句は後な。来るぞ」
「へ……?」
大きく弧を描いて動き出す志乃。対して綾音は呆然と棒立ちしたままだった。
その一瞬は、戦場において十分な命取りになる。
「あ……きゃああああ!」
綾音の強襲で少しだけ怯んでいた〈ゴーレム〉は、綾音が行って戻ってくるまでの間に復活していた。振り向いた時には〈ゴーレム〉の拳が目の前にあり、綾音は慌てて剣でそれを受け止める。志乃より不器用な防御で、衝撃を受け止めることも受け流すことも出来ず、突き飛ばされて尻餅を突いていた。
「ったく、どっちが助っ人なんだか……」
とにかくこれで背後を取ることが出来た。志乃は強く両手でバットを握る。
「そら、行くぞ!」
跳びかかり、渾身の力を篭めて頭を殴る。〈ゴーレム〉を動かす魔術式の中枢は頭部にあったはずだと、今日の授業の内容を思い出す。
振り下ろしたバットは頭部を少しだけ砕いたものの、さすがに一撃で致命傷とはいかなかったようだ。しかし綾音から注意を逸らすことには成功したらしい。〈ゴーレム〉がぐるりと体を反転させる。
〈ゴーレム〉が拳を振るう。大振りな一撃だけでなく、細かいジャブも混ぜてくるようになった。それを何とかかわし続けながら、綾音に向かって叫ぶ。
「おい、悠月! 頭だ! 頭を狙え!」
「うっさいわね、勇者のあたしに命令しないでよ! そんなのわかってるわ……よ!」
背を向けた〈ゴーレム〉の頭部に剣を叩きつける。が、その様子を見る限り、やはり有効なダメージは与えられていないようだ。
「……お前、その勇者を自称する自信はどっから出てくるんだ?」
「う、うるさい! 今日はちょっと調子が悪いだけ!」
とにかく、〈ゴーレム〉が狙ってくれる的がひとつ増えただけマシだと思うことにしよう。志乃は心の中で綾音に対する評価を下方修正した。
今、二人は〈ゴーレム〉を挟み込む形で立っている。〈ゴーレム〉の狙いは志乃だ。
(一撃じゃ無理でも、あと何発か同じところが叩ければ……)
ジリジリと隙を伺う。上手く隙をついてまた背後を取らなくてはならない。ここは慎重に……。
「こんのー! あたしをばかにするんじゃないわよ!」
しかし自称勇者サマはそうはいかないらしく、剣を振りかざし猛然と斬りかかった。
「喰らいなさい、スラッシュエッジ!」
技名を叫びながら振り下ろした剣は頭を叩くものの、またも有効打を与えた様子はない。
「この、この!」
がむしゃらに頭を叩き続ける綾音。こんなに貧弱な勇者が居たものだろうか。
「……って、おい、危ないぞ悠月!」
「このぉ! って、わわ、きゃああああ!?」
ジャマだと訴えるように振るわれた腕が、綾音を吹き飛ばす。
「……絶望的に役立たずだな、お前」
「う、うるさい、わよぉ……」
遠くまで転がされ、剣を杖にへなへなと立ち上がる綾音。返す罵声も弱々しい。中々に重い一撃を食らってしまったようだ。
「……けどまあ、一応隙は出来た!」
再び背後を取り、さっき砕いた場所を狙う。どうやら綾音の攻撃も全くの無駄ではなかったらしく、少しずつ表面が削られていた。