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十年前を境に、世界は大きく変革された。
何の前触れもなく突然空に現れた巨大な水晶体。それは全人類にあまねく力を与える。その世界全体を「変革」した翠色の石に、人類は〈アルターストーン〉と名付けた。
人が持つ力の数値化。新たな個人の価値基準。世界中の銃刀法への革命。あらゆる信仰への試練。……科学、政治、宗教、様々な分野からその「変革」を表現する言説が上げられたが、片桐志乃はその「変革」をたった一口で表現した。
「現実世界がRPGになった」。それが、〈アルターストーン〉によって変革された後の時代、〈アルターフェーズ〉を表現する言葉として彼にとって最も的確なものだった。
こうして、十年前から大きく理を変革された世界。今やその中心とも言える〈アルターストーン〉の直下にある島、翠晶島。この島にある唯一の教育機関である私立翠晶学園の高等部に通う志乃は、〈アルターフェーズ〉の"あぶれ者"だった。
「はーい、じゃあ〈戦士系〉と〈魔術師系〉でペアを組んでくださいー」
若い女教師の声で、グラウンドの生徒たちが思い思いにペアを組んでいく。仲の良い友達同士で組む者もいれば、密かに想いを寄せる男子に思い切って声をかける女子もいた。中には必然的に余り者が生じ、事務的に組むことになるペアもある。
「……まあ俺にはその権利すらも無いわけだが」
志乃は、そんな自分のクラスの授業を教室から見下ろしていた。ペアを組めずにあぶれるどころか、授業を受ける資格すら無いのが彼という人間だ。
「おいこら片桐、聞いてるか?」
「……んー」
「んーじゃない。せめて『はい』と答えろ。できることなら元気よく」
「……はーい」
「うむ。元気など欠片も感じられない陰鬱な返事をありがとう、片桐。それじゃあ返事ついでに前を向こうか」
「……んー」
教師がうるさいので前へ向き直る。
「全く。一対一の授業で余所見とはいい度胸しているな、片桐」
教壇に立っているのは、外で授業をしている女教師に負けず劣らず若くて美しい、メガネをかけたスーツ姿の美女教師……だったらせめてもの救いだったのにと悔いる志乃だったが、あいにくそこに居たのはジャージ姿の中年のおっさんである。
「……おかしいな。なんでおっさんなんだ」
「何を疑問に思っているのかは知らんが、先生とお前は去年からこうしてマンツーマンの授業を繰り返していると思うぞ、片桐」
「そ、そうだったのか!?」
「あんまり先生を馬鹿にするのもそろそろよそうな片桐。オレだって好きでこんなことしてるんじゃないんだからな」
おっさんこと竹村先生が眉根をひくつかせている。
「……なんで俺だけおっさんと悲しい個人授業なんだろうな」
「そりゃお前が〈特別認可生〉だからだろうな」
「わかりきった回答をどうも。悪かったな、落ちこぼれで」
ムスッと頬杖を突く志乃。〈特別認可生〉とは彼につけられた肩書きで、小中高一貫の学園中でもその名で呼ばれるのは志乃ただ一人。ただしその実態は、志乃のような「稀代の落ちこぼれ」に貼られるただの不名誉なレッテルにすぎない。
「まああれだ。〈アルターフェーズ〉になってまだ十年。まだわからないことも多いんだろうよ。だから気を落とすなよ、な?」
「だったら『特別救済処置』も減らしてくれるとありがたいんだが?」
「それは別の話だ」
「……それでよく抜け抜けと励ませたものだな」
ゲンナリとして嘆息すると、竹村は他人事のように快活に笑った。
「じゃあ続きな。えー、今まさに外の授業で使ってるようなゴーレムは、数年前にとある〈魔術師〉が量産可能な技術を確立したもので、基本的に与えられた命令に従って自律機動。新型になると一度の魔術で数十体の個体に一斉に命令を出せる機能なんかも備わっていて……」
竹村が板書していくが、あいかわらず汚くて読めたものではなかった。
志乃は再びグラウンドを見下ろす。〈戦士〉や〈魔術師〉と呼ばれた通り、彼らはそれぞれ剣や魔法の杖を手にしている。コスプレでも模造品でもない本物だ。現に彼らは、ありえない身体能力を以て飛び回り、魔法を唱えて訓練用の〈ゴーレム〉と戦っている。
これが〈アルターフェーズ〉最大の変化。全人類がある一定の年齢になると目覚めるようになったという〈ロール〉である。その名の通り、まるでRPGの職業のように〈戦士〉や〈魔術師〉といった「役」に目覚め、それに相当する力と、〈シンボル〉と呼ばれる武器が発現する。
外で行われているのは〈ロールプレイ〉と呼ばれる授業。〈ロール〉の力は戦闘経験を積み重ねることでより効果的に力を引き出せるようになるため、こうして授業で模擬戦闘が行われるのである。。
そして志乃が"とある事情"でその授業に参加できない分の補修はこうして〈アルターフェーズ〉の文化、文明に関する歴史や現代社会の授業に代えられる。「特別認可生徒」のための特別処置……すなわち志乃専用の補修のようなもので、本来存在するカリキュラムというわけではない。
〈アルターフェーズ〉の世界からあぶれた自分は果たして社会に出て上手くやっていけるのか。そんな不安が鎌首をもたげる。
「……剣士とか魔法使いとか、ゲームの中だけで十分だっての……」
一般常識。そう認識することとそれを受け入れることは別問題だ。志乃にとって〈アルターフェーズ〉の世の中の仕組みは、ゲームの世界のことのように現実味がない、遠い世界の話に思える。今の自分の境遇は、まるでゲームの世界に無力な普通の人間として一人放り込まれたような感覚だった。
しかし現実をそのように例えるほどゲームを好んでいるためか、逆に志乃は自分がいかに役立たずであるかということもまた客観的に理解している。
「……確かに、ゲームの中にこんな"害"があったら、俺なら速攻切り捨てるか……」
志乃は自らの宿命を他人事のようにぽつりと口にして、再びぼーっと外を見た。
「……ん?」
その時、グラウンドにいる生徒と目が合った。
自分のクラスの生徒ではない。合同でやっている別のクラスの生徒だ。女子生徒で、長い髪をポニーテールにしている。腰に帯びているのは一本の剣。〈ロール〉は〈剣士〉だろうか。彼女はじっとこちらを見つめているようだ。
(だれだっけな、どっかで見たような……)
「おい、片桐。聞いてるか?」
「……はいはい、聞いてるよ」
竹村に答えて再びグラウンドに目を移した時には、女子生徒はいなくなっていた。
「……なんだったんだ、あいつ……」