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【短編版】5分勇者 ~ 元最強おっさん。リスタートでモテモテになりそうです ~

作者: てっかん
掲載日:2026/03/29


 肺が焼け焦げるように熱い。

 呼吸をするたび、喉の奥から鉄の血の匂いと、燻る灰の風味がこみ上げてくる。


「はぁっ、はぁっ……!」


 俺――クロムは、刃の欠けた聖剣を地に突き立て、どうにか両足で立っていた。

 視線を巡らせれば、頼れる仲間たちの満身創痍の姿が目に入る。魔法使いのエルフであるエルザは膝をつき、剣士のリーンは息絶え絶えに剣を杖代わりにしている。武闘家のシリアの拳は血に染まり、僧侶のリアナに至っては魔力が尽き果てて立つことすらままならない。

 俺たち『勇者パーティー』は、文字通り持てるすべての力と命を削り、ついにここまで辿り着いたのだ。


 崩壊した玉座の間。その瓦礫の中心で、地に尻餅をついている女がいた。

 世界を絶望の淵に追いやった元凶。美しくも禍々しい、魔王その人だ。


「これで勝ったつもりか、クロム」


 致命傷を負い、消えゆく体を呪わしげに見下ろしながら、魔王は血の混じった声で嗤った。


「我は死に絶えようと、その命は輪廻し続け、必ず世界を滅ぼすぞ」


 呪詛のように吐き出されたその言葉は、決して負け惜しみではない。魔王とはそういう存在だ。いつか必ず、数百年後か数千年後かに再びこの地に災厄をもたらすだろう。

 だが、俺はまっすぐに彼女の瞳を見据え、少しだけ口角を上げた。

 誰もが知る、一点の曇りもない『勇者』としての顔を作って。


「わかっていることだ」


 俺の言葉に、魔王がピクリと眉を動かす。


「だが、必ず人類は成し遂げる。次の討伐は、次代に託そう」

「知ったような口を……ッ!」


 俺の澄み切った態度が癪に障ったのか。

 魔王の両目に、最期の、そして最大の怒りの炎がドス黒く灯った。


「ならば、その未来の災いの種……この場で共に消し去ってやろう!」


 残るすべての生命力を破壊の力へと変換し、魔王が突進してくる。

 俺もまた、体内に残る一滴残らずの魔力マナを振り絞り、剣を構えて大地を蹴った。


「うぉおおおおお!」

「うぉおおおおお!」


 光と闇が激突する。

 視界が真っ白に染まり、轟音に鼓膜が破れそうになる中――俺の体の中で、何かが決定的に『砕け散る』音がした。


 それが、俺の――勇者クロムの最盛期であり、すべてが終わった瞬間だった。




「――と言う形で! 見事、世界の平和は保たれたってことなんだ!」


「「「いいぞクロム! さすが俺たちの勇者!!」」」


 魔王討伐から、20年の歳月が流れた。

 王都の裏路地にある酒場『鋼の右腕』には、きょうも昼間から、むさ苦しいおっさんたちの歓声が響き渡っている。


「あぁ! ちょっと人生あがっちまってすまねぇな!」


 ジョッキを片手に、俺は声を大にして笑った。

 39歳。少しばかり腹も出てきて、顎には無精髭。どこからどう見ても、ただの飲んだくれのオッサンだ。


「昼間から酒を飲みながら、こうやって武勇伝を語れるなんて幸せだぜ!」


 俺が肩を揺らして笑うと、周りを囲む常連の親父たちも「違いない!」と肩を組んでくる。

 その横で、別の酔っ払いが「なぁ姉ちゃん、俺とも飲もうぜ」と女性店員を口説こうとしていた。


「はいはい、お水置いときますね」


 店員は慣れた手つきでセクハラまがいの手を躱すと、やれやれと呆れたような笑顔を浮かべて息を吐いた。


「クロムさんのこの話、もう何百回目かしら」

「いいじゃねぇか姉ちゃん! 何千回話しても、武勇伝は聞くも語るも楽しいものさ!」


 客の一人が言うと、別の男が俺の背中をバンバンと叩いた。


「羨ましいぜクロム〜。俺たちにもご馳走してくれよ〜」

「おぉ、いいぜ!」


 俺は懐から銀貨を数枚取り出すと、カウンターに向けて景気良く掲げた。


「マスター! 今いる客全員に、一杯ご馳走だー!」

「「「うぉおお! さすが武勇伝の神!!」」」


 再び沸き起こる大歓声。

 呆れ顔の店員が「はいはい。ここにいるお客さん、だいたい毎日同じこと話してるもんね」とこぼすと、常連客たちが一斉にむきになった。


「痛いところを突くな嬢ちゃん! かくたる俺も、昔は鬼の……」

「俺だってなあ、王宮の近衛騎士団で……」


 まるで壇上で演説するかのように、過去の栄光を語り出すおっさんたち。それを聞きながら、俺も一緒になって手を叩いて喝采を送る。

 見渡せば、頭の薄くなった者や、怪我で足を引きずっている者ばかりだ。


 ここは酒場『鋼の右腕』。

 かつては、増え続ける魔物を倒すべく血の気の多い冒険者たちが集まった活気ある酒場だった。しかし平和になった今では、一線を退いた老兵たちが集まる、過去の吹き溜まりのような場所になっている。


 世界は平和になった。

 魔王を倒した功績から、かつての仲間たちは皆、国の中枢を担う要職に就いた。

 エルザは魔術ギルド長として魔法大系を刷新し、リーンは冒険者ギルド長として後進を束ねている。皆、20年経った今も最前線で国を支え、光り輝く人生を歩んでいた。


 ――そして、最大の功績を残したはずの、勇者である俺は。


 夕方。

 酒場の喧騒はまだ続いている。他の客たちが別のテーブルで盛り上がっている中、俺は自分の席の机に突っ伏していた。

 空っぽになったジョッキの横で、誰にも見られないように、ポタ、ポタと涙を零す。

 

(かれこれ10年間……毎日この酒場で、酒を呑むだけの毎日を過ごしていた)


 輝かしい仲間たちと、落ちぶれた自分。

 英雄と持て囃される過去の自分と、何者でもない現在の自分。


 俺はただ、終わってしまった栄光の残滓にすがりつきながら――この、恐ろしいほど空っぽの日常の中で、息を潜めて生きているだけだった。




第二話 砕け散った器と、置いてけぼりの英雄


 チュン、チュンと鳴く小鳥の声で目が覚めた。

 王都の郊外に構えた、広い庭を持つ立派な一軒家。それが俺の現在の住まいだ。


「あー……っ、飲みすぎたな……」


 ベッドから上半身を起こし、ガンガンと痛む頭を押さえる。

 洗面台に向かい、冷たい水で顔をバシャバシャと洗った。鏡に映るひどい顔を見つめながら、昨日の酒場での自分の振る舞いを思い出してため息をつく。


「調子に乗って、また酒まで奢っちまった……。人生あがったって設定も、そろそろ変えないと破産してしまうな」


 魔王討伐の報奨金は莫大だったが、見栄を張って毎晩奢っていればいずれ底を突く。

 それでも、やめられない。昔の輝いていた『勇者』のままでいられるのは、あの酒場で奢っている瞬間だけだからだ。


 使い古した訓練用の道着に着替え、庭に出る。

 そこには、自作した特訓用の丸太や、ダミー人形がいくつも並んでいた。


「……今日もやるか。やるしかないんだ」


 朝の冷たい空気の中、俺は無骨な木剣を構え、丸太に向かって打ち込みを始めた。

 ダァンッ! ダァンッ! と鈍い音が響く。


(俺は……もう一度だけでいい。あの頃のように、皆の期待に応えたい)


 剣を振るたび、あの日――俺のすべてが壊れた日の記憶が、脳裏をフラッシュバックする。




 魔王討伐から数週間後。

 俺は王宮の修練場で、飛んでくる木の板を躱すという基礎中の基礎の訓練をしていた。

 だが、避けられない。体が鉛のように重く、鈍い音を立てて板が全身に直撃する。


(力が戻らない……!? どういうことなんだ!)


 焦燥感に駆られる俺の前に、パーティーの知恵袋である魔術師・エルザが、ひどく思い詰めた顔で歩み寄ってきた。


「落ち着いて聞いて、クロム」


 彼女の知的な瞳が、悲痛に揺れている。


「生物の能力の源……『マナ』は、才能の器と呼ばれるものに依存しているのは知っているわね」

「あ、あぁ。もちろん。俺たちのマナの容量が人よりデカいから、魔王とも渡り合えたんだろ?」

「ええ。……でも、その器が、魔王の最後の一撃で粉砕されたの」


 冷や水を浴びせられたような感覚だった。


「粉砕……?」

「あなたの身体には、もうマナを溜める『底』がないわ」


 エルザは唇を噛み締め、宣告した。


「溢れ出たあなたのマナは、どこかに吸収されて消えた……。器を再構築するのは、今の魔法体系では……不可能よ」


 その瞬間、俺の頭の中からすべての音が消えた。

 自分の両手を見つめる。かつて山をも両断した力はそこにはない。ただの、一般人以下のひ弱なオッサンの体になってしまったのだ。


「……。……最後の一撃と引き換えに、俺は『空っぽ』になったってわけか」

「クロム……」


 横で聞いていた武闘家のシリアが、泣きそうな顔で俺の名を呼んだ。

 僧侶のリアナも、剣士のリーンも、絶望的な顔で俯いている。


 駄目だ。こいつらに、こんな顔をさせちゃ駄目だ。

 俺は、お前たちを笑顔にするために戦ってきたんだから。


「……なーんだ! よかったじゃないか! 戦いが終わった後でさ!」


 俺は、これ以上ないほど明るい顔を作って、大声で笑い飛ばした。


「幸い王宮からの報奨金で、しばらく食うには困らない! のんびり、動かなくていい仕事でも探しながら休ませてもらうぜ!」

「クロム、私たちは――!」


 すがりつこうとするリーンを、俺は手で制した。


「……いいんだ。見つかるかわからないマナのために、みんなの人生を拘束できない。もう、戦いは終わったんだ、みんな」


 俺は修練場のベンチの上に立ち上がり、わざと行儀悪く足をドカンと乗せて、盛大に叫んだ。


「今日でパーティーは解散だ! 皆、それぞれの幸せを掴みに行け! またどこかで会おうぜ!」


 呆然とする仲間たちに背を向けて、俺はその場を歩き出した。

 誰にも見られないように。

 俺の顔が、涙と悔しさで醜く歪んでいるのを、絶対に悟られないように。




(休むのは、1ヶ月で飽きた)


 庭で剣を振りながら、その後の自分を思い出す。

 引退直後、幸いにして仕事の依頼は山のようにあった。魔法をもう使えない俺は、せめて後進を育てようと、王宮の訓練所で剣術の指導を始めた。


『クロム・ハイベルクだ。知っての通りもう力はないんだが、心構えは教えられる。よろしくな。さあ、まずは基本の素振り300回だ! 体の軸を意識しろ!』

『はいっ!』


 最初はよかった。だが、平和な時代の若い兵士たちが求めているのは『効率』と『魔法』だった。泥臭い根性論など、誰も求めていなかったのだ。


 ある日の組み手。

 俺は、入隊したての新兵に、あっさりと押し倒されて尻餅をついた。

 マナによる身体強化ができない俺の体は、訓練を積んだ若者にすら力負けしてしまったのだ。


(何より……新兵にすら歯が立たない俺の言葉に、説得力など一欠片もなかった)


 夕暮れの訓練場。

 教官たちが憐れむような目で俺を見る。「勇者様もすっかり丸くなられた」というヒソヒソ声が背中に突き刺さった。

 『元勇者』という看板だけを売り物にして居座り続けるような真似は、俺の腐っても残っていたプライドが許さなかった。

 剣術指南役は、三ヶ月で辞表を出した。


 その後も、冒険者ギルド長、博物館館長。果ては商会名誉最高顧問といった、座っているだけでいい名誉職も紹介されたが、どれもすぐに辞めた。

 冒険者としての絶頂から、一般人以下になった俺に……現在の『空っぽの自分』を受け入れられる度量なんて、残っていなかったのだ。


 ――パーティー解散から、5年後。


 王都にあるお洒落なBARは、結婚式の二次会の幸せな空気に包まれていた。

 きょうは、かつての仲間――僧侶リアナの結婚式だ。


「治療の経過はどうなんだクロム?」


 グラスを傾けながら、同席したシリアが心配そうに尋ねてくる。


「……いろいろ試してみたが、うまくいかないな」


 強がって笑う俺を、シリアは痛ましそうな、憐れむような目で見た。その視線が、チクチクと胸を刺す。


「まあ時間はあるんだ。ゆっくり治療法をさがしてやるさ」

「そうか……」


 その時、歓声が上がった。


「わぁっ! 勇者パーティーの僧侶、リアナ・アイヘルス様のご登場だ!」

「お相手はあの三国一の美丈夫、公爵レイランド様だ!」


 純白のドレスを身に纏ったリアナが、見目麗しい貴族の男と腕を組んで現れた。

 俺と、テーブルにいた仲間たちも一斉に拍手で出迎える。


(あぁ……眩しい……)


 皆に祝福され、少し寂しそうに、けれど幸せそうに手を振るリアナ。俺も満面の笑みで手を振り返しながら……テーブルの下で、膝に乗せた拳をギリッと強く握りしめた。


(みんな、前に進んでる。……それなのに、俺だけ立ち止まったままなのか……?)


 置いてけぼりだ。

 俺以外の全員が、魔王討伐という過去を乗り越え、新しい人生のステージで輝いている。俺だけが、あの瓦礫の玉座の間に心を置き忘れたまま、一歩も動けていない。


(ちがうだろっ!!)


 俺は出された酒を、一気に喉の奥へ流し込んだ。

 そうだ。認めたくない。このまま「過去の人」として終わっていくなんて、絶対に嫌だ。


(今なら、まだ間に合う……! マナが尽きたんなら、技術を磨けばいい! 極限まで技術を高めてマナを超えれば……またみんな、今の俺を認めてくれる!)




「りゃあぁあああああ!!」


 朝の庭に、俺の裂帛の気合いが響く。

 木剣が丸太にめり込み、ミシミシと軋んだ。


 あれからさらに月日が経った。

 マナを失った俺の、泥臭く、無様で、狂気じみた再起のための足掻きは、ここからさらに10年以上も続くことになる。




第三話 闘技場の惨劇と、かつての仲間との決別


 血を吐くような特訓の日々が続いた。

 来る日も来る日も剣を振り、マナがなくても戦える身体操作と剣の冴えだけを追い求めた。


 ――そして、リアナの結婚式からさらに4年後。

 29歳になった俺は、闘技場の砂を長靴で踏みしめていた。少し顎髭を生やし、日に焼けた顔つきは、我ながら精悍になったと思う。


「これより! 勇者クロムと、新進気鋭の剣士エルムハードとのエキシビジョンマッチをおこないます!!」


 司会者の声が響き渡り、観客席から割れんばかりの歓声が上がる。

 闘技場の特等席には、かつての勇者パーティーの面々が揃っていた。皆、固唾を飲んで俺を見守っている。リアナの腕の中には、小さな赤ん坊が抱かれていた。

 俺の時は止まったままだが、仲間たちの時間は確実に前へと進んでいるのだ。


「いいんすか? おっさん」


 対峙したのは、新進気鋭と呼ばれるCランク冒険者、エルムハード。

 年は17歳。筋肉質で身のこなしは軽いが、ガムでも噛んでいそうなチャラチャラとした態度の若造だった。


「その美味しそうな『勇者』って名前……今日で、俺のキャリアの踏み台になっちゃいますよ?」

「……ああ」


 俺は木剣を青眼に構え、深く息を吐き出した。

 この日のために、俺は地獄のような特訓を積んできた。マナがなくとも、極限まで磨き上げた技術があれば、若造の魔力強化マナ・ブーストくらい超えられるはずだ。


「俺は覚悟をもってここに来た! 全力でかかってこい!」


 俺の咆哮と共に、試合開始の銅鑼が鳴り響いた。




 ――結論から言えば、それは『試合』と呼べる代物ですらなかった。


 昼過ぎ。

 観客がすっかり帰り支度を終え、誰もいなくなった闘技場。

 すり鉢状の観客席の片隅で、勇者パーティーの4人は、ただ言葉もなく俯いていた。かける言葉が見つからないのだ。


「う、うああぁ……」


 闘技場の真ん中。

 顔面に無数の青あざを作り、泥と血に塗れた俺は、地面に突っ伏して大号泣していた。


「うあああああああああっ!!」


 エルムハードの剣術は、隙だらけの三流だった。

 太刀筋も完全に見切っていた。どう動くかも分かっていた。

 だが――マナによる身体強化を持たない俺の体は、頭で理解している『技術』に、肉体が1ミリもついていかなかったのだ。


 圧倒的な、残酷なまでの『理不尽』。

 努力ではどうにもならない才能の壁。

 俺の10年近い血のにじむような特訓は、三流の若造の軽い一撃にあっさりと粉砕されたのだ。




 その日の夜。

 俺は、歓楽街の路地裏を、フードで顔を隠しながらふらふらと歩いていた。


「たいして……強い相手じゃなかった……」


 目から止めどなく涙が溢れ、頬を伝ってコンクリートに落ちる。


「でも、その相手に……俺は、何もできなかった……ッ!」


 力なく歩いていた俺が辿り着いたのは、裏路地にある古びた酒場『鋼の右腕』の前だった。行き場のない怒りと絶望で、俺は道端の石を思い切り蹴り飛ばした。


「くそっ!」

「おぃ、にいちゃん」


 不意に、酒臭い息を吐く男に肩をがしっと掴まれた。

 振り返ると、ひどく酔っ払った初老の男だった。


「何があったかしらねぇが、そんなシケた面で歩くなんて、人生楽しめてねぇと思わないか?」

「だ、誰だお前は……?」


 ひどい絡み酒だ。俺は適当にあしらって立ち去ろうとした。


「んー。俺は……鬼の……っ、ヒック。そんなことはいいんだ! 一緒に飲もうぜにいちゃん!」

「い、いや、俺は……」

「聞いてくれよっ、きょう、せっかく育てた愛娘が、どこの馬の骨ともわからねぇ男を連れてきてよー!」


 強引に腕を引かれ、俺は酒場の中へと引きずり込まれた。


「マスター! ガツンとくるエールを2杯くれ! きょうは飲みたい日なんだ!」

「って、おい……」


 目の前に、ドンッとジョッキが置かれた。

 くだらない愚痴を聞かされ、半ばヤケクソでエールを胃に流し込む。

 その瞬間、冷え切っていた腹の底がじんわりと熱くなり、張り詰めていた俺の心の糸が、フッと緩んだ。


 ――あぁ、ここは、楽だ。

 誰も俺に『勇者』であることを求めない。ただの飲んだくれたオッサンとして、馬鹿な話をして、笑ってごまかしていればいい。


(……その日、俺は力を失って初めて、己の『心の拠り所』をみつけたのだった)




 ――回想終わり。現在。


「……」


 昼下がりの酒場『鋼の右腕』。

 39歳になった俺は、空になったジョッキを見つめながら、一つ大きく息を吐いた。


(……酒が足りないか。また昔のことを考えちまう)


 闘技場での無惨な敗北から、さらに10年。

 俺は、このぬるま湯のような酒場の常連となり、ただ過去の栄光を語るだけの空っぽな毎日を貪り食っていた。


「クロムさん、ひょっとしてお疲れ?」


 カウンターを拭いていた女性店員が、心配そうに声をかけてくる。


「……あぁ。昨日は楽しい酒だったから、つい飲み過ぎちまったよ。とりあえず、もういっぱいエールをもらっていいかな?」

「えぇ、それはいいけど……」


 店員が、チラリと酒場の入り口に視線をやった。


「お客さんが来たみたいよ」

「ん……?」


 振り返った俺は、息を呑んだ。

 むさ苦しいオッサンたちの吹き溜まりには全く似つかわしくない、体のラインがはっきりと出る最高級の魔術師服。

 周囲の客たちが思わず視線を奪われる中、その女は澄ました表情で、まっすぐに俺のテーブルへと歩いてきた。


「エルザ……」


 かつての仲間、天才魔術師にして、現・魔術師ギルド長のエルザだった。

 彼女は俺の向かいの席に座ると、一切の世間話を省き、単刀直入に切り出した。


「単刀直入にいうわ。魔術師ギルドでも、魔力が尽きた時のために最低限の体術を教えることになったのよ」

「体術……?」

「ええ。メンバーは皆初心者だから、基本的な体の動かし方を教えてくれる人を探しているの」


 エルザは、まっすぐに俺の目を見た。


「クロム、あなたに指南役をお願いしたいの。あなたの経験は、武器になるわ」

「……!」


 その言葉に、俺は思わずカァッと頬を熱くし、ガタッと音を立てて席を立ち上がった。


 こんな、ただ酒を飲んで腐っているだけの俺を、まだ気にかけてくれていたのか。

 まだ、俺を頼ってくれるのか。俺にも、やれることがあるのか。

 感謝と喜びで胸が詰まりそうになった。


「ありがとう……エルザ」

「じゃあっ!」


 ぱっと顔を輝かせるエルザに対し――俺は、深く、深く頭を下げた。


「だがすまない。それは受けられない」

「……え?」


 呆然と目を見開くエルザに、俺は、自らのどうしようもない無力さを突きつけるように言った。


「初心者が相手なら……手本を見せられなきゃ、動きは覚えられない」

「クロム……?」

「どうしても必要なら、冒険者ギルドから、腕の立つ現役の紹介を受けてくれ」


 頭を下げたまま、俺は思い切り苦虫を噛み潰したような顔で、ギリッと歯を食いしばった。

 行きたい。役に立ちたい。

 だが、今の俺の体は、ただの初老の一般人だ。若き魔術師たちに、キレのある見本を見せることなど逆立ちしたってできやしない。無様な姿を晒して、彼女の顔に泥を塗るわけにはいかなかった。


「俺では、役に立てないんだ。……許してくれ」


 沈黙が落ちた。

 ポタッ……。

 床に、水滴が落ちる音がした。


「そう……」


 震える声。


「あなたが自分でいうのなら……きっとそうなんでしょうね」


 顔を上げた俺の目に映ったのは、大粒の涙をこぼして泣いている、かつての仲間の姿だった。


「すまない……」

「でも……」


 エルザは、袖口で乱暴に涙を拭い、ひどく悲しそうに俺を見た。


「前に進む気力もなくした今のあなたを……みたくなかったな」


 その言葉が、鋭いナイフのように俺の胸を抉った。

 エルザは背を向け、足早に酒場を出て行く。


「聞いてくれてありがとう。それじゃあ。元気でね、クロム」


 バタン、と扉が閉まる。

 後に残されたのは、静まり返った酒場と、俺一人。


 客たちは皆、気まずそうに、そして憐憫の視線を俺に向けていた。

 手元のエールからは、ポコポコと虚しい泡が立って、消えていく。


「…………」


 誰かを救うどころか、かつての仲間を悲しませることしかできない。

 俺は本当に、どうしようもない――空っぽの、終わった男だった。




第四話 15年の意地と、容赦なき現実


 その日の夕方。

 日が落ちてランプの灯りがともり始めた酒場『鋼の右腕』は、いつものように満席の客で賑わっていた。

 だが、俺のテーブルだけは重苦しい空気が漂っていた。


「…………」


 俺は酒瓶を握りしめたまま、石像のように固まっていた。

 エルザが泣きながら出て行ってから、何時間が経っただろうか。彼女の最後の言葉が、頭の中で何度もリフレインしては俺の心を削り取っていく。


「落ち込むなよクロム」

「さっきから全然飲んでないじゃねぇか」


 いつも一緒に馬鹿騒ぎをしている常連のホフキンスやサルトリアたちが、心配そうに寄ってきた。彼らもかつては最前線で戦った歴戦の猛者たちだ。俺の抱える『終わってしまった者の痛み』を、誰よりも理解してくれている。

 俺は無理やり口角を上げ、不格好な作り笑顔を浮かべた。


「すまないな。格好悪いところみせちまって」

「気にすんなよ! きょうも景気良く飲もうぜ!」


 気を遣ってジョッキを打ち鳴らそうとしてくれる彼らに、俺はゆっくりと首を横に振った。


「いや……きょうはこれで帰るわ」


 これ以上、情けない顔を晒したくなかった。

 俺が席を立ち、代金を置こうとした――その時だった。


「エールがまだきてねぇぞ!!」


 バンッ!! と、耳をつんざくような打撃音と共に、分厚い木製のテーブルがぐらぐらと揺れた。

 立ち上がって怒鳴り声を上げたのは、筋骨隆々の男だった。見覚えがある。11年前、闘技場で俺を完膚なきまでに叩きのめした、あのチャラチャラした若造――エルムハードだ。

 28歳になった彼は、Cランク冒険者としてそれなりに場数を踏んだのだろう。体格は一回り大きくなり、粗暴な空気を隠そうともしていなかった。


「ったく、客を待たせるなんてろくでもねぇ店だなここは!」


 エルムハードが舌打ちをすると、周囲の客たちがビクッと肩を揺らす。


「すいません、順番にお出ししていますので、お席でお待ちいただけますでしょうか?」


 女性店員が気丈に対応するが、エルムハードは「あ”?」と眉をひそめ、鼻で笑った。


「おぃ、モンスターを俺たち冒険者が倒しているから、この街はもってるんだろうが。俺たちに対して『礼』が足りないんじゃねぇか?」


 彼は酒場の中をぐるりと見渡し、俺たち常連客を顎でしゃくった。


「少なくとも、そこのこんなくたびれたおっさんより、俺たちを優先するのが『筋』ってもんだろうが!」


 酒場の空気が凍りついた。

 冷や汗を流し、悔しそうに顔を伏せる常連客たち。彼らは皆、かつて命を懸けてこの国を守った老兵たちだ。怪我や病気で一線を退いたとはいえ、こんな若造に侮辱されるいわれはない。

 だが、今の彼らには、血気盛んな現役冒険者に対抗する力はないのだ。


「なぁ、姉ちゃんもそう思うだろう?」

「……迷惑です。出ていってくれませんか?」


 怯えながらも、店員は毅然と言い放った。

 その言葉に、エルムハードの額にピキリと青筋が浮かぶ。


「……こいつは、平和ボケした女にも少しお仕置きしないといけないようだな」


 エルムハードが太い腕を振り上げ、店員に向かって一歩踏み出した。


「おい」


 気がつけば、俺は声を発していた。

 機敏な動きでエルムハードと店員の間に入り込み、腰を落として両拳を構える。


(あいつ……俺のことは覚えてもいないか)


 無理もない。11年前、あいつにとって俺との試合はただの『余興』だったのだから。

 だが、都合がいい。飲んだくれのオッサンだと侮ってくれた方が、勝機はある。


「やめとけクロム! 相手が悪い! 峠を過ぎた俺たちじゃ相手にならねぇよ!」


 後ろで常連のホフキンスが必死に腕を掴んで制止しようとするが、俺はその手を優しく振り払った。

 かつての勇者としての、否、一人の男としての覇気を眼光に込め、エルムハードをまっすぐに睨みつける。


「酒の飲み方も知らないのか若いの。そんなに暴れたきゃ、俺が相手になってやる」

「あんだ? お前、やる気かおっさん?」


 エルムハードは馬鹿にしたように笑い、拳をギリッと握り込んだ。


「そんなに死にたいなら……死にやがれ!」


 空気を裂く音と共に、丸太のような剛拳が俺の顔面を狙って突き出される。

 常人が見れば回避不能の一撃。

 ――だが、俺の目には、その軌道がはっきりと見えていた。


 スッ……。


 俺は最小限の動きで上体を逸らし、流水のようにその一撃を躱した。


「なっ!?」


 驚愕に目を見開くエルムハード。


「いいぞ、クロム!」

「すげぇ、当たってないぞ!」


 常連客たちが沸き立つ。

 俺の心臓が、ドクンと大きく鳴った。


(身体が動く……! 15年以上、毎日続けてきた特訓の成果が出た!)


 マナがなくとも、極限まで磨き上げた身体操作と動体視力は、現役の冒険者にも通用する。

 いける。やれる。


(昔語りはもうやめだ。誰かに憐れまれるのも終わりだ! 今の俺をみんなに好きになってほしい、まだまだできるって思われたい!!)


 俺はエルムハードの懐に潜り込み、渾身のカウンターを叩き込もうと踏み込んだ。

 決まる。

 そう確信した、その瞬間。


(……え?)


 頭で描いた完璧なタイミングに対し、俺の『肉体』の反応が、ほんのコンマ数秒――決定的に遅れた。

 加齢による衰えか。マナの欠如による筋力の限界か。


「――ドゴォッ!!」


 鈍い破砕音。

 俺の顔面に、引き戻されたエルムハードの裏拳がクリーンヒットした。

 脳が激しく揺らぎ、視界がフラッシュする。圧倒的な質量の暴力の前に、俺の体は為す術もなく床に叩きつけられた。


「……ぐ、がはっ……」

「残念でした〜」


 血の味を噛み締めながら見上げると、エルムハードが舌を出して嘲笑っていた。


「ははっ、おっさんなんてこんなもんかよ。口ほどにもねぇな」


 店員の方へ向き直ろうとするエルムハード。

 俺は這いつくばったまま腕を伸ばし、「ぐいっ」と奴の足首を掴んだ。


「まだ……終わってねぇぞ……」

「……うぜぇっつってんだよ、おっさん!」


 ガンッ!!

 エルムハードのブーツが、容赦なく俺の顔面を踏みつけた。

 薄氷を踏むような恐怖と苛立ちが混じった目で俺を見下ろすと、奴は舌打ちをして吐き捨てた。


「チッ、白けちまった。行くぞ」


 エルムハードは店員を睨みつけると、そのまま乱暴に足音を立てて酒場を出て行った。


 静まり返る夕方の酒場。

 俺はズキズキと痛む顔を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。服についた砂埃をパンパンと払い落とす。


「ははっ……帰ってくれてよかったな。きょうはちょっと、調子が悪かったなぁ」


 痛々しいほど引きつった作り笑いを浮かべる俺を、客も店員も、ひどく悲しそうな、いたたまれない目線で見つめていた。


「クロム……きょうは、俺がおごるからさ……」

「すまないな。……今度こそ、帰るわ」


 誰の顔も見られなかった。

 俺は逃げるように酒場を飛び出した。


 日がすっかり落ちた、夜の王都。

 人気のない暗い夜道を歩きながら、俺は、ボロボロになった両手で顔を覆った。

 嗚咽が漏れる。涙が、指の隙間から止めどなく溢れ落ちていく。


「もう……嫌だ……」


 誰もいない路地裏に、俺の情けない声が響いた。


「俺の15年が……っ……無駄だったのか……っ」


 どれだけ足掻いても、どれだけ血を吐くような努力を重ねても、ただの一撃で現実に叩き潰される。

 勇者クロムは、もうどこにもいない。


「つらい……っ、つらいよぉ……っ」


 冷たい夜風が、俺の嗚咽をかき消していく。

 この時、俺は完全に心が折れていた。自分の人生はここで終わりなのだと、心の底から絶望していた。


 ――翌朝、あの『魔王』が、俺の庭に現れるまでは。




第五話 魔王のくちづけと、誇り高き老兵たち


 翌朝。

 俺の全身は、目を覆いたくなるようなドス黒い青あざに覆われていた。

 骨がきしむ。筋肉が悲鳴を上げる。昨夜、あの若造に完膚なきまでに叩きのめされた痛みが、現実という重しになって俺の体にのしかかっていた。


 それでも、俺は庭に立ち、無骨な木剣を握っていた。

 震える足を踏み込み、血の滲むような叫び声を上げる。


「りゃあああああッ!!」


 ダァンッ!

 打ち付けた木剣が弾かれ、俺は体勢を崩して庭の土に倒れ込んだ。


「ぜぇ〜……っ、ぜぇ〜〜〜……っ!」


 荒い息が喉を焼く。

 空を見上げたまま、俺は泥だらけの両手で顔を覆った。


「……だめだ。毎日特訓しても、ちっとも強くならねぇ……」


 嗚咽が漏れた。

 15年だ。15年間、一日も欠かさず特訓して、それでも進化しなかった。

 もう、肉体的にもピークは過ぎているのだ。ただのオッサンの体では、才能ある現役の若者には絶対に追いつけない。


「前に進みたい……ッ! 俺だって、『すごかった』んだぞ……!」


 ボロボロと涙がこぼれる。


「力さえ戻れば、昔みたいに困っている人を助けて、みんなから好かれたい……ッ!」


 どうしようもなく未練がましい、本音だった。

 俺は痛む体を無理やり起こし、空に向かって喉が裂けるほどの声で絶叫した。


「俺は、まだまだできるんだーーーーッ!!」


 ――その時だった。


「やれやれ。よもや我の宿敵が、これほど情けない男になり果てているとはな」


「!?」


 俺は弾かれたように声のする方を見た。

 庭の塀の上。

 そこに、一人の少女が座っていた。陽光を反射して輝く豪奢な金髪。14歳程度の、小柄で愛らしい容姿。

 だが、その瞳に宿る、底知れぬ魔力と威圧感。

 間違いない。20年前に俺のすべてを奪い、そして俺が打ち倒したはずの――。


「ま、魔王……!?」


 輪廻の果てに蘇った魔王ロゼッタが、そこにいた。

 彼女はふわりと音もなく塀から飛び降りると、呆然とする俺の胸ぐらを掴み、つま先立ちになって――突然、俺の唇にキスをした。


「なっ……!? んんっ!?」


 柔らかな唇の感触。

 だがそれ以上に、信じられないほどの奔流が、俺の口内から全身の血管へと駆け巡っていくのがわかった。


「ぷはっ。……さけくさっ。体に染み付いておるな」


 唇を離したロゼッタが、顔をしかめて袖で口元を拭う。


「なっ、なっ……! 突然何言い始めてるんだ、この痴女は!?」

「阿呆。己の体を感じてみよ。……馬鹿正直な特訓のおかげで、マナを受け入れる『器』の形だけは保っていたようだな」


 言われて、俺は自分の両手を見た。

 熱い。全身の細胞が歓喜の産声を上げている。失われたはずの魔力マナが、一時的とはいえ、俺の体に満ち溢れていたのだ。


「これでお主に『5分間』の自由を与えた。その活かし方は、わかっておろう?」

「5分間……?」


 俺が呆然と呟いた直後、庭の門を蹴破るようにして、常連客のドーガが血相を変えて飛び込んできた。


「大変だクロム!!」


 ドーガは息を切らしながら叫ぶ。


「店でまた、昨日の奴らが暴れてる! お前をさがしてるみたいで、どうしたら……ッ」

「……!」


 俺はギリッと奥歯を噛み締めた。

 体は、羽のように軽かった。全盛期の、いや、それ以上に研ぎ澄まされた『勇者』の力が、今、俺の体の中にある。


「よく知らせてくれた。俺が何とかする……!」

「おい、クロム。まだ話は……」


 ロゼッタの言葉を遮り、俺は地を蹴った。

 ドンッ!! という爆発音と共に庭の土が抉れ、俺の体は弾丸のように王都の街並みへと飛び出していた。


「悪いが後だ!!」

「はえ〜〜……」


 呆気にとられるドーガを残し、ロゼッタは小さく鼻で笑う。


「ふむ、ではお手なみ拝見と行こうかのう」




 その頃。

 酒場『鋼の右腕』は、無惨な有様になっていた。

 椅子が投げられ、テーブルがひっくり返されている。


「おらぁ!」


 手下を4人連れたエルムハードが、青筋を立てて凄んでいた。


「聞こえなかったな。もう一度言ってくれないかな、姉ちゃん」


 破壊された店内で、女性店員は怯えることなく、まっすぐにエルムハードを睨み返していた。彼女の背後には、ホフキンス、ドーガ(の席の空席)、サルトリアといった老兵たちが、唇を噛み締めて立ち塞がっている。


「何度だっていってあげるわ」


 店員は、凛とした声で叫んだ。


「ホフキンスさんは、街を襲ったオークの大群を、ランクA冒険者として一人で足止めした! 足が不自由になってからも、自警団をサポートしている!」


 ビクッと、ホフキンスが驚いたように顔を上げる。


「ドーガさんは、腕を痛めるまでは王宮で5指に入る刀鍛冶で、今も街の工房で後進を育てている!」

「サルトリアさんは、凄腕のシーフだったけど、娘さんのために足を洗って、深夜の清掃の仕事をしている!」


 彼女の目から、大粒の涙が溢れた。


「みんな、この街のために身を挺して働いて、今は休んでいるのよ。その人たちの憩いの場を、否定しないで!」


 店員の声が、静まり返った酒場に響き渡る。


「若さと力があるのに、弱者に力をふるうあなたたちより……よっぽど素敵よ」


 その言葉に、エルムハードは顔を真っ赤にして激昂した。


「てめぇ……俺を臆病ものだからランクC止まりって言いたいのか……!」


 ギリリと歯を鳴らし、エルムハードは店員に歩み寄る。


「そこの終わった、のんだくれのおっさんたちより下だって言いたいのか!? 昨日俺の足元に無様に転がった、終わったおっさんより下だって言いたいのか、お前ッ!」

「…………」


 店員は、少しだけ口角を上げた。


「クロムさんのことなら、勘違いをしているわ」


 ――その頃。俺は、王都の裏路地を凄まじい速度で駆け抜けていた。

 目の前に立ち塞がる3メートルほどの高い柵を、助走すらつけずに正面からフワリと飛び越える。風が頬を打ち据える。


「あの人は終わっていない」


 店員の毅然とした声が、開け放たれた酒場の扉から漏れ聞こえてきた。

 俺は、酒場の前でピタリと足を止めた。


「あの人は毎朝必ず、特訓をしてからこの場所に来るのよ」


 俺は、自分の両手を見た。

 マナを失い、それでも15年間、一日も休まずに剣を振り続けた手。

 そこには、分厚く硬い、無数の『剣ダコ』が刻まれていた。


「あの人の手を、あなた見たことがないの?」


 俺は、静かに、酒場の入り口に足を踏み入れた。


「あの人は、今も戦っているわ」

「……!」


 振り返ったエルムハードと、俺の視線が交差する。

 ――俺の居場所を、俺の誇りを守ってくれた人たちに、これ以上手出しはさせない。


 俺は、腰に差した木剣の柄に手をかけ、静かに、そして圧倒的な殺気を放って彼らを睨みつけた。




第六話 5分間の英雄と、終わらない俺たちの日常


 静まり返った酒場『鋼の右腕』の入り口に立つ俺を見て、エルムハードは一瞬だけ呆気にとられ、すぐに顔を怒りで真っ赤に染め上げた。


「てめぇ……おっさん……!」


 ギリリと歯を鳴らし、腰の剣を乱暴に引き抜く。

 俺に向けられる明確な殺意。だが、俺の心は不思議なほどに凪いでいた。


「いっぺんしんどけやああぁああ!!」


 エルムハードが吠え、上段から力任せに剣を振り下ろしてくる。

 俺は、その軌道を静かに見つめた。


(……おかしい)


 無我夢中でここまで駆けつけてきたが、明らかに体が軽い。

 いや、軽いなんてもんじゃない。エルムハードの振り下ろす刃が、まるで水の中を進むように、スローモーションになって見えたのだ。


(これは……全盛期の力が戻ってきているのか!?)


 俺は、迫り来る白刃に対し、力で抗うことはしなかった。

 スッ、と。

 まるで流水のように、最小限の動きで上体を流す。切っ先が俺の鼻先数ミリを通り過ぎるのを完全に見切りながら、俺はすれ違いざまに、エルムハードの後頭部へ手刀を打ち下ろした。


「がはっ……!」


 ドサッ、と。

 エルムハードの体が、情けない音を立てて床に崩れ落ちる。


「「「おぉおお!!」」」


 常連客たちから、どよめきと歓声が上がった。

 俺は悠然とその場にたたずみ、自分の両手を見つめた。

 

(間違いない。……15年間繰り返してきた特訓のイメージ通りの動きが、今、完璧にできている。マナが戻ってきているんだ!)


 才能の壁に阻まれ、肉体がついていかず、何度も何度も絶望した。

 だが、俺が泥水すりながら積み上げてきた『技術』は、決して無駄じゃなかった。マナというエンジンさえ積めば、俺の技術は現役の冒険者すら凌駕する!


「なんだおっさん……それは……」


 頭を押さえながら、何とか立ち上がったエルムハードが、信じられないものを見る目を向けてきた。


「野郎ども、やっちまえ!!」


 エルムハードの怒号を合図に、手下たちが一斉に俺に飛びかかってくる。

 四方八方からの剣撃、殴打、蹴り。

 だが――俺は、そのすべてを紙一重で回避し続けた。

 右足を引き、左肩を流し、拳をいなす。圧倒的な動体視力と身体操作。マナを帯びた俺の体にとって、彼らの動きは止まっているに等しかった。


「くそおぉお! なんであたらねぇんだ!!」


 エルムハードが半狂乱になって剣を振り回すが、俺の服の裾を掠めることすらできない。

 その時、開け放たれた酒場の入り口から、呆れたような少女の声が響いた。


「当然じゃろう」


 腕を組み、ふんぞり返るように立っていたのは、金髪の少女――魔王ロゼッタだった。


「我が与えた力は、5分間のマナの復元。我の宿敵にごろつき(Cランク冒険者)程度の攻撃、当たるはずがなかろう」


 俺は最後の一人の鳩尾に拳を沈め、静かに息を吐いた。

 気がつけば、エルムハードとその手下たちは全員、床に転がって呻き声を上げている。


 俺は、ボロボロになった自分の拳を、力強く握りしめた。

 万感の思いが胸に込み上げてくる。涙が出そうになるのをグッと堪え、俺は酒場の仲間たちに向かって叫んだ。


「っ……! どうだみんなっ!」


 誰かに憐れまれるための言葉じゃない。

 これは、俺自身と、共にここでくすぶっていた仲間たちへの証明だ。


「俺の執念が、道を切り拓いたんだ! いつからだって、やればできるんだみんな!」


「「「うぉおおお!!!!」」」


 ホフキンスが、サルトリアが、他の客たちも皆、立ち上がって拳を突き上げ、割れんばかりの歓声を上げた。

 だが、その歓声の輪の中で、ただ一人、エルムハードだけが後ずさりしながらギリッと歯を鳴らしていた。


「ふざけんな……」


 プライドを完全にへし折られた男の目は、狂気に濁っていた。


「ふざけてんじゃねぇえええ!!」


 エルムハードは、血走った目で、近くにいた女性店員へと標的を変えた。

 殺意を込めた凶刃が、彼女に向かって振り下ろされる。


「!?」


(今助ける……!)


 俺は、店員を庇うために床を蹴り、エルムハードとの間に割って入ろうとした。

 今の俺の速度なら、瞬きする間に間に合う。


 ――スンッ。


 唐突に。

 全身から、風船の空気が抜けるような音がした。

 細胞の隅々まで満ち溢れていた万能感が、一瞬にして霧散する。


「あれ……」


 俺は、その場から一歩も動けていなかった。

 予想の動きではとっくに店員との間に入り、エルムハードの剣を弾き飛ばしているはずだったのに。

 マナが、切れた。5分間が、経過したのだ。


 刃が、店員に迫る。

 俺は絶望に目を見開いた。


 だが――次の瞬間。

 ドゴォッ!! という重い打撃音と共に、エルムハードが白目を剥いて吹き飛んだ。


「…………へ?」


 床に沈んだ若造を見下ろして立っていたのは、常連客のサルトリアだった。

 深夜の清掃員をしている、元・凄腕シーフの初老の男。彼は、エルムハードの腹に深々と拳を沈めた姿勢のまま、フッと息を吐いた。


「鬼の足を持つサルトリア様をなめるなよ」


 サルトリアは、腰をさすりながら俺の方を見て、ニヤリと笑った。


「見せ場を譲ってくれてありがとな、クロム」

「あ、あぁ……」


 俺は、間の抜けた声で頷くことしかできなかった。




 数時間後。

 壊れたテーブルや椅子を片付け終えた酒場は、すっかりいつもの穏やかな空気を取り戻していた。ごろつき共は、自警団の詰め所へと放り出してきた後だ。


「それじゃあ皆、この酒場の平和を祝って……」


 ホフキンスが音頭を取り、俺たちは一斉にジョッキを高く掲げた。


「「「かんぱーーーーい!!」」」


 よく冷えたエールが、乾いた喉に染み渡る。

 俺は嬉しそうにジョッキを傾けながらも、内心でしきりに首を傾げていた。


(最後のやつはなんだったんだ。力が急に抜けたような……)


 ロゼッタが「5分間」と言っていたのは聞こえなかった。あの時、俺は戦闘に集中しすぎていたのだ。


「クロムさんっ!」


 不意に、弾んだ声が聞こえ、俺の腕に柔らかい感触が押し付けられた。

 頬をリンゴのように紅潮させた店員さんが、俺の腕にギュッと抱きついてきたのだ。豊かな胸の膨らみが腕に当たり、俺の心臓がドキンと跳ねる。


「さっきはありがとうございました。クロムさん、本当に格好よかったですっ!」

「い、いや。トドメを刺したのはサルトリアのおっさんだし……」

「謙遜しないでくださいよ〜〜」


 上目遣いで微笑みかけられ、俺は盛大に照れて鼻の下を伸ばした。

 酒場の入り口付近では、ロゼッタが「自分が力を貸したのにクロムの成果と言われていること」に酷くむかついている顔で腕を組んでいたが、俺は気付かなかった。


「あんな実力あるのに、どうして隠してたんですか〜?」

「ま、まぁ。俺がちょっと本気だせばこんなもんかな」


 女の子にチヤホヤされて、俺の安いプライドはすっかり天狗になっていた。


「コツ、なのかな? 気付いたのはついさっきだったんだ」


 俺はパンッと手を叩き、酒場の仲間たちを見渡した。


「ちょうどいい、みんな。さっきの感覚をもう一度取り戻したいから、一斉に俺に殴りかかってくれないか?」

「えぇ〜〜」


 店員が困惑する中、腕の逞しい常連客のオッサン五人くらいが、面白がって俺の周りを囲んだ。


「おっ、クロムがデモンストレーションを見せるぞー!」

「さすが勇者! 手加減しねぇぞ!」


 みんな嬉しそうに拳を鳴らしている。

 俺は自信満々に胸を張り、ニッと笑った。


「遠慮しないでやってくれ。ここから、俺は道を歩き直すんだ」


 その言葉に、店員さんも苦笑しながら合図を出した。


「それじゃあみなさん、怪我しないように……殴りましょう!」


 ――ドゴォッ!!

 ――バキッ!!

 ――ボカッ!!


「「「…………」」」


「クロムが倒れたぞー!!」

「まぐれだったのか、この野郎!!」


 酒場の床に、大の字になってぶっ倒れた俺を見て、オッサンたちが大爆笑する。


「ど阿呆が」


 酒場の隅で、魔王ロゼッタが呆れたように息を吐いた。

 鼻血を出しながらも、なぜか俺は無性に可笑しくて、床に転がったまま腹の底から笑っていた。

 みんなが笑っている。俺が笑わせている。あの時の「空っぽ」だった自分とは違う、確かな熱が俺の中にあった。


「しかし、わが宿敵クロムよ……」


 ロゼッタは、呆れ顔の裏で、小さく、そして尊大に唇を歪めた。


「お前には、わらわが魔王として復活するために……せいぜい、力を取り戻してもらうぞ」



 5分間だけの最強の力と、空っぽだったおっさんの、泥臭くも新しい英雄譚。

 その幕は、酒と笑い声に包まれたこの場所から、静かに、そして確かに上がり始めていた。

短編小説として執筆しました。

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