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迷子

津田(つだ)先輩!」


またうるさいのが来た……

「はあ……」

黒川(くろかわ)先輩もこんにちは!」

「毎日飽きずによく来るね」

「なんで飽きるんですか?」


ここは3年生の教室、そこに来ることになんの疑問も抱いてないこいつは1年の遠野(とおの)くん。

毎日俺の教室に来て、いろんな話を一方的に話すだけ話して、

「また明日来ます!」

と言って帰っていく。

クラスの奴らも慣れっこで、もう誰も何も言わないし、立ったまま話す遠野くんに椅子まで用意してくれるようになっていた。


ちなみに遠野くんとは友達でもなんでもない。

かわいい奴だなとは思ってる。

素直ないい子だと思ってる。

それだけだ。


なぜ遠野くんが毎日ここに来るようになったのか。

それは遠野くんが入学した4月に遡る。


電車の遅延で遅刻した俺は遅延証明書を担任に提出した後、教室に向かっていたら廊下をウロウロしている奴に遭遇した。  

こいつ、なにしてんだ? と通り過ぎたが泣きそうな顔して行ったり来たりしている様子に、あ、これ迷子だと気づいた。


うちの学校は数年前に増築し東棟が出来た。

理科室や音楽室などの専科教室がこの棟に入っているが、設計したのが有名な建築家で見た目はおしゃれでかっこいいが、正直言って使い勝手が悪い。複雑なのだ。

よって辿り着けない生徒が続出し、案内図や『理科室はこちら』など矢印まで表示しなくてはならなくなった。それでも迷う、こいつのように。


「どこに行きたいんだ?」

俺は泣きそうなそいつに声をかけた。

「え?」

と振り向いたそいつは本当に半泣きで教科書やノートが変形するくらいギュッと抱きしめている。

「どこ行きたいの?」

「……音楽室です」

「ちょっと待ってて」

俺はそいつにそう言って、俺の教室に行った。


「お、津田やっと来たな、遅延だろ?」

国語教師の渡辺(わたなべ)が声をかける。

「先生ちょっと迷子送り届けてきてもいい?」

「ん? 迷子?」

と廊下を覗く。

「新入生か?」

と渡辺がそいつに聞く。

「はい、1年C組の遠野です。音楽室がどこにあるのかわからないんです……」


その声が聞こえたのかクラスの奴らが、

「かわいい~」

と囃し立てる。

わらわらと廊下を覗く奴らに、その遠野と名乗る子はますます萎縮し泣きそうになってる。


「わかんねえよなあ、教員でも迷うんだから」

と渡辺は納得し、

「津田、連れてってやれ」

「ちょっと行ってきます」

「頼むな」

「おい、行くぞ」

と遠野という奴に声をかけて歩き出す。


俺の後をついてくる遠野という奴にちょっと笑いそうになりながら聞いてみる。

「なんでクラスの奴らと一緒に行かなかったんだ?」

「あの……電車が遅れてさっき来たんです。そしたらもう誰もいなくて……」

「あーなるほどね、◯◯線か?」

「はい」

「俺もそれ乗ってて遅れて今来たところ」

「すみません……」

「いいよ、別に。あの建物本当わかりにくいんだよな」

「すみません……」

「いいって」


いくつか階段を上がったり下りたりする。

「この階段を上がったところを右な。突き当たりが音楽室」

「はい、津田先輩ありがとうございました!」

「ん? なんで名前知ってんの?」

「さっき先生がそう呼んでました」

「あっそうか」

「ありがとうございました」

と頭を下げる。

「じゃあな」

「はい」

と遠野くんは手を振って階段を上がっていく。


俺も戻るかなと何気なく振り向いたら遠野くんは階段を上がると左に曲がった。

「おい! そこ右だ!」

しかし左へ行く。

くそっ!

階段を駆け上がり遠野くんを追う。

「遠野くん!」

と腕を掴むとビクーーッ! と驚き、

「ヒッ!」

と悲鳴をあげる。

「左じゃねえよ、右って言っただろ?」

「あ、あれ?」

「方向音痴かよ」


そのまま腕を掴んで引きずって行く。

音楽室の扉を開け、

「先生、迷子届けに来た」

と声をかける。

音楽の倉田(くらた)先生が、

「なんで津田くん? 迷子?」

遠野くんを差し出す。

察した倉田先生は笑い出し、

「迷ったのね」

と遠野くんを招き入れる。

遠野くんのクラスメイトが、

「なんだよ、お前迷ったの?」

と笑ってる。

遠野くんはクラスメイトの顔を見てようやく安心したみたいで頭を掻いている。

「津田くん、わざわざありがとうね」

と倉田先生に礼を言われ、俺は自分の教室に戻った。

やれやれ。



翌日の昼休み、突然遠野くんが教室に来た。

「津田先輩、昨日はどうもありがとうございました!」

と深々と頭を下げてコンビニの袋を差し出す。

「えーと、これなに?」

「昨日のお礼です」

そう言って袋をぐいっと俺に押し付ける。

「いや、いらねえよ。音楽室に連れて行っただけだろ?」

「俺一人じゃ辿り着けなかったんで助かりました、ありがとうございました!」

何度も何度も頭を下げるし、袋は差し出してるし……困ったな。


「受け取ってやれば? 大和(やまと)

とその様子を見ていた(りょう)が言う。

他の奴らも、

「受け取らない方がかわいそう」

と口々に言う。

「じゃあ、ありがたく……」

と受け取ると、遠野くんはものすごく晴れやかな笑顔を見せた。

「かわいい~!」

と女子たちは新入生の初々しさにメロメロになってた。


それからというもの遠野くんは毎日昼休みに俺の教室に来るようになった。

毎日毎日来るもんだから、

「なんで来るの?」

とストレートに聞いたら、

「津田先輩に会いたいからです」

とこれまたストレートに返して来た。


「うひゃあーー! 告白!?」

騒然とする。

「そんなの恐れ多いです、でもかっこよくて憧れてます」

「それを好きって言うんじゃないの?」

「そんなの申し訳ないです」

「かわいい~」

「だってよ、大和」

と遼が面白がってる。

「そう言われてもなあ」 

悪い気はしないがそんな気はない。



飽きずに毎日来る遠野くんだが、なんとなく、本当にちょっとだけなんとなく違和感を覚える。

なんだろう、なんなんだろう?


しばらくわからなかったが気づいた。

向きだ。

遠野くんの向きが変わったんだ。

これまでは真っ直ぐ俺の方を見てた。

最近それが変わった、向きが変わった。

そしてそれを裏付けるようにその目が向いてるのは、

「遼先輩」

と呼ぶ方向だった。


遼先輩?

今まで黒川先輩って呼んでたよな?

  

違和感は違和感ではなくなった。

遠野くんは真っ直ぐ遼を見ている。


どうして?

いつから?

そしてどうして俺はこんなに寂しいんだ?


「津田先輩、また来ますね!」

と言って帰って行くけど、それは遼に向けられた目線のついでのようだった。


胸が痛い、チクチクする。

針で刺されてるようにチクチクする。

痛い、痛い、だけど針はどんどん増えていく。



由紀哉(ゆきや)

遼が遠野くんをそう呼び始めた。

あ……待って、なんで? 

待って……

嫌だ……


「……遼?」

問いかけた俺に遼は照れながら小声で、

「付き合い始めたんだ、俺たち」

遠野くんも赤くなりながら、遼に寄り添ってる。

俺と遼の間にいたはずの遠野くんはいつの間にか遼の隣に座るようになっていた。

「まだみんなには内緒な」

と口止めする。


「言わねえよ」


言わない

言えない

言わなかった

言えなかった


気づくのが遅すぎた。

俺はあぐらをかいていた。


おめでとうも良かったなも言えない。

苦し紛れにこう言った。


「もう迷子になるなよ」



迷子は俺だ。


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