冗談のような本気の話
二ヶ月ぶりに訪れた店内は、ママがマスターに変わったくらいで以前と大きな変化はなかった。
客は誰もいなかったがカオルはひたすらグラスを磨いていた。
「おっ、いらっしゃい。そろそろ来るんじゃないかと思っていたよ。真ん中のお席にどうぞ」
彼は相変わらず笑顔だ。
「そろそろって、薬の材料が手に入るようになったから、僕が早く作れとせっつきに来るとでも思ったのか?」
聖はギロッとカオルを睨んだが、彼はそんなことは気に留めていないようだった。
「まあ、それもそうだけどさ。もうじき結果がわかる頃かなって思ってさ」
「結果? なんの結果だよ」
のらりくらりと躱そうとするカオルに苛立ちを覚えて、聖の口調は次第にきつくなる。
「まあまあ、怒らないで。オレンジジュースでいいよね?」
そう言って、カオルは冷蔵庫の扉に手をかける。
「ジュース? ふざけるなよ。めちゃくちゃ強い酒でも浴びたいくらいなのに」
「強い酒? 強い酒を飲んで気絶して、また俺に抱かれたい?」
カオルの言葉にカッとなり、カウンター席から立ち上がろうとする。
「聖、落ち着いて」
そう言って智大が聖の肩を叩く。一緒に怒ってくれるのかと思ったのに、彼はやけに冷静だ。
そうこうしているうちに、カオルは二人の目の前にオレンジジュースを置いた。
「だから、結果を聞きたいんだよ」
「結果ってなんの?」
つっけんどんな口調で聖は返す。
「月のものは来たか?」
「月のもの? なんのことだ?」
「月のものって言ったら、生理に決まっているだろう?」
「えっ、子宮があるの?」
「当たり前だ」
カオルはニヤッと笑った。
生理がくるなんて考えたことがなかった。確か、過去の彼女たちはだいたい二十八日周期で生理がきていた気がする。
それならあれから二ヶ月経っているのだから二回、生理がきていなければいけない。それがないということは……、子宮や卵巣なんて存在していないのではないだろうか?
「聖、よくやったな」
智大が今にも泣きそうな顔をしながら、聖に抱きついた。
「な、なに、智大。どうしたの?」
聖がそこまで喜ぶ意味がわからない。
「本当によくやったよ。聖」
厨房から出てきたカオルも聖を抱きしめる。
二人の男に抱きつかれた聖は、彼らがなにを言っているのかまったくわからなかった。
「なんなんだよ。まったく」
キレ気味に聖は声をあげて、二人を振り払う。
「まだ、わかんないの?」
智大は聖の顔を覗き込む。
「だから、なんなんだよ」
聖はふくれっ面だ。
「妊娠したんだよ」
「に、妊娠?」
聖は、カオルの発言の意味が飲み込めていない。すると急に目の前が暗くなりかけて、聖の身体はふらついた。男たちは慌てて彼を支えて椅子に座らせた。
「妊娠すると貧血になるからな。鉄分を意識して取ってくれよ」
カオルは聖の背中を撫でながらそう言った。
「一体、なにが起きているんだよ」
聖は、頭を抱えた。
聖が落ち着くのを待って、智大が話し始める。
「ここの住人の夫婦の間には、なぜか昔から男子しか生まれてこない。稀に女の子が生まれてくることもあるけど、大抵、生まれたときから病弱で生後数ヶ月で病死してしまう。男の子しか生まれてこないのは、この土地に昔から湧き出ている水のせいだとか、磁場が関わっているんだとか、大昔にここを治めていた神様がアメノミナカヌシ様の怒りを買ったことが原因だとか、いろいろと言われているけど真相はわからない。
でも、本当に男性しか生まれてこないから、昔からここは『男村』なんて呼ばれてきたんだよ」
「男村?」
「そう男村。この村に来てから女性を見かけていないんじゃないかな?」
聖は、記憶を辿る。確かに、いつも買い物に行くあの店のレジにいるのはじいさんだし、畑や田んぼで見かけるのも男性ばかりだ。
「でも、女性がいたからここに住んでいる人たちが生まれてきたんじゃないの?」
当たり前の疑問を聖は抱く。
「確かに、その通り。近隣の村から嫁さんを探して連れてきた。だから、かろうじて命をつないでくることができた。でも、外の血を入れても生まれてくるのは男の子ばかりなんだ。でも、ご存知の通り、この国は少子化が進んでいるからね。周りの村や町の人口も減ってきて、嫁いでくれる女性もめっきりいなくなった。俺が養子に入った伯父さんの家もね、子どもがいないんじゃなくて、奥さんがいなかったんだ。
俺みたいに、ここを出て行った誰かの子どもがもっと戻ってきてくれるならいいけど、このままじゃここは人がいなくなっちまう。消えていく村なんだよ」
智大は悲痛な面持ちだ。
「それで俺たち若手でなんとかしなくちゃいけないって立ち上がったんだ」
カオルが横から口を挟む。
「えっ、じゃあ、智大も最初からグル?」
「すまん、聖」
ここへの移住を勧めたのは、すべてはこのためだったのだ。でも、性転換を促す薬を作ってまで子どもを増やそうなんてするのは馬鹿げている。
「それなら、バラエティ番組で見かけるお見合い企画でも計画して女性を呼び込んだ方が現実的だ」
聖は語気を強める。
「あいにく人を呼び込むだけの魅力がこの村にはなくてね。それならなにか目玉になる事業でもやれって思うだろうけど、手を尽くしたけどどれもパッとしなかったんだよ」
そう言い放つカオルの顔から笑みが消えた。
「だけど、カオルは天才だからね、きっとアメリカから帰ってきたらなんとかしてくれるって、村中のみんなが期待してたんだ。そして、やってくれたんだよ」
智大は誇らしそうに語った。
「それが性転換を可能にする薬ってわけ?」
聖はようやく落ち着きを取り戻す。
「そう。その通り。そして、その薬がうまく効果を発揮して、子どもを増やすことに成功すれば、日本の少子化問題にも役立てることができるかもしれないし、海外に向けて薬を発売して新しいビジネスモデルが出来上がる。まさにそれがこの村の目玉事業となる」
カオルの言葉を聞きながら智大は頷いている。
「僕が初めての妊婦?」
妊婦と自分で言っておきながら聖は少し妙な気持ちになる。
ほんの少し前まで男性として生きてきたのに。それも自分は結婚なんか向かないんじゃないかと思ってきたし、一生一人でもいいと思ってきた。子どもを持つなんて聖の人生設計の中にはなかったことだ。
「いや、三例目だ」
「三例目? その二人は納得して女性になって子どもを産んだと言うわけ?」
「ああ、そうだ。そもそもこれはここの村民の総意でもあるんだ」
「総意?」
「俺たちの計画を村の集会で話してね。最初はもめたけど、次第にわかってくれて、今では応援をしてくれているし、村民全員で子育てをバックアップしてもらえるって約束も取りつけてある」
「バックアップ?」
「ああ、金銭的な面での補助だけじゃなくて、子守だとかなんでもすべて面倒を見てもらえる。ただ、そのためには今後のことも考えて優秀な遺伝子を残してほしいって言われていてね」
「優秀な遺伝子?」
カオルの言葉を聖はオウム返しした。
「聖って、有名私大の理工学部を出ているだろう?」
智大が口を挟む。
「まあね。えっ、そんなことで選ばれたの?」
「そんなことって言うけど、この先、この薬をさらに進化させていかなくちゃいけないからね。優秀な人材を作り出す必要がある」
カオルは、一見、チャラい男だが、妙に説得力のある発言を繰り返す。
「智大も大学は理系だろう? カオルはハーバード。って言うことは」
「さすが聖、察しがいいな。俺たちが女性になるパターンも試してみたんだけど、思うようにいかなくってね。種馬側に回ってみたらとりあえず成功例が出てきたから、ちょっとホッとしているところなんだよ」
カオルは少し得意げに話す。
「でもさ、ここは元から人口も少ないし、見ていてわかると思うけど、年寄りばっかりだからね。だから、生殖能力のある人材を少しでも外から呼び込もうとしているんだ。そうじゃないと、兄弟が増えちゃうからね」
智大もまた自信ありげに口を開く。
聖は少し変になりそうだった。頭がクラクラするのは二人のわけのわからない、でももっともらしい話のせいだろうか? それともカオルの言葉通り妊娠による貧血なのか?
「中絶したい」
産みたいと思ったわけでも、堕したいと本気で望んだわけでもなかったが、そんな言葉が思わず口をついて出た。
「最初の二人もそんなことを言っていた時期があったけど、たぶんそれはマタニティブルーだな。一時的に精神的なホルモンバランスが崩れてそんなことを言ってみたくなるだけさ。
それにこの村には産婦人科がない。仮に他の土地で手術をしたいなんて言っても聞き入れてもらえる可能性は低いはずだ。聖の保険証は生物学的に男性だし、性同一性障害で性別変更をしたとしても妊娠は無理だ。だから、産院でまともに診察を受けることも難しいだろうな」
鋭い目つきで話すカオルの意見は、もっともだと聖自身も納得した。
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
聖は、どこにぶつけていいのかわからない不満を押し殺す。
「産むしか他に道はないんだよ」
「でも、産科はないんだろう?」
「大丈夫だ。俺は医師免許を持っている。先に生まれた二人も俺が取り上げたから問題はない。なにも心配はいらない。村役場の一角に診察スペースを作ってもらってあるし、そこに最新医療機器も導入済みだ。都会のセレブ病院並みの機材が揃っているし、腕のいい医者もここにいるから不安を感じることなんてないんだ」
カオルは左手で自分の右腕を軽く叩きながらそう言った。
「それに栄養価の高い食材は村から支給されるし、希望すれば調理したものも配給される。マタニティ用品や母親の衣類も提供されるから安心してくれて大丈夫だからね」
智大は聖の肩を軽く叩く。
これは冗談のような本気の話なんだと聖は自分に言い聞かせる。